第12話「少し遠くなった放課後」
登場人物
水無月 晴人
高校1年生。本作の主人公。どこにでもいる普通の高校生。
ある雨の日、かつての幼馴染・零花と再会する。
久しぶりの再会に戸惑いながらも、少しずつ彼女との距離を取り戻していく。
霧咲 零花
高校2年生。晴人の幼馴染。長い時を経て、再び彼の前に現れる。
落ち着いた雰囲気と大人びた美しさを持つ少女。
どこか謎めいた言動を見せることもあり、その内面は容易には掴めない。
高瀬 陸
晴人のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るくノリの良い性格で、遠慮なく距離を詰めてくるタイプ。
軽口を叩くことも多いが、いざという時には頼りになる存在。
桜井 美咲
晴人と陸のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るく人懐っこい性格で、誰とでもすぐに打ち解ける。
場の空気を和ませる一方で、ふとした瞬間に核心を突くこともある。
教室の中は、いつもより少しだけ騒がしかった。
昼休みが終わってもなお残るざわめきが、どこか落ち着かない空気を作っている。
机を寄せ合って話し込むグループ、黒板の前に集まって案を見比べるやつら、ただ椅子に座ったまま周囲を眺めているだけのやつ。
その中心にあるのは、黒板に大きく書かれた文字。
――文化祭出し物。
その下にはいくつかの案が並んでいる。
喫茶店、縁日、展示。
どれも文化祭らしい無難な選択肢だ。
だからこそ、決め手に欠けるとも言える。
意見は出ているのに、どれもあと一歩足りない。
そんな空気が、教室全体に漂っていた。
「お化け屋敷一択だろ!」
その空気をぶち破るように、声が響いた。
高瀬陸だ。
教室の視線が一斉にそっちへ向く。
当の本人はそんなこと気にもせず、どこか得意げに胸を張っている。
「はいはい出た、絶対それ言うと思った」
呆れたように肩をすくめるのは桜井美咲。
とはいえ、その口調とは裏腹に、楽しそうな色が滲んでいた。
「だってよ、文化祭といえばこれだろ?脅かしてナンボじゃねぇか」
「まぁ、それはそうだけどさー。やるならちゃんと作り込みたいよね。中途半端なのは嫌だし」
「お、いいじゃん。じゃあ決まりだな!」
「いや、まだ決まってないからね!?」
間髪入れずにツッコミが飛び、教室のあちこちから笑い声が上がる。
そのやり取りを見ながら、自然と口元が緩む。
……こういうの、嫌いじゃないんだよな。
騒がしいけど、どこか心地いい。
まとまりきらない会話と、少しずつ同じ方向に流れていく空気。
誰か一人が決めるわけじゃない。
でも、なんとなく形になっていく。
そんな曖昧さが、このクラスらしいとも思う。
――とはいえ。
…まぁ、俺はどれでもいいけどな。
心の中で、ぼんやりとそう思う。
特別やりたいことがあるわけでもないし、かといって、反対する理由もない。
強く意見を出すほどの熱量もなくて、結局はこうして、流れに身を任せるだけだ。
「他に案あるやつー?」
担任の声が教室に響く。
だが、さっきまでの勢いに比べると、反応は鈍い。
誰かが口を開きかけては閉じ、結局言葉にはならない。
その沈黙を埋めるように――
「……お化け屋敷でいいんじゃね?」
誰かが、ぽつりと呟いた。
それは強い主張でも、はっきりした賛成でもない。
ただの“流れに乗る一言”だった。
けれど、それで十分だった。
「まぁ楽しそうだしな」
「準備大変そうだけど…やりがいはありそう」
「いいんじゃない?」
散らばっていた意見が、ゆるやかに一つにまとまっていく。
誰かが強く押したわけでもないのに、
気づけば反対の声はほとんど消えていた。
その流れを見て、陸が満足そうに笑う。
