第四二章 あけましておめでとう
台湾出身の陸坡と申します。
この小説は、もともと中国語で執筆したものをAI翻訳を通じて日本語に変換しています。そのため、不自然な表現や誤った言葉遣いなどがあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
「♫わたしの一番、かわいいところに気付いてる」
「♫そんな君が一番すごいすごいよすごすぎる!」
「♫そして君が知ってるわたしが一番かわいいの、わたしもそれに気付いた!」
テレビの中では『NHK紅白歌合戦』が放送されており、カラフルな衣装に身を包んだアイドルグループが舞台上で歌い踊っていた。「かわいい、かわいい」と連呼するアイドルたちを尻目に、日空南極は少し呆けたような目で、隣にいる友達を見つめていた。口に入れた煎餅は一口かじったきりで、咀嚼するのも忘れているようだ。
テレビを見ていた友達がふと視線を感じて振り返ると、口をぽかんと開けたまま自分を凝視する南極と目が合った。
「……じっと見んなよ」
友達が着崩れた「着流し(きながし)」の襟元を直すと、南極はようやく我に返った。
「ごめん。だって、友達がこんな格好してるの初めて見たから」
「ほら! せっかくのお正月なんだから、これ買ってきたわよ!」
数日前、寮に残るつもりだった友達のもとに姉の林鈺雯から電話があった。彼女はすでに母親や寮の管理人に根回しを済ませており、さらには南極の母である日空博士や黒川中士の許可まで得ていた。
こうして友達と南極は、大晦日から漁火祭が終わるまでの数日間、鈺雯と婚約者の川頼さんの家に滞在することになったのだ。
友達は、姉が広げた明らかに女性用ではない柄の和服を見て、即座に眉をひそめた。
「友達が一着も和服を持ってないなんて寂しいじゃない。だから買っちゃった!」
鈺雯の言い分はこうだ。かつて日本の高校の制服を初めて着た時と同じように、彼女が着流しを買った以上、弟に着せずに済ませるはずがなかった。
しかし、和服の着付け、特に「角帯」の結び方は初心者には難易度が高い。見かねた川頼さんが助け舟を出し、最も一般的な「貝の口」という結び方で手際よく着付けてくれた。
「うん、よく似合ってるよ。かっこいいじゃないか」
川頼さんが優しく微笑むと、友達は褒め言葉には感謝しつつも、「はぁ……」と深くため息をつき、力なく答えた。
「そうですか……?」
着替えの最中から、姉はすでにカメラを構えて連写していた。友達には、自分が着せ替え人形にされて何をそんなに撮られる必要があるのか、全く理解できなかった。
「友達は嫌いなの? 和服とか」
南極が尋ねた。
「嫌いってわけじゃないけど……俺一人だけこんな格好してたら変だろ?」
友達は無力感に包まれた声で言った。
「それに姉貴のやつ、俺が着替えて脱げないようにって、着てきた服をどこかに隠しちまったんだぞ。……もう! あいつ、いい大人のくせになんであんな子供じみたことするんだよ!」
「でも、僕は友達のその格好、すごくかわいいと思うよ」
南極は真顔で言った。
「お前は俺がパンツ一丁でも『かわいい』って言うだろ?」
出会った初日から、南極は毎日のように「友達はかわいい」と言い続けている。友達にとってそれは、女子高生が何を見ても「かわいい」と言うのと同じレベルの、意味のない挨拶のようなものになっていた。
「ち、違うよ! 僕だけじゃない、蓮や流星だって『かわいい』って言ってるもん」
「は? 蓮? 流星? ……なんであいつらが知って……おい日空! お前、まさか盗撮したのか!」
「ち、違うよ! 僕が撮ったんじゃない! 友達のお姉さんが送ってくれたんだよ。ほら見て」
南極が差し出したスマホの画面には、姉のインスタグラムのストーリーズが表示されていた。着流し姿の友達の写真が何枚もアップされ、そこには日本語でこう添えられていた。
「明日の初詣!⛩️ 私が買い与えた男物の着物、弟は『恥ずかしいから嫌だ!』ってずっと文句言ってたけど、結局ちゃんと着てくれました。文句言いながらも着てくれる私の弟、やっぱり可愛すぎません?(笑)」
いつの間に姉と南極が連絡先を交換していたのかは謎だが、鈺雯の行動は完全に「うちの子かわいいでしょ?」とネットで自慢する親バカそのものだった。
友達は「なんでお前がそれを野球部のグループLINEに転送するんだよ」と南極を問い詰めたかったが、既読数を見る限り、すでに一年生の部員全員が目撃してしまったようだ。
流星たちからは爆笑するスタンプや、「似合ってるじゃん!」「かわいい~」といった冷やかしのメッセージが大量に届いていた。普段は口数の少ない柴門玉里でさえ、珍しく反応していた。
柴門:「たかが正月で、そんな格好する必要ある?」
「ああもう……」
友達は絶望して畳の上に大の字に寝転がった。
まだ今年が終わってもいないのに、来年を迎える前から社会的に死んでしまった気分だ。テレビの中ではアイドルたちが相変わらず「かわいい、かわいい」と歌い続けている。
