近くにいるのに
美桜が勤めている会社のフロアがわかったのは、
ほんの数日前だった。
秘書に頼めば、
ビルのテナント一覧も、
各階の企業情報もすぐに出てくる。
資料を受け取った瞬間、
胸の奥が熱くなった。
——本当に、同じビルにいるんだ。
それだけで、
世界が少し近くなった気がした。
けれど同時に、
胸の奥がきゅっと縮む。
いよいよだという気持ちと、
まだまだだという気持ちが、
同時に押し寄せてくる。
次期社長候補としての仕事は増え続け、
周囲の期待も責任も重くなる一方だ。
会議室を出るたび、
「これでいいのか」と自問する。
会食の席で落ち込んだ自分。
未熟さを痛感した自分。
奮い立たせた声は確かにあったのに、
美桜のこととなると、
どうしても慎重になる。
——会いたい。
その想いは、
忙しさの中でも薄れなかった。
同じビルにいる。
エレベーターひとつで行ける距離だ。
なのに、
その一歩が重い。
どう再会すべきか。
どんな顔をして会えばいいのか。
何を言えばいいのか。
考えれば考えるほど、
足がすくむ。
俺、こんなに臆病だったか。
思わず苦笑が漏れた。
10年かけて積み上げてきたものが、
今ようやく形になろうとしているのに。
それでも、
美桜の前では“完璧でいたい”と思ってしまう。
軽い気持ちで会いたくない。
勢いで行きたくない。
ちゃんと向き合いたい。
だからこそ、
一歩が出ない。
夜のオフィスでひとり、
窓に映る自分を見つめる。
すぐそこにいるのに。
同じビルにいるのに。
それでも、
勇気が追いつかない。
——会いたい。
でも、怖い。
その矛盾が胸の奥で渦を巻く。
それでも逃げるつもりはなかった。
叶多はゆっくりと息を吸い、
胸の奥の熱を確かめるように目を閉じた。
必ず会いに行く。
ただ、その一歩を間違えたくない。
決意はある。
あとは、勇気が追いつくのを待つだけだった。




