二話『お嫁さんとの出会い』
◆ノワール・ブランシュ・ハイラキア視点◆
メイドに案内された自室にて、着替えだったり湯浴みだったりを行う。日本のお風呂と同じ文化があるらしい。この国は水資源が豊富なのだろう。
……が、まあ、そのどれもメイドがついてくるというのが恥ずかしかったけれど。
着替えは手伝われるし、湯浴みにもついてこられるし。なまじ世話をしてくれるメイドが美人で、なおのこと恥ずかしかった。変な行動をするのもまずかろうと、とりあえず従ったのだが。対応は間違っていなかっただろうか。
メイドは名前をローズと言うらしい。敬称をつけるのはまずいだろうし、俺も主人らしく尊大な口調を心がけてはいるが、ボロが出ていそうで怖い。
時間をかけて彼女の人柄をきちんと見て、必要なら身辺調査も行って。ローズが信用できそうなら、メイドの立場からも王族の立ち振る舞いを教えてもらった方がよさそうだ。
――そして、その翌日。
元の世界より美味しくはなかったものの、豪華は豪華だった朝餉を終え。部屋で待っていればローズが呼びにきたので、ついて行ってみれば兄上が来ていた。
「明日会わせてやる」と昨日言っていたので、いよいよ俺のお嫁さんに会えるのだろう。
〝人柄だけならいい〟という女。ついでに見目麗しいとか。不安になるような楽しみなような……いや、これは緊張しているのだろうか? 自分の内心がよくわからない。
――案内されて部屋から出る。廊下には兄上の姿が。ひとまず挨拶しよう。
「おはようございます、兄上」
「ああ、おはよう。馬車でアイツの職場に向かう。危険はないから安心してくれ」
開口一番、すごいことを言われた。「危険はないから」と予め念を押されるということは、つまりパッと見は危険なところだということだ。
「……どこに行こうって言うんですか」
「戦場だな」
もうなんだか聞き返す気力もない。顔を顰めることで兄上への返答として、大人しく連行されることに。
◇
道中、話を聞かされた。
――この世界は、わかりやすい〝滅び〟が蔓延っている。
世界が崩壊する予兆があったり、この世を滅ぼそうとする魔王がいたり、異世界から害ある人間や怪物、災害を呼び寄せてしまったり。
そういう所謂〝大物〟でなくとも、放っておけば被害が洒落にならない怪物とか、無闇矢鱈と危険な研究とか。とにかく世界や人類の存亡に関わる危機がたくさんある。
ここでも、兄上の気の抜けた口調に惑わされた。この国だって滅びかけたことがあるはずなのに、なんとも緊迫感に欠ける物言いである。
「――で、それを放置するわけにも行かないだろ? だからこの世界には、それに対処できる救世主が何人かいるんだ。光の御子とか、黒勇者とか。剣聖とか魔弾ってのもいるな」
救世主。まんま〝世を救う者〟のことだろう。
「その救世主の一人が、この国に騎士として仕えてる精霊魔法使い、お前の嫁になるノエル・イノセンスだ」
――精霊魔法使い。それが、彼女が人類最強たる所以だろうか。
「精霊魔法というのは?」
「精霊に力を乞う魔法だな」
「はあ」
「ああ」
……あれ。
「……それだけですか?」
「あんまし詳しくわかってないんだよ。なんせ使い手が世界に一人しかいない。ついでに真っ当な魔法でもない」
「……なるほど」
つまり、単純な研究不足でわからないと。真っ当な魔法とやらがわからないので補足の方は理解不能だが、そちらはもうおいおい覚えていけばいいだろう。
「その使い手が言うには、人類の創造主である精霊に力を乞うて身に降ろし、手足としてその力を振るうとか」
……ふむ。創造主と言うなら、掛け値なしの神様なのだろう。その力を使うのだ、そりゃあ人類最強だろう。
