W&WM 第三章後編【沈黙の弾丸】
機関内部、研究区画にて、一人の男――クエインが作業していた。
彼は保管室の扉を開け、中へ入る。部屋の壁には大量の容器が整然と並べられ、それぞれ日付や番号、クエインの書いたメモが貼られている。
暗い部屋の中で、容器から放たれる淡い桃色の光が室内の様子を浮かび上がらせる。
「最大厄災により"特異体"を失うとは、人類の進化にとって、あまりに大きな損失だ」
男は胸が締め付けられるといった面持ちで、『眼球C』と記載された容器を手に取ると、隣接した研究室へ移動する。
「まったく、あろうことか私の居ぬ間に最高傑作を門へ落としてしまう、重大な過ちを犯すなんて」
『認証完了、お帰りなさいませ』
その時、区画通路のセキュリティゲートが音を立てて開いた。
扉の前には長身の黒髪を腰まで伸ばした女性、隣には角の生えた幼い少女が、首からカードキーをぶら下げている。
「こんばんは、クエイン博士」
不敵な笑みを浮かべた女性が、そのスラリとした腕を上げ、手のひらを差し出すように彼へ向けた。
博士の視界が歪む、三人のいるこの部屋だけが、世界から切り離されたような錯覚を受ける。
「人類の進化……そのためには犠牲を顧みない、果てしなき知識への渇望」
「クエイン博士、あなたの求める『進化の知識』、その欲望を叶えよう」
魔女の瞳にエメラルド色の光が宿り、彼女は口の端を吊り上げる。
「ああ! これはっ、素晴らしい!」
両目が光に包まれ、雪崩れ込む情報の本流に、博士は絶叫した。
「対価は『博士の持つ知識』、そして『進化の知識を得るために必要な時間』」
「だが…お前の欲望には底がなく、他者を研究のための資源としか見ていないお前に、支払い切れるものではない」
ヴェレは笑う。自身もまた、目の前のクエインと何ら変わらないと知っている。
蛍月に耳障りの良い言葉を並べ、世界を渡るための道具として利用している。そのリスク――薄化のことも文献で読んでいた。
幼く監禁されていた少女が、甘い言葉で檻から出してくれた人間に依存することも、分かっていた。
「知識の波に溺れ、海底へ沈め」
魔女の言葉を最後に、クエイン博士は肉体が縮み続け、消滅した。
「……」
ヴェレは保管室の扉を一瞥すると、歩き出す。
「基本的に変異によって人は意思を失うが、稀に自我を保つ"特異体"と呼ばれる存在がいる」
「博士のお気に入りは最大厄災によりこの世界から失われたが、その個体が身を寄せていた孤児院が分かった」
「潜伏場所は把握していたが、研究のため、あえて泳がせていたようだ。そこへ向かう」
***
孤児院は、機関から離れた狭い路地の奥にあった。路地に面した扉に、隠れるように小さな文字で、孤児院の名前が書いてある。
ヴェレが扉を開け、二人は中へ入る。
「静かだね」
蛍月の言葉通り、孤児院内は人の気配がしない。並べられた机や、棚に収められた本の上には、薄く埃が溜まっている。
締め切られた空間に漂う、冷たく鋭い空気。
「この世界は黒く無機質な建物ばかりだが、ここは木の匂いが微かに残っているな」
「椅子や机、子供が触れるものはできるだけ木製にしているようだな。子供の落書きがそこらじゅうにある、ここの施設長は、注意せず、好きに描かせていたのかもな」
ヴェレが小さな椅子を引き、座面の埃を払うと、腰を下ろした。
蛍月が机に手のひらを優しくのせ、指で表面をなぞる。力いっぱいに押し当てられた道具の傷が凹凸となり、少女の皮膚に、この場所の記憶を伝える。
「ねえ、ヴェレは――」
蛍月が机に触れていた手を、隣で座る魔女の身体に当てる。
「ヴェレは、どんな姿をしているの?」
少女はおそるおそる両手を上げていき、ヴェレの髪や頬に触れる。
彼女は不快そうに蛍月を睨みつけながらも、手を払う事はなかった。
***
「あなたたち、ここで何をしているの?」
孤児院の裏口から、驚きと警戒の込められた声が、深い夜に響いた。
「マザー・ウスラ、あなたと話すために」
裏口から現れたのは、以前までこの孤児院を運営していた、ウスラという名の女性だった。
「あなたはここで孤児院を開いていた」
「ええ…でも最大厄災で、すぐ隣の区画が消滅した時、ここも閉じてしまったわ」
ウスラは二人に何者かを問わず、そのまま孤児院内の別の部屋へ歩き出す。
「それで、私と話したいというのは、何を聞きたいのかしら」
