LsG 第一章【意志の光】
「ここ……どこだろう」
色の無い世界を、少年と少女が歩いている。
「ファルム、手を離さないで」
少年――デプラが、天使の手を握る。
声が反響する、暗く周囲の様子が判然としないが、屋内のようだ。
人の気配はなく、二人の足音がコツコツと響く。
ファルムが、ふいに身体の向きを変え、横へ続く通路を見る。
「今、何か音がした」
ファルムが、青い瞳でデプラを見上げる。
「行ってみよう」
デプラは頷き、二人は奥へと伸びた通路を進み出した。
***
「お姉ちゃん……私、どうしたら」
双子の姉――シアリスを追い、門を通った妹、アリシア。薄暗い部屋の中で、彼女は床にへたり込んでいた。
白い壁が、暗く青みを帯び、二人を呑み込もうとしているように感じる。
目の前には、異形の姿となった姉、その核となる歪な結晶が転がっていた。
「だめ…お願い……」
アリシアが震える両手を差し出し、シアリスの核を優しく拾い上げる。
菱形の核には、銃撃により破壊された肉片が飛び、僅かに胎動している。
その振動も、徐々に間隔が伸び、弱まっている。
「――っ!」
アリシアが部屋の出入り口を振り向く。彼女の耳に、これまで聞こえていなかった、誰かの足音が届いていた。
***
「何とも……ないね」
双子を追い旅をする少女――シルが自身の無事を確かめるように、ぺたぺたと顔や身体を触る。
「ユールは?」
シルが訪れた雨降る世界で出会い、共に門を通った女性――ルクシアはもう一人の同行者へ声をかける。
「うん、いるよ」
記憶を失い、雨の世界で他者の記録を集めていた、夕焼けの瞳を持つ少年――ユール。彼はシルの旅を見届け、記録するために門を通った。
「ここにいて、私が周りを見てくるから」
ルクシアが刀の柄に手を添える。
彼女は、元々暮らしていた世界に発生した門によって娘たちと引き離された。
忘却の雨によって記憶を封じ込まれていたが、シルと出会ったことで大切なものを思い出し、門を通った。
「ねぇ待って! アタシ達もいくよ」
シルとユールがルクシアの背を追う。
「なんだか迷子になりそうだしね」
ユールが手帳を取り出し、辺りの様子を書き記す。
「確かに私もずっと、あの世界で迷っていたから、母親であり続けることを」
ルクシアの言葉に、シルは彼女の正面に回り込む。
「だから、一緒に行こう」
シルが両手を後ろに組み、上目遣いにルクシアを見る。少女の赤い瞳に見つめられ、ルクシアは優しく微笑むと、頷く。
「シル、ありがとう。あの子のそばにいてくれて」
シルは照れながらも、ルクシアへ笑顔を返した。
***
「あなたたちは……?」
憔悴したアリシアの前に現れたのは、少年と少女だった。彼らは部屋の入り口で立ち止まり、こちらを見下ろしている。
同じ組織の人間達によって姉が撃たれ、未知の世界へ落ちたアリシアにとって、それは希望ではなく恐れとして映った。
門へ落ちた時、武器など持ってはいなかった。
元いた世界で培った戦闘技術も、操作する粒子が無ければ心許ない。アリシアは衣服に組み込まれた微量の粒子に意識を込め始める。
「ファルム」
目の前の少年――デプラが、ファルムと呼んだ少女を一歩下がらせ、革のベルトから一本のナイフを取り出す。コルヴから受け取っていた特製の煙玉は、以前いた世界で底を尽き、ナイフも残り数本のみだ。
デプラとアリシア、互いに悪意ある人間には見えなかったが、そばには守るものがある。
〈もうこれ以上、お姉ちゃんを傷つけさせない〉
〈もう二度と、ファルムを奪わせはしない〉
「待って!」
ファルムがデプラの後ろから声を上げる。
