戻ってきてしまう場所
二人が店を出て、
もう姿がどこにもないのに、
彼はしばらく動けなかった。
胸の奥で膨れ上がった黒い熱が、
まだ静かに燃えている。
ようやく立ち上がり、
ホテルの外に出たときには、
夜風がひどく冷たく感じた。
追いかける理由なんてないはずなのに、
足は勝手に動いていた。
信号を渡り、
人混みを抜け、
街灯の下を通り過ぎる。
どこを探しても、
二人の姿は見つからない。
見失った。
それだけのことなのに、
胸の奥がひどく空っぽになった。
田島の軽い声が耳に残る。
「俺のために可愛くしてきてくれた?」
あの言葉が、
何度も何度も頭の中で反響する。
美桜の照れた笑顔が、
照明に照らされた横顔が、
焼き付いたまま離れない。
俺なら、あんな言い方しない。
俺なら、もっと大切にするのに。
その“もっと”の先を考えると、
胸の奥がざわりと揺れた。
気づけば、
見慣れたビルの前に立っていた。
自分の会社のビル。
昼間は人の出入りが絶えない場所なのに、
今は静まり返っている。
ここには田島がいる。
自分の部下として、
毎日顔を合わせる相手。
そして——
美桜が働く会社も、
このビルの別の階に入っている。
同じ建物の中に、
二人はいる。
その事実が、
胸の奥の黒い熱をさらに煽った。
戻ってきてしまった。
理由なんてないのに。
ただ、足が勝手にここへ向かった。
見上げたビルの窓は、
どれも暗い。
でも、
昼間の光景が脳裏に浮かぶ。
田島が歩く姿。
美桜が働く姿。
同じ建物の中で、
すれ違っているかもしれない二人。
胸の奥が、
じりじりと焼けるように痛む。
彼はビルを見上げたまま、
しばらく動けなかった。
行き場を失った黒い熱が、
静かに、確実に広がっていく。




