第16話「あの公園で、また」
登場人物
水無月 晴人
高校1年生。本作の主人公。どこにでもいる普通の高校生。
ある雨の日、かつての幼馴染・零花と再会する。
久しぶりの再会に戸惑いながらも、少しずつ彼女との距離を取り戻していく。
霧咲 零花
高校2年生。晴人の幼馴染。長い時を経て、再び彼の前に現れる。
落ち着いた雰囲気と大人びた美しさを持つ少女。
どこか謎めいた言動を見せることもあり、その内面は容易には掴めない。
高瀬 陸
晴人のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るくノリの良い性格で、遠慮なく距離を詰めてくるタイプ。
軽口を叩くことも多いが、いざという時には頼りになる存在。
桜井 美咲
晴人と陸のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るく人懐っこい性格で、誰とでもすぐに打ち解ける。
場の空気を和ませる一方で、ふとした瞬間に核心を突くこともある。
気づけば、季節はすっかり移ろいでいた。
窓の外に広がる空は淡く白み、差し込む光もどこか柔らかい。
冷たい空気は、知らぬ間に日常の中へと溶け込み、吐く息すらわずかに色を帯びる。
冬の訪れは、いつだって静かだ。
気づいた時には、もうそこにある。
「……今年も、もう終わりだな」
ぽつりと、陸がそんなことを言い出した。
「急にどうしたんだよ」
思わずそう返すと、陸は椅子に体を預けたまま、気だるそうに天井を見上げる。
「いや、なんかさ。気づいたらもう十二月だし」
「ほんとだよね~。あと一ヶ月もないんだよ?」
美咲もそう言って、頬杖をつきながら窓の外を眺めた。
「年末って、なんか一気に来る感じあるよな」
「わかるわかる。ついこの前まで暑かったのにね」
そんな取り留めのない会話が、教室のあちこちで交わされている。
特別なことなんて何もない、いつも通りの放課後。
けれど――どこかで、何かが変わり始めている気がした。
「――いやいや、その前にだろ」
陸が背もたれから体を起こし、こちらを見た。
さっきまで気だるそうにしていたのに、その目だけは妙に真面目だ。
「大事なイベントがあるだろうが」
「イベント?」
聞き返すと、陸は呆れたように眉をひそめた。
「お前マジで言ってんのか?」
「は?」
一拍の間。
その沈黙を破るように、美咲が勢いよく身を乗り出してきた。
「クリスマスだよ、クリスマス!」
「あー……」
思わず曖昧な声が漏れる。
言われてみれば、街中でもイルミネーションの準備が始まっていたし、
駅前の商業施設もやけに賑やかだった気がする。
けれど――
「別に、関係なくないか?」
口に出した瞬間、しまった、と思った。
ぴたり、と空気が止まる。
「……は?」
「え?」
「お前、それ本気で言ってる?」
二方向から視線が突き刺さる。
「いや、だって……普通に過ごすだけだろ?」
そう言いながらも、どこか言い訳めいた響きになっているのは自分でもわかっていた。
「はぁ~……これだから晴人は」
美咲が大きくため息をつき、額に手を当てる。
「自覚ないのが一番タチ悪いんだよな、こういうやつ」
陸も肩をすくめながら、呆れたように言った。
「な、なんだよ……」
二人の反応に押されるように、声が少し弱くなる。
そんな中で、美咲がふっと真顔になった。
「いるでしょ」
その一言は、さっきまでの軽い調子とは違っていた。
「……え?」
「零花先輩」
名前が出た瞬間、胸の奥がわずかにざわつく。
意識していなかったはずなのに、その存在だけは、やけにはっきりと浮かび上がってくる。
「クリスマスイヴ、一緒に過ごすんでしょ?」
「いや、それは――」
言葉が続かない。
そんな予定は、考えていなかった。
そもそも、そんなことを考える段階にいるのかどうかさえ、よくわからない。
「え、なに?まさか何も考えてないの?」
美咲の声が、一段低くなる。
「……う」
視線を逸らした時点で、答えは出ていた。
「はぁ!?ちょっと晴人、それはないでしょ!」
「マジかよお前……」
二人の声が重なり、じわじわと追い詰められていく。
「せっかくいい感じなのに、何もなしで終わらせる気か?」
「そうだよ!クリスマスイヴだよ!?一番大事な日じゃん!」
「いや、別にそこまで――」
「あるから!」
