保科さんの、ささやかなお祝い
その週の土曜日、俺は駅前のカフェに呼び出された。以前、保科さんと初めてじっくり話した、あの店だ。
「――来てくれて、ありがとう」
先に席についていた保科さんは、いつもの落ち着いたスーツ姿で、姿勢よく背筋を伸ばしていた。隣には、少し緊張した面持ちの澪。
「今日は、契約と今後のスケジュールについて話しておきたかったの。本来なら、関係者以外に詳細を伝えるのは規約違反なのだけれど」
「……はい」
「澪が先にあなたに話してしまった以上、私が隠しても意味がない。だから、必要な範囲だけ共有します」
叱られるのかと身構えていると、保科さんは淡々と続けた。
「録音は、来週の土日から。年内にあと三回ほどスタジオに入る予定。つまり、澪は引き続き、ほぼ毎週末東京に通うことになる」
「はい。それは、澪から聞いてます」
「それと、もう一つ」
保科さんは、ふっと小さく息を吐いた。
「――おめでとう。そして、これからもよろしくお願いします」
ぺこり、と頭を下げられて、俺は慌てて立ち上がった。
「こ、こちらこそ!」
その直後、店員さんが三つのケーキセットを運んできた。保科さんの前には、いちごのショートケーキ、モンブラン、チョコレートタルトが、なぜか一人分で並んでいる。
「……保科さん、それ」
「糖分補給です。今日は、お祝いなので」
真顔で言い切る保科さんに、澪が必死で笑いをこらえているのが分かった。
「ちなみに、これは経費ではなく私費です」
「聞いてないですよ、それ」
「自己申告しておかないと、後で経理に怒られるから」
どうやら保科さんには、保科さんなりの流儀があるらしい。
*
ケーキを食べ終えたあと、保科さんは一枚の資料をテーブルに置いた。
「最終選考で、準グランプリになった候補者のことも、一応伝えておきます。小早川花音さん。澪と同じ控室にいた子」
「――あの人が」
澪の目が、わずかに丸くなる。
「彼女は、アニメの挿入歌を担当することになった。同じ作品に関わる仲間になるから、今後も顔を合わせる機会があると思います」
「そっか。また会えるんだ」
嬉しそうに微笑む澪を見て、俺は少しだけ胸が温かくなった。
「――ライバルであって、仲間でもある。それも悪くない関係だと思う」
保科さんは、いつもの無表情に、ほんのわずかな柔らかさを滲ませてそう言った。
第52話まで読んでくださって、ありがとうございます!
保科さんの「私費です」の一言が、書いていて一番楽しかったです。最終選考で出会った小早川花音さんも、今後、物語に関わってくる予定です。
いつもブックマーク・評価をありがとうございます。次話もお楽しみに。