いたたまれなくなった友達はリモコンを掴み、チャンネルを変えた。画面には日本テレビ系列の年越し特番『笑って年越したい!』が映し出され、芸人が奇妙な顔でドッキリにかけられ、爆笑が巻き起こっていた。
「おや? チャンネル変えた?」
キッチンで割烹着を着て作業をしていた川頼さんが、テレビの音が変わったことに気づき、水を飲みに来た南極に尋ねた。
「川頼さん、友達が現実逃避してるんです」
南極はそう答え、友達が着流し姿を野球部のグループLINEに晒されて落ち込んでいる件を説明した。
川頼さんはそれを聞いて吹き出し、笑いながら言った。
「変じゃないよ! 今時の若い子には、ああいう伝統的な衣装は少し古臭く感じるかもしれないけどね。でも、鈺雯は彼に少しでも慣れさせたかったんじゃないかな……」
「慣れさせる?」
南極が首を傾げると、川頼さんは頷いた。
「そうだよ。だって『岬阪漁火祭』じゃ、彼は『六尺褌』一丁にならなきゃいけないんだから。海辺を走り回って、全身びしょ濡れになるんだ。今のうちに和服に慣れておかないと、祭りの衣装にはもっと抵抗があるだろうからね。……あ! そういえば、南極君も同じか。日本人とはいえ、こういう祭りは初めてかい?」
「『岬阪漁火祭』は初めてですけど、南極にも日本のお祭りはありましたよ」
南極は懐かしそうに答えた。
「観測隊のおじさんや自衛隊のお兄さんたちが、木箱で御神輿を作って、法被を着て、雪の上を練り歩くんです。でも向こうは夏で白夜だから、今が何時なのか分からなくなるんですけどね。たまに記者が来て、新年の特番を撮ったりしてました」
「へえ、意外だな。南極君も日本のお正月をやってたんだね」
「『紅白歌合戦』も見られましたけど、自衛隊の人たちは格闘技の方を見たがってました」
「はは、懐かしいな。昔は大晦日の地上波といえば格闘技だったからな。今は有料放送じゃないと見られないのが残念だ。男の楽しみが減ったよ」
川頼さんは苦笑し、手元の作業を止めた。そして少し真面目な顔つきになり、南極に向き直った。
「ところで、南極君。一つ聞きたいことがあるんだ……」
「はい?」
「友達は、学校でうまくやってるかい? 困難なことや、悩みはないかな?」
「いい感じだと思いますよ。野球部のみんな、友達のことが好きですし。僕も好きです」
南極が迷いなく答えると、川頼さんは表情を緩めて微笑んだ。
「そうか。ありがとう」
「……どういたしまして?」
急に感謝されて、南極は少し不思議そうな顔をした。
「だから言ったじゃないですか。学校ではうまくやってるし、強がってなんかないって」
「はは、聞こえてたか」
友達がキッチンに入ってくると、ちょうど川頼さんが自分のことを聞いていたところだった。友達は、南極がまた煎餅を食べているのを見て「それ、そんなに美味しいのか?」と呆れたが、南極は無言で別の一枚を差し出してきた。友達は空腹ではなかったが、それを受け取ってパクリと齧った。
「あの時、君をどこの学校に通わせるか、実は鈺雯も相当悩んでいてね」
川頼さんは語り始めた。
「外国人が日本の高校に通うのは簡単じゃないんだ。当時、お母さんと僕は鈺雯に提案したんだよ。日本にある中華学校や、台湾人や中国語話者が多い私立高校への進学の方が安心じゃないかって」
「でも、鈺雯は断固として首を縦に振らなかった。君の学校選びで、少し喧嘩になったくらいだよ」
「……すみません」
それを聞いて、友達は思わず謝った。川頼さんは「いいんだよ」と笑って手を振った。
「友達、なぜ鈺雯が阪海工にこだわったか知ってるかい?」
「阪海工が、川頼さんの母校だからですか?」
「それも理由の一つだ。手続きもスムーズだしね。でも、彼女はこう言ったんだ……」
川頼さんは、友達の目を真っ直ぐに見て言った。
『だって友達は、甲子園に行きたいんでしょう?』ってね
夜遅く、小さなデスクライトの明かりだけを頼りに、眼鏡をかけた林鈺雯は、大阪の高校に関する資料を何度も何度も読み返していた――。
川頼さんは、ビデオ通話越しに見たかつての彼女の姿を懐かしむように語った。
「毎日の仕事でクタクタのはずなのに、彼女は夜遅くまで、外国人の受け入れに寛容で、しかも野球ができる学校を探し続けていたんだ」
「『阪海工は何十年も甲子園に行っていないし、強豪校でもないよ』と伝えたんだけどね。それでも彼女は、『野球部さえあれば、チャンスはあるはず』って……。まあ、そういうことさ。決めた後も『本当に大丈夫かしら』って心配ばかりしていたよ。年上の保護者っていうのは、そういうものなんだろうな」
「……うん、分かった」
友達は静かに答えた。姉がそこまでしてくれていたことを、改めて噛み締めていた。
「そういえば、南極君はどうして阪海工を選んだんだい? 君なら野球の強豪校も選び放題だったろう?」
「え? うーん……実は……」
(うわっ! 軍人みたいな制服! かっこいい!) (元ホテルの男子寮だって! 豪華すぎる!) (グラウンドが山の上で、海が見えるなんて! まるで漫画の秘密特訓場じゃん!) (野球部の人たちもみんな強そうだ! 入部すれば試合に出られるの? 最高!) (市立岬阪高等海洋工業学校! ここにする!) (僕の日本の高校、決定!)
