十三話『グラトニー』
◆ノワール・ブランシュ視点◆
負傷した牧瀬さんをアンリさんが抱え、俺はノエルによって助けられながら歩き。
なんとか俺たちは、初めに作戦会議をした街へと戻ってくる。
元より泊まることになると予言者が予見していたのか、手配されていた宿の部屋にて牧瀬さんをベッドへ寝かせ、その脇で新たに作戦会議を行うこととなった。
威力偵察を行い、獲得した情報や所感を交えた、本命の作戦会議である。
「……あの悪食は、どう見えた?」
口火を切るのは、ここでも進行役を買って出たノエル。悪食の印象を問う質問だが、彼女の声色は重い。
それもそのはず。超常の力を宿す者として、かの悪食の異常さをその目で見てきたのだ。
――曰く、この世界の救世主をも凌駕する、理をその身に纏った者。
予言者の遣いが知らせたその言葉の、意味するところ……それがいかなるものなのかを、しかと。
「……俺の魔法が効いていなかった。あれは単純な強度とかじゃない」
それに答えるのは俺。戦闘の途中、苦し紛れに放った魔力の礫のことである。アンリさんが同意した。
「俺も同意見だ。あれは魔法の影響を受けていなかったんだろう」
初めの回避行動以外、悪食の監視に徹したアンリさんだからこそ気づけたことがあるのだろう。彼はそう言った。
それに、予言者の遣いの言葉を合わせると――
「……つまり悪食は、私たちから行う干渉を根こそぎ跳ね除けてしまえる、と?」
ノエルがそうまとめた。俺とアンリさんが頷いて同意し、続けてアンリさんが次の言葉を口にする。
「それから、アレは反応がよすぎる。自身へ向けられたものじゃなくても魔法に反応していただろう」
ノエルが撤退の判断を下し、その直後に俺が離脱用の魔法を編んだ瞬間。まるでその魔法に返事をするかのように、打てば響くようなタイミングで悪食は〝捕食〟を繰り出した。
そも、一番初めに牧瀬さんが行った小手調べこそ、反応がよすぎるというもの。徹底して無音で実行された牧瀬さんの魔弾に、悪食は撃たれた瞬間に反応してみせたのだ。しかも、その魔弾だって悪食に効いていない。
それは、まるで――
「まるで、魔法に〝返事〟をしてるみたいだった」
そう、返事のようだった。
声をかけられて、声を返すような、そんな代物だったのだ。
アンリさんもそれに同意し、今度は不思議なことを言う。
「ああ、悪食は〝食べること〟しか知らない。アレはそういう手合いだ」
「……と、言うと?」
アンリさんの言葉だけではわからず、ノエルが聞き返す。アンリさんは淡々と答えていった。
「誰かに話しかけられたら、俺たちは言葉で答えるだろう。或いは無視をすることもある。だが悪食は、それに〝捕食〟という反応しか返せない」
「それしかできないんじゃないのか」と、アンリさんは言う。
――それはなぜか、確信を持った言葉で。
それに至った理由はどうあれ、信憑性はあった。
「他も同じだ。周りでなにかが起こって、俺たちならそれに目を向けるだけでも、アレは〝捕食〟をする。……お前たちの魔法への反応がよすぎたのは、そういうことだろう」
アンリさんがそう言って、重い沈黙がその場を支配する。手酷くやられて逃げ帰ってきた今だからこそ、俺たちはアンリさんの言葉を重く受け止めていた。
言わば、「悪食に対する行動には、全てあの〝捕食〟が凄まじい反応速度で返ってきて」、「どんなに邪魔をしたとしてもそれは全く効かない」、ということである。
――絶望的な状況だ。悪食が活発に動き回る素振りがない、ということ以外、救いはない。
けれど、再びアンリさんが言う。
「……ノエル、アレの〝捕食〟は防げるか?」
「――――」
アンリさんはノエルへそう問うた。その質問が予想外だったのか、彼女は一瞬だけ面食らう。
しかしその驚きをすぐさま捨て、ノエルは真剣に考え込み始めた。彼女が持ち得る超常の力と、今しがた見てきた出鱈目な攻撃を、頭の中で見比べる。
「……発動するまでの時間を稼いでもらって、それから防ぐことだけに専念すれば、弾く程度はできるだろう」