「よっしゃ、決まり!」
「だからまだ早いっての!」
美咲のツッコミに、また笑いが起きる。
けれどもう、空気は完全に決まっていた。
担任もそれを察したのか、小さく苦笑しながら頷く。
「じゃあ、多数決の結果――うちのクラスはお化け屋敷で決定な」
その一言で、教室の空気が弾けた。
拍手と歓声が入り混じり、さっきまでの曖昧さが嘘みたいに消えていく。
……まぁ、そうなるよな。
その光景を眺めながら、心の中で呟く。
驚きはない。
でも、少しだけ――その熱に当てられている自分がいる。
文化祭。
楽しみかと聞かれれば、正直よく分からない。
だけど、こうして周りが浮き足立っていくのを見ていると――
ほんの少しだけ、その中に混ざってみてもいいかもしれない。
そんな風に思えた。
◇ ◇ ◇
お化け屋敷に決まったことで、教室の空気は一気に“準備モード”へと切り替わっていった。
黒板の端には「役割分担」と書き足され、その下に項目が並べられていく。
脅かし役、内装、小道具、受付――思ったよりやることは多い。
「はいはい!脅かし役やるやつー!」
陸が真っ先に手を挙げる。
「やっぱそこ行くよね~」
美咲も笑いながら手を挙げた。
「絶対楽しいじゃん。驚かせる側でしょ?」
「だろ?任せろって、泣かせてやるからよ」
「それやりすぎだから!」
また笑いが起きる。
ああいう役は、あいつらに任せておけば間違いない。
場の空気を盛り上げるのも上手いし、何より本人たちが楽しんでいる。
……俺には無理だな。
あんな風に前に出るタイプじゃない。
自然と視線を逸らしながら、黒板に書かれていく役割をぼんやり眺める。
「じゃあ、内装やる人ー?」
何人かが手を挙げる。
中心になって動けるやつらが、こういう役を担っていく。
次々と役割が埋まっていく中で――
「小道具、足りてないな」
誰かがぽつりと呟いた。
確かに、名前があまり挙がっていない。
小道具か……
派手さはない。
けど、なくては困るポジションでもある。
驚かせる仕掛けも、雰囲気を作る道具も、全部そこに含まれる。
「……あ、じゃあ俺やる」
気づけば、そんな言葉が口から出ていた。
「お、助かるー」
「裏方足りなかったんだよな」
特に大きな反応もなく、あっさりと受け入れられる。
それでいい。
目立つこともないし、誰かとぶつかることもない。
自分にはちょうどいい位置だ。
…まぁ、気楽でいいか。
心の中でそう呟きながら、小さく息をつく。
「じゃあ、だいたい決まったな」
担任が黒板を見ながらまとめに入る。
役割はほぼ埋まり、残っているのは細かい調整くらいだ。
「今日から放課後、準備入るからな。各自、自分の担当しっかりやれよー」
その一言で、教室の空気がまた少し変わる。
さっきまでの“決めるだけ”の時間から、“動き出す準備”へ。
「よっしゃ、やるかー!」
陸が立ち上がり、気合いを入れるように腕を回す。
「張り切りすぎでしょ」
美咲が呆れながらも笑っている。
そんなやり取りを横目に見ながら、席を立つ。
文化祭の準備。
忙しくなるのは、なんとなく分かっていた。
――その分。
(……帰る時間、ズレるよな)
ほんの少しだけ、引っかかるものを感じながら。
それでも、特に言葉にすることもなく。
「ま、いっか」
誰にも聞こえないくらいの声で呟いて、教室のざわめきの中に紛れた。
◇ ◇ ◇
放課後。
教室に残る人数は、日を追うごとに増えていった。
最初は数人だった準備組も、文化祭が近づくにつれて徐々に顔ぶれが揃っていく。
机は端に寄せられ、代わりに段ボールや木材、黒い布なんかが広げられていた。
「これ、もっと暗くした方がよくない?」
「いや、真っ暗すぎると危ないだろ」
「じゃあここにライト仕込むか」
あちこちでそんなやり取りが飛び交う。