『ギシャァァアア!』
精霊魔法のだいたいの概要がわかった、そんな時。遠くから……もっと言えば、俺たちの進行方向から。なんかすごい雄叫びが聞こえてきた。
「……今のは?」
「敵だな。竜種だ」
まずい、兄上の自然体っぷりと口調に惑わされる。俺まで緊張感がなくなっていって、これではやばい。
明らかにドラゴン的な鳴き声だった。「竜種だ」とも言っている。「敵だな」ではない。人類最強の女が行先にいると言うなら、つまり戦場というのはそのドラゴン的な奴と戦っているところということではないか。
「……アレのところに行くんですか?」
「そうだな」
遠回しに、「行っても大丈夫か?」と確認したかったのだけれど、予め念を押されていたことだ。兄上も呑気にしているし、どうやら無駄なようである。
――そうして馬車に揺られ、戦場だと言うそこに連れてこられて。兄上に促されて馬車を降り、今正に戦いが始まろうかというところを見やる。
そこに、世界でただ一人精霊魔法を行使できる、人類最強の女がいるという話なのだが……。
「……あれですか?」
「あれだな」
兄上が呑気に言う。彼の雰囲気に流されて俺まで脱力しているが、それはなかなかに衝撃的な光景だ。
――敵はやっぱり、ドラゴンと呼ばれる類いらしい。
コウモリのような翼を持ち、前足は退化していて後ろ足で立つ、でっかいトカゲ。凶悪すぎるご尊顔は巨大も巨大で、尻尾を含めた全長は目測で15メートルはくだらない。ワイバーンとか翼竜とか、そういう名前をつけられそうだ。或いはリオなんとか。
そのドラゴンな敵の目の前に立つのは、白いなにか……あいや、人だろうか。あまりに全身が真っ白で、体躯が小柄で華奢な上、存在感が希薄すぎてよくわからなかった。
あれが人類最強という女だろうか。俺のお嫁さんだとか言われた奴だ。中学生に見える小柄な体格、足元まで伸びた綺麗な白髪と、白い服に簡素な鎧。彼女の持つ雰囲気が白すぎて、鎧まで真っ白に見えてきた。
「って、危ない――!」
彼女の立ち姿は無防備に過ぎた。15メートルはあろうかというバカでかいドラゴンの目の前で、無防備に突っ立っている。危ないにも程があるし、まして武器のひとつもない。
精霊魔法がいかほどかは知らないが、あれでは危険すぎる。なにより、中学生程度の年齢の女の子がいていい場所にはとても見えない。
……そう思って、思わず駆け出した俺の足を止めたのは。他でもない、彼女自身の声だった。
――銀鈴のように、凛と透き通った声だ。小声のように頼りないはずなのに、その声は少し離れた俺までしっかりと届いてきている。
一点の曇りもなく、ただただ言葉を謳うその声は。……いいや、彼女の声も姿も、なにもかも――
「――乞い願う」
――綺麗だと思った。
彼女は敵の前だと言うのに無防備で、棒立ちという表現が正しい。そればかりか目まで瞑り、人類最強という称号は偽物ではないかと思うほど。
けれども、そうして棒立ちになる姿が、どうしてだろう。
「――万象に、天地に、私はその奇跡を願う」
――どうしようもなく、美しく見えた。
どこにいようと心を乱すことなく、その声は聞く者の心に安寧をもたらす。彼女に色をイメージするならば、それは外見と同じく真っ白だ。――真っ白な、無垢な少女だ。
少女の名を、ノエル・イノセンス。〝無垢なる誕生〟という意味のそれは、なるほど確かに、彼女にこそ相応しい。
長く伸び、足元にさえ届こうかという白髪。肌もシミ一つなく、正しく純白のような彼女。誕生という、生命の神秘の象徴とも言えるそれに相応しい、無垢な少女だ。
