W&WM 第三章前編【厄災齎されし世界】
「ここは……」
ヴェレと蛍月、二人は巨大な都市の中に立っていた。先ほどまでいた静謐な森とは対照的に、ここは音が溢れていた。
「……」
蛍月が耳を澄ます。人の歩く音、地面を何かが擦れる音。話し声や、建物の間を抜ける風。
高く伸びた箱のような建築物が、空へ届かんと建ち並んでいる。外壁や舗装された道には、脈打つように水色の光が流れていく。
空中には文字や人の形をした光が浮かび上がり、深い夜の中で空を照らしている。
おそらく乗り物と思われる機械が、地上や空中問わず、建物の間を高速で行き交っている。
「世界を渡るたび、知らないことばかりだと、思い知らされる」
ヴェレは喜びに満ち満ちた表情で、周囲の様子を観察している。
〈まずは、この未知に囲まれた今を楽しもう〉
彼女は隣に立つ少女へ、見えているもの、感じていることを共有する。
「無機質な建物がどこまでも高く、森のように辺りを埋め尽くしている。水のような光が地面を流れ、まるで樹木に吸い上げられるように外壁を登っていく。
乗り物は空に浮かび、見たことのない数の人間が、手元の光を見ながら歩いている」
「もしかしたら、この世界は夜の方が眩しいのかもしれない」
ヴェレが視線を通りの奥へ向けると、遠くに一際高く、大きな建築物が見える。
「ひとまず、この世界の情報を集めながら、あそこへ向かうとしよう」
ヴェレが蛍月を見ると、彼女は胸を押さえながら、息を乱していた。頭部の白い角が、淡く明滅する。
「…っ!」
少女がよろめき、倒れそうになるのを、ヴェレは咄嗟に支える。
「大丈夫だよ……」
蛍月が顔をヴェレへ向け、口もとを緩める。
『世界渡りの種について』
――彼らは
世界渡りを使用するたび、薄化する。
文字通り、自己の存在が世界から薄れていくのだ。複数の世界を移動することで、自身の存在がそこに定着せず、肉体や魂というべきものが不安定になる。
子供から大人になるにつれ、自己が形成されていき、生涯で何度かの世界渡りが可能になるという。
一つの世界に住み続けることは難しい。彼らはどの世界でも、奪われる側となり、真の安住を得ることは叶わない。
親や生活を共にするものが、子供たちを同行者として世界を渡り、それを繰り返し生きてきたのだ。
世界渡りは限られた回数しか行えないため、襲われてからという受動的な対応しか行えず、必然的に種の個体数は減少していった。
ヴェレは以前読んだ文献を思い返しながら、少女の身体を見る。
蛍月の肩や脚、その一部がすり硝子のように白く濁り、肉体の向こうにある無機質な世界を透過していた。
薄化が落ち着き、肩や脚の濁りは元に戻らずとも、苦しさは引いたようだった。
ヴェレが蛍月の前にしゃがみこむと、少女の瞳を覆う布に手をかける。
「あ」
蛍月が声を漏らす。
ヴェレは結びを解き、目隠しを少女の顔から取り外した。
蛍月の瞳は閉じられ、長いまつ毛が風に触れる。彼女は恥ずかしそうに下を向き、耳が赤みを増す。
「これは、もう必要ないだろう」
ヴェレは外した布を蛍月に手渡す。
少女は布を握ったまま、幼い両腕をヴェレの腰に回し、彼女の腹部に顔をうずめた。
「…離れろ、歩けないだろ」
「ごめんなさいっ……!」
ヴェレは蛍月の好意に、予見していたような笑みを浮かべる。
「ほら」
魔女は少女の手を、自身の手首に導く。
二人はゆっくりと歩き出した、都市の中央に位置する、機関の本部を目指して。
***
二人は、異様に開けた空間に出る。高層建築物に囲まれた都市の中で、区画がまるごと抉り取られたように、瓦礫だけが残っている。
手前には慰霊碑が建てられ、『最大厄災』という単語と共に、多くの名前が並んでいる。
「受け入れるのです!」
「神の裁きだ!」
声のする方を向くと、数人の男女が列を成し、道ゆく人々に何やら叫んでいる。
「門、そして厄災は神のご慈悲!」
「我らの罰を贖う機会を、あのお方はお与え下さったのです」
〈こいつらで試してみるか〉
神の声を聞く者たちを対象に、魔女はPrētium Absolūtumを発動する。
道や周囲の建物を這う水色の光が、エメラルド色の光に支配される。
「ハッ! 上手くいったぞ」
大きく開いた彼女の瞳に、緑色の光が宿る。
「理解することを放棄して、思考を止めれば楽になる。世界の不条理に、都合の良い理由を与えて、定義することで安心できる」
対価の法則が、対象の欲望を暴く。
「お前たちの歪んだ『安心』を叶えよう。代わりに、この世界についての『知識』と『疑う思考』を徴収する」
「声高に狂信を叫び、一生その停滞を抱いて生きるといい」
都市を照らす光が水色に戻る。
狂信者たちは変わらず、道ゆく人々へ説教を続けていた。
「この世界にも門が現れるようだな。だが、前の世界とは違って、物質というよりは目に見えない力そのものが流れ込んでくるようだ」
「厄災と呼ばれる現象を研究し、応用することで都市は発展した。
今いるのは、最大厄災という最も規模の大きな門が出現した場所。高い技術であっても、この規模を修復するにはそれなりに時間が要るようだな」
ヴェレは、手に入れた知識を口に出すことで整理する。
「厄災への対応や研究を行う"機関"という組織があり、この世界は実質的に彼らが支配していると言える。ちょうど目指していた建物が、機関の本部だ」
ヴェレは顎に手を当て、人差し指で下唇に触れる。
〈門――カヴォルが元々いた世界でも、同じようなことが起きていた。その原因を、私は知りたい〉
『GateFragments』
第四巻『World and World Magic』
——CalamityGate編——




