W&WM 第二章後編【薬草香る家】
「よし、移動開始だ」
コルヴの指示で、解放軍が地下の階段を登っていく。天使たちは言われるがまま、彼らと共に屋敷の外へ向かって歩いた。蛍月はコルヴに背負われ、落ちないよう必死に彼の肩を掴む。
その後ろを、不機嫌そうにヴェレが歩いていた。
彼女の首、そして両の手首には、エメラルド色の枷がはめられている。触れることはできず、ヴェレが欲望の履行を拒否するような行動をした時、それを許さぬよう動きを拘束する。
枷がはまっている間、ヴェレが再びPrētium Absolūtumを使用する意思を示しても、魔法は彼女に応えなかった。
〈かたい…けれど、暖かい〉
蛍月が、コルヴの背中で揺れながら、その岩のような肌と、熱を感じていた。
彼もまた、その背に預かる微かな重み、そして小さな身体に宿る強い熱を感じていた。かつて守ると誓った、黄金の瞳を持つ少女を重ねて。
コルヴが提案した、天使の救出と同行。手数料としての知識徴収によって、対価の支払いは済んでいるが、未だ欲望の履行が未完了である。
そのため、コルヴの欲望である『屋敷からの天使の救出とヴェレの同行』が叶うまで、ヴェレは単独でレムナラのもとを訪れることができない。
「よし、後はよろしく頼む」
「お任せください。コルヴ様も、お気をつけて」
一行は、屋敷から離れた位置で待機していた仲間と合流し、無事に天使を引き渡した。
コルヴ、ヴェレと蛍月はそれぞれ馬に跨り、森にいるレムナラが暮らす家を目指し、街を出た。
「お馬さんに乗せて貰うの、初めて」
ヴェレの腰に手を回して、後ろに乗る蛍月がぽつりと呟く。
「彼らは凛としていて、気高く、美しい。今乗っているのは、赤毛で、たてがみが美しい金色をしている」
ヴェレの説明を聞きながら、蛍月は片手で馬の背にそっと触れる。
生物ではあるが人とは違う、彼らに触れた時に感じる特別な――世界の一部に触れたような認識。
ヴェレは自身の魔法により拘束されたが、コルヴは彼女を攻撃しなかった。魔法により過去を暴かれたにもかかわらず、こうしてレムナラのもとへと案内を続けている。
ヴェレの視線を感じたように、コルヴが肩越しに振り返る。
「ドラヴィエルが消えていたのは、お前の仕業だっていうのは合ってるか?」
「ああ」
ヴェレの淡白な答えに、コルヴが頭を掻く。
「まぁ、なんだ。形はどうあれ、奴がもう天使を狩ることは無くなったわけだ」
「あいつを止めてくれて、助かった」
「感謝される謂れはない」
ヴェレが興味なげに言うと、景色を眺め、見えるものを蛍月へ聞かせる。
「なあ、お前らはなぜ一緒にいる? 到底親子には見えないが」
コルヴが肩越しに二人を見る。
「話す気はない」
「……そうかい」
答えを期待していなかったのか、コルヴはあっさりと引き下がり、先を指差した。
「見えてきたぞ」
道の先には森が広がっており、その境界に、古く小さな家が建っていた。
三人は馬を降り、コルヴが家の戸を軽く叩く。
「俺だ、戻ったぞ」
少しして、鍵が開く音が鳴り、戸が開く。扉を開いたのは一人の老婆だった。
「レムナラだな」
ヴェレが彼女の名を口にする。
「どなたかしら」
老婆は腰が曲がり、杖をついている。彼女が首を上げ、見下ろすヴェレと目を合わせる。
「とりあえず、中へ入れてくれないか」
コルヴがレムナラを支え、二人を家の奥へと促した。
***
家の中には薬草の匂いが満ち、編み込まれた植物が壁に吊るされている。
レムナラが、使い古された椅子に腰掛ける。その足は擦り減り、何度か手直しされ、長く大切にされてきたと見える。
「何もなかったか?」
「ええ」
コルヴが老婆へ声をかけると、彼は荷物を部屋の脇に置き、剣を壁に立てかける。ナイフが仕込まれた皮のベルトは、まだ巻いたままだ。
「適当に座るといい」
コルヴが、二人へ声をかける。
ヴェレは、近くにあった椅子へ蛍月を導くと、自身はそばにあった樽へ体重を預ける。
「ああ、お茶を出すわ」
レムナラが立ち上がると、部屋の奥へと歩いていく。