「……だいたい、そんな感じかな? それで日空博士……母さんに言ったらOKが出たんだ!」
南極は屈託のない笑顔で答えた。
「…………」
あまりに直感的で豪快すぎる学校選びに、友達だけでなく、大人の川頼さんまでもが言葉を失った。
子供の進路をそんな理由で許可する母親も母親だ。「さすが日空博士、肝が据わっている」と言うべきか。日本一の南極探検家であり、国際的な著名学者の教育方針は、常人の想像を遥かに超えていた。
「ただいま。ごめんなさいね、大晦日だっていうのにクライアントへの返信が終わらなくて。……あら、なんでみんなキッチンにいるの?」
仕事を終えた姉・鈺雯が帰宅した。リビングのテレビはついたままだが、男三人が狭いキッチンに集まっているのを見て不思議そうにした。
ちょうどその時、友達と南極はスマホで、近くの個人経営のスポーツ用品店が夜八時まで営業していることを発見し、急いで行ってみようと話していたところだった。
友達が「ちょっと出かけてくる」と姉に告げると、鈺雯が呼び止めた。
「えっ、その格好で行くの? 友達、普通の服に着替えてもいいのよ」
友達は自分の着流し姿を見下ろし、少し考えてから言った。
「どうせ後で神社に行く時に着るんだろ? 今脱ぐと着直すのが面倒だし」
「え、本当? その格好で一緒に神社に行ってくれるの?」
「うん。……どうせ今日一日だけだしな」
弟の肯定的(?)な返事を聞いて、鈺雯は「絶対にかっこいい写真を撮るから!」と興奮気味に宣言した。友達は「うぜぇな」と呟きつつ、玄関へ向かおうとした。
「友達! 待って!」
またしても呼び止められ、友達は不機嫌そうに振り返った。「今度は何だよ」と言いかけた彼の目の前に、小さな白い封筒が差し出された。そこには、和風の可愛らしい模様が描かれている。
日本のお年玉袋(ポチ袋)だった。
「良いお年を(よいおとしを)。」
鈺雯が日本語で言った。
「あ、ありがとう……そっちも、良いお年を」
日本にもお年玉の文化があるとは思っていなかった友達は、少し驚きながら受け取った。姉の満面の笑みを見て、急に気恥ずかしさと申し訳なさがこみ上げ、小声でボソボソと返事をした。
その不器用な様子を見て、川頼さんがクスクスと笑った。
続いて鈺雯は、「南極君も!」と別のポチ袋を南極に手渡した。
「えっ、僕にもあるの? うわぁ! ありがとうございます! 良いお年を!」
南極は目を輝かせて封筒を受け取った。
「人生で初めてお年玉もらったよ!」
「え? お前の母さん、お年玉くれないのか?」
友達は驚いて尋ねた。
二人は話をしながら歩き、数分もしないうちに川頼さんの家の近くにあるスポーツ用品店『高橋スポーツ』に到着した。
店の看板は古びており、今にも消えそうな頼りない光を放っている。店内は「うなぎの寝床」のように細長くて狭いが、所狭しとスポーツ用品が並べられており、意外にも野球用品の品揃えが充実していた。友達と南極は「おおっ!」と声を上げ、まるで宝の山を見つけたかのように顔を見合わせた。
店主は年老いた男性だった。世間はお祭り騒ぎの特番ばかり流している中、ここの小さなブラウン管テレビだけは、TBSのスポーツ特集を映していた。画面の中では、肺炎でこの世を去った読売ジャイアンツの終身名誉監督、長嶋茂雄――王貞治と並ぶ日本プロ野球の伝説――の追悼特集が流れていた。
老人は、着流し姿の友達と、図体のでかい南極をじろりと品定めするように見やった。
「自分ら、阪海工の生徒かいな?」
二人が「はい」と頷くと、老人は「そうか」と短く言った。
「まあ、ゆっくり見ていき。今日はそう早う店じまいせんからな」
友達は、老人のシャツの襟元が寛いでいることに気づいた。ボタンが外された胸元から、ちらりと「刺青」のような跡が見えた気がした。少し好奇心をそそられたが、それ以上に、日本のローカルなスポーツ用品店への興味が勝った。
「母さんはこう言ったんだ。『たとえお年玉をあげても、南極でお前に何が買えるんだ?』って」
「……お母さんの言うこと、もっともだね」
南極の話を聞いて、友達は思わず納得した。確かに、南極大陸でお金を持っていても、ペンギン相手に買い物はできない。
「友達、友達! 見てよこれ! ミズノ(日本最大の野球メーカー)だらけだよ! うわぁ、すっげぇ!」
毎日「学校、グラウンド、寮」の往復しかしていない野球少年の二人にとって、古ぼけてはいるが壁一面に並べられたミズノのグローブは圧巻だった。他にもZETTやSSKといったメーカーが点在しているが、やはり圧倒的にミズノ製品が多い。
「そういえば友達、台湾では木製バットを使ってたって言ってたよね」
南極は木製バットを一本手に取った。まだ振ってもいないのに、彼はその感触を確かめるように言った。
「金属バットとは、手触りが全然違うね」
「だろ? 台湾の高校野球は木製バットが主流なんだ。金属に比べて、木製はヘッド(先端)がすごく重く感じるんだよ。だから日本に来て金属バットを持つと、なんだか軽すぎてスカスカするっていうか……しっくりこないんだ」