昼間の教室とは違う、どこか秘密基地みたいな空気。
雑然としているのに、不思議とまとまりがある。
その中で、俺は床に広げた段ボールをカッターで切っていた。
ギィ、と刃が進む音が、やけに耳に残る。
……思ったより、やること多いな。
小道具担当、と一言で言っても内容は幅広い。
壁に貼る飾りから、脅かし用の仕掛け、音を出す装置まで。
頼まれたものをひとつひとつ形にしていく作業は、地味だけど手は抜けない。
「晴人、それ終わったらこっちも手伝ってくれー」
「ああ、今行く」
呼ばれて、手を止める。
こうして動いていると、時間はあっという間に過ぎていく。
気づけば外はすっかり暗くなっていて、窓の外には街の明かりがぽつぽつと浮かんでいた。
「今日はこのへんにするかー」
誰かの一言で、作業が一区切りつく。
伸びをするやつ、机に突っ伏すやつ、水を飲みに行くやつ。
疲労と達成感が混ざった空気が、教室を満たしていた。
……結構遅くなったな。
時計を見ると、いつもよりずいぶん遅い時間だ。
鞄を手に取りながら、ふと考える。
…この時間じゃ、もう帰ってるよな。
零花の顔が頭に浮かぶ。
これまでは、放課後になれば自然と顔を合わせていた。
特に約束しているわけでもないのに、気づけば一緒に帰っていた。
それが当たり前みたいになっていたけど。
今はもう、その時間が合わない。
「お疲れー」
「また明日なー」
軽く声を掛け合いながら、教室を後にする。
廊下は静まり返っていて、昼間の賑やかさが嘘みたいだった。
そんな日が、何日か続いた。
放課後は準備。
終わる頃には外は暗くなっていて、家に帰るだけ。
朝や昼に顔を合わせることはあっても、ゆっくり話す時間はほとんどない。
「最近忙しそうだねー、晴人」
ある日、美咲にそう言われた。
「まぁ、文化祭だしな」
「小道具って大変そうだよね。あたしら脅かすだけだし」
「その“だけ”が一番楽しそうだけどな」
「でしょ?」
そんな軽いやり取りをしながらも、頭のどこかで別のことを考えている自分がいる。
……零花、どうしてるんだろうな。
考えたところで、特に何かが変わるわけじゃない。
向こうも文化祭の準備で忙しいはずだ。
ただ――ほんの少しだけ、気になっていた。
その日も、いつも通り準備をして。
いつもより少しだけ早く、作業が終わった。
「今日は順調だったな」
「このペースなら間に合いそうだね」
教室の空気も、どこか余裕がある。
時計を見ると、まだ外は完全に暗くなる前だった。
……珍しいな。
鞄を持って、教室を出る。
廊下にはまだ何人か残っていて、他のクラスの準備の音も微かに聞こえてくる。
階段を降り、昇降口へ向かう。
靴を履き替えて外に出ると、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
夕焼けはほとんど消えかけていて、空は群青に近い色に変わっている。
この時間なら――
ふと、そんな考えが浮かぶ。
別に、期待していたわけじゃない。
ただなんとなく、そんな気がしただけで。
校門へと続く道を歩いていると。
少し先に、見覚えのある後ろ姿があった。
長い黒髪が、歩くたびに静かに揺れている。
その背中は細く、気づかなければそのまま通り過ぎてしまいそうなほど、静かだった。
足が、ほんの少しだけ早くなる。
「……零花?」
「……晴人君」
零花が、ゆっくりと振り返った。
いつもと変わらない、静かな声。
それだけなのに。
……ああ、やっぱり。
胸の奥に、少しだけ溜まっていたものが、ふっと軽くなる。
「珍しいわね、この時間」
「そっちこそ。今日は早く終わったのか?」
「……うん。少しだけ」
短いやり取り。
それでも、不思議と落ち着く。
気づけば、自然と隣に並んで歩いていた。