「長居する気はない」
ヴェレはそう言いながら、手首に視線を落とす。エメラルド色の枷は消えていた。
〈これまでに魔法を使用した奴らは、即座に欲望の履行と徴収が完了した〉
〈二の舞はごめんだ、欲しいのは情報だけ、あとは拘束の発生しない欲望かどうかだ。枷が出てしまえば、魔無に戻ってしまう――無力で、虐げられるだけの私に〉
「手伝ってくる」
コルヴが部屋の奥へと、レムナラを手伝いに行く。
「取引したんだよ、あそこにいる魔女――ヴェレは、俺たちが屋敷に入った時既に、ドラヴィエルを倒していた」
コルヴが、ヴェレに聞こえないようレムナラへ話す。
「取引したんだ、屋敷から天使を救出する間、同行し護衛するように」
「代わりに、俺はあんたの場所を教え、当時の話をさせるってな」
「マジョ…?」
初めて聞く言葉に、レムナラはヴェレのいる方向を見る。
「別の世界にいる、魔法という特殊な能力を使う者のことだ。奴はその力で、俺の過去を言い当ててみせた……」
「別の世界って……まさか、門の向こう?」
レムナラは目を見開く。
「門を通って来たのかは分からない。奴自身、門や天使のことは知らなかった。この世界では、大人で知らないというのはあり得ない」
「ヴェレに出会う前、屋敷内には魔法によって正気を失っている者や、まるで寿命を奪われたように朽ち果てた者もいた」
レムナラは、ふつふつと沸き始めたお湯を、じっと見つめた。
蛍月は椅子の表面を指でなぞる。木の感触、硬い手触りのなかに、不思議と柔らかさを含んでいる。
「どうぞ」
レムナラが人数分の器を運んでくる。カップには淡く透明な液体が、暖炉の火を反射し、煌めいていた。
「いい匂い!」
蛍月が顔を近づける。お茶の水面には、白い花弁が浮き、日向のような香りがのぼっていた。
「それで、お二人――ヴェレさんと蛍月さんは、私に何のご用かしら」
レムナラが話を切り出す。
「あんたが元は研究者だと聞いた。天使と門について、知っていることを話して欲しい」
短い沈黙の後、老婆が口を開く。
「……条件があるわ」
レムナラは、手元に浮かぶ花びらを見つめる。
「門の先へ落ちた二人、デプラという少年、そしてファルムという名の天使」
「もし、彼らに会うことがあったら、二人を手伝ってあげて。あの子たちが、無事に暮らせる場所を見つけられたのか、見届けて欲しいの」
レムナラの条件に、ヴェレよりも、コルヴが驚いた様子をみせた。
〈コルヴの記憶にあった、あの二人か〉
「私が約束を守る保証がどこにある?」
ヴェレの冷笑に、レムナラは温かな笑みを浮かべ、小さな窓から森を見つめる。
「あの子たちが、私の願い」
〈……直接レムナラの口から情報を得た場合、嘘をついたり、一部の知識が知っていても話す必要のある"情報"だと判断されない可能性がある〉
〈魔法を使うのが確実だが、レムナラの願いが叶うまで、また枷をはめられるかもしれない〉
この世界では、多くの人間が天使の血への欲望を持っている。その欲は果てがなく、即物的な快楽や富を求めている。
ほとんどの人間は、その尽きることない渇望に比例して、対価も制限がない。
だがレムナラの求めるものが、コルヴのようにヴェレ自身の行動を求める内容であれば、Prētium Absolūtumの原則により、彼女の身体には再び枷が現れる。
〈どこにいるかも知れない二人の子供のために、リスクはとれない。口約束で情報が得られるなら〉
「取引成立だ」
***
レムナラは所々で言葉に詰まりながらも、記憶を辿るように、研究内容を話した。
門からは、天使以外に落ちてくるものがあった。それらは、天使がいたと思われる世界の残骸。
残骸には機械が含まれていた。まるで天使の血を抽出するために作られたようであり、上層階級の者達が秘匿、独占し研究を行なった。
その結果、この世界は天使の血を搾取する技術を中心に、歪な発展を遂げた。
レムナラがある結論にたどり着いた時、天使の研究は突如停止されることになった。
「天使は…元々は人間だったのではないか」
