第五三章 男子生徒であること
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
高校野球、女子は禁止。
女性は「選手」として、高校野球の公式戦のグラウンドに立つことができない。
これは、日本の不文律などではなく、条文によって明確に禁止されている事項だ。日本高等学校野球連盟が定める『大会参加者資格規程』には、選手資格を「男子生徒」に限定することが明記されている。
「加盟校に在学する男子生徒であること。」戦争終結後の昭和21年(1946年)以降、この規定が加えられ、現在の高野連の野球大会参加資格に盛り込まれた。以後、高校野球の試合に出場できるのは男子だけとなり、女子が試合のグラウンドに立つことは禁止された。
この条文が確立されたことで、もともと女子の少なかった野球は、完全に「男子のスポーツ」という伝統へと変わった。相撲と同じように、実際の条文に裏づけられた「鉄則」となり、今日まで受け継がれている。だが皮肉なことに、同じ時期、日本の一般教育では高校の男女共学化が進められていた。日本の教育が男女平等を実現しようとしていた一方で、高野連はこのとき、女子を高校野球のグラウンドから締め出すことを選んだのだ。
「とにかく、うちの野球部は女子選手を募集していない」
二年生の柴門玉里を帰らせたあと、片岡コーチは目の前にいる一年生の長川誠にそう言った。
一方、そばにいた白井コーチは、目の前の生徒が男子ではなく女子だという事実に、まだ頭が追いついていなかった。長川誠は、「誠」という名前が特に中性的であるだけでなく、身長から仕草、顔立ち、髪型に至るまで、今どきの令和の男子生徒と何ひとつ変わらない。阪海工はかつて不良の多い男子校だったため、制服の着用基準に関する校則は、実のところかなり緩い。女子生徒を受け入れている今も、女子がスカートとスラックスを自由に選べるよう、学校は制服の着方について細かな禁止事項を設けていない。基本的には、服の裾をきちんとしまって着てさえいれば合格だった。
そのため、女装している男子の柴門も、男装している女子の長川も、校則には違反していない。しかし運動部は別だ。なかでも野球部では、女子が男子に扮して入部してくるなど、ほとんど誰も想定していなかった。
眉を太く描き、髪を短く切り、顔には絆創膏まで貼った長川誠は、わざわざ整髪料を使って髪をオールバックにしていた。もともと胸の膨らみも目立たず、野球選手らしい下半身の幅広さも相まって、普通の人が長川の性別を見分けるのは確かに難しかった。
だが、片岡コーチは普通の人ではない。彼女は学生時代から女子野球部に所属してきた女性だ。長川誠という新入生が現れたとき、彼女はすぐに少しばかり疑いを抱いた。そして、自分の見立てが正しいかどうかを確かめるため、女装を得意とする柴門にも確認してもらった。案の定、普通の人には長川の性別を見分けられなくても、女性の装いや外見を研究している柴門玉里は、目の前の人物が女の子だとすぐに見抜いた。
片岡コーチの言葉を聞いても、長川誠は察して立ち去るどころか、堂々と言い返した。
「野球部には、入部する生徒の性別に関する規定はありませんよね?」
「ない。だが、女子はだめだ」片岡コーチは言った。
「どうしてだめなんですか。規定がないなら、女子だって野球部に入れるってことでしょう?」
「女子はだめだと言っただろう。おまえ、まさかふざけに来たわけじゃないだろうな?」
片岡コーチは口ではそう言ったものの、長川がこれだけ準備を整え、しかもあれほど強硬な態度を取っている以上、遊び半分であるはずがないと思っていた。案の定、長川誠はきっぱりと言い切った。
「もちろん違います。私は野球部に入るために来たんです!」
「声を聞くと、本当に女子なんだな……」そばにいた白井コーチが口を開いた。ようやく先ほどからの放心状態を抜け出し、目の前で入部を譲らない長川を見て立ち上がり、何かを言おうとしたところで、片岡の視線に押し戻された。片岡は言った。
