第13話「賑わいの中で、いつもと違う君を」
登場人物
水無月 晴人
高校1年生。本作の主人公。どこにでもいる普通の高校生。
ある雨の日、かつての幼馴染・零花と再会する。
久しぶりの再会に戸惑いながらも、少しずつ彼女との距離を取り戻していく。
霧咲 零花
高校2年生。晴人の幼馴染。長い時を経て、再び彼の前に現れる。
落ち着いた雰囲気と大人びた美しさを持つ少女。
どこか謎めいた言動を見せることもあり、その内面は容易には掴めない。
高瀬 陸
晴人のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るくノリの良い性格で、遠慮なく距離を詰めてくるタイプ。
軽口を叩くことも多いが、いざという時には頼りになる存在。
桜井 美咲
晴人と陸のクラスメイトで、中学からの腐れ縁。
明るく人懐っこい性格で、誰とでもすぐに打ち解ける。
場の空気を和ませる一方で、ふとした瞬間に核心を突くこともある。
「……なんだこれ」
見慣れているはずの景色が、まるで別の場所みたいに感じられる。
色とりどりの装飾が、校舎のあちこちに飾られている。
手作り感のある看板やポスターが並び、通路にはすでに人の流れができていた。
「いらっしゃいませー!」
「焼きそばどうですかー!」
あちこちから飛び交う呼び込みの声。
まだ午前中だというのに、校内はすでに賑やかだった。
……文化祭って、こんな感じなんだな。
初めて見る光景に、思わず目を奪われる。
想像していたよりもずっと賑やかで、どこを見ても人と音と色で溢れている。
ただ歩いているだけで、妙に落ち着かない。
それでも――
胸の奥が、少しだけ高鳴っていた。
◇ ◇ ◇
教室が見えて来た瞬間、聞き慣れた声が飛んできた。
「おー、来た来た!」
高瀬陸だ。
すでに衣装に着替えているのか、顔にはうっすらとメイクが施されている。
いつも以上にテンションが高い。
「遅いぞ晴人!もう始まってんだからな!」
「まだ準備時間だろ」
「細けぇことはいいんだよ!」
その隣には、美咲もいた。
「晴人、おはよー。見てこれ、結構それっぽくない?」
そう言って、くるりとその場で一回転する。
白いワンピースに、薄く血糊のような赤い塗料。
確かに、雰囲気は出ている。
「……ちゃんと怖いな」
「でしょ?頑張ったんだから」
嬉しそうに笑う。
……ほんと、楽しそうだな。
二人とも、こういうイベントになると一気に本気になるタイプだ。
「ほらほら、晴人もぼーっとしてないで行くぞ!」
陸に背中を軽く叩かれ、歩き出す。
廊下はすでに人で溢れていて、普段の静けさはどこにもない。
教室の扉を開けると、そこにはもう“いつもの教室”の面影はなかった。
窓は黒い布で覆われ、光はほとんど遮断されている。
代わりに、足元や壁に仕込まれたライトがぼんやりと空間を照らしていた。
段ボールで作られた通路。
不自然に歪んだ壁。
あちこちに仕掛けられた装飾。
数日前まで、ただの材料だったものが、ちゃんと“お化け屋敷”として形になっている。
……結構、雰囲気出てるな。
自分も作る側にいたはずなのに、こうして改めて見ると、どこか別の場所みたいに感じた。
「ここから入ってもらって、順路はこのまま奥なー!」
クラスメイトの声が響く。
入口付近では、すでに役割ごとに配置が決まっていた。
「美咲、そこ立つと丸見えだって!」
「え、マジ?じゃあもうちょい奥?」
「陸はもっとタイミング見て出ろよ!早すぎ!」
「分かってるって!」
あちこちで最終確認が飛び交う。
その様子を横目に、奥へと進む。
裏方のスペースは、通路のさらに先。
表からは見えない位置に、いくつかの仕掛けが集められている。
「晴人、これ頼む」
手渡されたのは、細い紐とスイッチがついた簡単な装置。
「これ引いたら、あそこ落ちるから」
指さされた先を見ると、天井付近に吊るされた黒い塊がある。
「客来たタイミングでやればいいんだな」
「そうそう。頼むわ」
軽く頷いて、持ち場につく。
……こういうの、嫌いじゃないかもな。
前に出るわけでもなく、でも確かに“関わっている”感覚。
誰かを驚かせる仕掛けを、自分が動かす。
そんな裏方の役割が、妙にしっくりきていた。
「じゃあ、そろそろ開けるぞー!」
入口の方から声が響く。
一瞬、教室の中が静まり返る。
「いらっしゃいませー!」
明るい声が響いた。
同時に、外のざわめきが一気に流れ込んでくる。
足音。笑い声。少しの緊張。
最初の客が、入ってきた。
……始まったな。
紐を握る手に、ほんの少しだけ力が入る。