白く、どこまでも白く。ともすれば空気にも溶けていきそうなほど希薄な、儚い美しさ。――知らず、目が奪われていた。
「――誓いはここに。覚悟はここに。望みはここに」
――朗々と、〝詠唱〟が響く。
彼女を人類最強たらしめているのは、彼女の行使する御業に他ならない。
これが、話に聞いていた精霊魔法。人類よりも高次に位置する存在に奇跡を願い、力をその身に降ろして振るう、人智を超えた魔法。
……ああ、たしか、「乞い願う」とは、
「――乞い願う。力をここへ。未来をここへ。希望をここへ」
希望を天に願うからこそ、〝希う〟と――
「あなたの敵を滅ぼすため、どうかお力を貸してください――」
――詠唱が終わる。
彼女の身には既に、眩く輝く光と――敵を滅ぼすに見合った力が、天から授けられていた。
「――――」
静かに、彼女が右手を上げる。天を突くように掲げられた手を、指先までピシリと揃え。彼女の身に集まった光も、従うようにピシリと伸びた。
――その手が勢いよく振り下ろされた時、眼前の〝敵〟は、為す術なく討ち滅ぼされていた。
◇
「……あ、れは……」
「ハッ、驚いたろ?」
呆然とする俺の肩を、兄上が気楽に叩く。言葉の馴れ馴れしさに比べて、込められた感情はあまりに冷たかった。
敵を滅ぼし、あまつさえ世界を救う救世主の戦いぶりを見て、あまりにもな態度である。……だが、そうなるのも無理はないと思った。
――ノエル・イノセンス。彼女の強さは圧倒的だ。
いいや、圧倒的などというものではない。逆らう手段も意志も、彼女を見ただけで剥奪される。冒涜的なまでの強さに感じる畏怖は、言葉で言い表せるものではない。
〝アレには勝てない〟と、本能が警鐘を鳴らすのだ。アレには勝てない、アレに逆らってはならない、と。
……そうだった。彼女の結婚相手に、俺が選ばれた理由。異世界からの漂流者な上、既に死んだ身で、人類最強の婿を務めなければならないわけ。
――指先を動かすだけでこちらを殺すことのできる女を、この世界の人間が、どうして嫁に選ぼうなどと思えるのか。
だからこそ、異世界出身の俺が選ばれた。異世界人ならば、あの化け物と死を共にすることもできるだろう、と。
――だったらもう、迷う必要はないようだ。
「――――」
俺は無言で足を進める。周囲にわかりやすい敵はなく、彼女の身から光も消え失せている。ならばと、敢えて無警戒に彼女に歩み寄る。
足元まである真っ白なストレートヘア、穢れを知らない白い瞳と、陶磁器のように美しい肌。年齢は恐らく中学生程度の、幼い少女――ノエル・イノセンス。
「――あなたは」
先んじて、彼女が口を開いた。俺が憑依する前のこの肉体――ノワールと彼女とは面識がないと聞いている。だが向こうからは顔を知られているはずだ。なにせ王族である。
言葉は慎重に選ぼう。俺は、彼女に求婚する身なのだから。
「いえ、御身は……」
彼女は居住まいを正し、礼をしようとする。当然だ、俺は王族で、彼女は一介の騎士。身分の差は計り知れない。
――彼女の騎士礼を手で制し、代わりに俺が彼女の眼前で跪く。
前の世界ならキザな仕草でも、王族となった今行うなら様になるはず。むしろこれが正しい立ち振る舞いだ。
「――初めまして。私はノワール・ブランシュ・ハイラキア。レディ・ノエル、あなたに一目惚れしました。このような場で、渡せる花束の一つもないことをお許しください」
「……は?」
彼女――ノエルが目を丸くした。無理もないだろう。俺が言ったことは突拍子がなさすぎる。
が、まあ、恐らく彼女だって話には聞いていたはずだ。この国の第三王子と結婚することになった、と。だから求婚の話自体は織り込み済みのはず。問題なのは「一目惚れ」だろうか?