「白井コーチ、ここは私が対応します。あまり近づいて、女子生徒へのセクハラだなんて噂になったら、チームが出場停止になります。面倒を起こさないでください」
「セ、セ、セクハラ!? お、俺が!? 俺のことか!?」片岡に自分がセクハラをすると言われ、白井は信じられないという顔で自分を指さし、呆然とその場に立ち尽くした。
「野球部に入るために男の格好までする子だ。ほかにどんな過激な手を使うかわからないだろう?」片岡はそう言って、目の前の長川誠を厳しい目で見つめ、ちっと舌打ちした。どうやらこいつ、その手を使うことも考えなかったわけではなさそうだ。
「コーチも女ですよね」長川誠は片岡を見て言った。
「そうだけど」片岡は言った。
「野球部に女性コーチがいていいのに、どうして女子が野球部に入るのは禁止なんですか!」長川誠は言った。しかし片岡コーチはその理屈を取り合わず、むしろ長川の生意気な態度に少し不快そうな顔をして、問い返した。
「チームのマネージャーになりたいなら、入部できる」
「誰がマネージャーなんてやるか!」その言葉を聞いた長川誠も腹を立て、声を張り上げた。それでも足りないと思ったのか、さらに片岡コーチへ言い放った。
「コーチは性差別してるじゃないですか! 自分だって女なのに。ああ、こういうコーチっているんだ。自分も女のくせに、それなのに……」
同じ女を困らせようとする。
「…………」
「長川! 生徒のおまえが、その態度は何だ! コーチに向かって……」
「私が対応すると言ったでしょう! 白井コーチ、少し黙っていてもらえますか?」
片岡コーチは言った。声を荒らげたわけでも、口調を変えたわけでもない。だが白井は、その言葉に込められた片岡コーチの激しい怒りをすぐに感じ取り、たちまち口を閉ざした。どうやら女性同士の話に、男の自分が口を挟む余地はないらしい。
「長川誠さん、コーチとして、はっきり言っておく……」片岡コーチは長川へ少し歩み寄り、一歩分の距離を残して立つと、長川誠をまっすぐ見据えた。これは、片岡が選手だった頃、監督が彼女たちを訓戒するときによく使っていたやり方だ。遠すぎず近すぎず、相手に圧迫感を与え、恐怖を覚えさせる距離を保ってから、話し始める。
「阪海工野球部に女子選手は必要ない!」片岡は言った。
「禁止しているのは阪海工じゃない。高校野球には『グラウンドに立てるのは男子生徒だけ』という明確な規定がある。もしおまえが無理にグラウンドへ入れば、阪海工野球部は高野連から大会を棄権するよう命じられ、場合によっては、最も大切な夏の甲子園大会への出場まで禁止される可能性がある! おまえは頭もいいし、それだけ野球部に入りたいと思っている。なら、選手たちが出場できなくなることが何を意味するのか、わかっているはずだ。高校生活の三年間すべてを野球に捧げてきた選手たちの努力も青春も、すべておまえのせいで水の泡になるということだ。事の重大さがわかっているのか?」
片岡は次から次へと言葉を畳みかけた。長川は考える暇も、言い返す隙も見つけられなかった。それでも最後には負けじと大声で叫んだ。
「それと、私が野球部に入りたいことと、何の関係があるんですか!」
「いい加減にしろ!」長川の怒鳴り声に、片岡も大声で怒鳴り返した。
その瞬間、野球場のコーチ室は突然、静まり返った。
誰でもいい。誰か、この女の戦争から俺を救い出してくれ。
張り詰めた空気を前に、れっきとした男性コーチである白井は、まったく割って入ることができなかった。それ以上に白井が恐れていたのは、一歩間違えれば、本当に自分がセクハラ教師にされてしまうことだった。それだけはまずい! 自分は高橋監督から阪海工野球部を引き継いだばかりだ。野球部を自分の手で潰すわけにはいかない。
