第32話 スタジオでの実演(澪視点)
新幹線を降りてから、保科さんはずっと隣で、いつも以上に無口だった。緊張しているのは私だけじゃないのだと、その横顔を見て気づく。
「――保科さん、大丈夫?」
「なにが」
「なんか、いつもより静かだから」
「あなたの方が心配でしょう。余計な口挟んで、集中乱したくないだけ」
ぶっきらぼうな言い方の奥に、ちゃんと気遣いがあるのが分かって、私は小さく笑った。三年前から変わらず、この人は不器用な優しさの持ち主だった。
*
スタジオに着くと、想像していたよりずっと機材の多い、本格的な空間が広がっていた。ディレクターらしき初老の男性と、数人のスタッフ。一次審査とは比べ物にならない緊張感が、部屋全体に張り詰めている。
「――Rinさん、ですね。今日はよろしくお願いします」
ディレクターの声は柔らかかったけれど、その目は品定めするように鋭かった。私は深呼吸を一つして、覚悟を決める。
――大丈夫。今までちゃんと積み重ねてきた。
文化祭での日々が、頭の中を一瞬よぎった。予算オーバーを乗り越えたこと、保科さんに自分の言葉で気持ちを伝えたこと、そして、ユウがいつも変わらず支えてくれたこと。それら全部が、今の私の土台になっている気がした。
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与えられた新曲を歌い終えた瞬間、部屋にしばらく沈黙が流れた。心臓が痛いくらいに脈打つ。
「――ありがとうございました。素晴らしかったです」
ディレクターの一言に、詰めていた息をようやく吐き出す。手応えがあったのかどうか、正直まだよく分からない。それでも、悔いはなかった。
「一つ聞いてもいいですか」
ディレクターが少し身を乗り出して続けた。
「この曲を歌う時、何か思い浮かべているものがありますか。すごく、丁寧に、大事に歌っているように聞こえたので」
その質問に、私はしばらく考えたあと、正直に答えた。
「――大切な人との、些細な日常です。特別なことじゃなくて、普通に笑い合えるような時間」
ディレクターは満足そうに頷くと、それ以上は深く追及せずに、審査の終了を告げた。
*
スタジオを出たあと、保科さんが珍しく柔らかい表情で声をかけてきた。
「――よくやった」
「結果、まだ分からないよ」
「結果に関係なく、よ。あなたは今日、ちゃんと自分の言葉で歌ってた」
その一言に、目の奥が熱くなる。
「保科さん」
「なに」
「ありがとう、今まで。厳しいことばっかり言われたけど、ちゃんと味方でいてくれたの、分かってたよ」
「――柄にもないこと言わないの。まだ結果出てないんだから」
照れ隠しなのか、保科さんはそっぽを向いてそう言った。けれど、その口元にはわずかに笑みが浮かんでいるのを、私は見逃さなかった。
*
帰りの新幹線の中、私はスマホを取り出して、ユウにメッセージを送った。長い一日の終わりに、真っ先に伝えたい相手は、やっぱりユウだった。
『今、終わった』
短い一文を送ってから、窓の外に流れる夜景を眺める。結果はまだ分からない。それでも、今日という日を乗り越えられたことに、確かな手応えがあった。
文化祭を通して積み重ねてきたものが、こうして遠く離れた場所でも、私を支えてくれている。そのことを、私は改めて実感していた。
第32話まで読んでくださって、ありがとうございます!
今回は澪視点でお届けしました。緊張感の中にも、保科さんとの不器用な絆が垣間見える回になったのではないでしょうか。次話では、結果を待つ間の日常――悠人視点に戻って、少しゆるやかな時間を描いていきます。
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