ぴしゃり、と遮られる。
思わず口を閉じると、美咲はぐっと身を乗り出してきた。
「いい?クリスマスイヴはね、二人で過ごして、ちゃんとプレゼント渡して――そういうイベントなの!」
「イベントって……」
「そういうもんなの!」
強く言い切られて、反論の余地はなかった。
教室のざわめきが、やけに遠くに感じる。
「で?プレゼントは?」
「……え?」
「用意してるんでしょ?」
「いや……その……」
嫌な予感が、じわじわと現実になる。
「まさか」
「……何も考えてない」
「はぁ~~~!?」
美咲の声が教室に響き、何人かがこちらを振り向いた。
「お前ほんとにそれでいいと思ってんのか!?」
「いや、だって……何あげればいいかわかんねぇし……」
「だから考えるんだろうが!」
陸が机に手をつき、ぐっと身を乗り出す。
「いいか、晴人。まずは――」
「零花先輩がクリスマス空いてるか確認!」
「それからプレゼント!」
「ちゃんと選べ!」
言葉が、次々と押し寄せてくる。
逃げ場なんて、どこにもない。
「……わかったよ」
観念したように、小さく頷いた。
「ったく……最初からそう言えっての」
「ほんとだよ~」
二人はようやく満足したのか、同時に息を吐いた。
その様子を横目に、俺はぼんやりと机に視線を落とす。
――プレゼント、か。
頭の中でその言葉だけが、やけに重く残る。
何を選べばいいのかなんて、まるでわからない。
けれど、あいつに渡すものを、適当に選びたくはなかった。
「……ちゃんと、考えるか」
小さく呟いたその言葉は、喧騒の中に溶けて消えていった。
◇ ◇ ◇
放課後。
校舎を出ると、冷たい空気が頬を撫でた。
昼間よりも気温は下がっていて、吐く息がわずかに白くなる。
昇降口の先で、見慣れた後ろ姿が足を止めた。
「……零花」
「あら、晴人君」
変わらない、落ち着いた声音。
けれど、その瞳はどこか柔らかく、こちらをまっすぐに捉えていた。
並んで歩き出す。
足音が、乾いたアスファルトに小さく響く。
そのリズムに合わせるように歩きながら、何度か口を開きかけては閉じた。
――どう切り出す?
頭の中で言葉を組み立てる。
けれど、考えれば考えるほど、余計に言いづらくなる。
「……あのさ」
結局、当たり障りのない一言しか出てこなかった。
「なにかしら?」
すぐ隣から返ってくる声は、いつもと変わらず穏やかだ。
その落ち着きが、余計に自分のぎこちなさを際立たせる。
「今年も、もう終わりだよな」
視線を前に向けたまま、言葉を繋ぐ。
本当は、こんな話をするつもりじゃなかったのに。
「そうね……早いものよね。時が経つのは」
零花はわずかに空を見上げた。
その仕草は自然で、けれどどこか遠くを見ているようにも感じられる。
「なんかさ、気づいたらもう十二月でさ」
言葉を続けながら、自分でも遠回りしているのがわかる。
「その前に、クリスマスあったよな」
「ええ。その頃には終業式ね」
淡々とした返答。
変わらないはずなのに、その一言が妙に意識に残る。
――今なら、言えるか。
「……その、クリスマスなんだけどさ」
喉の奥が少しだけ乾く。
「もしよかったら……一緒に過ごさないか?」
言い切った瞬間、胸の奥が強く跳ねた。
返事は、すぐには来なかった。
ほんのわずかな沈黙。
その間が、やけに長く感じられる。
隣をちらりと見る。
零花は、少しだけ視線を落としていた。
何かを考えるように、静かに。
「……そうね」
やがて、小さく息を吐くようにして口を開く。
「いいわよ」
あっさりとした返答。
けれど、その声音はどこか柔らかかった。
「……いいのか?」
思わず確認してしまう。
「ええ。学校も休みになるし、特に予定はないもの」
そう言って、零花はわずかに微笑んだ。
ほんの少しだけ口元が緩む、その変化に、目が引き寄せられる。
――よかった。
胸の奥にあった緊張が、ゆっくりとほどけていく。
「そっか……」
それ以上、うまく言葉が出てこない。
ただ並んで歩く時間が、さっきよりも少しだけ違って感じられた。
「……楽しみにしているわ」
「えっ?」
「クリスマスを、晴人君と過ごせるのが」
その言葉に、胸が一瞬だけ締めつけられる。
――そんなふうに言われるとは、思っていなかった。
「……俺もだよ」
なんとか絞り出すように返す。
少しだけ照れくさくて、視線を逸らす。
