第五八章 たなからぼたもち
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと台湾華語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
屋外では、雨が絶え間なく降り続いていた。
雨粒が窓枠を叩く音が、体育館の小会議室にある高窓から聞こえ、普段よりもひときわ大きく響いている。
安藤はカメラのレンズを拭きながら、隣に座っている谷口先輩を見た。
谷口は椅子に両脚を大きく開いて座り、スマートフォンを眺めている。
学校の敷地内が全面禁煙であるせいか、先ほどから落ち着かない様子で、しきりに貧乏ゆすりをしていた。
「先輩、話が違うじゃないですか」
安藤が言った。
「いいじゃないか。せっかくの機会なんだから」
今回、『野球郎』が阪海工野球部を取材する主な目的は、最近注目を集めている三年生投手、藤田迅真へのインタビューだった。
藤田を中心として周囲のチームメイトにも話を聞き、さらに現在阪海工で指導にあたっている片岡里子も取材する予定になっていた。
片岡里子は、中日ドラゴンズに所属する片岡和義選手の妹であり、自身もかつて女子プロ野球選手として活躍していた人物である。
本来は、そのような内容になるはずだった。
ところが、阪海工へ到着した谷口が、白井監督に最初に尋ねたことは――
「こちらの野球部に、『日空南極』という生徒がいますよね?」
というものだった。
その結果、取材は突然、日空南極へのインタビューから始まることになってしまった。
「谷口先輩、まさか最初から、このつもりだったんじゃないでしょうね?」
安藤は疑いの眼差しを向けた。
しかし谷口は気にした様子もなく、脚を揺らしながらスマートフォンを指で叩き、笑っている。
「まさか。戦術練習の途中に割り込んで、チームの邪魔をするのはよくないだろう? せっかく待ち時間ができたんだ。その間に有意義なことをするのは当然じゃないか。そう思うだろ、安藤?」
完全に屁理屈じゃないか。
安藤は露骨に不満そうな目で谷口を見た。
「また記事が没になって、私の仕事まで無駄になったら、先輩が損失分を補償してくださいね」
そう言って、指で金を要求する仕草を見せる。
「お前なあ。まだ仕事も始めていないのに、もう金の話か」
「先輩が予定どおりに動かないから、先に保険をかけてるんです」
谷口と安藤が言い争っていると、白井監督が日空南極を連れてきた。
意外なことに、その後ろには林友達もついてきている。
「白井監督、どうして記者の人が俺を取材したいんですか?」
体育館で取材のことを聞かされた南極は、わけがわからないという顔で尋ねた。
白井監督は頭を掻いた。
大勢の生徒がいる体育館で、南極の家庭事情を詳しく説明することには抵抗があるらしい。
少し言い方を変えて答えた。
「本来、こういった取材や撮影を受けるには、保護者の同意が必要です。ただ、南極の場合は事情が少し特殊で、こちらから直接お母さんへ連絡することができません。そのため、君の保護者である自衛隊の黒川さんへ連絡しました。黒川さんからは――」
南極自身に決めさせてください。本人が同意するなら、こちらも同意します。
そう返事を受けていた。
「えっ、黒川兄さんが、俺に決めろって言ったんですか?」
白井から聞かされた南極は、急に悩み始めた。
その答えは、黒川兄さんらしくないように思えた。
むしろ、彼の母親――日空博士が言いそうなことだった。
もしかすると、母親が黒川兄さんへ、南極自身に考えさせるよう念を押していたのではないか。
黒川兄さんが代わりに決めてはいけないと、あらかじめ言われていたのかもしれない。
南極は珍しく、難しい表情を浮かべた。
そのとき、自分が呼び止められたため、隣で一緒に立ち止まっていた友達の姿が目に入る。
南極は突然、一つの考えを思いついた。
「監督、もし俺が取材を受けるなら、誰かに一緒についてきてもらってもいいですか?」
それが、林友達まで一緒に来た理由だった。
友達には、まったく意味がわからなかった。
会議室へ向かう途中、南極に文句を言う。
「何で俺まで一緒に行かなきゃならないんだよ! 向こうが取材したいのは俺じゃないだろ」
「友達が一緒なら、俺もあまり緊張しないから」
「日空、それ絶対に嘘だろ」
友達は南極の顔を見ながら言った。
「嘘じゃないよ。俺、本当に、本当に、本当に緊張してるんだ。友達、一緒に来てよ」