――ノエルは、救世主という立場で崇められるよりも、持った力によって恐れられてきたはずだ。
そんな彼女が、「一目惚れしました」という男を前にして、言葉を信じられないのも無理はない。
……ああ、まずい。失敗した、本当に。花束とか用意するべきだったし、舞踏会だってこの世界にもあるだろう。きちんとした場と装いを選ぶべきだった。
でも仕方ないじゃないか。綺麗だったんだから。すこぶる綺麗な女の子の、ものすごくかっこいいところを見せられて。しかも事前に「あの子がお前の嫁になるから」と聞かされていたのだから、いても立ってもいられなかったのだ。
「……で、で、殿下……仰る意味が、わからないのですが……?」
震え声のノエル。俺は苦笑する。先ほどまで響いていた詠唱に違わず、普通の声も綺麗じゃないか。それなのにこうも震えていると、逆におかしくなってくる。
それよりも。「仰る意味がわからない」とは。……では、こうしようか。
「お手を、失礼します」
「はい……?」
彼女の左手をとる。おもむろに、その手の甲に口付けを。
こちらの世界で通じるかは知らないが……意味は〝敬愛〟。相手を尊敬し、親しく思う気持ちを表すキス。
主にプロポーズで使うものだ。
「……!?」
……ノエルが、すごく慌てている。敵の前ではあんなにも落ち着いて詠唱をしていたくせに、男の前だと恥じらうのだから可愛らしい。
敵の前に立つノエルは、抜き身の刃のように凛としていたが。こうして慌てる姿は年相応で、外見に相応しい可愛らしさがある。
「――後日、正式な場で求婚させていただきます。レディ・ノエル、その日までどうかお待ちください。今はこのキスで、私の想いを知っていただければ充分です」
「え、で、殿下……?」
俺は立ち上がる。名残惜しかったので、ノエルの手は握ったままだ。背丈は俺の方が上なので、ノエルは震え声のまま俺を見上げてきた。
その上目遣いにもかなりグッと来るものがある。やはり彼女はすこぶる美人だ。見た目だけで魅力を語ってしまうのもいけないが、しかし求婚したのが間違いだったとは思わないくらいの美少女っぷりである。
俺はロリコンではないと思っていたのだが、その認識は撤回しなければなるまい。いやそれとも、ロリコンでない俺を即座に射止めるほど、ノエルが美しいのだと言うべきか。
「――それでは、今日のところは失礼致します。また会える日を心待ちにしていますね」
本心からニコリと微笑み、ノエルの手を離してから馬車の方へ戻っていく。
なんだかすごく晴れやかな気分だ。向こうの世界で死に、こちらの世界に喚ばれたら死体に押し込まれて……と、あんまりな末路だったけれど。ようやく素晴らしいものが見れたというか、生き甲斐を見つけられたというか。
「……お前、やるな」
「どういう意味ですかそれ」
馬車の下に戻れば、呆気に取られた兄上が口を半開きにしたままそう言ってきた。俺はジト目で言い返しておく。
曰く、「なに言ってんだアンタ」、と。
――ちなみに。俺とノエルを会わせる、というのはこの後の話だったらしい。ノエルの方も、戦闘用の無骨な鎧姿で第三王子と会うわけにはいかないからだろう。それを俺がぶち壊してしまった。
ノエルが戦う様を俺に見せたのは、単に「あれが人類最強の所以だ」というのを示したかったからのようである。
……本当に、失敗した。
でも後悔はない。まあ、反省はしておこうと思う。
――と、それともう一つ。
明らかに少女で、この世界の成人が何歳からかは知らないもののどう見てもその年齢に達しているようには見えないノエルのことで、ちょっと気になることがある。
「……というか、ノエルと俺って結婚できるんですか? 彼女、まだ成人前ですよね?」
婚約になるのか? という俺の疑問に、兄上は真顔で答えた。