台湾では高校生でも木製バットの試合があるが、日本の高校野球は金属バット、より正確には「低反発バット」の使用が義務付けられている。
これは投手の受傷事故を防ぐためだが、低反発バットは従来の金属バットよりも芯が狭く作られており、木製バットに近い打撃技術が求められる。それでも、純粋な木製バットに比べればやはり軽い。木製に慣れ親しんだ友達にとって、この「軽さ」はどうしても違和感があった。
しかし、南極にとっては木製だろうが金属だろうが関係ないようだった。
彼が店内で軽く構えを取るのを見て、友達は息を呑んだ。バッティングを最初に教えたのは自分のはずなのに、南極がバットを握るたびに、「自分が教えた以上の完成度」を見せつけられるような感覚に陥る。
(あいつが振れば、ホームランになる)
南極のスイングを見るたび、友達は自分の投げる球がスタンドへ運ばれる映像が脳裏をよぎり、背筋が寒くなるのだ。
ブォンッ――。
南極が軽くバットを振った瞬間、鋭い風切り音が狭い店内に響いた。
「コラァ! ガキ共! 店ん中でバット振り回すな! 怪我したらどないすんねん!」
テレビを見ていたはずの店主から怒声が飛んだ。
「あ、ああっ! す、すみません!」 「ごめんなさい!」
二人は慌ててバットを戻し、グローブ棚の影に隠れて様子を伺った。店主は再びテレビの画面に視線を戻し、こちらを睨み続けてはいなかった。二人は胸を撫で下ろし、再び宝探しを再開した。
店内にはバドミントンや卓球の用具、柔道着、ハンドグリップやマッサージボール、ヨガマットなども置かれていたが、やはり主力は野球用品だった。ネットでこの店を見つけてわざわざやって来た甲斐があったと、二人の野球少年は目を輝かせた。
しかし、現実は非情だ。
「友達のお姉さんには感謝してるけど……五千円じゃ、この店で何が買えるのか全然分からないよ」
南極は困り果てていた。
目の前に並ぶ最高級のグローブは六万円以上、バットでさえ三万円は下らない。自分たちの小遣いを合わせても一万円にも満たない貧乏高校生には、高嶺の花だ。
友達も同じだった。二人はただ、棚に鎮座する美しい革のグローブを、ショーケース越しのケーキを見る子供のように、指をくわえて眺めることしかできなかった。
グローブの話になれば、二人は今使っている自分の相棒に強い愛着を持っていた。
友達のグローブは、ミズノやアシックスといった国際的な一流ブランドではない。台湾製の「JJS」というローカルブランドの投手用グローブだ。中学時代から苦楽を共にしてきた相棒であり、そこには台湾での数え切れないほどの野球の思い出が詰まっていた。
一方、南極が使っているのは、日本製のミズノだ。これは彼が南極大陸から帰国する際、黒川二曹が餞別としてプレゼントしてくれたものだった。だから南極はこのグローブを宝物のように大切にし、頻繁に保革油を塗って手入れをしていた。
当時、ミズノのグローブを手渡しながら黒川は笑って言ったものだ。
「小南極、これ以上手がでかくなるなよ。日本じゃお前に合うサイズがなくなっちまうぞ」
結局、二人が買ったのは特価品の小物だけだった。
レジに商品を持っていくと、店主の老人が友達を見て尋ねた。
「坊主、どこの子や? この辺の子やないな」
「あ、僕は日本人じゃありません。台湾人です」
「台湾?」
老人は少し考え込み、ふと思い当たったように言った。
「そういや阪海工の野球部に、最近台湾からの留学生が入ったって聞いたわ。お前やったんか」
そう言って老人は身を乗り出して友達をまじまじと観察した。その拍子に胸元の刺青がさっきよりはっきりと見え、友達は少し気圧された。
「は、はい……そうです」
友達が曖昧に答えると、老人は今度は隣に立つ巨漢の南極に視線を移し、即座に言い当てた。
「ほな、お前が日空博士の息子か。南極から来たっていうあいつやな」
「おおっ、おじいさん、なんで知ってるの?」
台湾人の友達だけでなく、南極の素性まで知られていることに二人は驚いた。
老人は商品を袋に詰めると、財布から小銭を出そうとしていた二人を制した。
「金はいらん。持ってけ! どうせ特売品や。……あけましておめでとう」
「えっ?」
予想外の展開に二人がポカンとしていると、老人はぶっきらぼうに付け加えた。
「しっかりやりや。野球、頑張るんやで」
「は、はい! ありがとうございます! あけましておめでとうございます!」
「見た目は怖いけど、いい人だったね」
店を出て、テーピングテープを手に入れた南極が嬉しそうに言った。そして、友達が手にしている小さな袋を覗き込んだ。
「友達は何を買ったの?」
「アスリートネイル(爪補修コート)だよ」
「アスリートネイル? 何それ?」
南極が不思議そうに首をかしげると、逆に友達が驚いた。
「お前、使ったことないのか? ……南極、手を見せてみろよ」
「え? 僕の手がどうかした?」