「お前なあ。言えば言うほど、わざとらしくなってるぞ……」
「ほら、いつまでも話していないで」
白井監督が振り返り、言い争っている二人を注意した。
「記者の前では、余計なことを言わないように。特に南極、君は気をつけなさい」
白井は、友達よりも南極の発言を心配していた。
南極の頼みを聞き、友達の同行を認めた理由もそこにある。
南極は意外にも、指導者である自分たちの言葉より、林友達の言うことのほうを素直に聞くからだ。
その具体的な理由については、おそらく、この年頃の高校生によくあることなのだろう。
教師や親よりも、友人の言葉のほうが大きな影響力を持つ。
幸い、友達は以前から、比較的安心して見ていられる生徒だった。
会議室へ到着すると、安藤は初めて日空南極を間近で見た。
身長百九十二センチ。体重は百キロ近くある。
背が高く、がっしりとした南極の姿に、その場で唯一の女性だった安藤は少し圧倒された。
高校球児というよりも、柔道や相撲の選手に見える。
あるいは、すでにプロ野球で活躍している選手のような体格だった。
こんな高校生を初めて見たら、谷口先輩もさすがに驚くだろう。
安藤はそう思い、隣へ目を向けた。
しかし谷口は呆気に取られるどころか、満足そうな笑みを浮かべていた。
目の前に現れた大柄な高校球児を見ながら、さっそく口を開く。
「いやあ、大したものだ。資料で日空選手が大きな身体をしていることは知っていたが、実際に会ってみると想像以上だな。実にいい」
「ありがとうございます。あの……」
「ああ、私は谷口。『野球郎』で大阪地区を担当している高校野球の編集記者だ。こちらはカメラマンの安藤さん。今日は三年生たちに話を聞く前に、二年生の選手にも簡単な取材をしたいと思ってね。それで、誰か一人、二年生の代表をお願いできないかと考えたんだ。よろしく頼むよ」
「ああ、そういうことだったんですね。谷口さん」
南極は笑顔で答えた。
さすが谷口先輩だ。
最初から日空南極を目当てに来たくせに、今はあくまで、二年生の中から代表を一人選んだだけのように見せかけている。
そのほうが、取材を受ける生徒の警戒心を自然に解くことができる。
日空南極のように特殊な背景を持つ子供なら、取材に対して人一倍敏感になっていても不思議ではない。
安藤はカメラを構えた。
谷口のインタビューが終わり、改めて撮影の許可を確認したあと、すぐに何枚かいい写真を撮るつもりだった。
そのとき、大柄な日空南極のそばにいる、もう一人の小柄な生徒が目に入る。
林友達だった。
自分と同じくらいの身長の野球選手もいるんだ。
身長百六十センチほどの安藤は、自分よりわずかに背が高いだけの友達を、興味深そうに眺めた。
あの身長と体格で野球を続けるのは、きっと大変だろう。
やはり、こういう選手がいるのは公立校だからなのだろうか。
私立の強豪校なら、たとえ技術があったとしても、あの身長と身体つきでは、先発メンバーに選ばれることなどないのではないか。
そんなことを考えているうちに、安藤は無意識に友達へカメラを向け、一枚シャッターを切っていた。
撮影した写真をカメラの画面で確認する。
そこで安藤は、どこか気になるものを感じた。
ずいぶん彫りの深い顔立ちをしている。
沖縄の子なのかな?
安藤は撮影した友達の顔を拡大しながら、そう考えた。
「それでは、始めようか。安心してくれ。緊張する必要はないよ。簡単に話をするだけだから」
谷口が南極へのインタビューを始めようとした、そのときだった。
「あっ、すみません、谷口さん。俺、今日は取材を断るために来たんです」
南極が突然、そう言った。
「えっ?」
「えっ?」
「えっ? 南極!」
谷口だけでなく、安藤も友達も、そして白井監督まで呆気に取られた。
白井は思わず、南極の名前を呼ぶ。
「簡単に話をするだけだよ、日空南極。怖がらなくても大丈夫だ」
谷口が付け加えた。
「違います。怖いわけじゃないんです。ただ、谷口さんはさっき、阪海工の二年生を代表する選手に話を聞きたいって言いましたよね?」
南極は説明した。
「でも、俺はみんなを代表できるほどの選手じゃないと思うんです。今はまだ、そんなにいい結果も出せていませんから。あっ! でも今だけです。今のところだけですからね」
「日空! 君は何を言っているんですか」
白井は南極の言葉を聞き、眉をひそめた。
「あっ、監督。断るなら、本人に直接言ったほうが礼儀正しいと思ったんです」