その時、隣で零花がわずかに目を細めた気がした。
風が吹く。
冷たいはずの空気が、どこか心地よく感じられる。
約束は、静かに交わされた。
◇ ◇ ◇
休日の昼下がり。
空はよく晴れていたが、空気は冷たく、冬の匂いがはっきりと感じられた。
吐く息は白く、ポケットに手を突っ込んだまま、俺は駅前の通りを歩いていた。
――プレゼント、か。
あの日、零花先輩と交わした約束。
その言葉が、ずっと頭の中に残っている。
『楽しみにしているわ』
その一言を思い出すだけで、胸の奥が少しだけ落ち着かなくなる。
「……何あげりゃいいんだよ」
思わず小さく呟く。
正直、こういうのは慣れていない。
誰かにプレゼントを選ぶなんて、ほとんど経験がなかった。
それも相手が――零花となると、余計にだ。
適当なものを渡すのは違う。
かといって、何を選べばいいのかもわからない。
「……とりあえず、見るか」
考えていても仕方がない。
そう自分に言い聞かせて、目の前のショッピングモールへと足を踏み入れた。
自動ドアが開くと、暖かい空気が一気に流れ込んでくる。
外とはまるで別世界みたいに、人の気配と明るさに満ちていた。
店内には、クリスマスソングが流れている。
あちこちに飾られた装飾や、赤と緑の色合いが目に入った。
――やっぱり、そういう時期なんだな。
少しだけ場違いな気分になりながら、エスカレーターを上がる。
何を見ればいいのかもわからないまま、店の前を通り過ぎていく。
雑貨屋。服屋。アクセサリーショップ。
足が、ふと止まった。
ガラス越しに並べられた、小さな装飾品たち。
ネックレスや指輪が、照明を受けて静かに光っている。
「……こういうの、か」
プレゼントといえば、こういうものなのかもしれない。
けれど、自分がそれを選ぶとなると、急に現実味が増す。
――似合うのか?
頭に浮かぶのは、零花の姿だった。
落ち着いた雰囲気。
整った佇まい。無駄のない、静かな美しさ。
派手なものは、違う気がする。
「……もっと、シンプルなやつの方がいいよな」
ガラスの向こうに並ぶアクセサリーを、じっと見つめる。
その中で、ひとつだけ目に留まるものがあった。
小さなしずく型のペンダント。
透明な石が、光を受けてわずかに青く揺れている。
派手さはない。
けれど、どこか目を引く。
――これなら。
理由はうまく言葉にできなかった。
「あいつに、似合う気がする」
しばらくその場に立ったまま、視線を外せない。
胸の奥が、少しだけ熱を帯びる。
「……よし」
小さく息を吐く。
迷いは、まだある。
けれど、それ以上に――
これを渡した時の零花の表情が、見てみたいと思った。
その気持ちだけは、はっきりしていた。
ガラス扉を押して店の中に入ると、外から見ていたよりも静かで、落ち着いた空間が広がっていた。
控えめな照明に柔らかく流れる音楽。
並べられたアクセサリーが、静かに光を受けている。
――場違い、だよな。
一歩踏み入れただけで、そんな感覚が頭をよぎる。
店内にいるのは、ほとんどが女性客かカップル。
一人で来ているのは、自分くらいかもしれない。
「……」
なんとなく視線を泳がせながら、さっき見つけたペンダントの並ぶショーケースへと歩く。
――これ、でいいんだよな。
改めて目にすると、少しだけ不安になる。
本当にこれでいいのか。
もっといいものがあるんじゃないか。
そんな考えが、頭をよぎる。
「お客様、何かお探しでしょうか?」
不意に、後ろから声をかけられた。
「っ……!」
思わず肩が跳ねる。
振り返ると、落ち着いた雰囲気の店員が、にこやかに立っていた。
「あ、いや……その……」
一瞬、言葉が詰まる。
どう答えればいいのか、わからない。
ただ見ていただけです、で済ませることもできる。
でも――
視線が、ショーケースの中のしずく型のネックレスに落ちる。
「……これ、見てもいいですか」
結局、それを指さしていた。
「はい、かしこまりました」
店員は慣れた手つきでケースを開け、ネックレスを取り出す。
手のひらの上に乗せられたそれは、
ガラス越しで見るよりも、ずっと繊細に見えた。
透明な石が、照明を受けて淡く青く光る。
「……」
言葉が出ない。
ただ、じっと見つめる。
「シンプルなデザインで、どんな服装にも合わせやすい人気のものになります」
店員の説明が耳に入る。
――やっぱり、これでいい気がする。