「わ、私が女子だから試合に出られないとしても、野球部に入ることくらいはできるでしょう!」片岡コーチの声に怯みながらも、長川誠は必死に言い返した。
その言葉に片岡コーチは怒ることなく、かえってため息をついた。
「よく聞きなさい。私が阪海工に来たのは、私と白井コーチのこのチームを甲子園へ連れていくためだ。野球に三年間を捧げる選手たちが最高の状態で、最高の結果を手にできるよう支え、その努力が報われるようにするためだ」
「だから! 私が言ってるのは……」長川誠はまだ何か言おうとしたが、片岡はそのまま続けた。
「最初から試合に出られないとわかっている選手を、コーチである私がどこに置けばいいと思う? 結局は雑用や選手データの整理といった、チームマネージャーの仕事を任せるしかない……。おまえがそこまで野球部にこだわるのは、そんなことをするためじゃないんだろう、長川?」
長川の性別を理由に入部を禁じることだけが、差別なのではない。
片岡はよくわかっていた。野球への情熱を抱く長川を野球部に入れても、結局は女子マネージャーとしての仕事しか与えられない。そのほうがよほど差別だった。規則は融通が利かない。「男子生徒だけが認められる」という文言は、高校野球大会の参加者資格規程に明確に記され、女子の可能性を排除している。
「でも……その……」まだ何か言いたそうにしていたものの、長川は言葉を飲み込んだ。
「それでもやりたいのなら、学校に『女子野球部』の設立を申請しなさい。阪海工に女子の運動部が誕生するなら、校長も喜んでくれると思う」片岡は言った。
コンコン!
「コーチ、入ります!」
「おい、こんなことで、わざわざコーチに報告しなくていいだろ!」
突然、コーチ室の扉を叩く音がした。小林が中へ入ってくると、その場がどのような状況なのかも気にせず、すぐにコーチたちへ報告した。
「白井コーチ、片岡コーチ。さっき蓮が素振り中にふざけて、振ったバットを器具にぶつけました。そのせいで、防球ネットの支柱がへこんだだけでなく、バットも折れています。現在、本人は必死にこの件をこっそり隠蔽しようとしています」
「ふざけてない! 練習だ、練習! それに隠してなんかない! 小林、おまえ、余計なこと言うなよ! それに、あのときは宇治川も一緒に……」
「またか? 蓮、前にも言っただろう。部費は少ないんだから、道具は大事に使え。そうしないと、後輩たちが使える練習用具がどんどん減っていく。ちゃんと聞いてるのか?」
「はい──! 本当に申し訳ありませんでした、白井コーチ」蓮は不満そうな顔で答えた。そして、前に南極が使っていたときから、あの練習用バットはおかしかったのに、自分は運が悪く、たまたま自分の手の中で折れただけだと、ぶつぶつ呟いた。
小林の後ろについてきた蓮は、小林が自分のさっきこっそりやろうとしていたことをすべて暴露するのを聞き、慌てて飛び出して弁明した。だが結局、コーチにひとしきり叱られることは避けられず、不本意そうに謝った。
そのとき、蓮はコーチ室に二人のコーチ以外にも、もう一人いることに気づいた。
一年生の長川誠もコーチ室にいるのを見ると、蓮は突然、見てはいけないものでも見たかのように目を見開いた。「なんでこいつがここにいるんだ!」と言わんばかりの顔だった。蓮と同じように驚いたのは長川誠だった。しかし、まずいことになったという蓮の表情とは対照的に、長川はようやくチャンスをつかんだような顔をしていた。
「浅村、浅村! 蓮!」
長川は蓮の名字を呼んだが、蓮は聞こえないふりをして、長川誠を無視しようとした。蓮に無視された長川は、泣いたり騒いだりすることもなく、髪をかき上げると、どうでもよさそうな口調で言った。
「コーチ、それに先輩方。浅村が小学生の頃、野球クラブでどんな子だったのか、聞いてみたくありませんか? あれは浅村が初めて試合で登板したときのことなんですけど、浅村は……」