そうして、ノエルはその結論を下した。断言をしない物言いだが、その根底には確固たる自信が敷かれている。
――精霊魔法とは、守る力。
俺自身も、似たものをこの身に宿しているだけあって、その力の本質は理解している。
たとえそれが冒涜的なほど絶対的なものでも、精霊魔法は慈悲深い力なのだ。
対する悪食の〝捕食〟も、強力無比なものである。ともすればアンリさんやノエルの力、つまりこの世界の救世主の力にさえ匹敵するほど。
――逆に考えれば、悪食の力に救世主の力が届きうる、ということだ。
「俺の力なら、悪食にも干渉できる。……どうだ?」
アンリさんの提案に、周囲が息を呑んだ。俺は、言葉数の少ないアンリさんの言葉を補足する。
「つまり、ノエルがアンリさんを守って、アンリさんが悪食に攻撃する……そういうこと?」
「ああ」
アンリさんが頷く。俺は今一度その提案を吟味し、確かに勝算があると納得した。
「……なるほど、それなら行ける。いや、というか――」
――そうすれば勝てるから、予言者がこの二人に声をかけたのか。
そんなことを思いついて、俺は微妙に顔を顰めた。予言者によって全ての段取りが組まれているこの戦い、顔も見たことのない輩の手の上で踊らされているようなもの。嫌悪感があった。
……が、そこでハッとする。
「――待った。その作戦で勝てるなら、悪食討伐にはアンリさんとノエルしか必要ない。牧瀬さんと俺が呼ばれた理由があるはずだよ」
そう。予言者によって全てが仕組まれているのなら、俺や牧瀬さんの戦力だって計算に入れなくてはいけない。
「……それなら、陽動じゃないのか」
ベッドに横たわりながら、今まで黙っていた牧瀬さんがそこで口を開いた。俺は「陽動?」と首を傾げ、次の瞬間にそれに思い当たる。
「……そうか、魔法に必ず〝捕食〟を返してくるなら、弾幕を張ればそれら全てに反応が返ってくる。つまり――」
「――ああ、奴の対応能力を削ぎ落とせる。ノエルの負担が減るだろう」
牧瀬さんが締めくくり、俺は顎に手を当てて思案した。その役割に関して、詳細を詰める必要があると口を開く。
「回避はどうするんですか? 魔法を使えば、必ず〝捕食〟が飛んできます。今日のアレはあまり連発できないでしょう」
「離れたところに魔法を展開して、そこから攻撃すればいいんじゃないか? 〝捕食〟は全部、魔法を発現した空間に飛んできていただろう」
「なるほど……わかりました、その線で行きましょう」
俺が頷き、他の面々からも異論は出ない。これにより、悪食を討伐するための布陣が決定した。
――俺、牧瀬さんの二人で、悪食に向けた飽和攻撃を行う。それら全てに〝捕食〟を返すことで、悪食は俺たちの本命であるアンリさんを狙いづらくなる。
だが、悪食の対応能力の限界はまだわからない。俺と牧瀬さんの全力を超える能力を発揮するかもしれないが、そこはノエルがアンリさんを守る。
そうして守られたアンリさんが、満を持して悪食を攻撃する。魔力という限られたエネルギーによる飽和攻撃を援護とするのだ、可能な限りの速攻が求められる。
――大筋が決まれば、あと残るのは細かい部分。
「牧瀬さんが回復するのを待って……明日、明朝から仕掛けますか」
「私もそれがいいと思う。悪食は大胆には動かないようだしな」
俺がそう発言し、ノエルが答える。アンリさんは元から無口、牧瀬さんは休むことに専念するため聞くだけで、会議は静かに進んで行った。
◆ノエル・ブランシュ視点◆
その夜。
私とノワールに割り当てられた部屋で彼とベッドに並んで寝転がり、私はぼんやりと天井を見上げていた。
頭の中に浮かぶのは、漠然とした不安。
――悪食に勝てるのだろうか。アンリを守りきることはできるのだろうか。
……いいや、たぶんそれは微妙に違う。
もちろん、私に与えられた役目を全うすることができるのか、という不安はあるけれど、その根幹はきっと、
――ノワール、私の愛しい人。
彼を守ることが、できるだろうか……そんな、不安。
