帰る場所
彼女の姿がどこにもないと悟った瞬間、
胸ポケットの封筒が、
じわりと熱を持った気がした。
わかっていた。
来ないだろうと。
彼女はそういう子だった。
それでも、
ほんの少しだけ期待していた自分がいた。
そんな自分に気づいた途端、
会場のざわめきが急に遠く感じられた。
「会長、久しぶりじゃん!」
「仕事すごいんでしょ?テレビで見たよ」
軽い声が飛んでくる。
昔と同じ。
でも、彼の心はもうそこにいなかった。
「ねぇ、今どうしてるの?」
「彼女いないの?」
「忙しい男って魅力的だよね〜」
同級生の女子が、
妙に近い距離で絡んでくる。
笑顔は作れる。
会話もできる。
でも、胸の奥は冷めていた。
顔や地位に寄ってくる女は、
昔から嫌いだった。
10年で積み上げた自信がある。
陽キャを演じなくても、
自然と人が寄ってくるようになった。
だからこそ、
こういう“浅い好意”が余計に虚しく感じる。
「……悪い、ちょっと外の空気吸ってくる」
短くそう言って、
彼は会場を出た。
外に出ると、
夜風がひんやりと頬を撫でた。
胸ポケットの封筒が、
歩くたびに小さく揺れる。
——来てない。
やっぱり。
わかっていたのに、
落ち込む自分が情けなかった。
「……やっぱり帰るわ」
誰に向けたでもない声が、
夜の街に溶けていく。
そのまま歩き出し、
気づけば会社のビルの前に立っていた。
「……結局ここに戻ってくるのかよ」
苦笑しながら、
エントランスの自動ドアをくぐる。
仕事は忙しい。
責任も重い。
でも、
ここにいると落ち着く。
10年で積み上げたものが、
確かにここにあるから。
それでも——
胸ポケットの封筒だけは、
10年前のままの重さだった。




