第十章 違和感の正体
「夏野さん、この件は北沢さんへは?」
「忘れてました!今伝えます!」
慌ててスマートフォンに手を伸ばす夏野を、田所が制する。
「いや、考えがある。伝えないで下さい。今後の事は北沢さんにも秘密でお願いします」
その声音は静かだが、明確だった。
「分かりました」
「夏野さん。そこにあるメモ帳とペン、取ってもらえますか?」
「はい」
差し出されたメモ帳とペンを受け取ると、田所はベッドの上で少しだけ姿勢を整えた。
「山岸さん……でしたっけ?」
「ええ」
「警察の方では犯人について何か情報持ってますか?」
「周囲の聞き込みで分かっていることは、紺色のパーカーでフードをかぶり顔は見えなかった。下はジーパンで黒と白のスニーカー。新宿駅方面に走って逃げたという事だけです」
田所はそれを聞きながら、淡々とメモを取る。
「なるほど。凶器については?」
「刃渡り九センチメートルのバタフライナイフです」
ペン先が一瞬止まる。
「夏野さん。犯人はどっちの手でナイフ持ってました?」
「……左手です」
「俺の記憶と同じだ。という事は犯人は間違いなく左手でナイフを持ってたって事だ」
「そうか!犯人は左利きだ!」
山岸が勢いよく言う。
「あれ?田所さんも左利きなんですね」
「何っ!?まさか……」
「田所さんが犯人!?」
「おーい。俺が今、何でここでこうしてるか、お忘れのようですね」
ベッドの上で軽く自分の体を指す。
「そりゃそうだな。犯人と被害者が同じ訳ないな」
「……それだ!」
田所の目が鋭くなる。
「何だ?」
「被害者側と加害者側が同じ……被害者側というのは夏野さん、俺、北沢さん。加害者側はもちろんストーカー。でももしかしたら他にいるかもしれない。それが被害者側と同じ人間なら……」
言葉を切る。
思考を組み上げる音が聞こえるようだった。
「山岸さん、調べて欲しいことがある」
「何です?」
「北沢このみの関係者」
一瞬、空気が張り詰める。
「このみを疑ってるんですか!?」
夏野の声が強くなる。
「ええ。今朝喫茶店で話している時から違和感があった」
「そんな!どうしてですか?」
田所は落ち着いた口調で続ける。
「大学時代のサークルについて聞いた時、夏野さんは『他の班の事はよく分からないんですが、総勢で四、五十人くらいはいたんじゃないかと……』って言ってましたよね」
「はい」
「でも、事務所で告白してきた人の名前を書いて下さいって言ったら三十人くらいの名前をスラスラ書いてました。それだけ人を覚えている夏野さんでも把握しきれないサークルのメンバーがいる」
一拍置く。
「なのに北沢さんは『大学の関係者じゃないと思いますよ。それなら分かると思いますし』って言ってた」
視線がまっすぐ夏野に向く。
「“分かるはず”という前提が、現実と食い違っているんです」
静かな指摘。
「……」
夏野は言葉を失う。
「つまり、北沢このみは“大学関係者を容疑者から外す方向に誘導した”可能性がある」
「……!」
「それで、喫茶店では職場の方を回ってみると嘘をついて新宿に残っていたんです。もし北沢さんから情報が流れているとすれば犯人は新宿に現れるだろうと思ってね」
「それで、私が襲われそうになった時に新宿にいたんですね」
「そういうことです」
淡々と頷く。
「まぁ、故意にかどうかは分かりませんが、北沢このみから情報が洩れていると考えると全て辻褄が合う。誰にも言ってない筈なのに仕事を休んだ当日から北沢宅周辺に現れた事、そして今日、新宿に現れた事。北沢このみ以外に説明がつかない」
断定ではなく、“最も合理的な仮説”として提示する。
「分かりました。調べてみましょう」
山岸が頷く。
「お願いします」
山岸が病室を出ようとしたその時――。
「それからもう一つ」
田所が呼び止める。
「何です?」
「俺の傷の事は医者は何か言ってましたか?」
「刃は根元まで刺さってたが思ったほど傷は深くなかったそうです」
山岸はわざとらしく間を置き、にやりとする。
「デブで良かったですね」
「ぐっ……!」
今度は田所が言葉に詰まる。
「そんな言い方酷いですよ!」
夏野が即座に抗議する。
「良かったですね、ふくよかで」
「夏野さん、フォローになってないよ」
病室に、ほんの一瞬だけ軽い空気が戻る。
だが――。
その裏では、すでに次の一手が動き始めていた。




