第3話 あの公園の約束
あの公園は、記憶の中とほとんど変わっていなかった。
色褪せた滑り台、錆びついたブランコ、ベンチの脇に植えられた金木犀。夕方の橙色に染まる景色を眺めながら、俺は言葉を失っていた。三年間、ここにはもう二度と来ないと思っていた。
「懐かしいね」
澪はブランコに近づくと、迷いなく腰を下ろした。ぎい、と鎖の擦れる音が響く。
「昔、よくここで喧嘩したよな。お前が滑り台の順番抜かしたって」 「あれはユウが譲ってくれなかったんじゃん」 「譲った。譲ったけど、お前が三回連続で並び直したんだろうが」
軽口を叩き合っていると、ほんの少しだけ、三年間の空白が埋まっていくような錯覚を覚えた。隣のブランコに腰を下ろすと、澪はゆっくりと足で地面を蹴って、体を揺らし始めた。
「――それで、話って」
俺が切り出すと、澪の表情から徐々に笑みが消えていった。しばらく黙って夕日を見つめたあと、澪はぽつりと口を開いた。
「ユウ、『Rin』って知ってる?」 「Rin……?」
聞き覚えのある響きに、記憶を辿る。ああ、と思い出した。健人が最近やたらとイヤホンで聴いている、覆面の女性シンガー。顔も本名も明かさずに動画投稿サイトで歌い続けて、いつの間にか全国区の人気になっている、あの。
「知ってるけど……それがどうしたんだよ」 「それ、私」
あまりにもさらりと言われたものだから、一瞬、意味を理解するのに時間がかかった。
「は……?」 「だから、覆面シンガーのRinって、私のこと」
澪はブランコを止めて、まっすぐに俺を見た。夕日を受けたその瞳には、これまで見たことのない、緊張と覚悟の色が浮かんでいた。
「中学の途中で、たまたま投稿した歌が拡散されて。それから事務所に誘われて、正体を隠したまま活動することになったの。今は結構、大きな仕事も入るようになってきて……だから」
「だから、素性がバレるとまずいのか」 「うん。契約上、プライベートを明かせないのもあるし……何より、正体がバレたら、今みたいに『顔の見えない誰か』として自由に歌えなくなる。それに」
澪はそこで一度言葉を切って、視線を落とした。
「私と親しくしてるってだけで、ユウにまで変な詮索とか、嫌がらせみたいなのが向くかもしれない。そういうの、絶対に嫌だったから」
その言葉に、胸の奥が締めつけられるのを感じた。三年前と同じように、澪は今度も、自分よりも先に俺のことを気にかけていた。
「だから、学校では他人のふり、か」 「うん。ごめんね、勝手に決めて」
しゅん、と肩を落とす澪を見て、俺は小さく息を吐いた。怒る気にはなれなかった。むしろ、そこまでして守ろうとしてくれていたことに、少しくすぐったいような、情けないような気持ちになる。
「――一つ聞いていいか」 「なに?」 「なんで、今のタイミングで、俺にだけ話したんだよ」
澪は少し考えるように視線を泳がせたあと、小さく笑った。
「だって、ユウにだけは、本当の私のままでいたいから」
その一言に、心臓が大きく跳ねた。夕焼けのせいなのか、それとも別の理由なのか、澪の頬もほんのり赤く染まって見える。
「学校ではRinのことも、幼馴染だってことも、絶対に言えない。でも、二人きりの時くらい、昔みたいに素のままでいたい。……我儘、かな」 「我儘だな、めちゃくちゃ」 「ちょっと」
澪が唇を尖らせるのを見て、俺は思わず笑ってしまった。三年分の緊張が、ようやくほどけていくような感覚だった。
「でも、いいよ。付き合う」 「――ほんとに?」 「その代わり、条件がある」
澪が身を乗り出すのに、俺は指を一本立てた。
「たまにでいいから、こうやって二人で、昔みたいに話す時間くれ。でないと、俺の方が我慢できなくなる」
自分で言っておいて、頬が熱くなるのが分かった。柄にもないことを口走った自覚はある。それでも、言わずにはいられなかった。
澪は一瞬きょとんとした顔をしたあと、くしゃっと笑った。三年前、指切りをしたときと同じ、屈託のない笑顔だった。
「うん。約束する」
澪は小指を差し出してきた。懐かしい仕草に、俺も自然と小指を絡めていた。
「学校では他人。でも、ここでは――」 「昔のまま。それが、私たちのルール」
夕日が沈みかけて、あたりが群青色に染まり始めている。二人だけの秘密と、二人だけの約束。それがどれくらい大切なものになっていくのか、この時の俺は、まだ本当の意味では分かっていなかった。
帰り道、別れ際に澪がふと思い出したように言った。
「あ、そうだ。今度、学校の近くで、Rinとしての撮影が入るかもしれないの。もし変な噂とか流れても、絶対に本当のこと言わないでね」 「分かってる。言うわけないだろ」 「……ありがとう、ユウ」
澪ははにかむように笑うと、家の方へと駆けていった。その後ろ姿を見送りながら、俺は妙な胸騒ぎを覚えていた。
――撮影、か。
まさかそれが、次の日、とんでもない騒動を巻き起こすことになるとは、この時の俺は知る由もなかった。