レムナラは絞り出すように、かつて導き出した結論を口にする。
コルヴは静かに、視線を彼の大剣へ向けた。
レムナラは「話は終わりだ」というように、視線を上げる。彼女は話している間中、両手で包んでいたカップを机へ置く。
「婆さんは座っていろ」
コルヴが、空になった全員の容器を集めると、部屋の奥へと運んでいった。
コルヴの背を見つめていた老婆の視線が、ヴェレのそばに座る少女――蛍月へと移る。
「あなた達が世界を移動するためには、おそらくその子――蛍月さんが必要なのでしょう?」
蛍月が固まる。ヴェレは焦る様子もなく、レムナラを見つめている。
「あなた一人で移動できるのなら、わざわざ小さな子供を連れ歩く理由がないわ」
「ヴェレ、あなたはその子を利用しているの?」
〈レムナラ……〉
部屋の奥、三人の視界から外れた場所で、コルヴは会話を聞いていた。
〈あの子が魔女に攫われ、無理やりに従わされているのなら、必ず助け出す〉
コルヴは陰からヴェレを観察する。
〈魔法はおそらく"取引"のようなものだろう〉
〈屋敷の地下で、あいつは俺の記憶を見た。去ろうとした奴の身体に、魔法と同じ光の枷が現れた〉
〈それに対してヴェレ自身も驚いた様子を見せ、その後は大人しく俺たちに同行していた〉
〈もし取引の最中に、こちらから契約を違えるような真似をすれば、枷だけで済むかも分からない〉
〈そうじゃなきゃ、俺だってヴェレをここまで連れて来たくはなかった〉
コルヴは物音ひとつ立てずに、ナイフを構える。
〈発動に際して何かリスクがあるとしても、依然危険な魔法に違いはない。既に枷が消えていることから、再度あの力を使えると見て良いだろう〉
〈屋敷で取り囲んだ際、気付いていた様子はなかった。直接の戦闘経験は少なく、視界外なら対象にはできないと思いたいが…〉
彼の視線は自然と、ヴェレの隣に座る幼い少女へと向けられた。
「……」
答えようとしないヴェレに、レムナラは蛍月へ向き直る。
「蛍月さん、あなたは彼女――ヴェレが魔法で何をしているのか、知っているの?」
蛍月は暫しの沈黙の後、前を向く。
「ヴェレは、一緒に見つけようって、言ってくれた」
「いるべきところを、って」
「私にとってヴェレのしてる事に、正しいとか、正しくないとかは関係ないの」
蛍月はそっと、腕に巻かれた糸を辿り、その先に結ばれた鈴を握りしめる。
「私は私のために、ヴェレと旅をしているから」
コルヴは無意識に、かつて守ることができなかった少女を、蛍月へ重ねていた。
だが、彼女の言葉によって、はじめて彼は蛍月を蛍月として――守られるべき少女ではなく、自ら魔女と共に歩む少女として見ていた。
「ほら、もう話は聞いただろう。出ていってくれないか」
コルヴは部屋の奥から現れると、手の甲を二人へ向け、ひらひらと振る。
「ハッ、言われなくとも出ていくさ」
ヴェレは蛍月を立たせると、肩越しにコルヴをじとりと睨む。
「ヴェレさん、失礼をお許しください」
レムナラが、ヴェレよりも低いその背を曲げ、さらに頭を低くする。
「別に良い」
レムナラに背を向けたまま、ヴェレは答える。彼女の意識は既に、『門』を含めた別の世界、更なる知識へと向いていた。
家を出ようとする蛍月へ、コルヴが声をかける。少女の前で膝をつき、彼女の布で閉ざされた瞳に視線を合わせる。
「居場所、見つかると良いな」
その言葉に、少女の表情がぱっと明るくなる。
「うん! 見つけるよ、ヴェレと二人で!」
***
「行くよ」
蛍月がヴェレの手を強く握る。
「ああ」
蛍月の頭部に、対に生えた小さな角が光る。
白い花畑の中で、世界が砕ける。
割れた鏡のように、バラバラに弾けた破片が、周囲を写しながら飛散していく。
「すごい……」
二人から離れた位置で、コルヴとレムナラが見送る。
彼らの姿を置き去り、ヴェレと蛍月はプリズムの門を抜ける。
水色と桃色の光が、強く煌めき、小さな鈴を照らした。
『GateFragments』
第四巻『World and World Magic』
——Angelblood編——完