「いいから、貸して」
友達はそう言うと、遠慮なく南極の手を取って引き寄せた。
突然の行動に南極は驚いた。友達の手のひらの体温が直接伝わり、指先をなぞる感触に、南極の心臓が早鐘を打ち始めた。顔がカッと熱くなる。
しかし、友達はそんな南極の動揺には気づかず、ただ真剣な眼差しで彼の指先を観察していた。
「やっぱり。爪に小さな亀裂が入ってる」
「お前もピッチャーなんだから、もっと指先のケアをしなきゃダメだろ、日空」
友達は諭すように言った。
「せっかくこんないい手をしてるのに、爪が割れて投げられなくなったらどうすんだよ」
「よ、よ、友達も使ってるの? アスリートネイル」
動揺を隠そうとして、南極の声が少し上ずった。
「使ってるよ。ほら、見てみろ。ツルツルだろ?」
友達は誇らしげに自分の指先を南極に見せた。確かに、その爪は表面が滑らかに整えられ、綺麗に切り揃えられていた。南極のガタガタの爪とは雲泥の差だ。
その小さく細い指先を、南極はまじまじと見つめた。
(かわいい……)
友達の指先に見惚れていると、脳内でまたあの『紅白歌合戦』のアイドルソングがリフレインし始めた。
「友達! 南極!」
街灯だけが道を照らす静かな交差点で、聞き覚えのある声がした。
川頼さんと姉の鈺雯が乗った車が近づいてきて、窓を開けて声をかけた。
「そろそろ時間よ。車で商店街の入り口まで送るわ。あそこなら賑やかだし、一緒に神社へ参りましょう」
止まっていた時間が再び動き出したかのように、二人はハッとして繋いでいた手を離した。そして促されるまま後部座席に乗り込んだ。
大晦日と『岬阪漁火祭』に向けて、岬阪商店街は赤・白・青の三色の提灯で彩られていた。提灯には「祭り」の文字が躍り、祭りの幟と日の丸が交互にはためいている。
大都市の喧騒とは違うが、店先には簡単な屋台や即席の酒席が設けられ、あちこちから笑い声が聞こえてきた。シャッター街になりつつある地方の商店街でも、この日ばかりは活気を取り戻し、地元住民たちが心から祭りを楽しんでいる様子が伝わってくる。
友達は、通りを行き交う人々の中に、自分と同じような和装の男女がちらほらいることに安堵した。年配者が多かったが、すれ違いざまに声をかけてくれる人もいた。
「おっ、兄ちゃん格好いいよ!」「いい男だね!」「寒くないかい?」
岬阪の気温は台湾よりずっと低いはずだが、商店街の熱気のおかげか、あるいは着物のせいか、友達はそれほど寒さを感じなかった。海風も穏やかで、むしろ涼しくて心地よいほどだ。
日本での年越しが初めての南極にとっても、すべてが新鮮だった。
熱燗や軽食を売る屋台に興味津々で近づくと、店主が試飲の酒を勧めてきた。危うく受け取りそうになったところを、川頼さんが慌てて引き戻した。
「こらこら、お酒はまだ早いよ」
「あ! 南極と友達発見!」
「マジかよ! うわ、本当に着て来てるし。友達、お前すげぇな」
人混みの中から声が上がった。
「あ、蓮に流星。それに宇治川もいる」
クラスメイトたちの姿を見つけ、友達は少し気恥ずかしそうに手を振った。
南極の巨体と、友達の着流し姿は、人影のまばらな岬阪商店街では嫌でも目立った。すぐに野球部のメンバーに見つかり、大晦日だというのにクラスメイトたちが再び集結することとなった。
今回は彼らの家族も一緒だった。友達にとって、チームメイトの親と会うのはこれが初めてだ。彼は少し照れくさそうに挨拶をした。
台湾からの留学生という珍しさか、それとも伝統的な和装のせいか。宇治川の母親や流星の両親は、友達の姿を「かわいい」と絶賛し、一方で南極の規格外の体格には驚きの声を上げていた。
友達の姉・鈺雯にとっても、弟のチームメイトの家族と顔を合わせるのは初めてだった。幸い、地元出身の川頼さんが間に入り、一人ひとり丁寧に紹介してくれたおかげで場は和んだ。
大人が話し込んでいる間、友達たちは親元を離れ、チームメイトだけで商店街を散策することになった。
「おい蓮、台湾からの留学生に変な遊び教えるなよ」
「教えねえよ。うっせえな、親父」
「なんだその態度は……」
蓮の父親である浅村氏が釘を刺すが、蓮は聞く耳を持たず、仲間たちを急かして先に行ってしまった。
取り残された浅村氏の横に、川頼さんがすっと近づき、一本の煙草を差し出した。
「久しぶりだな、浅村さん」
「……あれが噂の婚約者か? お前もついに年貢の納め時ってわけか。おめでとうよ、川頼」
「はは、その口ぶりじゃ、ちっとも祝ってるように聞こえないな」
「嫁に逃げられた男に、愛想のいい言葉なんて期待するな」
二人の男は、子供たちや母親たちの視線を避けるように路地裏へと入り、灰皿のある場所で紫煙をくゆらせた。
「田中から聞いたよ。学校で会った時、人違いだと言ってシラを切ったそうだな。……あんた、相変わらずへそ曲がりだな」
川頼さんが切り出すと、浅村氏は煙を吐き出しながら忌々しげに言った。
「……あの件か。田中はお節介すぎるんだよ。昔から鬱陶しい」
