第4話 噂の撮影現場
「なあなあ悠人、聞いてくれよ!」
朝、教室に入るなり、健人が興奮した様子でスマホの画面を突き出してきた。
「Rinの新曲のMV撮影、この辺りでロケハンしてるらしいってSNSで噂になっててさ! ほら、これ見ろよ」
差し出された画面には、匿名の投稿がずらりと並んでいた。「うちの高校の近くでカメラ持った人たち見た」「もしかしてRinの撮影?」「今日の放課後、駅前の川沿いに機材運んでたって噂」――そんな書き込みが、じわじわと拡散されている様子だった。
心臓が跳ねる。昨日の澪の言葉が、頭の中で蘇った。
(今度、学校の近くで、Rinとしての撮影が入るかもしれないの)
まさか、今日だったのか。
「お、おう。すごいな、それ」
動揺を隠しながら相槌を打つ俺に、健人はまったく気づく様子もなく続けた。
「俺、Rinのファンクラブ入ってるレベルだからさ。声だけなのに、なんかこう、めちゃくちゃ引き込まれるっていうか……ライブ配信も欠かさず見てるし。もし本物見れたら、マジで人生変わるレベルだわ」
熱っぽく語る健人の隣で、俺は曖昧に頷くことしかできなかった。目の前で騒いでいる親友が、まさに自分の幼馴染について話しているとは、夢にも思っていないらしい。
妙な罪悪感を覚えながら、俺はちらりと後ろの席を見た。澪はいつも通り涼しい顔でノートを広げていたけれど、心なしか、いつもより肩に力が入っているように見えた。
*
昼休み、購買帰りの渡り廊下で、澪と鉢合わせた。今日はいつもより時間が短い。
「――今日なんだろ、撮影」 「うん。放課後、駅前の川沿いで。もう噂になってるみたいだけど……ちょっと予定より広まるの早くて、正直焦ってる」
澪の声には、いつもの余裕がなかった。
「事務所の人には、なるべく静かに済ませてって言われてるんだけど、こう噂が広まっちゃうと、野次馬とか集まっちゃうかもしれなくて」 「俺に、何かできることあるか」
思わずそう口にすると、澪は少し驚いたように目を見開いた。
「……いいの?」 「いいも悪いも、放っておけるわけないだろ」
澪はふっと表情を緩めて、小さく笑った。
「じゃあ、お願い。もし怪しい人だかりができそうになったら、教えてほしい。あと――」
澪は少し言い淀んでから、続けた。
「健人くん、今日、絶対現場に行こうとするよね。もしバレそうになったら、うまく誤魔化して」 「……無茶振りすぎるだろ、それ」 「ユウなら、できるでしょ?」
悪戯っぽく笑う顔に、結局逆らえないのはいつものことだった。
*
放課後、案の定、健人は俺の腕を引っ張って、駅前の川沿いへと向かっていた。
「絶対見に行こうぜ! もしかしたら本人見れるかもしれないんだぞ!」 「いや、そんな簡単に見れるわけ……」 「見れなくても雰囲気だけでも味わいたいんだって! 俺の推し活に協力しろ!」
押し切られる形で、俺たちは川沿いの遊歩道に到着した。既に人だかりができていて、遠目にライトスタンドや反射板を運ぶスタッフの姿が見える。カメラを構えたスタッフたちの向こうに、フードを目深に被った小柄な人影が立っているのが見えた。
――澪だ。
距離があってもすぐに分かった。心臓が痛いくらいに脈打つ。
「うおおお、本物だ……!」
健人が小声で興奮しながら、スマホを取り出そうとする。
「おい、撮影中に無断で写真撮るのはまずいだろ」 「え、でも……」 「ほら、警備の人こっち見てるって。下手したら通報されるぞ」
咄嗟に出た嘘に、健人はびくっとしてスマホをポケットに戻した。俺は内心で安堵の息を吐く。
その時、周囲の野次馬の中から、一人の男が「あそこにいる子、Rinじゃない?」と大きな声を上げた。それをきっかけに、周りのざわめきが一気に膨れ上がる。数人がスマホを構えて前に出ようとするのが見えた。
スタッフの一人が慌てて「すみません、撮影中ですので、下がってください」と声を張り上げる。それでも人だかりは収まる気配がない。
遠目に、澪がわずかに身を硬くしたのが分かった。距離があっても、緊張が伝わってくる。
「――健人、悪い、俺ちょっとトイレ」 「あ? 今?」
訝しむ健人を置いて、俺は人混みをかき分け、遊歩道の脇道へと回り込んだ。撮影エリアの裏手、機材車の陰まで来ると、ちょうど休憩に入ったらしい澪がスタッフに連れられてこちらに歩いてくるところだった。
澪は俺に気づくと、一瞬だけ目を見開いた。
「――ユウ? なんでここに」 「健人に無理やり連れてこられた。それより、大丈夫か。人、集まってきてるけど」
澪の表情が曇る。
「うん……ちょっと、思ったより広まっちゃって。マネージャーも今、対応に追われてて」
その時、機材車の陰から、スーツ姿の女性がこちらに歩いてきた。三十代くらいだろうか、鋭い目つきでこちらを一瞥する。
「澪、こちらの方は?」 「あ……」
澪が言葉に詰まるのを見て、俺は咄嗟に頭を下げた。
「すみません、道に迷って入り込んでしまって。すぐ出ます」
その場を取り繕うように言うと、女性は少し訝しむような視線を向けたあと、小さく頷いた。
「そうですか。撮影の妨げになりますので、速やかに退出をお願いします」 「はい、失礼しました」
その場を離れながら、俺はちらりと澪を振り返った。澪は不安そうな顔で、それでも小さく頷いてくれた。「あとで連絡する」というように、口の形だけで伝えてくる。
健人のところに戻ると、彼は不満げに頬を膨らませていた。
「お前、肝心なところでいなくなるなよ。結局、本人見れなかったじゃん」 「悪い悪い」
適当に謝りながら、俺は先ほどの女性の鋭い視線を思い出していた。あの人は、澪の関係者に違いない。もし俺のことをただの野次馬だと思わなかったら――そう考えると、背筋がひやりとした。
この日をきっかけに、俺は初めて実感することになる。澪が背負っているものの重さと、それを守るために自分にできることの、あまりの小ささを。