通路の奥から、微かな悲鳴が聞こえた。
「うわっ!?」「ちょ、びびった!」
続けて、陸の低い声と美咲の甲高い笑い声。
どうやらうまくいっているらしい。
タイミングを見計らって、紐を引く。
ガタン、と鈍い音がして、仕掛けが落ちる。
「きゃっ!?」
今度は別の悲鳴。
それに混ざって、笑い声も聞こえる。
……成功、か。
小さく息をつき、そのまま次の準備に入る。
客は途切れることなく、次々と入ってくる。
そのたびに仕掛けを動かし、音を立て、空気を作る。
気づけば、時間はあっという間に過ぎていた。
◇ ◇ ◇
「交代入るぞー!」
通路の奥から飛んできた声に、ふっと気が緩む。
「晴人、ちょっと休んでいいぞ」
「ああ、助かる」
手にしていた紐を離し、指先を軽く開く。
知らないうちに力が入っていたらしい。
肩を回すと、じわりと疲れが広がった。
……思ったより、神経使ってたな。
驚かせるタイミングを測るだけの単純な作業のはずなのに、
客の反応や流れを見ていると、自然と集中してしまう。
小さく息を吐いて、教室の外へ出る。
――その瞬間。
空気が、がらりと変わった。
暗闇に慣れていた目に、廊下の光が少し眩しい。
閉ざされた空間にこもっていた音が、一気にほどけていく。
笑い声。呼び込みの声。足音。
どこかで流れている音楽。
それらが混ざり合って、廊下全体を満たしていた。
……文化祭、だな。
さっきまで自分がいた場所とは、まるで別世界みたいだった。
壁にもたれながら、少しだけぼんやりとその光景を眺める。
行き交う生徒たちは、皆どこか楽しそうで、普段の学校とは違う顔をしている。
……悪くないな。
ふと、そんな感想が浮かび、そのままゆっくりと歩き出す。
特に目的があったわけじゃない。
ただ、少しだけこの空気の中を歩いてみたくなった。
――けれど。
……そういえば、零花のクラス。
自然と、その存在が思い浮かぶ。
何気ない会話の中で聞いた、喫茶店をやる、という話。
意識したわけでもないのに、足はいつの間にかそちらへ向かっていた。
教室に近づくにつれて、空気が少しずつ変わっていく。
廊下に満ちていた雑多な賑わいの中に、どこか整えられた流れが混ざり始める。
人の流れが、一方向にゆるやかに収束していくのが分かった。
そして、零花のクラスの前には、ちょっとした行列ができていた。
……結構、人気あるな。
思わず足を止める。
入口の前には数人の生徒が並び、その後ろにも途切れず人が続いている。
ざっと見ただけでも、他のクラスより明らかに人が多い。
笑いながら順番を待つ者。
中の様子を覗き込もうと背伸びする者。
「いらっしゃいませ、ご主人様!」
明るく、通る声。
入口の前には、レースやリボンで飾られた看板。
他のクラスとは違う、どこか作り込まれた空間。
そして――メイド服に身を包んだ女子生徒達。
……ああ、そういうやつか。
一目で理解する。
喫茶店とは聞いていたけど、その“方向性”までは聞いていなかった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
「ただいまーって言えばいいの?」
「言ってください♪」
やり取りが耳に入る。
少しだけ、場違いな気分になる。
……入りづらいな。
普段の教室とはまるで違う空気。
軽く一歩踏み出すことすら、少しだけ躊躇う。
――それでも。
……零花、いるんだよな。
その事実が、背中を押す。
小さく息を吸って、一歩踏み出す。
「いらっしゃいませ――」
入口に立っていたメイドが、こちらに気づいて声をかける。
その声が、途中で止まった。
「……あ」
肩口まで流れる、艶のある黒髪のロングヘア。
整った佇まい。落ち着いた眼差し。
見間違えるはずがない。
そこにいたのは――零花だった。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
澄んだ声だった。
よく通るのに、どこか落ち着いていて、耳に残る響き。
その一言に、迷いはなかった。
ほんのわずかな躊躇も、照れもなく、
まるで最初からそういう役として在ることが当然であるかのように、自然に、滑らかに発せられている。
「本日はご来店、ありがとうございます」
続く言葉も、寸分の狂いもない。
一礼する動作。視線の落とし方。言葉を置く間。
そのすべてが、綺麗に整えられていた。
思わず、言葉が出なかった。
目の前にいるのは、間違いなく零花だ。
それなのに――
……別人みたいだな。
そんな感覚が、先に浮かぶ。