「これは礼儀正しいかどうかの問題ではありません」
谷口にとっても、これは久しぶりの経験だった。
一般的な高校球児は、取材を受けることを喜ぶ者が多い。
『野球郎』のように、何十年も正統派の高校野球報道を続けてきた媒体へ掲載されることは、将来プロ球団へ進むにしても、一般社会へ出るにしても、本人にとって好ましい経歴や印象につながるからだ。
高校生から面と向かって取材を断られたのは、いつ以来だろう。
日空南極という高校球児は、見た目に反して、意外なほど自分の考えをしっかり持っているらしい。
その姿を見て、谷口は資料を調べていたときに見つけた映像を思い出した。
南極の母親である日空博士が、数人の日本人女性極地研究者とともに、欧米のメディアからインタビューを受けている映像だった。
その番組で日空博士は、なぜ長年南極に滞在し続けているのかを説明していた。
さまざまな研究分野の専門家たちと南極各地で会い、共同研究を行っていること。
さらに、なぜ彼女が各国の南極基地へ比較的自由に出入りできる、高度な権限を持っているのかについても語っていた。
「そういえば、日空博士。あなたはご自身の息子さんについて、あまりお話しになりませんね。彼には、ご自分の仕事について話したことがありますか?」
司会を務めていた、スーツ姿の黒人女性が尋ねた。
突然、子供のことを聞かれた日空博士は、眼鏡を少し外してレンズを拭いた。
そして、穏やかな口調で答えた。
「野球のことしか頭にない未成年の男子に、私の研究について話したところで、何の役にも立たないでしょう?」
あまりにも率直な答えだった。
日空南極と自分の南極研究には、まったく関係がないとはっきり切り分けている。
司会者だけでなく、会場の観客たちも一瞬、言葉を失った。
このまま空気が冷え切ってしまうのではないか。
誰もがそう思った直後、日空博士はユーモアを交えて付け加えた。
「それに、息子の頭の中は、南極のことより、野球とペンギンでいっぱいですから」
「息子さんはペンギンがお好きなんですか?」
司会者が尋ねた。
「ええ。幼い頃には、自分はペンギンの卵から生まれたのかと、私に尋ねたこともあります」
日空博士が答えると、番組の空気はたちまち和らいだ。
資料としてその映像を見た谷口にとって、強く印象に残る場面だった。
「それなら、日空南極」
谷口は目の前の南極へ尋ねた。
「君が二年生の中で、最も代表にふさわしいと思う野球部員を連れてきてくれないか? 君が誰を選ぶのか、私も興味がある」
えっ! 谷口先輩、それは高校生には難しすぎるでしょう!
安藤は心の中で声を上げた。
しかも、すぐそばには野球部の監督がいる。
普通なら、誰を取材するかは指導者へ相談して決めるべきだ。
それを一人の生徒に、二年生を最も代表できる人物は誰かと判断させるなど、無茶ではないか。
安藤が心の中で必死に訴えていると、目の前の日空南極が笑った。
そして、ずっと隣で静かに立っていた小柄な男子生徒の背中を押し、谷口の前へ出す。
南極は真剣な表情で言った。
「こいつは林友達です。二年生の代表なら、友達が一番ふさわしいと思います」
「お、おい、日空! 俺が? 何の代表だよ! ふざけるな!」
「ふざけてないよ。俺より友達のほうが、二年生を代表するのにふさわしいだろ」
「適当なことを言うな! 俺がみんなの代表になれるわけないだろ!」
また南極が、場もわきまえずに自分をからかっている。
友達には、そうとしか思えなかった。
南極と同じように、友達も自分が二年生全員を代表できる人間だとは思っていない。
今の自分は、投手としての居場所を確保できるかどうかさえ、まだわからないのだ。
しかも阪海工野球部には、個性的なチームメイトが大勢いる。その中には、生まれながらに隊長としての資質を備えている者も、きっといるはずだった。
たとえば――。
「記者が探してるのは日空だろ。俺に押しつけるなよ」
友達は南極に言った。
「ええ、嫌だよ。こういう場なら、どう考えても友達のほうが向いてるだろ」
南極はそう言うと、再び自分の後ろへ隠れようとした友達を引っ張り出した。
二人の高校球児が目の前で揉めている姿を見て、安藤は意外にも、かわいらしい場面だと思った。
一方、谷口は、すぐそばに立っていながら二人を止めようとせず、部員たちが騒ぐままにしている白井監督へ目を向けた。
その態度から、谷口はすぐに白井の考えを理解した。
この監督は、生徒が取材を受けることに、まるで関心がないらしい。
