第5話 マネージャーの忠告
昨日の一件から、俺はどこか落ち着かない気分のまま一日を過ごしていた。
授業中も、あの鋭い視線を思い出してしまう。澪の関係者らしきあの女性は、俺のことをどう思っただろうか。ただの野次馬として片付けてくれただろうか。それとも――。
放課後、いつものように「あの公園」で待ち合わせると、澪は少し疲れた顔をしていた。ブランコに腰かけるなり、大きなため息をつく。
「昨日は、ごめんね。危ないところだった」 「いや、俺の方こそ、勝手に首突っ込んで悪かった。マネージャーさんだろ、あの人」
澪はこくりと頷いた。
「保科さん。中学の頃からずっと担当してくれてる人。……今日、色々聞かれた」
「俺のこと?」 「うん。『あの子は誰か』って。とりあえず、昔の同級生で、たまたま近くにいただけって答えたけど……多分、信じてない」
澪の声のトーンが、いつもより低い。
「保科さんね、すごく厳しい人なの。私のことを大事に思ってくれてるからこそ、なんだけど……今、私に、結構大きな話が来てて」
「大きな話?」
澪は少し躊躇うように視線を落としたあと、続けた。
「来年放送予定のアニメの主題歌、オーディションに呼ばれてて。もし決まったら、覆面のままでも、一気に知名度が上がる。だから今は、絶対にスキャンダルとか、変な噂とか、立てられたくない時期なんだって」
その言葉の重みに、俺は思わず息を呑んだ。澪が背負っているものの大きさを、改めて突きつけられた気がした。
「保科さんには、はっきり言われた。『今は誰とも、浮ついた噂を立てられるわけにはいかない』って。……ユウのことも、なるべく近づかない方がいいんじゃないかって」
澪はそこで言葉を切って、俺の顔をちらりと見た。
「私は、嫌だって言った。ユウと過ごす時間まで、失いたくないから」
まっすぐな声だった。夕日に照らされた横顔は、いつもの悪戯っぽさが消えて、真剣そのものだった。
「でも、正直、怖くもある。もし本当に噂になって、ユウにまで迷惑がかかったら……私、自分を許せないと思う」
小さく震えるその声に、俺は少しの間、何も言えなかった。三年前、引っ越しの日にも見せなかったような、不安げな表情。あの頃はずっと強がっていた澪が、今、初めて弱さを見せてくれている気がした。
「――なあ、澪」
俺はブランコを降りて、澪の前にしゃがみこんだ。目線を合わせるようにして、なるべく落ち着いた声で続ける。
「お前が心配してるのは分かった。でも、俺は別に、有名になりたいわけでも、目立ちたいわけでもない。ただ、お前が無理して一人で抱え込んでるのを、黙って見てるのは嫌なんだよ」
「ユウ……」
「学校で他人のふりするのは、別に構わない。それがお前を守る方法なら、いくらでも協力する。でも、それとこれとは別で、俺はお前と過ごす時間を、諦める気はない」
自分でも驚くくらい、はっきりと言葉が出てきた。柄にもないことを言っている自覚はあったけれど、今だけは、格好つけていたかった。
澪はしばらく俺の顔を見つめたあと、くしゃっと表情を崩した。目の端に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「……ずるいよ、そういうの」 「なにが」 「三年前と変わってないとこ。肝心なところで、ちゃんと支えてくれるとこ」
澪は袖口で軽く目元を拭うと、無理やり笑顔を作った。
「分かった。保科さんには、ちゃんと自分で説明する。ユウは、ただの幼馴染で、今は本当に何でもないから、心配しないでって」
「本当に何でもない、はちょっと寂しい言い方だな」 「じゃあ、なんて言えばいいの」
からかうような口調に戻った澪を見て、俺は少しほっとした。
「さあな。それは、そのうち二人で見つければいいだろ」
澪は目を丸くしたあと、堪えきれないように噴き出した。
「なにそれ。柄にもなく格好つけすぎ」 「うるさい。忘れろ」
照れ隠しに顔を背ける俺を見て、澪はけらけらと笑い続けていた。ようやくいつもの調子が戻ってきたことに、俺は密かに安堵していた。
*
翌朝、教室に入ると、黒板に「文化祭実行委員」という文字が大きく書かれていた。田村先生が教壇に立ち、面倒くさそうに切り出す。
「そろそろ文化祭の準備期間に入る。各クラス、実行委員を二名選出すること。立候補がいなければ、こちらで指名するからな」
教室がざわめく中、健人が唐突に俺の肩を組んできた。
「なあ、悠人。一緒に立候補しようぜ」 「は? なんでだよ」 「文化祭の準備で色々動き回れば、もしかしたらまた撮影現場的なイベントに遭遇するチャンスがあるかもしれないだろ」 「お前の動機、不純すぎるだろ」
呆れながらも、断りきれずに頷いてしまう自分がいた。ふと後ろを見ると、澪も静かに手を挙げているのが見えた。担任と目が合い、澪はにこりと愛想よく微笑んでいる。あの、教室用の他人行儀な笑顔だった。
――こいつも実行委員になるのか。
これから始まる文化祭の準備期間が、俺たちの関係にどんな変化をもたらすのか。この時の俺は、まだ知る由もなかった。ただ一つ確かなのは、あの公園で交わした約束が、少しずつ、俺たちの日常の形を変え始めているということだった。




