覚えていた名前
タクシーが病院に着くと、
叶多は美桜を抱き上げるようにして受付へ向かった。
熱は高い。
呼吸は浅い。
意識はほとんどない。
それでも——
さっき確かに、自分の名前を呼んだ。
「……かなた……?」
あのかすれた声が、
まだ耳の奥に残っている。
診察室へ運ばれていく美桜を見送り、
叶多は待合室の椅子に腰を下ろした。
落ち着かない。
胸がざわつく。
手が震える。
覚えていたのか?
俺のこと。
あの声は……意識があったのか?
答えは出ない。
ただ、胸の奥が熱い。
しばらくして、
看護師が声をかけてきた。
「点滴を始めました。
高熱と疲労ですね。
少し休めば落ち着くと思います」
安堵と同時に、
力が抜けそうになった。
「……会ってもいいですか」
「はい。ただ、まだ意識ははっきりしないと思います」
案内されたカーテンの向こう。
ベッドの上で、美桜は静かに眠っていた。
点滴の管。
薄い毛布。
赤くなった頬。
その全部が、
胸に刺さる。
椅子に座り、
そっと呼吸を合わせるように見つめていると——
美桜のまつげが、
かすかに震えた。
「……ん……」
ゆっくりと目が開く。
焦点が合わないまま、
ぼんやりと天井を見つめて——
次に、叶多の方へ視線が動いた。
「……え……?」
小さな声。
驚きとも、戸惑いともつかない。
叶多は息を呑む。
美桜の瞳が、
少しずつ焦点を結び始める。
そして——
彼の顔を見つめたまま、
もう一度、かすれた声で呟いた。
「……え……?
……生徒会……ちょ……?」
胸が、ぎゅっと締めつけられた。
高校時代。
同じクラス。
前に立っていた“生徒会長の叶多”。
美桜は、
ちゃんと覚えていた。
そして——
普段なら絶対に呼ばないはずの名前を、
熱に浮かされた声でぽつりと漏らした。
その違和感と、嬉しさと、信じられなさが、
叶多の胸を一気にかき乱した。
「……俺だよ、美桜。
叶多」
美桜の目が、
ほんの少しだけ大きく開いた。
驚きと、
安堵と、
混乱と——
全部が混ざった表情。
「……かなた……?」
今度は、
はっきりと。
胸の奥が、
どうしようもなく熱くなる。
「うん。俺だ」
その言葉に、
美桜は力なくまばたきをして、
またゆっくりと目を閉じた。
眠りに戻る直前、
かすかに唇が動いた。
「……よかった……
……ほんとに……」
その一言が、
叶多の心を完全に溶かした。
高校の頃の記憶も、
10年の距離も、
全部を越えて——
美桜は“叶多”を見つけてくれた。