「あいつは成人してるぞ。お前と同い年だ」
「……はい?」
――そして、ものすごい新事実が明らかになった。
合法ロリ、なんて言うんだったか、こういうの。
◆ノエル・イノセンス視点◆
滅びへの対抗者、正義の味方、人類の未来を担う者、創造神の代行者。
――世界の救世主、精霊魔法使い。
「――――」
自らに向けられた人々の羨望と畏怖、果てはそれらの呼び名にまで嫌な気分を覚えるようになったのは、いったいいつからだっただろうか。
――朝、目が覚める。
場所はハイラキア王国の王都、その外れに位置する衛兵の詰所。衛兵たちが寝泊まりする宿舎の、その端っこの一室だ。
王都の貴族は、「あんな危険な女を傍に置くのは嫌だ」と言うくせに王都の警護はしてほしいらしく、妥協点として王都の端にある衛兵の宿舎が私の住処となっている。
その宿舎の中でも恐れられ、この部屋の周りに近づく者もいないというのだから筋金入りだ。
「…………」
――目が覚めて、そこから私の一日が始まる。
眠気を覚ますために伸びを一つ。それから、ささやかな同居人へ朝の挨拶を。
「おはよう、エルブ」
『おはよ、ノエルお姉ちゃん』
窓際に置かれた小さな鉢植えに植えられた、小さな観葉植物。そこに住む……というより、そこが落ち着くからと、観葉植物に寄り添うように鉢植えを寝床にしている精霊。
名前をエルブ。草木に宿る上位精霊の一柱であり、この王都へ務め始めた頃に知り合った精霊だ。
精霊に性別はないが、気性は小さな女の子っぽい。「お姉ちゃん」と呼ばれるのも慣れたものである。
――私にしか見えない、何色とも表現できない人型のようなモヤが、鉢植えの上でのんびりと広がった。
人間で言うところの、寝転がった、というものに該当する仕草である。彼女は絶賛日光浴……もとい、光合成中。草精霊の彼女は、これを普段の習慣としていた。
「フラムも。おはよう」
『ああ』
今度は、枕元に置いていた小さなキャンドルに――正確には、キャンドルの火に寄り添うように存在するモヤに。モヤは手短に返事を寄越してきた。
このモヤは、火に宿る上位精霊の一柱。名前をフラムと言って、気性は男っぽい。彼はぶっきらぼうで無愛想だが、私についてきている上位精霊の中では一番過保護で、私は勝手に兄のように思っている。
「ニュイからなにか言われているか?」
『いいや。特に変わりなかったよ』
私はフラムへ問いかける。フラムはぶっきらぼうに返してきた。
ニュイというのは、私についてきている上位精霊の内の最後の一柱。昼間にいる光精霊とは真逆の夜精霊で、三柱の中では私と一番付き合いが長い精霊だ。
気性は姉御肌の女性。私は彼女を勝手に姉のように思っていて、私とニュイはよく似ていると言われる。「変に男勝りで女っぽくないところが似てる」とは、ついこの間フラムから言われた言葉だ。
そんなニュイは夜精霊のため、昼間は活動しない。人間で言うところの睡眠に近いらしい。呼べば出てくるが、好き好んで昼間に行動しないのだ。
夜の間にニュイからなにか言われなかったかと思ってフラムへ尋ねてみたが、言付けはなにもないらしい。それならばいいかと、今日一日の予定を頭に思い浮かべながら着替えに手をつける。
「今日は……――」
『竜の討伐だ』
独り言を口にすると、フラムから返事が返ってきた。そう、今日の予定は竜の討伐である。
竜の中でも下級の飛竜。本来の生息域から追い出されたか、この辺りに巣食っているらしい。近隣の村から被害が出ているので、救世主としてこれを討伐してほしい、と。そういう次第である。
――救世主の役割は、世界の滅びの回避。
世界の破滅や魔物を統べる魔王、そういったものへの対処から、人類を食い荒らす怪物の討伐まで。時々、予言者という胡散臭い輩から指示を受けることもある。
