第29話 日常に戻って
文化祭の熱気が嘘のように、教室にはいつも通りの日常が戻ってきていた。実行委員としての活動もひと段落し、俺たちの毎日は、以前よりほんの少しだけ賑やかさを増した状態で続いていた。
「――なあ、最近校舎の裏でよく歌声が聞こえるんだけど、知ってるか」
休み時間、健人がそう言い出した瞬間、俺は思わず身構えた。二次審査に向けて、澪が放課後こっそり発声練習をしていることを知っていたからだ。
「さ、さあ。気のせいじゃないか」
「いや、結構本格的な歌声だったんだよな。プロっぽいっていうか」
「――音楽部の練習じゃないか、多分」
我ながら苦しい誤魔化しだと思ったが、健人は「そっかー」とあっさり納得してくれた。この鈍感さと鋭さの落差が、健人という人間の一番読めないところだった。
*
放課後、俺は約束通り、校舎裏の空き教室に澪の練習に付き合っていた。澪はスマホの伴奏に合わせて、新曲だという歌を口ずさんでいる。
「――どうかな」
「いいと思う。前より、声に伸びが出てる気がする」
「相馬くんに音楽的なこと言われても、正直あんまり参考にならないんだけど」
「辛口だな、おい」
澪はくすくす笑いながらも、真剣な表情で練習に戻った。こういう時の澪は、学校で見せる愛想笑いとも、二人きりの時の甘えた表情とも違う、Rinとしての顔をしていた。
「――さっき、健人に歌声聞かれてたっぽいぞ」
「――え、まさかバレた?」
「いや、音楽部だと思ってるみたいだから大丈夫だ」
「はぁ……心臓に悪い。もう少し声量絞る」
澪が真剣に反省する横で、俺は密かに、健人の察しの悪さに感謝していた。
*
練習の合間、澪がふと真面目な顔になった。
「――二次審査、正直まだ怖い。一次とは全然レベルが違うって聞くし」
「そうか」
「でも、文化祭を乗り越えたし、保科さんとも向き合えた。今の私なら、多分大丈夫だと思う」
澪の声には、確かな自信が宿っていた。俺はその横顔を見ながら、小さく頷く。
「――何かできることがあれば言えよ」
「うん。じゃあ、今日はこのまま、練習相手になっててくれる?」
「辛口採点でいいのか」
「――やっぱりいい。普通に応援してて」
澪は少し慌てたように前言を撤回し、俺は思わず声を出して笑ってしまった。
*
その夜、澪から届いたメッセージには、練習の充実感がにじんでいた。
『今日もありがとう。少し自信ついた』
『よかったな。健人にバレなくてよかったし』
『ほんとだよ……今度から、もっと静かな場所探す』
『でも、いい練習になってるみたいで安心した』
『うん。二次審査まで、あと少し。頑張る』
文化祭という大きな山場を越えた俺たちの日常には、次なる挑戦への静かな熱量が、確かに宿り始めていた。
第29話まで読んでくださって、ありがとうございます!
文化祭の余韻から日常に戻りつつ、いよいよ二次審査へ向けた練習が本格化してきました。健人の察しの悪さに救われる場面など、くすっと笑える瞬間も交えつつ、次話ではいよいよ大きな展開が動き出します。
いつもブックマーク・評価をありがとうございます。次話もお楽しみに。