適当に俺たちをあしらえるなら、生徒たちがまともに受け答えをしなくても構わないと思っている。
確か、白井修吾という名前だったな。
谷口は頭の中にある情報を素早く探った。
やがて心の中で、なるほど、と声を漏らす。
この白井という監督が、野球メディアの取材にまったく興味を示さない理由が、何となくわかった。
PL学園の出身なら、記者や報道を嫌っていても無理はない。
谷口はそう考えた。
今後も阪海工と関係を作るつもりなら、もう一人の女性指導者を窓口にしたほうがよさそうだ。
しかし今は、日空南極が突然、自分の前へ押し出してきた小柄な選手に興味が湧いていた。
南極の隣に立つと、二人の身長と体格にはあまりにも大きな差がある。
それだけではない。
林友達という少年の顔立ちは、この土地で生まれ育った者のようには見えなかった。
しかし、阪海工のような地方の公立校で、野球留学の選手を受け入れることなど、まずあり得ない。
それなら、日空が取材を断るために、たまたま付き添ってきた選手を適当に差し出しただけなのか。
それとも、この林友達という少年は――
本当に阪海工の二年生を代表するような選手なのか。
谷口は、少し面白くなってきた。
三年生への正式な取材が始まる前に、まず日空南極について探ってみたい。
そして、この林友達についても。
「それは面白いな」
谷口は笑みを浮かべた。
その笑顔を見た白井は、何かを警戒するように谷口へ視線を向ける。
谷口は白井の反応に気づき、片手を上げた。
「ああ、安心してください。別に妙な意味はありませんよ。そんなに警戒しないでください、白井監督」
谷口は続けた。
「私はただ、どうして日空南極が、この林友達という選手なら二年生を代表できると考えたのか、その理由が気になっただけです。とても興味深いと思いましてね」
「友達はすごいんだよ」
南極は友達を逃がさないように、両腕でしっかりと捕まえた。
そのまま谷口へ説明する。
「俺は最初、野球のルールを何も知らなかったんだ。球種のことも、投手と捕手の連携も、走塁のことも。そういうのを全部、友達が短い間に教えてくれたんだよ」
「ほう?」
谷口は、南極に捕まえられている小柄な選手へ目を向けた。
「それは確かに気になるな。君は、どうやって日空選手に野球を教えたんだい?」
友達は南極の腕から抜け出した。
目の前にいる谷口は、顎に少し無精髭が生え、髪も乱れている中年男性だった。
白井は取材をここで打ち切ろうとしたが、それより先に友達が口を開いた。
「俺が日空に何かを教え込んだわけではありません。前監督の高橋先生から、日空に野球のルールを説明してほしいと頼まれただけです。覚えたのは、日空自身です」
「日空選手は、時速百五十キロを超える球を投げられると聞いた。それは本当かな?」
谷口が尋ねた。
現在、阪海工で最も注目されているのは、藤田迅真が投げる、魔球じみた時速百五十キロの内角高速スライダーだった。
「魔球じみた」とまで呼ばれるのは、そのスライダーがメジャーリーグの投手にも匹敵するほどの速度と威力を持っているからだ。
いつでも投げられる球ではない。
それでも、あのようなスライダーを投げられる高校生は、日本全国を探しても、ほとんど存在しなかった。
しかし谷口が日空南極に興味を持った理由は、そこにある。
勝負どころで、ときおり高校生離れした内角スライダーを投げる藤田迅真。
それに対して、日空南極は時速百五十キロを超えるストレートを、安定して投げられる可能性がある。
もし噂が事実なら、日空南極は将来、阪海工が数々の野球強豪校を越えるための存在になるかもしれない。
「はい。日空は確かに、時速百五十キロの速球を投げられます」
友達の答えが、谷口の聞いた情報を裏づけた。
「ただ、ボール球がものすごく多いですけど」
「それはわざわざ言わなくていいだろ!」
自分がボール球ばかり投げることを話され、南極はすぐに抗議した。
友達は、うるさいやつだと思った。
ボール球のことを他人に言われたくないなら、きちんと直せばいい。
自分に文句を言うのは筋違いである。
「それでは、林友達君。一つ聞いてもいいかな」
谷口が尋ねた。
「日空選手がボール球を多く投げるとわかったのは、彼の投球を見ていたからかい?」
谷口は二人が持っている野球用グラブを見て、林友達も南極と同じく、投手を目指している選手だと判断していた。
おそらく二人は、同じ投手の座を争うライバルなのだろう。