国の精鋭でしか対抗できないような今回の飛竜は、正しく私の出番というわけだ。
「――――」
フラムへの返答はなく、寝間着にしている長袖のネグリジェを脱いで騎士服を身につける。左腕の二の腕部分にある酷い火傷痕をひと撫でして、下着姿から順番に服を着ていった。
――私の身分は、ハイラキア王国に務める一介の騎士。階級は小隊長。小隊の名前は特務小隊。五人程度の隊を率いることのできる階級だ。
と言っても、率いている部下など一人しかいないのだが。ともかく身分が騎士故に、装いもそれ相応のものがある。
「――フラム」
『おう』
「エルブ、行ってくる」
『行ってらっしゃい、フラム、お姉ちゃん』
着替え終わった。まずは朝食のために食堂に向かおうと、フラムとエルブに声をかけて扉に手をかける。
視覚にモヤが映っているというより、「そこになにかが存在する」という直感を中途半端に視覚に反映している、という説明が正しい。そんな姿をしたものが精霊だ。
もし私以外に精霊を見ることができる者がいるなら、私の左肩から左の二の腕にかけて、なにかモヤがまとわりついているように見えるだろう。フラムがそのようにして私についてくるのを確認して、私は自室を後にした。
◇
「――おはよう」
「あ、おはようございます、隊長!」
食堂で食事を終え、宿舎から出発し。王都の門の目の前にある、衛兵の詰所のその隣。そこにある私の小隊の事務所に出勤する。
ここは執務室や鎧を保管している武装庫、それに伴う更衣室、仮眠室や給湯室など。執務に関わる設備が集まった、私の小隊専用の詰所だ。
その執務室に行けば、私の副官が既に出勤していたので。彼女に挨拶をすれば、元気よく明るい声が返ってきた。
「聞いてくださいよ〜! 今朝、嫌な奴の顔見ちゃったんです! わざわざ朝っぱらから私に顔を見せに来るとか、酷いと思いませんか?」
元気のいいまま愚痴を言い始める彼女は、名前をティファニー・ベルラン。私と同じく王国に仕える騎士にして、私の小隊の副官兼、私が有する唯一の部下だ。
元伯爵家の娘で、出会った当初はなにかと荒んでいたが……まあ、今は見た目通りに明るい女性である。ちなみに私より年上だ。
「ティファニーに顔を見せに来ていたのか? その嫌な奴というのは」
彼女は没落した伯爵家の一人娘で、しかも婚期を逃して夫もおらず、女だてらに騎士をしているのも国王が温情をかけたから。当然疎ましく思われており、私の副官に宛てがわれたのもそれが原因だ。
わかるように陰口を叩かれることも多く、以前私がそれを咎めてからは私の前では言われなくなったが。それでも言われることはあるのだろう、今回もその類いと見た。
陰口を言われるのは辛いものだ。それをなにより理解できている私は、彼女の愚痴には素直に付き合うようにしている。
「いいえ? なんか別件で来てたみたいです。私と会ったのは偶然じゃないですか?」
「…………」
しかし、尋ねた事柄にはそんな返事が。ティファニーの言い分だと、偶然会った相手に対して「私に顔見せに来んな」と言いがかりをつけているようなものだ。
そんなことを言いたくなる相手だったのかもしれないが、さすがにそれは……まあ、うん。わからなくもないので、それくらいの言いがかりは許容しよう。本人に直接言ったりもしないだろうし。
「それは災難だったな」
「ほんとです! あれで伯爵だって言うんですから、この国も酔狂ですよ!」
「そういうことは公の場では言わないようにな……」
「それはわかってます。隊長の立場は落ちないでしょうけど、私の評判は落ちますから!」
強かなことだ、と私は呆れて、そんなことが言えるなら心配なさそうだと話を切り上げる。