「あいつは学生時代からそうだったじゃないか。野球部だけじゃない、喧嘩の時だってそうだ。自分がボコボコにされてるくせに、相手の心配をするような奴だ。あいつの三人の子供たちも、親父に似て正直者に育ってるよ」
「全くだ。だから余計にイラつくんだ」
浅村氏はそう言い捨てて、川頼さんを横目で見た。
「勘違いするなよ。田中のことが嫌いなわけじゃない。だが、好きだとも言わん」
「でも、もう何年も前のことだろ? 俺はいまだにあの光景を覚えてるよ。大阪府大会優勝。大阪代表として甲子園出場。……田中は会う人みんなに自慢してるぜ。『阪海工最強の投手、川頼勝明』の話をな」
「……その名字だ。お前の家、元々ここの出じゃないだろ」
浅村氏は話題を逸らすように言った。
「俺の家系は関東だ。爺さんの代になぜか関西に流れてきたらしいがな。正直、今じゃ兄弟の中で関西に残ってるのは俺だけだ。……俺はな、人混みも、関係ないくせに馴れ馴れしくしてくる奴も嫌いなんだ」
浅村氏は短くなった煙草を携帯灰皿に押し込み、川頼さんを一瞥した。
川頼さんは、浅村氏の皮肉など意に介さず、静かに煙草を吸い続けた。そして、核心を突いた。
「『関係ない』なんて言わせないぞ、浅村さん。……当時、甲子園行きの遠征費を工面するために、土下座してまで川頼造船(うちの実家)に頭を下げた親友(田中)と……あんたが一番可愛がっていた後輩(俺)のことを、無関係だとは言わせない」
その言葉に、浅村氏の動きが止まった。
「……過去のことを、いつまでも背負い込むな」
浅村氏は背を向けた。
「安心しろ。俺が人生で失敗したのは、あの時だけじゃないんでな」
それだけ言い残し、浅村氏は一人で路地を出て行った。去り際に、背中越しに一言だけ投げかけた。
「結婚おめでとう。招待状は送ってくるなよ。どうせ行かねえからな」
※※※※
「うまい!」「ん!」
「だろ? これが岬阪町名物の『魚のすり身団子』だ。地元の人間なら一度は食べたことがある味だよ」
屋台を巡っていた友達たちは、すり身団子の屋台で小林と田中に遭遇した。彼らも家族と一緒に来ていたようだが、親の目を盗んで子供だけで屋台を回っているところだった。友達たちがこの名物を食べたことがないと知った田中は、「絶対に食った方がいい」と強く勧めたのだ。
元々甘いものにそれほど興味がない友達だったが、蓮たちに唆されて買ってみたところ、意外な味に驚いた。
日本の和菓子特有の「甘ったるさ」がない。魚のすり身の皮が持つ塩気と、中に包まれた餡子の甘みが絶妙に調和しており、独特の食感を生み出している。
(これ、台湾の甜不辣(テンプラ / 甜不辣)に似てる……。でも中身が餡子なんて不思議な感じだ)
蒸したて熱々の団子は、友達や南極だけでなく、その安さもあって他のメンバーの食欲も刺激し、みんな買い食いを始めた。
「あそこの屋台、毎年見るけどすげぇよな」
「本当だ」
友達たち高校生集団の視線の先には、他の屋台よりも一際大きく、靴を脱いで上がれる畳敷きのスペースまで設けられた酒類の屋台があった。
そこには様々な洋酒に加え、一杯千円もするような高級日本酒から、親しみやすいビールまでズラリと並んでいる。休憩する客や酒を楽しむ大人たちで、ひっきりなしに賑わっていた。
「清酒(日本酒)ってどんな味がするんだろ?」
流星が興味津々で呟いた。
「お前、好奇心で飲みに行くなよ」
宇治川が流星の坊主頭を鷲掴みにした。コイツなら本当に勢いで行きかねないという危機感があった。
高校を卒業すれば味わえるであろう大人の味。一体どんなものなのか、少年たちは想像を巡らせた。すると蓮がぼそりと言った。
「苦くて、渋くて……口の中に強烈な刺激が突き上げてくる感じだぞ」
「えっ? 蓮、なんで知ってるの?」
友達が驚いて尋ねると、蓮は子供を見るような目で友達の頬を撫で、意地悪く笑った。
「さあな、なんでだろうな……」
「コイツ、中学の時にうっかり日本酒を水と間違えて飲んだことがあるんだよ」
「ある意味、コイツはずっと危ない橋を渡ってるよな。犯罪者になってないのが奇跡だ」
「お前ら……友達のことをそんな風に言うなんて、それでもマブダチか?」
流星、蓮、宇治川の三人はいつもの調子で軽口を叩き合った。
その時、あの豪華な酒の屋台から、見慣れた人物が出てきた。なんと、真面目一筋の金井栄郎だった。
驚く一同をよそに、栄郎は彼らに気づくと丁寧に会釈した。
「みんな、あけましておめでとう」
「嘘だろ! 栄郎があの店から出てくるなんて」
「え? みんな何の話をしてるの?」
栄郎は状況が飲み込めていないようだった。
詳しく話を聞くと、栄郎の実家は日本酒の輸出や海外酒類の代理店を手掛けており、関西・近畿地方を一手に引き受ける大手の問屋だということが判明した。
栄郎の評価は、単なる「野球部の優等生」から、「高学歴かつ金持ちの御曹司」へと一瞬でランクアップした。
「でも、野球部の生徒があまり長く酒の屋台の近くにたむろしてると、補導の先生に見つかったら面倒だぞ」