ただ衣装が違うだけじゃない。
声も、表情も、空気すらも、いつもとは微妙に異なっている。
“霧咲零花”でありながら、どこか“霧咲零花ではない何か”。
その境界線の曖昧さに、少しだけ戸惑う。
……すごいな。
これが“演じる”ということなのか、と。
「……晴人君?」
名前を呼ばれて、思考が引き戻される。
はっとして視線を上げると、そこには、いつもの零花がいた。
ほんのわずかに、声の温度が違う。
さっきまでの整いすぎた響きとは違って、少しだけ柔らかく、近い。
「どうかしたの?」
首を傾げる仕草も、自然だった。
さっきまでの“役”が、ほんの一瞬だけ剥がれ落ちたように見える。
「いや……」
感じたことを、そのまま言えばいいのか。
それとも、無難に流すべきか。
「……その、すごいなって思って」
一瞬迷ってから結局、いちばん正直な言葉を選んだ。
零花は一度、ゆっくりと瞬きをする。
そのわずかな間が、やけに印象に残る。
「そう」
感情を大きく乗せるわけでもなく、けれど拒絶するわけでもない、淡々とした声。
「クラスの出し物だから、ちゃんとやらないといけないもの」
その言葉は、いかにも零花らしかった。
任されたことを、きちんとこなす。
その姿勢が、そのまま言葉になっている。
……やっぱり、零花だな。
さっき感じた違和感と、今の言葉が、胸の中でゆっくりと重なる。
「……似合ってると思う」
「……ありがとう」
その声は、先ほどの完璧な響きとは違っていた。
少しだけ柔らかくて、ほんの少しだけ、温度がある。
「ご主人様、こちらへどうぞ」
すぐに、切り替わる。
声も、所作も、再び整えられる。
まるで、さっきのわずかな揺らぎが最初からなかったかのように。
……切り替え、早いな。
案内されながら、そんなことを思う。
席に腰を下ろすと、自然と周囲が目に入る。
他の席では、楽しそうに会話する客と、少しぎこちないメイドたちのやり取り。
笑い声が、あちこちで弾けている。
その中で、零花だけが、少しだけ浮いて見えた。
動きの一つ一つが、あまりにも整いすぎている。
“演じている”というより――
“最初から、その役として存在している”みたいだった。
「ご注文はお決まりでしょうか」
目の前で、静かに問いかけられる。
その声は、もう完全に“メイド”のものだった。
「……ああ、じゃあコーヒーで」
「かしこまりました」
無駄のない動きで一礼し、離れていく。
その背中を、無意識に目で追う。
一人きりになったことで、ようやく周囲に意識が向く。
軽く息を吐きながら、店内を見渡す。
テーブル席はほぼ埋まっていて、どこも楽しそうな会話が交わされている。
笑い声。軽い雑談。
文化祭らしい、柔らかな空気。
その中で、ふと違和感に気づく。
……あれ?
視線の流れが、どこか偏っている。
それぞれ会話をしているはずなのに、何人かの視線が、同じ方向へと向けられている。
その先を辿ると――零花がいた。
他の席で接客をしている。
言葉を交わし、軽く微笑み、丁寧に一礼する。
その一つ一つの動きに、無駄がない。
隣の席の男子が、小声で何かを囁く。
「……あの子、レベル違くね?」
「てか、普通に店員って感じじゃないよな……」
気づけば、客のほとんどの視線が、無意識のうちに零花へと向けられていた。
会話の途中で、ふと目をやる者。
飲み物を口に運びながら、ちらりと視線を送る者。
明らかに、他のメイドとは違う。
……やっぱり、目立ってるな。
派手な動きをしているわけじゃない。
むしろ、その逆だ。
静かで、整っていて、必要以上のことは何もしない。
なのに自然と目を引く。
……なんなんだろうな、あれ。
“上手い”というだけでは、少し足りない気がする。
ただ役をこなしているだけじゃない。
そこに“在る”ことが、違和感なく成立していた。
◇ ◇ ◇
「お待たせいたしました」
静かな声が、すぐ近くで落ちる。
顔を上げると、零花が立っていた。
音を立てない所作でカップを置く。
白いカップとソーサーが、かすかに触れ合う音だけが耳に残る。
「コーヒーでございます」
湯気が、ふわりと立ち上る。
その向こうに見える表情は、やはり整っていて、どこにも乱れがない。
「……ありがとう」
そう返すと、零花は静かに一礼する。
そのまま離れる――そう思った瞬間。
ほんのわずかに、動きが止まった。
違和感に気づいて顔を上げると視線が合った。
さっきまでの“メイド”としてのそれとは違う、ほんの少しだけ距離の近い目。
「……少し、いいかしら」
声が、わずかに柔らぐ。
