健人、またしても
昼休み、教室の後方でクラスメイトの数人がスマホを囲んで盛り上がっていた。
「――これ見て、Rinの新しいライブ配信、めちゃくちゃ良かったんだけど」
その単語に、俺は反射的に身を硬くした。少し離れた席にいた健人が、案の定食いつく。
「え、配信あったのか! 俺見逃した、リンク送って!」
健人はスマホを受け取ると、食い入るように画面を見つめ始めた。澪はというと、いつも通りの澄まし顔でノートを広げているが、心なしか肩に力が入っているのが分かる。
配信映像の中で、Rinが曲に入る直前、小さく息を吐きながら口を動かすシーンが映った。
――よし、いくよ。
体育祭のリレーで見た、あの合図だった。健人がぴたりと動きを止める。
「――なあ、これ」
「な、なに」
澪の声が、わずかに上ずった。健人はしばらく画面を睨んだあと、真剣な顔で切り出した。
「Rinが歌う前にいつも言うこの一言、雨宮さんが体育祭のリレーの時に言ってたやつと、めちゃくちゃ似てる気がするんだよな」
教室の温度が、一瞬だけ下がったような気がした。俺は内心で最大級の警戒レベルに入る。だが次の瞬間――健人は自分の額をぱしんと叩いた。
「――って、そういえば来週の小テスト、まったく勉強してねえや!」
あまりに唐突な話の脱線に、俺と澪はぽかんと顔を見合わせた。健人はスマホを持ったまま、頭を抱えて机に突っ伏している。
「小テスト、今週の水曜だよな……範囲、どこからだっけ」
「――お、おい、さっきの話は」
「さっきの話? 何の話だっけ」
健人は本気で忘れてしまったらしく、真剣な顔でノートを漁り始めた。三上が呆れたように肩をすくめる。
「お前、集中力持続時間、金魚並みだな」
「うるさい、テスト勉強の方が緊急事態なんだよ」
健人は本気で焦った様子で、他のクラスメイトに範囲を聞き回り始めた。その後ろ姿を見送りながら、澪が小さく胸を撫で下ろすのが分かった。
「――た、助かった。今回は本当に、健人くん自身に助けられた気がする」
「ああ。まさかテスト勉強に救われる日が来るとは思わなかった」
俺たちは顔を見合わせて、思わず笑ってしまった。
*
放課後、二人になったタイミングで、澪が少し真剣な顔になった。
「――今日、正直かなり危なかった」
「ああ。あの一言、癖になってるって、自分で気づいてたか」
「ううん、全然。ユウに言われて初めて気づいたくらい」
澪はしばらく黙り込んだあと、ぽつりと呟いた。
「――こういうことが、これからもっと増えるんだろうね。有名になればなるほど、私の癖とか、色んなものが世間の目に晒されていく」
「それでも、隠し通せる自信あるか」
「正直、ない。でも――」
澪は俺の顔をまっすぐ見た。
「いつか、健人くんにも、ちゃんと話せる日が来るといいなって、最近本気で思うようになった」
その言葉には、これまでよりも一歩踏み込んだ覚悟が滲んでいた。
*
その夜のメッセージには、いつもより少し前向きな響きがあった。
『今日は本当にヒヤヒヤした』
『健人の集中力のなさに、今回だけは感謝しないとな』
『うん。でも、いつまでもこのままじゃいられない気がする』
『焦らなくていい。最終選考が終わってから、ゆっくり考えればいい』
『――うん。ありがとう』
健人の勘はまた一歩、真実に近づいた。それでも今回もぎりぎりのところで踏みとどまった二人の間には、いつか訪れるであろう「その時」への、静かな覚悟が芽生え始めていた。
第45話まで読んでくださって、ありがとうございます!
体育祭で見せた澪の合図が、思わぬ形で危険信号になってしまいました。今回は珍しく、健人自身の集中力のなさに救われる展開でしたが、いかがでしたでしょうか。澪の中に芽生えた新しい覚悟にも注目していただけたら嬉しいです。
いつもブックマーク・評価をありがとうございます。次話もお楽しみに。