酒にあまり興味のない小林が注意を促した。彼は家族と合流して神社へ参拝に行くと言い、田中廉太も兄や家族を探すために離脱した。
残されたのは、友達と同じクラスの野球部メンバーだけになった。
「林君、日空君、二人は初めてだよね?」
去り際に栄郎が二人を呼び止めた。
「人が少ないうちに岬阪神社へ行くといいよ。山側から海岸を見下ろせるんだけど、漁船が祭りの灯りを灯していて、すごく綺麗なんだ。見る価値はあるよ」
「本当に?」
南極が目を輝かせた。彼はまだ、山の上から夜景を見たことがなかった。
南極大陸では白夜と極夜のサイクルが特殊だ。特に夜(極夜)の外出は必ずチーム単位で行われ、子供だった南極にとって単独外出は厳禁だった。昼間でさえ注意が必要な極地で、夜に出歩くなど自殺行為に等しい。
だから、「夜景を見に行く」という行為自体が、南極にとっては冒険だった。
しかし、ここで意見が分かれた。地元の子供である流星たちにとって、栄郎の言う景色は見飽きたものであり、わざわざ見に行くほどのものではない。
「俺たちは商店街に残るわ」
流星たちはそう言い、友達と南極は二人で商店街を抜け、阪海工の校舎を通り過ぎて岬阪神社を目指すことにした。
「ったく、騒がしいと思ったら、やっぱり野球部の連中か」
友達たちが去った後、金井家の屋台に一人の着物姿の女性が現れた。
派手すぎず品のある着物を纏い、化粧も髪型も完璧に整えている。栄郎はてっきり一般客だと思って振り返ったが、その顔を見て息を呑んだ。目の前にいる「美女」の正体に気づいてしまったからだ。
「柴、柴門?」
「あら、化粧してるのによく分かったわね、金井」
野球部マネージャー(兼選手)の柴門玉里だ。男性でありながら、その女装のクオリティは完璧だった。少し中性的な響きのある声で、彼は着物の袂から注文票を取り出し、栄郎に手渡した。
「家の者が注文した正月用の日本酒、受け取りに来たわよ」
「…………」
あまりの美しさに呆然とする栄郎に、玉里はふふっと笑った。
「栄郎、私が見惚れるほど綺麗なのは分かるけど、今は客よ」
「あ、ああっ! ご、ごめん! すぐ家族に伝えてくる!」
我に返った栄郎は、慌てて屋台の奥へと駆け込み、つんのめって転びそうになった。その後ろ姿を見送りながら、玉里は「あいつ、大丈夫かしら?」と呆れつつも、あることに気づいていた。
栄郎が、店番用の伝統的な防寒着「半纏」を着ていたことだ。
裕福な家のボンボンである栄郎のことだ、こんな寒い日は家の中でぬくぬくと年越しを待っているものだとばかり思っていた。どうやら自分の思い込みだったようだ。
「こちら、お品物です。毎度ありがとうございます」
戻ってきた栄郎は、注文の日本酒を玉里に手渡した。そして手際よく紅白の紐を操り、贈答用の美しい飾り結びを作った。
「意外と手先が器用なのね。野球もこれくらい上手ければいいのに」
「へ……へへ、面目ない。頑張るよ」
玉里の毒舌に、栄郎はバツが悪そうに頭をかいた。
「それにしても、柴門が女装するのは知ってたけど、こんなに本格的な着物だとは思わなかったよ」
「だって、普通の格好で阪海工の生徒が酒を買ってたら、変な噂立てられるでしょ? 未成年の息子にお使いを頼むうちの親も親だけど、常識なさすぎよね、全く……」
「はは、確かにそうだね」
栄郎は苦笑した。どうやら柴門玉里の毒舌は、身内に対しても容赦がないらしい。
「あんた、今夜はずっと店番?」
玉里が尋ねた。
「いや、想像してたほど忙しくはないんだ。でも、ここは家の商売だし、ひょっとしたら将来継ぐことになるかもしれないから、今のうちに慣れておこうと思ってさ」
「栄郎……あんた、家業を継ぐつもりなの?」
不意に真顔で尋ねられ、栄郎は言葉に詰まった。その様子を見て、玉里はすぐにいつもの調子に戻った。
「ま、いいわ。せっかくの正月に湿っぽい話はなしにしましょ。じゃあね」
「あ、あのっ! 実はまだそこまで考えてなくて! 家業も、野球も、他にもいろいろ……あっ! ご、ごめん! 着物を引っ張るつもりじゃ……!」
立ち去ろうとする玉里を無意識に引き留めようとして、栄郎の手が着物の袖を掴んでしまった。勢い余って襟元が少しだけ緩み、玉里の白磁のような鎖骨が露わになった。
それを見て、栄郎はカッと顔を赤くした。
対照的に、玉里は慌てることなく着物の襟を直した。
「ねえ栄郎、今、暇?」
「え、うん? あるけど……」
栄郎が戸惑いながら答えると、玉里は持っていた酒の袋を強引に栄郎に持たせた。
「じゃあ、この酒持って。私の着物を着崩したお詫びに、神社への参拝に付き合いなさいよ」
「えっ?」
「何、嫌なの?」
「いや、嫌じゃないけど……着替えてくるから待ってて」
「そんなの面倒くさいわよ。そのままでいいわ」
玉里は妖艶に微笑んだ。
「あんたの半纏と私の着物……お似合いじゃない?」
「お……分かった」
そ、それってどういう意味だ?