だが、競争の結果は火を見るより明らかだった。
二人の体格を比べるだけでもわかる。
さらに谷口は、長年にわたり、さまざまな野球選手の資料を見てきた。
林友達という小柄な投手が、大柄な日空南極と投手の座を争っても、勝ち目はほとんどない。
阪海工が友達に南極の指導を任せたのも、指導者たちがそのことを理解しているからなのかもしれない。
谷口がそう考えていると、友達は予想とはまったく異なる答えを返した。
「いいえ。俺は日空の球を受けています」
「えっ?」
谷口は思わず声を上げた。
「いや、その……ええっ? あっ、失礼……」
完全に予想外の答えだった。
その場にいた全員が、不思議そうな目で谷口を見る。
谷口はごまかすようにお茶を一口飲み、それから改めて友達へ尋ねた。
「君が、日空南極の球を受けているのか?」
「はい。最初はあの球速に慣れていなくて、捕るのが難しかったです。それに、ボール球になることも多かったので」
友達は答えた。
「でも慣れてくると、日空の投球フォームを見れば、球がどのあたりへ来るか、だいたいわかるようになりました。日空が何をしようとしているのかも、何となくわかります。日空は、格好いい投げ方を見るとすぐに真似を始めるから……」
「それも言わなくていいだろ!」
南極は顔を赤くし、友達がそれ以上話すのを止めた。
「そ、その、すまない。少し混乱してきた」
谷口はもう一度、友達のグラブを確認する。
「念のために聞くが、林友達選手。君のポジションは……投手なんだよね?」
友達はあっさりと頷いた。
「はい。俺は投手です。ただ、まだチームの投手としては認められていません」
「そうなのか……」
谷口は友達を見つめた。
「そういえば、少し失礼な質問かもしれないが、先ほどから君の話し方が気になっていたんだ。林友達選手は、日本のどこの出身なのかな?」
「ああ、俺は台湾人です」
友達が答えた。
「台湾……えっ、外国人なの?」
それまで黙っていた安藤が、驚いて声を上げた。
「そう言われてみれば、確かに東南アジア系の雰囲気があるかも。あっ、ごめん、ごめん。あまりに意外だったから。公立高校にも、日本人ではない生徒が通っているんだね。移民として来たの? それとも、ご両親が外国人なの?」
「えっ……あ、あの、俺は……」
「安藤! 言葉に気をつけろ」
谷口が声を強めた。
叱るような口調だった。
そこで安藤は、ようやく自分が失言したことに気づいた。
未成年の生徒に対し、家族や個人的な事情をその場で詳しく聞くべきではなかった。
安藤はすぐに頭を下げる。
「大変申し訳ありません。少し驚いて、つい興奮してしまいました」
「谷口さん。取材が終わったのでしたら、二年生の選手たちを練習へ戻したいのですが」
白井監督が言った。
谷口と安藤を睨むように見ている。
安藤の失言だけでなく、友達の国籍を尋ねた谷口の質問にも、不快感を抱いたらしい。
これ以上続ければ、白井に悪い印象を残してしまう。
そう感じた谷口は、慌てて謝罪した。
「申し訳ありません。今後はさらに注意します。ですが最後に、二年生の二人へ、もう一問だけ質問させてもらえませんか?」
コン、コンコン。
そのとき、扉を叩く音がした。
「失礼します」
声とともに扉が開く。
入ってきたのは、藤田迅真をはじめとする野球部の三年生たちと、女性指導者の片岡里子だった。
片岡は笑顔を浮かべていたが、その目はまったく笑っていない。
「『野球郎』のお二人、お待たせして申し訳ありません。阪海工野球部でコーチを務めております、片岡です。ただいまから、正式な取材を始めていただけます」
友達? 南極?
会議室の中に林友達と日空南極がいることに気づき、藤田は疑問を覚えた。
その直後、誰かに尻を軽く叩かれる。
藤田の相棒である捕手、佐久間だった。
佐久間は藤田の耳元へ顔を近づけ、小声で言う。
「友達たちがどうしてここにいるのか、気になるのはわかる。でも今は、きちんと取材を受けることに集中しろ。余計なことを考えるなよ、迅真」
「うん、わかってる」
藤田は答えた。
三年生たちが入ってきたことで、友達と南極はすぐに帽子を脱ぎ、習慣どおりに挨拶をする。
藤田が二人へ軽く頷いてみせると、白井監督は友達と南極を連れて、会議室を出ていった。
こうして、『潜入!野球郎ジャーナル』による本来の阪海工取材が正式に始まった。
まったく、見事なタイミングだ。
まさか、わざと狙って入ってきたのか?
