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第15話「穏やかな時の狭間で」

登場人物

水無月みなづき 晴人はると

高校1年生。本作の主人公。どこにでもいる普通の高校生。

ある雨の日、かつての幼馴染・零花と再会する。

久しぶりの再会に戸惑いながらも、少しずつ彼女との距離を取り戻していく。


霧咲きりさき 零花れいか

高校2年生。晴人の幼馴染。長い時を経て、再び彼の前に現れる。

落ち着いた雰囲気と大人びた美しさを持つ少女。

どこか謎めいた言動を見せることもあり、その内面は容易には掴めない。

放課後の教室には、まだどこか文化祭の名残が残っていた。


黒板の隅に消しきれずに残った装飾の跡や、

片付けきれなかった段ボールが、隅に寄せられている。


数日前までの喧騒が嘘みたいに、今は静かだった。


「いやー、文化祭終わったら一気にやる気なくなるわ……」

「それな。しばらく何もしたくねぇ」


そんな他愛ない会話が、教室のあちこちから聞こえてくる。


俺はそれをぼんやりと聞き流しながら、窓の外に視線を向けた。

空は高く、すっかり秋の色をしている。


――文化祭。


ふと、あの時の光景が脳裏をよぎる。


舞台の上に立つ零花。

照明を受けて、静かに言葉を紡ぐ姿。


あまりにも自然で、あまりにも――完成されていて。


「……」


思い出そうとすると、胸の奥に小さな引っかかりが残る。


理由はうまく言えない。

ただ、どこか“おかしかった”気がする。


「……帰るか」


ぽつりと、独り言のように呟く。


考えたところで、答えが出るわけでもない。

そんな気がして、思考を切り上げた。


鞄を肩にかけ、静かに席を立つ。


廊下には、まだまばらに生徒が残っている。

部活へ向かうやつ、友達と話しながら帰るやつ。

それぞれの帰り道が、ゆっくりと流れていた。


その流れに紛れながら、昇降口へと向かう。


靴を履き替えて、外に出ると――


「……あら」


聞き慣れた声が、すぐ近くから落ちた。

顔を上げると、校門のそばに零花が静かに立っていた。


漆黒の髪が、柔らかな風に揺れている。

その姿は、文化祭のときとも、あの日の雨の中とも違って――

けれどやはり、どこか目を引く存在だった。


「奇遇ね」


零花はそう言って、わずかに首を傾ける。


「そっちこそ、もう帰りか?」


「ええ。ちょうど今、出たところよ」


何気ないやり取り。

それなのに、少しだけ間が空く。


沈黙が、ほんの一瞬だけ長く感じられた。


「…そういえば。あの演劇、結構評判よかったみたいだな」


「そうみたいね」


変わらない調子で返ってくる。


けれど――どこか、温度がない。


喜んでいるわけでも、照れているわけでもない。

ただ事実だけを受け取って、そのまま返しているような。

そんな印象が、かすかに残る。


「……なあ」


言いかけて、言葉を止める。


「どうしたの?」


零花が、まっすぐこちらを見る。

その視線は落ち着いていて、揺らぎがない。


まるで、こちらの反応を“待っている”みたいに。


――聞こうとしたのは、たった一つのことだった。

あの舞台の上の零花は、本当に“演じていた”のか。


それともあれが、今の零花そのものなのか。

胸の奥に引っかかっているのは、その曖昧な境界だった。


けれどそれを今ここで聞くのは、何かが違う気がした。


踏み込んでしまえば、戻れなくなるような。

そんな感覚が、かすかにあった。


「いや、なんでもない」


結局、そう誤魔化した。


零花は、しばらくのあいだ何も言わずにこちらを見ていた。

まるで、本当は何を聞こうとしたのかを、見透かしているかのように。


やがて、ふっと視線を外す。


「……このあと、少し時間はあるかしら?」


「ん?まあ、特に予定はないけど」


少しだけ意外に思いながらも、素直に答える。


零花の方から、こうして何かに誘ってくることは、そう多くはなかった気がする。


「そう。なら少し、寄り道でもどうかしら?」


穏やかな声音だった。

けれどその言葉の奥に、ほんのわずかに、何かを確かめるような響きが混じっている気がした。


「……いいけど。どこ行くんだ?」


そう返すと、零花はほんの少しだけ目を細めた。


「前に行ったお店、覚えてる?」


◇ ◇ ◇


Cafe Featherは、以前と変わらない静けさでそこにあった。


ガラス越しに見える店内は、落ち着いた照明に包まれていて、

外の喧騒とは切り離されたような空間になっている。


扉を開けると、柔らかなベルの音が鳴った。


「いらっしゃい」


低く落ち着いた声が、店内の空気に静かに溶けた。

カウンターの奥に立つマスターが、ゆるやかに視線をこちらへ向ける。


その仕草には無駄がなく、長くこの場所に立ち続けてきた人間特有の、穏やかな余裕がある。


「こんにちは、マスター」


零花が、自然な調子で挨拶を返す。

その声音には、わずかな親しみが混じっている。


「やぁ零花ちゃん。いつもの席なら空いてるよ」


「ありがとうございます」


言葉を交わす二人の間には、無理のない距離感があった。

まるで、このやり取りを何度も繰り返してきたかのように。


――前に来たときも、こんな風だったか?

