45.彼の罪悪感
馬の速度を限界まで上げて砦へ急ぐ。
夜間のおかげで行く道々に人影はなく、思いっきり馬を駆けさせることができたのは幸いだ。
砦に辿りつた時は、すでに月が中天に差し掛かろうとする頃だった。
馬を夜間警備の者に預け、俺は砦の中に駆け込み裁縫室目指して疾走する。
いつもならそんなに遠く感じない目的の部屋が、今とても遠く感じられる。
こんなに遅くなるとは、思いもしなかった。
裁縫室の扉をノックするのも、もどかしくそのまま扉を開けて中に入る。
「済まない、待たせた」
裁縫室で一人で待っていた彼女に詫びる。
彼女は、大丈夫ですとでもいう様な笑顔で俺を迎えてくれた。
そこからは、彼女の指示通りに礼祭時用の軍の正装をきっちりと着込み、剣を持ち動く。
左右片手、両手双剣、仮想の相手を想定して剣を振るってみる。
違和感を感じたところでやめて、彼女にその都度そのことを伝えては上着を脱いで彼女が修正を入れる。
それを何遍も繰り返す。
彼女の手先に迷いはなく、縫製を解いたり縫い合わせたりと繰り返す。
ある程度違和感がなくなった所で、「後は仕上げだけですから」と俺を案じる様な表情で彼女に寝るように促された。
明日は、朝かなり早い時間にここを出なくてはならないことを知っているのだろう。
しかし、俺より彼女の方が寝たほうがいいほど疲労感が漂っている。
だが、彼女に就寝を促すことは出来ないのだ。
それに、俺が彼女のそばにいても何の役にも立たない。
かえって邪魔になるだけだ。
必ず間に合わせますと力強く頷いた彼女を置いて、俺は後ろ髪を引かれる思いで裁縫室を後にした。
言い様のない罪悪感と疲労感を引きずりながら私室に戻る。
結局の所彼女は、俺の迸りでしないでもいい苦労をさせることになってしまった。
なのにだ、彼女に対して今の俺が出来ることは彼女が言うように体を休めるだけだ。
戦いに身を置く者として、休める時に休むのは基本なのだから。
重く深い溜息を吐きながら、私室の扉を開く。
広くなくかといって狭いわけでもない、ちょうど良い広さの部屋。
彼女が、全部整えてくれた俺の部屋。
青を基調とした色合いの室内で、家具はとてもシンプルなのだが使い勝手がよく、目利きの者が見ればそれは見事な逸品と判る。
俺にとってはほっとする、一番落ち着け休まる場所の一つだ。
夜着に着替え寝室の寝具に身を横たえる。
だが、彼女のことが気になってなかなか寝付けない。
それでも休まなければと目を閉じる。
冷えていると思った寝具は、ほのかに暖かく微かに日の匂いがした。
その暖かさに身をゆだね意識をゆっくり沈ませる。
香る日の匂いは、彼女を思い起こさせ更に俺を安らかな眠りに誘った。
自然と意識が浮かび上がり、ふと目が覚める。
短時間での睡眠の割にかなり体が軽く感じる。
眠気が残る頭を振るい起き上がり窓を見ると、外は薄らと明るくなり始めていた。
俺は、寝具を出て洗面所に行き、備え付けられている大型の水差しから水を洗面器に移し見苦しく無いように髭を剃り洗顔する。
水差しの水は、ほのかに迷迭香の香りがした。
迷迭香は、消臭や殺菌作用があるらしい。
俺の私室の管理を全て請け負ってくれている彼女の心配りに感謝が絶えない。
その後常設されている浴室に入り水差しに残った水で入念に身を清め、脱衣室に常時用意されている軍服の下に着込む軽装に素早く着替え、自室の執務室の壁に掛けていた愛用の剣を剣帯に差し部屋を後にする。
小走りに裁縫室へ急ぐ。
ノックはせず音を立てないように裁縫室の扉を開いて中の様子を見れば、胴型に掛けられた煌びやかだが品の良い軍服の前で安堵のため息を付く彼女を見つける。
間に合ったようだ。
そっと中に入り、驚かせないように彼女に声をかけようとした瞬間彼女の体が傾いだ。
俺は、慌てて彼女に駆け寄り崩れ落ちる彼女を抱きとめた。
完全に意識がないようだ。
疲労感が漂う顔色をしているが、表情は穏やかだったのがせめてもの救いだろうか。
そのまま、横抱きに抱き上げ一時的に彼女を部屋に備え付けられた長椅子に横たえる。
こうして彼女を抱き上げたのは二度目だ。
一度目のときは空から落ちてきた彼女を抱きとめた。
抱き上げた彼女は、あの時と同じく暖かく日の匂いがした。
彼女が、懸命に仕上げた礼装の軍服を身に纏う。
上着はもちろん礼装用の中着と下履き、長靴に手袋、飾釦と外套まで一式揃って置かれていた。
もともと、ここで着替え最終点検をする予定だったからだ。
用意されたものを全て着込んだ後、体を軽く動かしてみる。
全く阻害が感じられずに潤滑に動ける。
修正確認のために着た時も思ったが、かなり装飾が付いているのにかかわらず衣装がかなり軽い。
装身具を全て身につけても、驚く程軽いのだ。
あらかた動作確認を終えると、長椅子に横たわる彼女をそっと抱き上げ裁縫室を後にする。
彼女の私室に入るのは躊躇われるので俺の私室の隣にある控え室に入り、仮眠用の寝具に靴を脱がして彼女を横たわせ上掛けをそっと掛ける。
腕から伝わっていた温もりが失くなり少し残念に思う。
彼女の側を離れがたく彼女が眠る寝具に浅く腰掛け暫し彼女の鮮やかな髪にそっと指を通す。
さらりとして指通りが良い。
何時までも触っていたくなる心地よさだ。
しかし、そうやっている訳にもいかない。
窓を見れば、外はもうすぐ日が昇る時間となる。
黒砦をでなければならなくなる時間が迫っていた。
今年だけなのか今年からなのか、かなり練武祭の祭事内容が大幅に変更された。
青騎士団、白騎士団、黄騎士団の閲兵のための部隊行進は同時に行われるように変更され日が中天に指す少し前に行うことになり、残りの二騎士団も、赤騎士団は日が沈む前に、黒騎士団は日が沈んだ後に変更された。
武道大会も内容が変更され、日が中天に指す頃から赤騎士団の部隊行進が始まる前の間に例の馬鹿げた模擬試合と時間制限のある各騎士団総当たりの御前試合が行われる事となっている。
俺は寝具から腰をあげ、彼女の頬を軽く撫でその額に口付けをそっと落として、彼女が眠る部屋を後にした。
練武祭が、始まる。
忙しい一日の幕開けが・・・・・・
これにて第五幕が終了で、幕間2話をはさんで第六幕が開始となります。
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