谷口は片岡里子へ目を向けた。
しかし片岡は、三年生の選手たちに一人ずつ自己紹介をさせ、谷口たちの意識をそちらへ向けようとする。
その一方で片岡は、白井の対応に感心していた。
記者や取材をあれほど嫌っているにもかかわらず、自分の方針にはきちんと協力した。
そのうえ、取材者が自分から失言するまで待ち、そこですかさず腹を立てたふりをして、選手たちを連れ出してしまったのだ。
「すみません、谷口先輩」
安藤が申し訳なさそうに、小声で謝った。
「もういい、もういい。二年生は、もともと今日の取材の中心じゃなかったんだ。今度は三年生への取材なんだから、あまり先走るなよ」
連れ出されてしまったものは仕方がない。
谷口は心の中でため息をついたが、表面上は何事もなかったように振る舞った。
そして、記者らしい口調で取材を始める。
「藤田選手の内角高速スライダーは、現在さらに精度が上がっているそうですね。以前には時速百五十キロに達し、メジャーリーグ級の威力があるとも言われましたが……」
「はい。では、内角スライダーについて少し説明します」
藤田は、最初からこの質問を予想していたようだった。
「僕の内角スライダーは、球の曲がり幅そのものは、それほど大きくありません。打者の手元で遅く変化する球です。ただ、状態がよく、最後まで体力を維持できているときでなければ、理想どおりには投げられません。普段の球速は、速くても時速百四十二キロ前後です」
これは、藤田、佐久間、片岡の三人が事前に相談し、決めていた説明だった。
取材記事では、自分たちのチームを宣伝する必要がある。
しかし状況によっては、藤田の決め球を実際よりも脅威の少ないものに見せ、対戦相手へ情報を与えすぎない工夫も必要だった。
当時、多くの関係者が藤田に注目した最大の理由は、メジャーリーグ級とも評された、この内角高速スライダーにある。
片岡が、自分たちのエースの手の内を、ほかの学校へ簡単に明かすはずがなかった。
日空南極や岩崎隼人といった、二年生と一年生の特殊な投手たちについても、今はまだ隠しておく必要がある。
試合の重要な局面で、初めて力を発揮させるためだ。
それまでは宇治川や村瀬のような中堅クラスの投手へ注目を向けておけば、相手校の意識をうまくそらすこともできるだろう。
「君たち二人、さっきの態度は礼儀に欠けていましたよ」
体育館へ戻る廊下で、白井監督が二人を叱った。
「申し訳ありませんでした、白井監督……」
友達と南極は、声をそろえて謝った。
ひと通り注意したあと、白井は少し口調を和らげる。
「ただし、将来本当に甲子園へ出場して、記者から取材を受けることになったときのためには、いい練習になったかもしれません。少なくとも、君たちは二人とも、記者を前にして物怖じはしないようですから」
「本当ですか?」
白井に褒められたと思い、南極は笑顔になった。
「日空、私は経験になったと言っただけです。君の受け答えがよかったとは言っていません」
白井はすぐに釘を刺した。
「それから友達。申し訳ありませんでした。一部の日本人は、外国人が日本にいるということに対して、妙に敏感になることがあります」
白井は友達の肩を軽く掴んだ。
「先ほどの質問で、不快な気持ちになっていなければよいのですが」
「不快な気持ち? あの野球記者たちの質問なら、俺は別に気にしてませんけど」
友達は答えた。
なぜ白井監督が、先ほど二人の取材者から言われたことを、そこまで気にしているのかわからなかった。
「そうですか……君が気にしていないのなら、それでいいのですが」
台湾から来た友達にとって、自分が移民なのか、両親が外国人なのかと尋ねられることは、それほど失礼な質問ではなかった。
自分は移民ではない。
母親は台湾人で、自分はある事情があって日本の学校へ通うことになった。
友達にとって、それらは特別に隠さなければならない私事ではない。
事実なのだから、普通に答えればいいだけだった。
台湾人を東南アジア系と表現されたことも、特に気にしていない。
せいぜい、相手は台湾人の中にも、河洛系、閩南系、客家、先住民族など、さまざまな背景を持つ人々がいることを、あまり知らないのだろうと思う程度だった。
それでも、自分が台湾人だと理解してもらえたのなら、友達にとっては、それほど悪いことではない。
少なくとも、「チャイニーズ・タイペイ」などという妙な名前で呼ばれるよりは、ずっといい。
友達は台北ではなく、台東の人間なのだから。
「あっ、監督。雨がやみました」
体育館へ続く連絡通路を歩いていた南極が、外を見ながら言った。
その言葉を聞き、白井監督も窓の外へ目を向ける。
確かに、先ほどまで絶え間なく降り続いていた雨は、もう見えない。窓や屋根を叩いていた雨音も聞こえなくなっていた。
コーラス部の生徒たちが、帰宅するために自転車の準備を始めている。
厚い雨雲が少しずつ切れ、その隙間からは、水彩絵の具をにじませたような淡い水色の空が覗き始めていた。