「ああっ! それは言うな! 長川、おまえ、いったい何がしたいんだよ!」
蓮はすぐに駆け寄って長川誠の口を手で塞ぎ、小学生時代の恥ずかしい話を暴露されるのを阻止した。蓮と長川が二人で騒いでいるのを見て、片岡コーチは二人が浅からぬ関係にあるのだろうと感じ、尋ねた。
「蓮、この女子生徒とはどういう知り合いなんだ?」
「片岡コーチ、この人が女子だって気づいてたんですか? 長川は昔から、いつも男みたいな格好をしてるんです。みんなも男だと思ってました。コーチ、長川がここにいるってことは……まさか、こいつも野球部に入るつもりなんですか? おい、長川、いくらなんでもそれは無茶だろ! おまえは女子なんだぞ。痛っ──! このバカ、なんで殴るんだよ?」
「バカは蓮でしょ。私はこれから阪海工野球部の一員になるんだから」
「はあ? 嘘だろ! 女子がどうやって野球部に入るんだよ?」蓮は信じられないという顔で言った。
「私はまだ入部を認めていないぞ、長川。さっき話したことを、もう忘れたのか?」
片岡コーチがそう言うと、長川は納得できない様子で答えた。
「もちろん覚えています、コーチ。とにかく、お邪魔しました。でも……」
長川誠はそう言って謝り、コーチ室から出ていこうとした。しかし突然振り返ると、その場にいる全員へ向かって言い放った。
「私は『女子野球部』なんて絶対に作りません! 必ず正式な選手として、阪海工野球部に入ってみせます! それじゃ!」
不良少女さながらに捨て台詞を吐くと、長川はすぐに逃げ去った。
「まったく、あの子は……」
片岡は、部活動に学校の仕事まで重なり、ただでさえやることが多いというのに、まさか新入生の中から、さらに一人の問題児が現れるとは思ってもみなかった。そのとき、小林が突然口を開いた。
「では、報告は以上です。コーチ、僕も失礼します。お邪魔しました」
そう言うと、すぐにこの面倒な場所から逃げ出そうとした。
「おい、小林! 自分だけ逃げる気か! コーチ、俺も失礼します!」
蓮もそう言うと、慌てて小林のあとを追って出ていき、片岡コーチに問い詰められるのをかわした。
「最近、あいつらに甘くしすぎてるのかな? 敬語を使いながら、頭の痛くなるようなことばかりして」
「俺は、いいことだと思うけどな。選手たちが、もう片岡コーチをよそ者だと思っていない証拠だ」
片岡の言葉を聞いた白井は、こうしたコーチと選手の関係の変化を、良い方向へ進んでいる証拠だと考えていた。最初は女性コーチである片岡を疑っていた選手たちも、少しずつ彼女を受け入れ始めている。
およそ半年が過ぎ、新学期を迎えた。野球部の部員たちは当初、片岡が組んだフィジカルトレーニングのメニューや練習についていくことができなかった。しかし今では、ほとんどの選手がこなせるようになり、さらに余力を残して自主練習やウエイトトレーニングまで行っている。片岡もまた、初めは野球部へ突然やってきた謎めいた女性コーチだったが、次第に選手たちから遠い存在だと思われなくなっていた。特に、三年生の強打者である田中龍二と、投手へ戻った村瀬が少しずつ自分の居場所を見つけたことで、野球部の選手たちはこの女性コーチへ以前よりも大きな信頼を寄せるようになった。
「とはいえ、女子が野球部に入りたいと言い出すなんて、俺たちの時代には想像もできなかったな。まさに令和の時代になったってことか」白井は言った。先ほどの女子生徒である長川を少し擁護するように、片岡へ提案した。
「女子が入部してもいいんじゃないか? 大会の正式な選手として登録しなければ、この時代、高野連だって何も言わないと思うぞ」
「そういう問題じゃない」片岡は言った。
「男か女かは関係ない。野球がしたいのに、自分が試合に出られないチームへ入ることが問題なんだ。口では『試合に出られなくてもいい』と言えても、白井、あなたでも私でも、もし機会があれば……」
誰が試合に出るのを我慢できる?
