スマホに表示された名前
タクシーが静かに止まり、
運転手が「到着しました」と告げた。
美桜の家の前。
朝の光がまだ柔らかい。
美桜はゆっくりとシートから身を起こし、
小さく頭を下げた。
「……今日は本当に……ありがとうございました」
声は弱いけれど、
前よりずっとしっかりしている。
叶多は首を横に振った。
「気にするな。
送れてよかった」
美桜が玄関へ向かおうとした瞬間、
叶多はふと思い出したように声をかけた。
「……あのさ」
美桜が振り返る。
不安と期待が混ざったような表情。
「今日、俺……休み取ったんだ」
「え……?」
「だから、迷惑じゃなかったら……
家のこと、少しやろうか?」
美桜の目が一瞬でまん丸になる。
「えっ……えっ……!?
い、いやいやいやいや……!
だ、大丈夫!
ほんとに大丈夫だから!!」
両手をぶんぶん振って全力拒否。
鍵を落としそうになって慌てて拾う。
——甘え慣れてないんだな。
その反応が、
なんだか可愛くて胸が温かくなる。
でも、引く気はなかった。
「無理してるの、見てればわかる。
倒れたあとも“ひとりで大丈夫”って言うのは……
強がりだろ」
美桜は言葉に詰まり、
視線を落とす。
「……迷惑かけたくないだけだよ……」
その小さな声が、
叶多の胸に深く刺さる。
だから、逃げずに言った。
「迷惑なんかじゃない。
むしろ……頼ってくれたほうが、俺は嬉しい」
美桜が顔を上げる。
その頬は朝の光でほんのり赤い。
叶多は、
“今なら言える”と直感した。
「……それとさ」
美桜が瞬きをする。
「連絡先、交換しよう」
「えっ……」
「何かあったらすぐ言えるように。
倒れたときみたいに、
たまたま俺が近くにいるとは限らないだろ」
美桜は一瞬固まったあと、
ゆっくりとうなずいた。
「……うん……
そうだね……」
スマホを取り出す手が震えている。
緊張と、
少しの嬉しさが混ざった震え。
2人のスマホが近づき、
画面にお互いの名前が表示される。
“連絡先を追加しました”
その文字を見た瞬間、
叶多の胸の奥がじんわり熱くなった。
——やっとだ。
——やっと俺のスマホに、
“美桜”の名前が表示されるようになった。
10年越しに、
ようやく繋がった。
美桜も、
ほんの少しだけ笑った。
「……ありがとう、叶多くん」
その声は、
弱っているのに、
やけにまっすぐで。
叶多は思わず息を呑んだ。
「何かあったら、すぐ言えよ。
遠慮すんな」
美桜は小さくうなずき、
玄関の扉を開けた。
その背中は、
どこか名残惜しそうで、
でも嬉しそうでもあった。
10年越しの距離が、
確実に縮まった。