彼女が二人の間に立ち、デプラを目で制止すると、アリシアへ向き直る。
「その人……」
ファルムがアリシアの手に守られた、シアリスの核を見つめる。
「私と、同じ……? あなた達も、ここに落ちてきたの?」
ファルムの問いかけに、アリシアは答えず、手のひらに収まった菱形の結晶を愛おしそうに見つめた。
シアリスの鼓動が、今にも止まろうとしていた。
「お姉ちゃん……」
アリシアにとって、今いる場所や目の前の二人、何もかもが問題ではなかった。
あとはただ、抱きしめる姉の鼓動を最後まで感じていたかった。
「デプラ!」
ファルムが勢いよく振り返り、デプラの胸元を指す。そこには、かつてファルムから彼へ贈られたペンダントが、青い液体を揺らしていた。
瓶の中身は天使の血、その恩恵と呪いに翻弄されたデプラは、困惑した表情でファルムを見る。
「大丈夫」
ファルムの青い瞳が、彼を見つめ返す。小瓶の中で揺れる液体が、淡く光を放った。
それは意志の光、他の天使が世界に落ちた時、人間によって最初に奪われるもの。
ファルムがデプラと出会ったことで、失わずにいた、願い求める力。
「……」
デプラはペンダントを強く握りしめ、失う恐怖に震えるアリシアの元へ、ゆっくりと歩み寄った。
「何を……?」
アリシアの涙で、シアリスの核は濡れていた。
デプラがそばへかがみ込み、小瓶の蓋を開ける。
「大丈夫だよ」
ようやく再会できた家族が、自身が所属していた組織によって撃たれ、今にも死のうとしている。
知らぬ世界で、誰かも知らない人間にそんな言葉をかけられたところで、何も大丈夫なんかじゃない。
だが、そばにしゃがみ込んだ彼の表情と声色に、縋るような希望を持たずにはいられなかった。
アリシアは、おそるおそる姉の欠片を差し出す。
デプラが、小瓶の中身を垂らす。
天使の血が濡れた結晶へ落ち、アリシアの涙に滲む。
――光が、一際強く輝きを放った。
その光は柔らかく部屋を照らし、粒子となってシアリスの核を包み込む。
光が彼女の輪郭を形作り、天使の血と変異による肉体の急速な修復が行われていく。
シアリスの身体が完全に修復されると、部屋を満たしていた光が消える。
「……アリシア?」
「お姉ちゃん……!」
アリシアが、瞼を開けたシアリスを抱きしめる。
修復された肉体は、実験によって変異させられた時のものだ。身体には渦のような桃色の模様が浮かび、腰からは触手が尾のように伸びている。
***
シアリスが瞼を開けた時、目の前には妹の泣き腫らした笑顔があった。
なぜ泣いているのか、笑っているのか。
思い出せるのは、最大厄災ともいえる巨大な門が発生し、多くの人々が巻き込まれたということだ。
〈あぁそうか、そこで私は〉
救けた機関の構成員達による銃撃、肉や骨が砕ける衝撃と痛み。
気が付いた時には、こうしてアリシアに抱かれていた。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……!」
妹はただただ姉の名前を呼び、胸に顔をうずめる。
ここが何処なのか分からない、けれどこうして、妹が無事でいる。
「良かったぁ」
ファルムが、ほっとした顔で胸を撫で下ろす。
デプラは双子の様子に柔らかい表情を浮かべ、小瓶の蓋を閉じると、空のペンダントを首に下げる。
「あなた達は?」
シアリスがアリシアと共に立ち上がり、ファルムとデプラへ問いかける。
異なる世界からの旅人――
天使の落ちる世界から門へと落ちた、少年デプラと、天使ファルム。
厄災齎されし世界から門へと落ちた、特異体シアリスと、姉である彼女を追った妹アリシア。
門の先、色の失われた世界で、彼らは出会った。