自分が野球部の選手だったら、それを受け入れられる?
「うっぷ──!」片岡に突然そう問われ、白井は急に吐き気を催した。
「えっ、大丈夫? 具合でも悪いの?」
「大丈夫、大丈夫。ただ、高校時代の嫌なことをまた思い出しただけだ。でも、確かにおまえの言うとおりだな。一緒に練習して、努力してきたのに、自分のせいではなく、ほかの理由で試合に出られないとなれば、どうしたって悔しい」
「そう。悔しいよ」片岡は言い、小さな声で呟いた。
特に、女ならね。
※※※※
「えっ? 蓮、それ本当?」
「本当、本当。あの暴力女を見た瞬間、マジで死ぬほどびびったよ」
今日の部活動が終わり、更衣スペースで全裸になっていた流星は、コーチ室で長川誠を見かけたという蓮の話を聞き、ひどく驚いた。しかしパンツを穿いたところで考え直し、年寄りのようなしみじみとした口調で言った。
「でも、結局ばれちゃったんだねえ」
「ずっと男の格好をしてるせいで、あいつ、本気で自分が女子だってことを忘れてるんじゃないか。まったく、昔から暴力的なやつだったよ。まるでジャイアンだ」
「誰? 誰がジャイアンなの?」
「ジャイアン」という言葉を聞きつけ、着替えていた南極も興味津々で駆け寄ってきた。流星と同じく、パンツ一枚しか身につけていない。友達は二人を見て眉をひそめ、蓮に言った。
「蓮、このまま話を続けたら、その二人はいつまでたっても着替え終わらないよ」
一年も一緒に過ごしたことで、友達は野球部の仲間たちがパンツ一枚や裸のまま走り回る姿にも、すっかり見慣れていた。それでも台湾人である友達には、チームメイトの前で平然と大事なところをさらけ出す勇気までは、まだなかった。南極は振り返り、笑顔で友達に言った。
「友達、蓮が本物のジャイアンを見たんだって!」
「それ、何?」友達は意味がわからないという顔をした。南極は言った。
「えっ! 台湾にはこのアニメないの? 南極にいた頃、黒川中士が『ドラえもんを知らない人間なんて世界中にいない』って言ってたよ。世界的な映画なんだって。映画版の南極は、ずいぶん変に描かれてたけど」
「ドラえもんは知ってる。でも、ジャイアンって何?」
「こいつだよ」
蓮がスマートフォンの画面を友達に見せると、友達はそこでようやく、日本で「ジャイアン」と呼ばれているのが、台湾では「胖虎」の名で知られているキャラクターだとわかった。
「本物のジャイアンを見たって意味じゃないよ。蓮には昔からの幼なじみがいて、その子がジャイアンみたいに怖いんだ」流星はそう言いながら、何か思い出したくもない過去を思い出したような顔をした。
「俺たちが小学生で、少年野球クラブにいた頃は、いつもあいつにいじめられてたんだ。打っても、投げても、走っても、あいつはまるで猿みたいで、男子よりすごかった……。そういえば、中学では別々の学校になって、それから長川の話は聞かなかったのに、どうして今になって急に現れたんだ?」
「ほかに何があるんだよ。その頭でよく考えてみろ……」蓮は手を伸ばし、流星の頭を撫でた。
「まさか……まだ諦めてないのか?」あのことを思い出し、流星はぞっと悪寒を覚えた。
「おまえら二人、着替えにどれだけ時間をかけるつもりだ?」
とっくに着替えを終えて外で待っていた宇治川が、更衣スペースのカーテンをめくり、ぐずぐずしている流星と蓮を急かした。宇治川の顔を見た瞬間、流星と蓮は声をそろえて叫んだ。
「出た!」
「諸悪の根源」蓮が付け加えた。
「何をわけのわからないこと言ってるんだ?」二人がふざけているのを見た宇治川は、友達と南極を手招きして言った。
