第八章 接触
金曜日の朝八時。
歌舞伎町のルノアール。
店内には朝特有の静けさが漂っていた。
新聞を広げるサラリーマン、ノートパソコンに向かう学生――それぞれが自分の時間に没頭している。
その中で、雄三は壁際の席に腰掛け、入口を見ていた。
やがてドアが開き、夏野ともう一人の女性が入ってくる。
雄三は軽く手を振って合図した。
気付いた二人が近づいてくる。
雄三は立ち上がる。
「探偵の田所です」
「北沢このみです」
三人は席に着き、夏野と北沢がコーヒーを注文する。
注文を終えたところで、雄三は口を開いた。
「北沢さん、ご協力ありがとうございます」
「いえいえ、友達ですから」
軽く笑って答える北沢。その様子に無理はない。
「北沢さんは夏野さんとはいつからお知り合いなんですか?」
「和泉とは大学時代のキャンパスメディア研究会っていうフリーペーパー制作サークルで一緒だったんです」
「どんなことされてたんですか?」
「月一で学内で無料配布するフリーペーパーを制作してたんですけど、私は取材班で、教授へのインタビューや写真撮影なんかをしてました」
「私は編集班で企画立案や記事構成、文章のチェックなんかをしてました」
夏野が補足する。
「そのサークル、他には何人くらいいました?」
「そうですね……他にはレイアウトや表紙を作成するデザイン班も有りましたし、完成したものを配布する配布班も有りましたし……。他の班の事はよく分からないんですが、総勢で四、五十人くらいはいたんじゃないかと……」
雄三は小さく頷く。
(顔見知りでも“記憶に残らない距離”の人数……か)
「そうなんですね。北沢さんは夏野さんのストーカーの心当たりは有りませんか?」
「さぁ……。でも大学の関係者じゃないと思いますよ。それなら分かると思いますし」
その言葉に、雄三はわずかに視線を落とした。
(“分かるはず”……それが崩れてるから厄介なんだ)
「そうですか……。私はこの後、夏野さんの職場の方へ行ってみます、そこにいなければ北沢さんのご自宅の方へ行ってみようと思いますのでご住所を教えて下さい」
「分かりました」
北沢はメモに住所を書き、差し出す。
「ありがとうございます。では私はこれで。お二人は夕方まで新宿にいて下さい。北沢さんの家の近くでストーカーと鉢合わせなんてことになったらいけないので」
「分かりました」
「よろしくお願いします」
二人を残し、雄三は店を出た。
昼頃。
雄三のスマートフォンが震える。
画面には「夏野和泉」。
「はい、田所です」
『田所さん!ストーカーです!』
押し殺しているが、切迫した声だった。
「北沢さんは?」
『少し前にはぐれちゃって、電話もつながらなくて……』
今にも崩れそうな声。
「実は今新宿にいます。直ぐ行きます。どの辺ですか?」
『伊勢丹の近くです』
「分かりました。なるべく人通りの多い道をストーカーと一定の距離を取りながら歩いて下さい」
『分かりました』
「電話は繋いだままでいいです。犯人に気付いた事がバレない様に自然にふるまって下さい。逃げたりすると何をするか分からないし、離れすぎて見失うと何処で鉢合わせするか分かりませんから、自然に一定の距離を保って人通りの多いところです。もう少しで着きますから」
『分かりました。早く来てください。不安でどうにかなりそうです』
「大丈夫ですから落ち着いて下さい」
短く、しかしはっきりとした声。
その瞬間。
『えっ!?』
「どうしました!?」
『今、角を曲がったんですが人通りが少ない道に入っちゃいました……戻るわけにいかないし……あ、ストーカーが……ナイフ持ってます……どうしよう……』
空気が一変する。
雄三は走り出した。
狭い路地。
昼間だというのに人影はまばらだった。
紺のパーカーのフードを深く被った男が、ゆっくりと距離を詰めてくる。
手にはナイフ。
刃がわずかに光る。
夏野は足を止めない。
だが、逃げてもいない。
“言われた通りに”動いている。
男が一歩、踏み込む。
ナイフを構える。
次の瞬間――。
一直線に突進した。
「田所さん!」
恐怖で動けない夏野は思わず田所の名を叫ぶ。
突き出される刃。
刃が肉を貫く感触。
血が飛び散る。
「守るって約束したでしょ」
田所の腹にナイフが深々と突き刺さっていた。
田所は自分の腹に刺さったナイフの柄を掴み、犯人の手を封じる。
引き抜かせない。
視線だけで、相手を射抜く。
一瞬。
犯人の動きが止まる。
次の瞬間――
手を離し、踵を返して逃げ出した。
フードの奥の顔は見えないまま、雑踏へと消えていく。
「田所さん!大丈夫ですか!?」
倒れそうな田所の身体を支える夏野。
手が震えている。
血が地面に滴る。
それでも田所は、わずかに口元を緩めた。
「……大丈夫じゃないな、これは」
しばらくして救急車が駆けつける。
サイレンの音が現実を引き戻す。
担架に乗せられる田所。
その横で、夏野はずっと彼の手を見つめていた。
自分を守るために、迷いなく前に出た男の手を。