栄郎がその言葉の真意を測りかねていると、玉里はすでに歩き出していた。栄郎は慌てて、商い用の下駄を「カラン、コロン」と鳴らしながら、その背中を追いかけた。
※※※※
一方その頃、山道を登っていた南極と友達は、眼下に広がる景色に息を呑んでいた。
「すっげぇ……」
二人は思わず感嘆の声を漏らした。
這一段描寫了兩人在前往神社途中的交心時刻,氣氛從日常轉為魔幻,最後定格在新年鐘聲響起時那份曖昧而溫暖的情感。
我延續了分段排版的風格,並精確翻譯了關於「非日常感」、「一番太鼓(新年的第一通鼓聲)」以及兩人間微妙的情感流動。
第四十二章 野球部、あけましておめでとう(除夜の鐘と一番太鼓)
岬阪神社への道は、普段野球部の練習で通う潮風グラウンドへのルートと同じだ。ただ、途中の分岐点が違うだけである。
しかし、商店街から続く三色の提灯の列が、学校や寮の外まで延々と伸びている光景は、いつもの通学路を一変させていた。日常の風景が魔術にかかったかのように、幻想的で「非日常」な景色へと姿を変えていたのだ。
二人が参道の坂を登っていると、慣れない草履のせいか、友達が足を踏み外し、後ろにいた南極の分厚い胸板に背中からぶつかってしまった。
「あ、ごめ……」
友達が謝ろうとすると、南極の方が先に口を開いた。
「歩きにくいなら、抱っこして運んであげようか?」
「ただ躓いただけだよ。……全く、この服は面倒くさいな」
友達は着流しの裾を直しながら文句を言ったが、それでも歩みを止めることはなかった。
神社の石段の下まで来ると、提灯の明かりが一段一段を照らし出していた。
その光景を見て、友達はかつて台湾で馬耀たちと遊んだ日本製のRPGゲームの世界が、そのまま現実に現れたような錯覚を覚えた。南極にとってもそれは同じで、まるでアニメのワンシーンに迷い込んだような高揚感があった。
日本の祭りを体験したことのない二人の少年は、静かに、しかし確かに興奮していた。
けれど、ふと友達の脳裏に、先ほどの川頼さんとの会話がよぎった。
「日空……。俺ってさ、やっぱりわがままなのかな?」
「どうして?」
「姉さんや川頼さん、それに母さんが、俺が日本に来るためにどれだけ骨を折ってくれたか、頭では分かってるんだ。なのに当時の俺は、日本になんて来たくないって駄々をこねて、野球のことで大人たちを困らせて……。それでもまだ、こうして野球に執着して譲らないなんて……」
(これじゃあ、俺はまだ成長していない子供のままなんじゃないか?)
友達が俯くと、坂を登りながら南極が言った。
「それなら、僕も黒川兄ちゃんに『お前はわがままだ』って叱られたことがあるよ」
「え? 日空も? ……でも、俺よりはマシだろ?」
「どうかな。僕を南極から日本に連れてきた当初の目的は、野球をさせるためじゃなかったんだ。成人する前に、できるだけ早く人間社会に適応させるためだった。実はね、黒川兄ちゃんが言うには、いくつかの有名な私立進学校から、好条件の奨学金付きでオファーが来てたらしいんだ」
「うわ、すげぇ! ……で、それを断ったのか?」
「うん。なんだか、一方的に利益を与えられる感じがして……気持ち悪かったんだ」
(そんなすごい場所なんて行きたくない! 僕は野球漫画みたいに、仲間と一緒に泥だらけになって野球をして、寮で暮らして、毎日練習で悩んだり笑ったりできる場所がいいんだ! 野球のない学校なんて退屈で死んじゃう!)
「……って、大人の前で大騒ぎしたんだ」
南極は懐かしそうに笑った。
「お前がそんな風に駄々をこねるなんて想像できないな。……まあ、確かに日空は時々うざいけど」
「えっ! 友達、僕ってうざいの?」
「ああ。例えば、隙あらばすぐに抱きついてくるところとかな。百回やめてくれって言っても、また抱きついてくるだろ?」
「あ、あはは……。その、やっぱり……嫌い?」
南極が不安そうに尋ねた。
「……最初はそうだったよ。でも、今は……」
長い石段を登り切り、二人はついに鳥居の下に辿り着いた。
友達は南極を見上げた。その背後には、海に浮かぶ無数の漁火が瞬き、湿った海風の中で幻想的な光景を作り出している。
色とりどりの提灯の光を浴びて逆光の中に立つ南極の姿は、周囲の空気までも曖昧に溶かしてしまうような、不思議な引力を放っていた。
友達は生唾を飲み込んだ。さっきの言葉の続きを言おうとしたが、この雰囲気の中ではどうしても言葉にならなかった。
彼は視線を逸らし、目の前の南極に対してなのか、それとも眼下に広がる岬阪町の夜景に対してなのか、分からないように呟いた。
「……憎めないな、ってことだよ」
「え? 友達、なんて?」
南極が聞き返そうとした、その時――。
ドォォォォン……!
神社の本殿から、新年を告げる「一番太鼓」の音が重々しく響き渡った。
一月一日。新しい年が明けたのだ。
友達と南極は鳥居の下に佇んでいた。眼下には海と漁火の絶景、周囲からは参拝客たちが交わす「あけましておめでとう」の声がさざ波のように広がっていく。
太鼓の音が止んでも、二人の間を流れる不思議な高揚感は消えなかった。友達と南極は、互いの目を見つめ合った。
「友達、おめでとう」
南極が太陽のような笑顔で言った。
その言葉に、友達の胸の奥がじんわりと温かくなった。彼は自然と笑みをこぼし、短く答えた。
「おめでとう、南極」
今年の台湾の旧正月(春節)は2月17日にあたる。
そこから約一週間の連休が続く。
日本の正月が「紅白」を基調とした静謐なものであるのに対し、
台湾のそれは縁起の良い「大紅(真紅)」に彩られた、賑やかで喜びに満ちたものだ。