「日空、友達。体育館へ戻ったら、みんなに伝えてください。体力強化メニューは、あと二十分で切り上げて退館すること。時間を過ぎても、野球部員が体育館に残っていることのないように」
白井は続けた。
「それから寮へ戻ったら、岩崎に大浴場の掃除の仕方を教えてあげてください。前回は、きちんと洗えていなかったと寮長から注意されましたから」
「はい!」
友達と南極は返事をすると、足早に体育館へ向かった。
二人の後ろ姿を見送りながら、白井は自分が迷っていることを認めざるを得なかった。
夏の大会へ向けたメンバー発表を先延ばしにしていることも。
片岡コーチとともに友達を投手陣から外し、別のポジションへ転向させる可能性があると、本人に告げられずにいることも。
二年生の捕手。
投手として強い情熱を持つ生徒に、その話を切り出すことは難しかった。
林友達が知れば、大きな衝撃を受けるだろう。
これまで投手になるために続けてきた練習を否定され、別のポジションで一からやり直せと言われるようなものだからだ。
三年生の選手たちと向き合っている片岡も、今の自分と同じような葛藤を抱えているのだろうか。
「それでは、以上となります。本日は阪海工野球部の皆さん、ありがとうございました」
谷口が言った。
その直後、選手たちから整然とした声が返ってくる。
「お疲れさまでした!」
安藤はすぐに三年生部員と指導者たちを並ばせ、集合写真の撮影を始めた。
続いて、三年生一人ひとりの個人写真も撮影する。
最初は当然、最も注目を集めているエース投手であり、主将でもある藤田迅真だった。
ただでさえ強面の藤田は、一人でカメラの前に立つと、普段以上に恐ろしい顔になった。
まるで死刑囚の記録写真を撮っているみたい。
安藤は苦笑した。
藤田にもう少し力を抜き、眉間に皺を寄せず、顔のパーツを中央へ集めないよう何度も頼むしかなかった。
ほかの三年生たちも緊張してはいたが、藤田に比べればずっと撮影しやすい。
特に中西という選手は、かわいい顔でも、格好いい顔でもない。
しかし写真の中には、この年頃の少年らしい青春の雰囲気が、自然に表れていた。
「すみません。少しよろしいですか?」
撮影を終えた佐久間と藤田は、体育館の隅で休憩しながら話をしていた。
そこへ、先ほど二人を取材した谷口が突然現れ、会話に加わった。
藤田と佐久間が、構わないというように頷く。
谷口は笑顔で尋ねた。
「三年生のお二人に、少し意見を聞きたいことがありましてね。それは――」
阪海工の後輩の中に、特に気になっている選手はいますか?
谷口の質問は巧妙だった。
一見すると、三年生との何気ない雑談にすぎない。
しかし実際には、先ほど聞いた話を確かめようとしていた。
林友達を二年生の代表にふさわしいと言ったのは、日空南極個人の意見である。
ほかの部員たちも、同じように考えているのだろうか。
谷口は、その点に興味を持っていた。
「二年生の中で、ですか?」
藤田は少し考え、佐久間を見た。
佐久間は谷口の質問に、それほど関心を持っていないようだった。
「すみません。僕は普段、藤田と一緒に練習していることが多いので、特に考えたことはありません」
「そうですか。それでは、現在の阪海工のエースである藤田選手は、どのように考えていますか?」
谷口が尋ねた。
「日空南極だと思います」
藤田は答えた。
「日空は一年生の頃から、時速百四十キロを超えるボールを投げていました。まだ安定してはいませんが、時速百五十キロを出すことにも、ほとんど力を必要としていないように見える。今見ても、驚くような存在です」
「日空南極ですか」
谷口は答えた。
その数秒後、藤田は何かを思い出したように、再び口を開く。
「でも、南極よりも……やっぱり、僕は……」
少し言いよどんでから、藤田は続けた。
「『林友達』という人間のほうが、気になるかもしれません」
その名前が出た瞬間、佐久間は藤田へ視線を向けた。
谷口も意外そうに目を見開く。
表情には、隠し切れない笑みが浮かんでいた。
まさに、自分が聞きたかった名前だったからだ。
しかし藤田迅真は、二人の表情が変化したことにまったく気づかず、話を続ける。
「なぜかわかりませんが、友達には入部した頃から、人を引きつけるようなものがありました。投手としても――いや、投手としての友達は、確かに僕の好きなタイプなんですけど。でも、あのときに目が離せなくなったのは、やっぱり……」
日空南極が投げた、大きく外れるボールを全力で受け止めたときだった。
友達は南極の投球に腹を立てながらも、きちんと改善点を伝えていた。
「自分の球も、あんなふうに全力で受け止めてもらえたら、いいだろうなって……あっ、痛い!」
藤田が突然声を上げた。
「えっ、佐久間? 佐久間、どうして行くんだ? おい! 待って、待って! あっ、すみません……」
藤田は、先に立ち去ってしまった捕手の佐久間圭一を慌てて追いかけていった。
まったく、大した浮気発言だな。