「……これ、ください」
「ありがとうございます。プレゼント用でしょうか?」
その一言に、心臓が一瞬止まりかける。
「え、あ……まぁ……」
否定する理由もなく、曖昧に頷く。
店員はくすっと小さく微笑んだ。
「かしこまりました。ラッピングもご一緒にご用意いたしますね」
「……お願いします」
それ以上、余計なことを言う余裕はなかった。
会計を済ませている間、なんとなく落ち着かない。
――プレゼント、か。
改めて言葉にされると、少しだけ照れくさい。
袋に入れられていく様子を、ぼんやりと眺める。
やがて、小さな箱が丁寧に包まれ、リボンがかけられた。
「お待たせいたしました」
差し出されたそれを、そっと受け取る。
思っていたよりも、軽い。
けれど、その重みは妙に意識される。
「……ありがとうございます」
そう言って店を出る。
外の冷たい空気が、さっきまでの熱を少しだけ冷ましてくれた。
手の中の袋を見下ろす。
――あとは、渡すだけか。
そのはずなのに。
胸の奥は、さっきよりも少しだけ落ち着かなくなっていた。
◇ ◇ ◇
休日の夜。
部屋の中は静まり返っていて、壁に掛けられた時計の針の音だけが、やけに大きく響いていた。
窓の外はもう暗く、街灯の光がぼんやりとカーテン越しに滲んでいる。
ベッドに腰掛けたまま、スマホを手に取る。
画面には、零花とのトーク画面。
最後のやり取りは、数日前。
短いやり取りだけが残っている。
――そろそろ、決めとかないとな。
クリスマスの約束。
場所も時間も、まだ決まっていない。
それだけのはずなのに。
なぜか、簡単にメッセージを送ることができなかった。
指を画面の上に置いたまま、動かない。
何を送ればいいのか、わからないわけじゃない。
ただ、どういう言葉で送るのが、正解なのかがわからない。
「……考えすぎか」
こんなことで迷うような関係じゃなかったはずなのに。
昔は、もっと気軽に話していた。
用もないのに声をかけて、くだらないことで笑って。
それが当たり前だった。
――今は、違う。
理由は、はっきりしない。
けれど確かに、どこか距離がある。
「……まぁ、いいか」
考えるのをやめるように、小さく息を吐く。
『明日、待ち合わせどこにする?』
送信すると間もなく既読がついた。
その表示が変わるだけで、胸の奥がわずかにざわつく。
ほんの数秒のはずなのに、やけに長く感じられた。
やがて、返信が届く。
『そうね…』
その一文を見た瞬間、少しだけ視線が止まる。
“考えている”ような、そんな間を含んだ言い方。
続けて、もう一通。
『昔一緒に遊んでた公園、覚えてる?』
――公園。
その言葉に、思考が引き戻される。
すぐに浮かぶ景色があった。
家の近くにある、小さな公園。
特別な遊具があるわけでもない、どこにでもあるような場所。
けれど、放課後に寄り道して、日が暮れるまで無意味に時間を潰して、何をするでもなく、ただ一緒にいた。
そんな記憶が、いくつも重なっている。
『昔遊んだって…うちの近くにある公園か?』
確認するように打ち込んで送信すると、すぐに既読がつく。
『ええ、久しぶりに行ってみたいのよ』
その一文を、しばらく見つめる。
――なんで、そこなんだ。
ふと、そんな疑問が浮かぶ。
クリスマスなら、もっとそれらしい場所はいくらでもあるはずだ。
駅前でも、ショッピングモールでも。
それなのに、わざわざあの公園。
「……」
スマホを持つ手に、わずかに力が入る。
――あいつ、何考えてるんだろうな。
昔のことを思い出したのか。
それとも――
そこまで考えて、やめる。
理由を考えても、答えは出ない。
ただひとつ言えるのは、嫌じゃない、ということだけだった。
「……まぁ、あいつらしいか」
納得したわけじゃないけど、それでいい気がした。
『まぁ、いいけど。何時にする?』
送信すると、今度は返信まで少しだけ間があった。
『…昼過ぎくらいがいいかしら』
ほんのわずかに置かれた“間”。
その意味を、無意識に考えてしまう。
『じゃあ、二時くらいでいいか?』
『ええ、大丈夫よ』
それでやり取りは終わった。
続けようと思えば、続けられる。
けれど、何を送ればいいのか、わからなかった。
画面を閉じず、そのまま見つめる。
文字の並びを、ただ目で追う。
――あの公園、か。
懐かしいはずの場所。