記憶を辿ろうとするが、うまく輪郭が結ばれない。


来たことは覚えている。

けれど、その時の細かなやり取りまでは、曖昧なままだった。


マスターの視線が、ふとこちらに向く。


「久しぶりだね」


「ああ……どうも」


軽く会釈を返す。

覚えられていることに、ほんの少しだけ驚きながらも、それ以上の感情は浮かんでこない。


案内されるまま、以前と同じ窓際の席に腰を下ろす。

ガラス越しに差し込む夕方の光が、テーブルの上に柔らかな影を落としていた。


以前と同じ席。

椅子を引き、腰を下ろす。

その動作ひとつひとつが、どこか既視感を伴っている。


椅子の感触も、テーブルの木目も、どこか見覚えがある。


一度だけ来たことがあるはずなのに、そのときの細かな記憶は、うまく思い出せない。


時間が空いているせいか、全体の印象だけがぼんやりと残っていて、細部は曖昧なままだった。


向かいに座る零花は、そんなことを気にする様子もなく、静かにメニューへと視線を落としていた。


「何頼む?」


俺もメニューを開きながら、何気なく問いかける。


「コーヒーと、本日のおすすめケーキにしようかしら」


間を置かずに返ってきた答えは、あまりにも迷いがなかった。

まるで、最初から決まっていたかのように。


「前も同じのじゃなかったか?」


記憶の断片を頼りに、そう口にする。


「そうね。でもこれが一番いいの」


零花は小さく頷きながら、そう言った。

その言葉には、余計な感情の揺れがなかった。


「変わらないコーヒーの味と、変わるケーキの味が、ね」


静かに続けられたその一言に、思わず顔を上げる。


変わらないもの。変わるもの。


ただの好みの話のはずなのに――

その言葉は、どこか妙に整いすぎていて、

現実の会話から少しだけ浮いているように感じられた。


まるで、意味を持たせるために選ばれた言葉みたいに。


「ふーん。じゃあ、俺も同じのにするか」


深く考えないように、軽く流す。

けれど、その言葉だけが、妙に印象に残った。


◇ ◇ ◇


マスターが俺たちの注文を承り、その場を後にすると、

テーブルの上に、ゆるやかな静けさが戻った。


店内には落ち着いた音楽が流れ、時折、カップや皿の触れ合う小さな音が耳に届く。


向かいに座る零花は、そんな空間に溶け込むように静かだった。


「それで?」


沈黙が長くなる前に、ふと口を開く。

この静けさに、先に飲み込まれたくなかったのかもしれない。


「何がかしら?」


零花が視線だけをこちらに向ける。

その動きは滑らかで、無駄がない。


「なんでまたここに来たんだ?」


言葉にしたあとで、少しだけ後悔する。

踏み込みすぎたかもしれない、という感覚が遅れてやってくる。


ほんのわずかに、間が空く。

その沈黙は短いはずなのに、なぜかやけに長く感じられた。


「……そうね」


視線が一瞬だけ逸れる。

窓の外、通りを歩く誰かに向けられたそれが、すぐにこちらへ戻ってくる。


「晴人君と、ゆっくり過ごしたかった――では、ダメかしら?」


「いや、ダメじゃないけど」


思わず苦笑が漏れる。

否定する理由なんて、どこにもない。


「ただ、ちょっと意外だっただけだよ」


そう言うと、零花はわずかに首を傾げた。

その角度まで、どこか均整が取れている。


「そう?」


「なんていうか…こういう場所、最近あんまり来てなかったしな」


言いながら、頭の中でここ最近の出来事を辿る。


「最近……少し、慌ただしかったでしょう?」


その言葉に、自然と意識が内側へ引き込まれる。


再会してから、夏休み。

海に行って、夏祭りにも行って。


最近だと、運動会や文化祭。


……そういえば、遊園地にも行った。


「……まあ、そうだな。色々あったな」


「ええ」


小さく頷くその仕草は、どこか既視感を覚えるほど自然だった。


「……でも、不思議ね」


「何がだ?」


問い返しながら、わずかに身を乗り出す。

理由はわからないが、その続きを聞き逃したくなかった。


「どれも、ちゃんと覚えているはずなのに――」


ほんの一瞬だけ、言葉が途切れる。