彼女は持っていた鞄を開けると、日用品やいくつかの本、おもちゃを詰めていく。
「ここに身を隠していた"特異体"について」
ヴェレの言葉に、ウスラの動きが止まる。
「あの子はシアリスよ。あなたは、機関の人間ではないわよね……まるで、この世界の人間ではないみたい」
「シアリス……あぁ、そうだな。その子について知り得る事全てを教えてくれないか、その代わり、私の力であなたの願いを叶えてやる」
ヴェレがウスラの欲望を探る。
「叶える?」
魔女の放った言葉の意味を考えるように、彼女は視線を上に向ける。
沈黙する間、ウスラはときおり蛍月を見ていた。
「シアリスのこと、教えてもいいわ。けれど……」
「私は貴女に、何も望まない」
ウスラがヴェレへ向き直り、黒髪から覗く魔女の瞳を、真っ直ぐに見つめる。
「あえて言うのなら、ここは危ないから、話を聞いたらすぐ出ていってちょうだい」
ヴェレの意思に従い、エメラルド色の光が彼女の瞳に宿る。魔女が胸の前に腕を伸ばすと、魔法が部屋の空気に溶けていく。
「いいだろう。『シアリスに関する知識』、それを手に入れたらすぐ、ここから出ていってやる」
ヴェレの中に、マザー・ウスラの知る女の子――シアリスの記憶が流れ込む。それと同時に、魔女の身体に緑色の枷が嵌められた。
〈――っ!〉
ヴェレは内心舌打ちをすると、踵を返し出口へ向かう。彼女の左腕を掴んでいた蛍月が、慌てて追従した。
「待って!」
背後からウスラに呼び止められ、扉の取手に手をかけたまま、ヴェレが止まった。
「その子と――」
ウスラが、鞄の紐を握り締めながら、蛍月とヴェレの背を見つめる。
先ほどのヴェレの苛立ち。ウスラには、現れた拘束具に対してのみの感情には見えなかった。
たった今、部屋に広がった光、その不思議な力で得た『シアリスに関する知識』。
まるでその内容に、怒りや自己嫌悪を覚えたように……。
「その子とあなたは、どこか行くところがあるのかしら」
蛍月がウスラの方を振り向く。
「もし、行くところがないのなら…」
ウスラの言葉を聞かず、ヴェレは扉を開け、孤児院を出ていった。
***
孤児院を後に、二人は路地を歩いていた。
「――!」
突然の銃声、ヴェレの肩に銃弾が沈む。
「対象に命中! 反撃に備えろ! 第二班は子供の確保、第三班は待機だ」
暗闇に紛れた遠距離射撃。機関の兵士たちが、二人を包囲しようと音を響かせる。
「ヴェレ?!」
倒れた彼女の異変に、蛍月が戸惑いながら膝をつき、両手を伸ばす。
ヴェレの身体が異常な熱とともに、震えだす。肉体が内側から溶けるように崩れ落ち、細胞が破壊と再生を繰り返す。
皮膚が変色し、骨は歪み、肥大化した身体はもはや人の形ではない。
変異体――門による厄災で、人間は異形の化け物へと姿を変える。理性を失い、ただ暴れるだけの存在へと作り変えられる。
「変異を確認! 射殺許可を申請します」
変異弾――
機関が特異体の研究から作り出した兵器。
対象に撃ち込むことで、厄災の影響を受けた際の変異現象を引き起こすことができる。
機関にとって都合の悪い存在を市街地で排除する際、目撃されたとしても、死体は変異体となる。これにより、突発的な門の発生として現場処理を行えると、最大厄災以降多用されている。
研究区画への侵入とクエイン博士の消滅、機関にとって大きな不利益を発生させた原因の削除、その機密作戦が行われていた。
「ヴェレ!? ねえ! ヴェレ!」
蛍月が叫ぶが、もはや目の前の塊はヴェレの姿をしていない。
"それ"から腕のような、触手のようなものが伸び、先端が蛍月の腕に巻かれた鈴に触れる。
――カラリ。
乾いた音が、すぐそばへ近づいてくる足音に掻き消されそうなほど、小さく鳴る。
「ヴェレ……」
蛍月が"それ"に覆い被さるように全身を載せる。
「射撃開始!」
銃弾がヴェレの肉に撃ち込まれ、流れ弾が蛍月の肌を切る。
「行くよ…ヴェレ……」
蛍月の角が白く輝き、世界から切り離される。
二人の周囲が歪み、沈むように落ちていく。地面が頭上に登っていくと、割れた破片のように崩れ、夜の闇に吸い込まれていった。
足元にプリズムの門が開く。
霧で視界が白く濁り、下から上へと雨が落ちる。
雨水が蛍月の瞳に浮かんだ涙と混じり、薄く紫色の光を反射した。
『GateFragments』
第四巻『World and World Magic』
——CalamityGate編——完