なのに、思い浮かべるだけで、少しだけ胸がざわつく。
スマホを伏せ、ベッドに体を倒して天井を見上げる。
何も変わらない、見慣れた天井。
「……落ち着かねぇな」
視線を天井に向けたまま、思考がゆっくりと巡っていく。
クリスマス。
街は賑わって、誰かと過ごすことに意味が与えられる日。
そんな日に、零花と会う。
――それって、どういうことなんだろうな。
ただの約束かもしれない。
たまたま予定が合っただけ。
それだけの可能性だって、いくらでもある。
けれどそれだけで片付けてしまうには、違う気がした。
昔は、こんなふうに考えることなんてなかった。
一緒にいるのが当たり前で、理由なんて必要なかった。
でも今は違う。
わざわざ約束をして、時間を決めて、場所を決めて、その上で、会う。
その一つ一つに、意味がある気がしてしまう。
「……なんだよ、それ」
考えすぎだと、わかっている。
けれど、もしもあいつも同じように考えていたら――そこまで思って、思考を止める。
それ以上は、踏み込まない方がいい気がした。
「……まぁ、明日になりゃわかるか」
胸の奥に残る、わずかなざわつき。
それは消えることなく、静かに残り続けていた。
いつの間にか、意識がゆっくりと沈んでいく。
思考が途切れ、現実の輪郭がぼやけていく。
――そして。
◇ ◇ ◇
見覚えのある景色。
古びた遊具。小さな砂場。少し傾いたベンチ。
あの公園だった。
空は明るく、陽の光が柔らかく差し込んでいる。
冬の冷たさなんて、どこにもない。
「晴人ー!」
弾むような声が背中に届く。
振り返ると、零花がこちらに向かって走ってきていた。
「もう、待ってよ!」
「お前が遅いんだろ」
そう言って、軽く笑う。
気づけば、自然と足が動いていた。
そのまま前に走り出す。
「ちょっ、待ちなさいってば!」
後ろから、慌てた声が追いかけてくる。
「追いつけるもんならな」
振り返りもせずに言うと、少しだけ速度を上げた。
風が頬をかすめる。
足取りは軽く、身体が勝手に前へと進んでいく。
「晴人!ずるい!」
零花の声が、少しずつ近づいたり離れたりする。
「ちゃんと待ってよ!」
「無理だな」
そう返しながらも、ほんの少しだけ速度を緩める。
完全に突き放すわけでもなく、かといって捕まるわけでもない距離。
「……ほら」
わざと歩幅を落とすと、次の瞬間、横に並ばれる。
「もう……!」
息を弾ませながら、零花がこちらを睨む。
けれど、その顔は怒っているというより――楽しそうに笑っていた。
「最初からそうすればいいじゃない」
「それじゃ面白くないだろ」
「面白いとかじゃないの!」
そう言いながらも、口元は緩んでいる。
少しだけ悔しそうに、でもどこか嬉しそうに言う。
その横顔を見て、思わず笑みがこぼれる。
「お前が遅いだけだろ」
「なによ、それ!」
軽く肩を叩かれる。
他愛もないやり取り。
意味なんてない。
けれど、それが当たり前だった。
前を走る自分と、その後を追いかけてくる零花。
その距離が、ちょうどよかった。
「……次は負けないんだからね」
そう言って、また走り出す。
「はいはい」
適当に返しながら、その背中を追う。
さっきまでとは逆の構図。
それでも、違和感はなかった。
ただ一緒にいることが、自然だった。
――ああ。そうだったな。
どこかで、もう一人の自分がそれを見ている。
昔のあいつは、こんなふうに――明るくて、よく笑って、少しだけ負けず嫌いで。
「ほら、来なさいよ!」
振り返って手を振る。
その姿が、やけに眩しく見えた。
風が吹き、景色が少しずつ揺らぐ。
光がにじんで輪郭が、曖昧になっていく。
「……じゃあな」
不意に、自分の口からそんな言葉がこぼれた。
何に対してなのかは、わからない。
けれど、そのまま、その光景は静かに遠ざかっていった。
◇ ◇ ◇
目を開けと見慣れた天井に静かな部屋だった。
「……夢、か」
胸の奥に、何かが残っている。
懐かしさと、それだけじゃない、違和感のようなもの。
「……あいつ、あんなに笑ってたっけな」
思い出の中の零花は、もっと感情を表に出していた。
遠慮なんてなくて、よく笑って――今のあいつとは、どこか違う。
「……まぁ、いいか」
そう言いながらも、その違いは頭の片隅に残ったままだった。
「……あの公園で、また、か」
その言葉は、懐かしくて――少しだけ、重かった。