「早くこっちへ来い。でないと、あのバカウイルスがうつるぞ」
後片付けが一年生の仕事になったため、二年生へ進級した友達たちは、部活動が終わってから少し時間に余裕ができていた。そこで一行は、自転車に乗って学校から最も近いコンビニまで寄り道することにした。主な目的は、最近発売されたという、力士の手のひらほどもある大きな肉まんを南極が食べたがっていたからだ。
そこで友達は、長川誠という後輩が実は女子だったことを初めて知り、驚愕した。それだけではなく、長川は蓮より一つ年下で、幼い頃から一緒に育った幼なじみでもあり、蓮、流星、宇治川と同じ少年野球クラブに所属していたという。
「築三十年以上の古いアパートに住んでるのが蓮の家。その向かいにある、真新しくてきれいなマンションが長川の家」
「余計な紹介をどうもありがとう」流星らしい説明が気に入らず、蓮は不機嫌そうに言った。
「でも、それなら宇治川とはどういう関係なの?」友達は尋ねた。しかし視線は南極と一緒に、蒸し器の中に並んでいる力士サイズの大肉まんへ向けられていた。
二人は同時に感嘆の声を上げた。
「大きい!」
もちろん、肉まんの値段も南極を迷わせるほど立派なものだった。
「えっ? 俺、言ってなかったか?」蓮は冷凍ケースから、一本買うともう一本無料になるセール中の「あずきバー」を取り出し、レジへ向かった。井村屋のロングセラー商品で、素材をしっかり使った、驚くほど硬い食感で知られる小豆のアイスバーだ。
「長川のやつ、宇治川のことが好きなんだよ」蓮は言った。
「小学生の頃、俺たちに宇治川を連れてこいって命令して、告白しようとしたんだ」流星も言った。
「…………」
「ええええ──っ!」
話題が突然、ジャイアンの恋愛話へ変わったことで、まだ大肉まんを買おうか迷っていた南極と友達は本気で驚いた。肉まんはトングから外れ、再び蒸し器の中へ落ちた。結局、南極は値段の高い力士サイズの肉まんを諦め、寮の夕食でご飯を何杯か多く食べることにした。
「いったい何年前の話だよ。そんな小学生の恋愛を、まだ覚えてるのか」
一行はコンビニの外に集まっていた。宇治川は明らかに、小学生時代の恋愛など気にも留めていなかった。だが蓮と流星は、それに異議を唱えた。当時、長川に脅され、宇治川を連れてくるよう命じられた被害者は、この二人だったからだ。流星によれば、もし宇治川を連れてこなければ、長川誠は流星の野球用ズボンを漁船のマストへ吊るし、パンツ一枚で家へ帰らせるとまで脅してきたらしい。
「もう、そんなくだらない話はやめろ」
宇治川は二人の愚痴を聞くことにうんざりしたらしい。いつまでも自分と長川を結びつけられるのも嫌なのか、別の話題を持ち出した。
「そういえば、一年生はまだ入部して一週間だけど、同じように練習してるんだよな?」
「もし全員が同じ練習をしていて、長川が女子だとばれなかったのなら……」
宇治川の言葉に、それまで文句を言い続けていた蓮と流星が突然黙り込み、練習中のウォーミングアップ、ランニング、ダッシュ、柔軟運動について考え始めた。二年生は普段、グループに分かれて一年生の前後へ混ざる。確かにこの数日、一年生の中には走るのが遅い者や、走り終わったあとに吐いてしまう者もいたが、途中で列から外れた者はいなかった。
「つまり、あいつの体力は、この数年間まったく落ちていない。それどころか、男子と同じくらいの水準にあるかもしれないってことだ」宇治川は言った。