整えられた響きから、ほんの少しだけ温度が戻る。
「今は、少し落ち着いてるから」
周囲を軽く見渡しながら、そう続ける。
店内は相変わらず賑わっているが、確かに一時ほどの慌ただしさはない。
「ああ、別にいいけど」
頷くと、零花は椅子を引く。
その動きは静かで、周囲の視線を引くこともない。
それでも向かいに腰を下ろした瞬間、空気が少しだけ変わった気がした。
……近いな。
さっきまでは“店員と客”だった距離。
それが、一気に縮まる。
テーブル一枚を挟んでいるだけなのに、妙に意識してしまう距離だった。
「お化け屋敷の方は、どう?」
「まあ、普通に回ってるよ。思ってたより忙しいけどな」
実際、途切れることはほとんどなかった。
「そう…ちゃんと役目、果たしてるのね」
淡々とした言葉。
けれど、その中にある評価は、はっきりしている。
「そっちは?」
「見ての通りよ。思っていたより、人が多いわ」
その言葉に、さっきの光景が重なる。
「……人気あるみたいだな」
そう言うと、零花はほんの一瞬だけ目を伏せる。
まるで、その言葉を一度受け止めるように。
「クラス全体の出来がいいのよ」
あくまで、自分ではなく“クラス”の話として静かに返す。
……らしいな。
実際には、その中心にいるのは誰か――考えるまでもない。
「……それで」
零花が、ゆっくりとこちらを見る。
その視線に、ほんの少しだけ意識が向く。
わずかな間。
言葉を選ぶような、静かな時間。
「このあと、時間はあるかしら?」
「休憩中だからな。しばらくは大丈夫だけど」
「そう。なら、一緒に回らない?」
「……いいな」
迷う理由は、特になかった。
零花は、ほんのわずかに目を細める。
それが笑みだったのかどうかは分からない。
けれど、どこか柔らかい空気が、そこにあった。
「じゃあ、少し待っていて」
そう言って、立ち上がる。
その動きと同時に、また“役”に戻る気配がする。
「すぐに戻るわ」
最後にそう残して、零花は離れていった。
カップに手を伸ばす。
指先に、わずかな温もりが伝わる。
ゆっくりと口をつけると、ほろ苦さが舌の上に広がった。
◇ ◇ ◇
コーヒーを飲み終え、教室を出て廊下に出る。
壁にもたれながら、しばらく待つ。
行き交う人の流れ。
笑い声や呼び込みの声が、途切れることなく耳に入ってくる。
……ほんとに賑やかだな。
ぼんやりとそんなことを考えていると、教室の扉が開いた。
「お待たせ」
そこに立っていたのは、制服姿の零花だった。
さっきまでのメイド服とは違う、見慣れた姿。
それだけなのに、どこか安心する。
「もう大丈夫なのか?」
「ええ、交代の時間だから。少しの間なら問題ないわ」
その口調は、やはりいつも通りで。
さっきまで感じていた“違い”が、少しだけ薄れる。
「じゃあ、行こうか」
「どこへ行くの?」
「特に決めてないけど、ざっくり回ってみようぜ」
「……そうね」
廊下には相変わらず人が多く、自然と歩く速度もゆっくりになる。
肩が触れることはない。
けれど、互いの存在を意識するには十分な距離だった。
……なんか、不思議だな。
ただ一緒に歩いているだけなのに、さっきまでとは違う感覚がある。
騒がしさの中で、妙に静かな時間。
最初に立ち寄ったのは、隣のクラスの模擬店だった。
手作りの看板に、少し歪んだ文字。
「焼きそば、どうぞー!」
呼び込みの声に、思わず足が止まる。
「食べる?」
「……少しだけなら」
二人分を買って、近くのスペースで食べる。
「……思ってたよりちゃんとしてるな」
「文化祭だもの」
零花の表情がほんの少しだけ緩んでいるようにも見えた。
そのまま、別の教室へ。
写真展示。手作りのゲーム。
ちょっとした体験コーナー。
どれも大掛かりなものではない。
けれど、それぞれに工夫があって、見て回るだけでもそれなりに楽しい。
「これ、やってみる?」
「……晴人君がやるなら」
そんなやり取りをしながら、いくつかの出し物に軽く触れていく。
気づけば、時間はあっという間に過ぎていた。
……こういうのも、いいな。
特別なことをしているわけじゃない。
ただ歩いて、少し話して、気になったものに立ち寄る。
それだけの時間。
「……楽しそうね」
「まあな。こういうのは嫌いじゃない」
「そう」
ほんの少しだけ、零花の声が柔らかくなる。
その変化に、自然と気づく。
人の流れに乗って、さらに先へと進む。
秋の空気に包まれながら、俺達は人混みの中を歩いていく。
この時間が、もう少しだけ続けばいいと――そんなことを、柄にもなく思っていた。