『それって誰だ? 燃やしとくか?』
「ダメだ、フラム」
肩のフラムが不穏なことを言ってきた。フラムも昔は私にだけ過保護だったのに、今ではティファニーにも情が湧いているらしい。
火精霊だからか、火のように気性が荒いところもあるフラム。特に陰口や皮肉を酷く嫌っていて、私がそれを言われた日には報復を始めるのだ。
しかし、そんなことをしても返ってくるのは評価の失墜だけ。フラムには口を酸っぱくして「ダメだ」を言い続けている。
――私がフラムへ返事をしたことで、ティファニーとの会話が途切れた。それを機に話題を変えるべく、私からティファニーへ話を振る。
「書類仕事はどうだ?」
「あらかた片付いてます。すぐにでも出られますよ。今日は竜種の討伐でしたよね?」
私とティファニーで構成された二人だけの小隊、特務小隊は、つまり救世主たる私を運用するための体のいい駒である。
しかしそんな小隊でも書類仕事は存在し、それが溜まっていては救世主の本分が行えない。
そういうわけでティファニーに確認をとったが、書類仕事は片付いているらしかった。ならばすぐにでも、竜の討伐に出向くとしよう。
めんどくさいことは早めに片付ける主義であるし、竜の討伐をすれば報告書作成という書類仕事が増える。暗くなってしまえば討伐も困難になるし、朝の内から行ってしまうのが手っ取り早いのだ。
「ああ、下級の飛竜討伐だ。私一人で出る。留守は任せていいか?」
「お任せください!」
元気よく、そして冗談っぽく。にこやかに騎士の敬礼で応じてくれるティファニー。実年齢はもちろん、外見年齢も凄まじく私の方が年下なのだが、そんな私でも「隊長」と慕ってくれるのはありがたい。
私も微笑みながら答礼をして、鎧に着替えようと執務室を後にした。
◇
胸当てと腰当て、篭手だけの貧相な鎧。どれも品質がそれなりの、国からの支給品である。
私は髪が白く、目も白く、肌も同じく白――と、とにかく白一色の外見。なので、騎士服の上から鎧をつけただけの装いであっても、鎧まで真っ白に見えてしまうような雰囲気だ。
気飾れば栄える、とは自分でも理解しているが。夜会でもなければ見せる相手がいるわけでもなし。戦闘時の服といえば簡素なものでも構わないので、自然といつもこんな装いになってしまっていた。
――そんな格好に着替え、武器は必要ないため持たず、足のために馬を一頭借り受けて王都から目的地へ走らせる。
飛竜が住み着いたとされる場所は、ここからほど近い村の傍。馬であれば時間もさしてかからない、本当に目と鼻の先である。
飛竜の巣に近い村を尋ね、身分証とともに身分を明かして馬を預ける。……村長や周りの村人から向けられる懐疑の視線は、もう慣れてしまった。
精霊魔法が原因なのか、元々の体質なのか。とにかく私は燃費が悪い身体をしており、いくら食べても足らず、あまつさえ成長しない肉体をしている。
齢18にもなろうというのに、未だに成人前の子供に見られる外見なのだ。だと言うのに人類最強と呼ばれているのだから、疑うのも当然である。
……そう言うからと思って力を示せば、今度はその力に怯えて人が離れていくのだから、いったい私にどうしろというのだろう。
「――――」
いや、それはいい。今は飛竜だ。
巣があるとされているのは、村の近くにある山。村長の話によれば、巣穴になる洞窟かなにかがあるのだろう、とのことだ。
飛竜は総じて身体が大きいため、巣穴に殴り込みでもしたら周囲に生えている木が被害を被る。それでは村の産業に影響が出かねないし、なにより木に住む精霊に申し訳が立たない。
なのでまずは、なにもない平地に飛竜を誘き出すところから。
「――フラム、飛竜を巣穴から誘き出すことはできるか?」
『ああ』
「頼んだ」
