第一幕 十
食事を終えると、レオンは席を立った。
肩から提げた布袋の口を閉じ、華の方を見る。自分を指してから、食堂の入口、その先の通りを順に指した。
華は黒い板の入った布袋を膝から取った。
レオンは待っている。
出かけるらしい。
華は部屋の鍵を確かめてから、頷いた。
*
通りへ出ると、人の多さが宿の中より近かった。
荷を引く車輪が石を鳴らす。店の前では、布や金物が風に揺れている。昨日入った布屋の前を通ると、女が戸口で誰かと話していた。
華は歩きながら、その店の色あせた庇を見た。
レオンは急がなかった。
角を曲がる前に一度だけ振り返る。華がついてきているのを確かめると、また歩き出した。
通りの先に、低い石壁があった。
壁の前には桶や水袋を持った人が並んでいる。壁に埋め込まれた細い口から、水が途切れずに落ちていた。
列の端にいた男が、小さな金具へ指を触れる。水の勢いが少し弱まり、隣の口から新しく水が落ちる。
誰も、その動きを見上げなかった。
華だけが足を止めた。
森でレオンが水を出したときとは違う。けれど、ここでも、水を手に入れるためのものが、街の中にある。
レオンは華の視線の先を見た。水場を指し、それから宿の方角へ親指を向ける。
華は小さく頷いた。
水場。宿から歩いてきた道の途中。
黒い板へ書くほどのことではない。今は、目の前の場所を覚える方が先だった。
*
次の店で、レオンは平たいパンを二つと、乾いた葉を包んだ小さな袋を受け取った。
掌に何枚かの硬貨を並べ、店の男が差し出した硬貨と取り替える。
華はその動きを見ていた。
昨日の布屋でも、同じように金属の円いものが渡されていた。数は違う。何がどれだけなのかは、まだ分からない。
それでも、食べるものを手に入れる場所と、水を得る場所は別らしい。
レオンは買ったものを布袋へしまった。
華の前へ、パンの包みを一つ差し出す。
華は受け取らなかった。
包みを指してから、レオンの布袋を指す。そこへ入れていいのか、と聞くつもりだった。
レオンは布袋の口を開けたまま、少し待った。
華が自分で包みを入れると、口を閉じる。
それだけで、また歩き出した。
*
帰り道の角で、レオンは止まった。
来た方を一度見て、華を見る。
華は通りを見回した。
水場からここまで、右へ曲がった。布屋の色あせた庇は、もう見えない。代わりに、通りの向こうの壁に、白い鳥のような絵が描かれている。
行くときにも見た。
あの絵を左にして歩いたあと、荷車の多い通りを渡った。そこから宿の前の、低い看板が見えた。
華は左を指した。
レオンはすぐには頷かなかった。ただ、華の指した方へ歩いた。
角を一つ曲がる。
荷車の音が近くなる。
その向こうに、宿の低い看板が見えた。
華は足を止めずに、その方へ歩いた。
宿の扉の前で、レオンが横へ並ぶ。
華は振り返った。
荷車の通る道。白い鳥の壁。水の落ちる石壁。
知らないものは、まだ多い。
けれど、宿へ戻る道は、扉の形だけではなくなった。
次に一人で歩けるとは思わない。
それでも、レオンと一緒に通った場所なら、見失わずにいられるかもしれなかった。