「噂話ばかりしてないで、少しは実際にチームの役に立つ話をしろ」
「それなら、長川もちゃんと野球ができるってことだよね?」南極は笑顔で言った。
「無理無理。あいつは女子だぞ。女子が高校野球なんてできるわけないだろ」
「えっ、どうして?」南極には理解できなかった。
「女子かどうかと、何の関係があるの?」
「どうしてって、高校野球は男子がやって、女子は女子高校野球をやるものだろ。世界中、どこでも同じ決まりだ。なあ、友達。台湾の高校野球だって、男子と女子は別々に試合するんだろ?」
蓮は友達にも同意してもらい、南極を納得させようとした。しかし、友達の答えは予想と違っていた。
「うん、たぶん?……でも、台湾の高校野球の全国大会は、男子も女子も一緒に試合へ出られるよ」
「ほらな! やっぱり……って、えええっ! どういうことだよ!」
友達も自分に同意すると思っていた蓮は、台湾では女子も男子と一緒に試合へ出場できると聞き、目を丸くした。驚いたのは蓮だけではない。そばにいた流星と宇治川も初めて聞いたらしく、そのことを当たり前のように話す友達を驚愕した表情で見つめていた。
「台湾には、男子だけが出場できるという規定はないから。それに、女子の投手や打者が試合に出ると、男子選手も喜ぶよ」友達は言った。
林友達が話している大会とは、台湾の「中信盃黒豹旗全国高校野球大会」のことだ。現在、台湾で最大規模を誇る高校野球の全国大会であり、「台湾版甲子園」とも呼ばれている。日本の高野連が選手資格を「男子生徒」に直接限定しているのとは異なり、黒豹旗の規定では性別を問わず、高校の野球チームに所属していれば、女子も男子と同じグラウンドで競技できる。さらに2024年には女子の部が新設され、女子の部の優勝チームは、黒豹旗のシードチームと対戦することもできるようになった。
男女は平等で、制限はない。選手をどう起用するかは、すべて監督の判断に委ねられる。それが台湾の黒豹旗大会だ。
友達も、女子選手が男子と同じ試合へ出場する姿を頻繁に見てきたわけではない。それでも彼は、南極で育った日空南極と同じように、それが大きな問題だとはまったく思っていなかった。
男子寮の駐輪場へ戻った友達と南極は、グラウンドの後片付けを終えたばかりの後輩、岩崎の姿を見つけた。
「林先輩、日空先輩、お疲れさまです」
自転車を停めた岩崎隼人は二人に頭を下げた。しかし友達の困ったような表情に気づくと、彼が言うのを聞いた。
「あのさ、岩崎。僕のこと、林先輩って呼ばなくてもいいよ。みんなと同じように、友達って呼んでくれればいいから。林先輩って呼ばれるのは……なんだかまだ慣れなくて」
「えっ、そうなんですか? 林せん……友達先輩」
「俺もだよ。南極って呼んでくれればいいから」南極は笑って言った。
野球部へ入ったとき、岩崎は自分もかなり背が高いほうだと思っていた。しかし、先輩の日空南極は岩崎よりもさらに背が高く、体格も非常にがっしりしていた。近くで見ると、建山が言っていたとおり、本当に熊のようだ。その隣にいる林友達は、ずいぶん小さく見え、まるでレッサーパンダのようだった。
「そうだ、岩崎。一年生の長川について、何か知ってる?」友達は尋ねた。
「えっ? いいえ」岩崎は答えた。
「長川に何かあったんですか?」
「いや、何でも……」
「長川誠って、女の子なんだよ」
友達が話を終わらせようとした瞬間、南極がすぐに言葉を継ぎ、長川が女子だということを後輩の岩崎へ教えてしまった。隣にいた友達は驚き、慌てて声を上げた。
「南極!」