谷口は二人の背中を眺めながら、藤田が話した内容について考えた。
自分に捕手としての資質があることに、まだ気づいていない小柄な投手。
いや、待て。
あれほど小さな身体では、捕手だと言われても、すぐには結びつかない。
投手以上に、捕手は大柄な選手が務めることの多いポジションである。
本塁へ突入してくる走者や、投手の速球が生み出す衝撃に耐えられる身体が必要だからだ。
しかし林友達は、自分自身の証言だけでなく、ほかの選手たちの話からも、超高速球を受け止められる投手であることが確認できた。
そんな投手――いや、捕手というべきか。
南極研究者の息子。
メジャーリーグ級の魔球。
名門校の看板を背負った強者。
それらと比べても、林友達という選手には、さらに強い物語性があるように思えた。
谷口の頭の中に、一つの光景が浮かぶ。
小柄な台湾出身の選手が捕手防具を身につけ、日本高校野球の最高舞台である甲子園に立っている。
夏の日差しの下、その身体を包む捕手防具が眩しく輝いている。
そんな型破りな選手の物語が、谷口の頭の中を激しく駆け巡っていた。
雨のあとに増水した川のように、次々と押し寄せる考えを抑えることができない。
「全員十八歳で、法律上はもう成人なんですけど、やっぱり学生選手はプロ野球選手よりずっとかわいいですね。こちらの指示にも素直に従ってくれるし、ポーズや姿勢の調整を頼んでも、あれこれ文句を言いませんから」
仕事を終えた帰りの車内で、安藤はそう話した。
カメラの画面を操作しながら、撮影した阪海工野球部員たちの写真を一枚ずつ確認していく。
その中に、二年生の林友達と日空南極を撮影した写真もあった。
「谷口先輩。さっきは、私が余計なことを言ったせいで、二年生への取材を中断させてしまって、すみませんでした」
自分の失敗を思い出した安藤は、申し訳なさそうに謝った。
運転席の谷口は前を見たまま答える。
「気にするな。白井という男性監督は、最初から俺たちが来ることを、あまり歓迎していなかったように見えた。取材中も、ずっと話を切り上げる機会を探していた。お前の失言は、ちょうどいい口実にされただけだよ」
「えっ? 確かに私の質問は失礼でしたけど、あそこまで警戒する必要があるんでしょうか?」
「安藤、物事は突然ああなるわけじゃない。白井という監督には、俺たちのようなメディアへ好意を持てない何かしらの理由があるはずだ」
谷口は言った。
「具体的な理由までは、俺たちにはわからない。ただ、もう一人の女性コーチは、生徒たちへの取材を認めてくれている。それがわかっただけでも、今回は失敗ではないよ」
「そうですか。でも、やっぱり先輩にはきちんと謝りたいです」
安藤は申し訳なさそうな声で続けた。
「お詫びに、スターバックスのコーヒーを一杯ご馳走します」
「お前、一杯のコーヒーだけで俺を納得させるつもりか?」
谷口がすぐに突っ込んだ。
今回の取材は、何一つ谷口の思い描いたとおりには進まなかった。
しかし思いがけず、阪海工から面白いものを掘り出せたような気がしている。
南極の子と、台湾の子。
二人の少年が、日本の大阪で組む異国のコンビ。
日本でも屈指の熱狂的な野球文化を持つ大阪を舞台にするなら、これほど貴重な題材もない。
もちろん、今はまだ焦るべき段階ではなかった。
すべては、谷口の頭の中にある構想にすぎない。
あと一年。
一年だけ待てばいい。
二人が本当に注目を集める選手になる前に、資料と題材を十分に集めておく。
そのうえで、世間を驚かせる特集記事を書けばいい。
もちろん一年後になっても、日空南極と林友達には何も起こらず、一般的な公立高校の選手として終わる可能性もある。
それでも谷口は、二人に賭けてみることを決めた。
それこそが、高校野球の本質にふさわしいと感じたからだ。
青春。
熱血。
そして、不確実性。
そういえば、もう一つ問題があった。
谷口がそう考えたとき、スマートフォンからメッセージの通知音が聞こえた。
高校野球を中心に活動している配信者、「吉田珈琲」から届いたメッセージだった。
内容の大半は、阪海工への取材がどうだったのかを尋ねるものだった。
現在、阪海工という一本の細い線を何度も手繰り寄せ、追い続けているのは、おそらく谷口と吉田の二人くらいしかいない。
もちろん、ほかにも阪海工へ注目している者はいる。
しかし、その関心は三年生投手の藤田迅真に集中していた。
そろそろ、情報を交換するべきかもしれない。
谷口はそう考えた。
コンビニの近くにある喫煙所へ立ち寄り、煙草を吸いながら吉田のメッセージに返信する。
やはり吉田の関心は、日空南極だけに向けられていた。
新しい情報も、まだ何もつかんでいないらしい。
そこで谷口は、吉田に新たな方向を示すことにした。
既存メディアの枠に縛られていない配信者だからこそ、自分では見つけられない新しい情報や視点を持ってきてくれるかもしれない。
おい、吉田……。
阪海工野球部にいる、あの小柄な投手――
「林友達」を知っているか?




