彼女のとなりにいる人
数日が過ぎても、
胸の奥のざわつきは消えなかった。
——水瀬美桜。
珍しい名字。
忘れようがない名字。
田島の軽い声が、
何度も頭の中で再生される。
「暇なときだけ会う感じっすね」
その言葉が、
彼の中の何かを静かに腐らせていく。
仕事中なのに、
資料を読んでいても、
会議に出ていても、
ふとした瞬間に田島の顔が浮かぶ。
そして、
その隣に“美桜”の名前が並ぶ。
耐えられなかった。
だから彼は、
“偶然を装って”田島の動きを見るようになった。
昼休み、
給湯室、
帰り際のロッカー前。
声をかけるわけじゃない。
ただ、
田島がどこへ向かうのか、
誰と話すのか、
どんな表情をしているのか。
知りたくて仕方なかった。
そんなある日の夕方。
営業フロアの端で、
田島が同僚に話している声が聞こえた。
「今日さ、美桜と会うんだよね。
残業終わりにビルのエントランスで待ち合わせ」
その瞬間、
彼の呼吸が止まった。
——エントランス。
——このビルの。
——残業終わり。
偶然だ。
偶然聞こえただけだ。
でも、
胸の奥で何かが静かに弾けた。
気づけば、
彼は帰り支度をしていた。
理由なんてない。
ただ、
“帰りたくなった”だけ。
エレベーターを降り、
ビルの外に出る。
夕暮れの風が頬を撫でる。
そして——
田島が向かった方向へ、
自然と足が向いていく。
後をつけるつもりなんてなかった。
そんなこと、
大人の男がするはずがない。
……はずなのに。
胸の奥に渦巻く感情が、
理性を静かに押し流していく。
もし本当にヤツと付き合っているなら、別れさせたい。
彼女の隣には、俺がいたい。
それ以外は考えられない。
その想いだけが、
彼の足を前へと進ませていた。