ずっと私の左肩にいたフラムが、私の言葉を受けて離れていく。少しだけ寂しさを覚えたが、それはすぐに振り払って。私は目星をつけたところまで走って、そこで待機する。
『ギシャァァアア!』
来た。巣穴があると言われていた山の上空に、目的の飛竜が飛び上がる。
フラムは火の精霊。周囲の熱を感じ取って生き物の場所を特定したり、多少であれば火を操れる。巣穴にいる飛竜に火をけしかけ、刺激するとともに巣穴から追い出したのだ。
「すぅ、はぁ……」
今の飛竜は酷く気が立っていることだろう。いざこれから活動しよう、という時になって、巣穴の中に火が起きたのだから。しかも精霊は私以外では容易には知覚できず、それは飛竜も同様。不審火が家の中に突然現れれば、それはもう慌てるはず。
そして空へ飛び上がった飛竜に向かって、私がここから攻撃をする。
「――!」
――身体の中の、中心部に意識を向ける。
そこに存在する、魔力と呼ばれる力の塊。酷く小さなそれを体内を移動させて手のひらに集め、矢をイメージしながら飛竜へ向ける。
ついでに殺気も飛ばしながら、イメージした矢を飛竜に向けて発射。
私の魔力は弱く、魔法の技量も騎士の中では最底辺。そんな私が放った魔法の矢など、上空に存在する飛竜へは届かない。だが、
『――!?』
気を引くことはできる。
下級の飛竜とはいえ、竜種はすべからく魔力を持つ。魔力を持つのなら他者の魔力を探知することも可能であり、あの飛竜も自身へ向けられた殺気と攻撃に気がついたことだろう。
飛竜はフラムによる不審火で気がたっていて、そこへ矮小な人間が自身へ攻撃を行ったとなれば、
『――ギシャァァアア!』
当然、こちらへ向かってくる。
「――――」
向かってくる飛竜を見据えながら、しかし意識は他へ向ける。
視覚はそのまま、第六感を働かせて、周囲の精霊を探す。――いっぱいいる。
彼ら、彼女らは光精霊。太陽から浴びせられる光に寄り添う、小さく頼りないモヤたち。
私についてきてくれているフラムやニュイ、エルブと違って、自ら言葉を喋ることもできない下位の精霊ではあるが。
そんな精霊たちでも、この場においては充分だ。
「――乞い願う」
希う。
「――万象に、天地に、私はその奇跡を願う」
天地全ての精霊に、その御業を願う。
「――誓いはここに。覚悟はここに。望みはここに」
正義の戒めは胸の中にあり、我が身は戦うために此処にいて、手にした祈りをここに捧げよう。
「――乞い願う。力をここへ。未来をここへ。希望をここへ」
お力を我が身へ、祝福を全てへ、明日を生き抜く道筋を我が前へ。
「あなたの敵を滅ぼすため、どうかお力を貸してください――」
我はあなたの剣となり、未来を切り拓く者。眼前に蔓延る敵を滅ぼすべく、あなたの力を貸していただきたい――
――告げるは祝詞。精霊という名の神へ捧げる祈りであり、この祈りを以て力を降ろす。降ろした後は、それを手足のように扱うのみ。
「――――」
右手を天高く振り上げる。私に集った力も光となって、それは剣となる。
飛竜はもう目前。剣となった力を振り下ろす上で、最高の間合いに自らやってきてくれていた。
「――!」
――振り下ろす。光は奔流となり、眼前の敵へと襲いかかった。
集まってもらったのは光精霊。精霊魔法の素養がない人間でも見えるほどの濃密な〝力〟を、飛竜はまともにその身に食らった。
精霊の力は、ただ在るだけで〝敵〟に痛みをもたらすもの。それをこんなにも浴びて、無事でいられる生物はいない。
飛竜は私へ飛びかかろうとしたまま、その身を横たえた。
――血を一滴も垂らすことなく、肉体を傷つけることもない。それだけが、誰もから恐れられる精霊魔法の優しいところだと、私は勝手に思っている。