ほんの数日ぶりなだけなのに、どこか懐かしいような感覚があった。
並んで歩く帰り道。
言葉が途切れても、不思議と気まずさはなかった。
足音だけが、一定のリズムで重なっていく。
少し前まで当たり前だったこの時間が、今はどこか特別なもののように感じられる。
「……そっちは、何やることになったんだ?」
ふと思い出したように、口を開く。
文化祭の話題なら、自然だと思った。
零花は一瞬だけ考えるように間を置いてから、答えた。
「……喫茶店」
「へぇ、いいじゃん」
お化け屋敷とは正反対の、落ち着いた出し物。
零花の雰囲気には、そっちの方が合っている気がする。
「忙しそうだな」
「……そうでもないわ」
短く返ってくる言葉。
その言い方に、ほんの少しだけ違和感を覚える。
……いや、気のせいか。
深く考えるほどのことでもない。
文化祭なんて、どこもそれなりに忙しいはずだ。
「晴人君のクラスは?」
「ああ、うちはお化け屋敷」
「……そう」
ほんのわずかに、零花の視線がこちらに向く。
「晴人君は?」
「俺は小道具。裏方だな」
「……似合ってる」
ぽつり、と。
感想とも、評価ともつかない言葉。
「褒めてんのかそれ」
「……どうだろう」
零花は変わらない調子で答える。
冗談なのか本気なのか分からない。
でも、こういうやり取りも久しぶりで――少しだけ、肩の力が抜ける。
しばらく歩いて。
ふと、言葉が浮かんだ。
「時間合えばさ」
自分でも、少しだけ唐突だと思う。
それでも、そのまま続けた。
「一緒に回れたらいいな」
文化祭当日は人も多くて、忙しくて、落ち着かないだろうけど。
それでも、少しだけでもいいから。
同じ時間を過ごせたら――そんな、なんとなくの願い。
零花は、少しだけ間を置いた。
「……ええ。こういう体験は、貴重だから」
ぽつりと、零花がそう言った。
話の流れの中で出た言葉のはずなのに、どこかそれだけが切り取られたみたいに、静かに耳に残る。
「貴重って……大げさじゃないか?」
思わず苦笑しながら返す。
文化祭なんて、毎年ある行事だし、特別珍しいものでもない。
そう思っての言葉だった。
けれど、零花は首を横に振るでもなく、ただ少しだけ視線を落としたまま――
「……ちゃんと覚えておいた方がいいわ」
静かに、そう続けた。
その声はいつもと変わらないはずなのに、なぜか少しだけ重く感じた。
「覚えておくって……文化祭を?」
何気なく聞き返す。
零花はすぐには答えなかった。
ほんのわずかな沈黙のあと、ゆっくりと顔を上げる。
「……ええ」
短く、それだけ。
それ以上は何も言わないまま、また歩き出す。
……なんだ、それ。
ただの文化祭の話のはずなのに、どこか引っかかる。
けれど、その違和感の正体を考える前に、足音が重なって、会話は自然と途切れていった。
気づけば、もう分かれ道の手前だった。
「じゃあ、また明日」
「……うん。また」
短い言葉を交わして、足を止める。
背を向けて、それぞれの帰り道へ。
少しだけ進んでから、なんとなく振り返ると、零花はもう、いつもの静かな歩き方で遠ざかっていた。
長い黒髪が、夜の空気の中で静かに揺れている。
……文化祭、か。
これまでは、どこか他人事みたいに思っていた。
準備も、役割も、ただ流れで決まったもの。
特別楽しみにしているわけでもなかった。
けど――
……まぁ、悪くないかもな。
ほんの少しだけ、そんな気持ちが浮かぶ。
賑やかな教室。
慌ただしい放課後。
そして、さっきの帰り道。
断片的な出来事が、ゆっくりと繋がっていく。
その先にある文化祭が、少しだけ現実味を帯びてきた気がした。
…時間、合うといいな。
誰に聞かせるでもなく、心の中で呟く。
その願いが叶うかどうかは分からない。
それでも――ほんの少しだけ、その日が楽しみになっていた。