「えっ? ええっ!」それを聞いた岩崎は完全に固まり、意味のわからない驚きの声を上げることしかできなかった。
実は入学式の日、岩崎は長川誠のことを知らないまま、一度彼女と出会っていた。あのとき岩崎にぶつかった生徒は、長川だったのだ。岩崎は相手が転びそうになるのを見て、とっさに手を伸ばした。その手が触れてはいけない場所に当たってしまったため、男子制服を着ているこの生徒に、どこか違和感を覚えていた。
「言っちゃだめだった? ごめん。話してもいいことだと思ってた」
南極は頭を掻いた。本当に何気なく口にしただけらしく、長川誠が女子だという事実をほかの人へ話すことの重大さに、まったく気づいていなかった。友達は呆然としている岩崎を見て、仕方なく話題を変えた。
「今日、部活を終えるとき、コーチたちは何か言ってた?」
「えっと……何も。白井コーチも片岡コーチも、何も言いませんでした。でも、長川は部員の列にいませんでした。すみません、先輩。俺、長川のことは何も知らなくて……。ただ、あいつ、ずっとみんなにあることを聞いていたみたいです」
「あること?」
友達は首をかしげた。頭に真っ先に浮かんだのは、今日、蓮から聞いた話だった。長川が小学生の頃、宇治川のことを好きだったという話だ。まさか本当に蓮の言ったとおり、長川はまだ宇治川を諦めきれず、男装までして野球部へ入ろうとしているのだろうか。
「はい。長川は俺たちに、ある先輩のことを聞いてきたんです……」岩崎は話し始めた。
岬阪町の夕暮れ。集合住宅が並ぶ一帯では、道の両側にある街灯が少しずつともり始めていた。太陽は建物の間へゆっくりと沈み、空を青紫と深い赤に染めていた。自宅のリビングにいた長川誠は、夕食で使った皿を洗い終え、食器乾燥機へ入れたところだった。髪は今も短いままだが、女物の半袖シャツとショートパンツに着替えている。長川はリビングからベランダへ出ると、乾いた洗濯物を取り込み始めた。
洗濯物を取り込みながら、長川は自宅の向かいにある古いアパートへ目を向けた。自分が住んでいる新しいマンションとは違い、古いアパートの外廊下には靴箱や雑多な荷物、子供用の自転車、いくつかの掃除用具まで置かれている。薄暗く明滅する黄色い照明が、その建物の古さを物語っているようだった。
今日も帰ってきていない。
長川誠は向かいにある見慣れた玄関を見つめながら、心の中である人物への不満を漏らした。
あいつ、いったいいつから家に帰らなくなったの? 浅村のおじさんも、何も言わないわけ? もう。
洗濯物を取り込み終えた長川は、畳むのが少し面倒になり、すべてソファの上へ積み上げた。そのまま自分もソファへ倒れ込み、クッションを抱きしめ、両脚を座面の上へ引き寄せながら、ぶつぶつと不満を漏らした。
「高校でやっとまた会えたのに、顔を合わせた途端に『おまえ、なんでここにいるんだ!』だなんて。何よ、それ! こっちまで、またつい喧嘩しちゃったじゃない」
考えれば考えるほど腹が立ち、長川はクッションを力いっぱい床へ投げつけた。そして洗濯物を畳み始めながら、ある人物を罵った。
「蓮のバカ! 水にでもむせて、ずっと咳が止まらなくなればいいのよ!」
「ゲホッ、ゲホッ! ゲホゲホッ──!」
流星の家にいた蓮は、ゲームをしながら注意を払っていなかったせいで、スポーツドリンクにむせた。
ほんの一瞬のことだった。それなのに蓮は、なぜか今のむせ方が……誰かの呪いだったような気がした。
おまけに、そのせいで珍しくゲームでも流星に負けてしまった。