けれどその間に、何かを探しているような“空白”があった。


「……少し、遠い気がするの」


「遠い?」


その言葉の意味を測りかねて、頭の中で何度か反芻する。


「ええ。ついこの前のことのはずなのに……」


ゆっくりと、確かめるように言葉を重ねていく。


「まるで、ずっと前の出来事みたいに感じるのよ」


その言い方に、胸の奥がわずかに引っかかる。

時間の距離感が、どこか噛み合っていない。


記憶としては近いのに、感覚としては遠い――そんな違和感。


「昔のことは鮮明に覚えているのに……どうしてかしらね」


「普通逆じゃないか?俺なんて、小学生の頃の記憶とか、だいぶ曖昧だぞ?」


軽口のつもりで言った言葉。

けれど、零花はすぐには反応しなかった。


「……そう」


その声音は穏やかで――ほんの一瞬だけ、零花の表情が揺れたように見えた。


どこか、わずかに寂しそうな色。

けれどそれは、あまりにも一瞬で。


次に目を向けたときには、いつもの落ち着いた表情に戻っていた。


気のせいかもしれない。

そう思うには、ほんの少しだけ引っかかるものが残る。


――そのときだった。


「お待たせしました」


穏やかな声とともに、マスターがコーヒーとケーキを運んでくる。

テーブルの上に置かれたカップから、ほのかに立ちのぼる香り。


湯気がゆっくりと空気に溶けていく。

皿の上には、季節のフルーツを使ったケーキ。

彩りもよく、見た目にもどこか心を和ませる。


「ありがとうございます」


零花がそう言って、軽く頭を下げる。

その仕草は、先ほどまでと何も変わらない。


「……うまそうだな」


とりあえず、そう口にする。

これ以上、さっきの空気を引きずるのも違う気がした。


「ええ。本日のおすすめね」


フォークを手に取り、ケーキを一口分切り分ける。

その動きは丁寧で、無駄がなく、見ていて妙に印象に残る。

ゆっくりと口に運び、小さく息をつく。


「……やっぱり、美味しいわ」


その言葉は、どこか柔らかい。


俺も同じようにフォークを取り、ケーキを口に運ぶ。

甘さと酸味がほどよく混ざり合って、思わず頬が緩む。


「……ほんとだ。これ、いいな」


「でしょう?」


わずかに、嬉しそうに微笑む。

その表情は自然で、さっき見えた“揺れ”が嘘だったかのようだった。


コーヒーに口をつける。


苦味と香りが広がって、意識が少しだけ落ち着いていく。

言葉は、もう多くはいらなかった。


ただ静かに、

同じ時間を共有する。


カップを置く音。

フォークが皿に触れる音。


その一つ一つが、

ゆっくりと流れる時間の中に溶けていく。


さっき感じた違和感も、引っかかりも――

この空気の中では、少しずつ薄れていくような気がした。


「こういう時間、久しぶりだな」


カップを手に取りながら、ふと呟く。

口に出した言葉は、思っていたよりも静かに響いた。

この店の空気が、音を柔らかく包み込んでいるようだった。


視線の先では、零花がフォークを手にしていた。


ケーキを一口分、丁寧に切り分ける。

その動作は、変わらず綺麗で。

どこか、崩れる気配を感じさせないほどに整っている。


「ええ……落ち着くでしょう?」


ゆっくりと口に運び、そう答える。

その声音は穏やかで、この空間に馴染むように自然だった。


「ああ、まあな」


コーヒーに口をつける。

苦味が広がり、思考が少しだけ落ち着く。


「……なんか、不思議な感じもするけどな」


「不思議?」


「いや、なんていうか……」


言葉を探す。

落ち着くはずなのに、

どこか引っかかる感覚。


それをうまく言葉にできないまま――


「……っ、」


かすかな音が、会話を途切れさせた。

零花の手が、ほんのわずかに止まる。


次の瞬間、彼女はそっと口元に手を当てた。


「……ごめんなさい」


小さく、控えめに、それから、軽く咳き込む。

一度。そして、もう一度。


どちらも短く、すぐに収まる程度のものだった。

けれど――その一瞬だけ、空気がわずかに歪んだ気がした。


「……大丈夫か?」


「ええ。大丈夫よ」


その答えは早く、迷いがない。

まるで、あらかじめ用意されていたみたいに。


「少し、むせただけ」


そう言って、軽く微笑む。

その表情は、さっきまでと変わらない。

穏やかで、整っていて、何も問題がないように見える。


――見えるだけで。


さっきの一瞬が、妙に頭の中に残っていた。


「ならいいけど……」


そう言いながらも、完全には納得しきれないまま、言葉を濁す。

零花はそれ以上何も言わず、再びフォークを手に取った。


さっきと同じように、丁寧に。

まるで、途中で途切れた動作を、正確に“続きから再開する”かのように。


それからしばらくの間、二人の間に大きな会話はなかった。


さっきの咳き込みも、気のせいだったのではないかと思えるほど、零花はいつも通りだった。


やがて、皿の上のケーキはなくなり、コーヒーも飲み干す。


「……そろそろ出るか」


「ええ」


席を立ち、レジへ向かう。

床を踏む足音が、やけに鮮明に聞こえた。


この店の中では、どんな音も、少しだけ現実から切り離されているように感じる。


会計を済ませる。

マスターが穏やかに礼を言い、こちらも軽く頭を下げる。


扉へと向かい、ドアノブに手をかけたとき、外の光がガラス越しに差し込んでいた。

そのまま扉を押し開け、外の空気が、ゆるやかに流れ込んできた。


一歩、踏み出す。


――そのときだった。


ぐらり、と。


ほんのわずかに、隣で何かが揺れた。

視界の端で、零花の身体が傾く。


「おい――」


反射的に声が出る。

けれど、次の瞬間には、零花はすでに体勢を立て直していた。

まるで、何もなかったかのように。


「……大丈夫」


落ち着いた声。

呼吸も乱れていない。

ただ、その言葉が出るまで、ほんの一拍だけ、間があった。


「少し、立ちくらみがしただけよ」


「無理すんなよ」


思ったよりも、声が低くなる。


「ありがとう。でも、本当に平気だから」


そう言って、微笑む。

その表情はいつも通りで、さっきの揺れが嘘だったみたいだった。


けれど――さっきの咳といい、今のこれといい、どこか、引っかかる。


うまく言葉にはできない。

ただ、胸の奥に、小さな違和感だけが残る。


零花は何事もなかったように歩き出す。

その背中を、ほんの一瞬だけ見つめてから、俺も後を追った。


◇ ◇ ◇


店を出ると、外の空気が少しだけ冷えていた。

さっきまでの静けさとは違う、現実の音が戻ってくる。


「……もうこんな時間か」


空を見上げると、夕焼けが、ゆっくりと色を落とし始めていた。


「ええ」


隣で、零花が同じように空を見上げる。


「綺麗ね」


「……ああ」


頷きながらも、視線は空じゃなく、隣にいる零花の方へ向いていた。

さっきのことが、頭から離れない。


咳き込んだこと。

ふらついたこと。


そして――あの、一瞬の表情。


「……なあ」


「なに?」


すぐに返ってくる。

その速さに、少しだけ迷いが生まれる。


「……いや」


言葉を飲み込む。

大丈夫かって聞くべきか。

それとも、何でもないふりをするべきか。


――わからない。


零花は何も言わず、ただこちらを見ていた。


「……今日はありがとな」


結局、そんな言葉が口をつく。


「こちらこそ」


ふわりと、柔らかく微笑む。

その表情は、やっぱりいつも通りで――だからこそ、余計にわからなくなる。


さっきのは、気のせいだったのか。


「……また、こういうのも悪くないな」


「ええ…また、来ましょうか」


「ああ、いいな」


二人で歩き出す。

並んだ足音が、ゆっくりと重なる。


穏やかな時間だったはずなのに。


そのはずなのに――


胸の奥に残っているのは、言葉にならない、かすかな違和感だった。

それは不安なのか、それとも、ただの気のせいなのか。


まだ、わからない。


ただ一つだけ、確かなことがあるとすれば――


隣にいる零花の存在が、どこか遠くへ行ってしまいそうな気がして。

俺は何も言えないまま、その横顔を、ほんの少しだけ見つめていた。

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