「……勝てる、だろうか」
「ノエル?」
ポツリと、私の口から自然と言葉が零れた。隣に寝転ぶノワールが、優しく聞き返してくる。
……とても、情けない。守りたい人の前で、君を守ることができるか不安だなどと、内心を晒すことになろうとは。
けれど、それでもノワールに伝えたいと思った。それはきっと、甘えだとか、信頼だとか、そんなもの。
「……少し、不安でな」
「そっか……ノエル、おいで」
ノワールが私の方に身体を向けて横向きになり、腕を伸ばした。腕枕をするように伸ばされたそれに、彼の意図はわかりやすい。
大人しく、私はノワールの腕の中に収まった。成長しない肉体を恨んだことは数多くあるが、この時だけは、自身の矮小な体躯も悪くはないと思えてしまう。
なにせ、ノワールに包み込んでもらえる。すっぽり収まることのできる体格差は、得がたい幸せであるように思えた。
「ノエル」
「ん?」
私の頭が乗った腕を折り曲げ、もう片方の腕も私の腰に回し。ノワールは優しく私を抱きしめ、声色も優しいものにして言ってきた。
「俺が君を守る。なにも心配いらないよ」
「――――」
――まったく。
そんなこと、私だってわかっているとも。君が私を守ってくれるということは、もうとっくに信じ切っているのだ。
そんな君だから、私は守ってあげたくなるというのに。……我ながら、その言葉一つで不安がなくなるのだから、安い女だなと思う。
「……ありがとう。私もノワールを守る。頼りにしてるから、私のことも頼りにしてくれ」
「うん、もちろん」
ノワールの顔を見上げ、私は心からの笑顔を浮かべる。ノワールもまた笑い返してくれて、胸がとても温かくなった。
不安はもうなくなった。ノワールには敵わない。
――と、そうだ。
今ならいろいろちょうどいいし、聞きたいことがあったのだった。
「そうだ」
「?」
私がそう言うと、ノワールがきょとんとした顔になって腕の力を緩めてくれた。私は身動ぎをして微かに身体を離し、けれど腕枕は譲らずに宙へと視線を向ける。
「フラム、ニュイ。今いいか?」
聞きたいこととは、私についてきてくれている馴染みの精霊へと、悪食の所感についてだ。
『なんだ』
『なにかしら』
人とは違い、けれど人と似た感性を持つ彼らならば。なにか有用なことが聞けるやもと、私は彼らに話を聞いてみたかったのだ。
が、私がそれを言う前にニュイが言う。
『せっかくいい雰囲気なのに、ノワールとはもういいのかしら?』
「あのな……」
私とは一番付き合いが長く、そしてお姉さん気質も持つニュイ。以前に「夫婦の夜を邪魔できないから」なんてことを言い、以来たまにしか顔を出さなくなっただけはある。
私は呆れながらニュイへ言い返した。
「明日が戦いなんだ、早く休まないとダメだろう。それにノワールはもう私のものなんだ、これくらいいつでもできる。今夜にこだわることもない」
『…………』
まったく、からかうつもりだったのだろうが今は真面目な話がしたいのだ。
黙り込んだニュイに、私は彼女を言いくるめられたと判断して、続きを口にする。
「フラムは直接見ただろう? 悪食はどう見えた?」
『……グラトニーか。悲しいモノに見えたな』
と、フラムがそう答えた。悲しいモノ、というのは、二度目の作戦会議でアンリが言っていたこととも符合する。私も同意見だ。
悪食はきっと、とても悲しい生き方をしてきたのだろう。どうしてああまで成り果てたのかはわからないが、引導を渡してやらなくてはいけない。
……が。
グラトニー、とは、なんのことだろう。
「……グラトニー?」
「それって、七つの大罪の?」
私が首を傾げれば、ノワールがそう追随した。それもよくわからず、私はそれにも聞き返す。
「え? 七つの、たいざい?」
「こっちの世界にはないのかい? 俺も詳しくは知らないけど……たしか、聖書とかに書かれてる、人間が罪を犯す原因になる欲望や感情のことだよ。それを七個、最もやってはいけないことだって定めてるんだ」
聖書。ノワールの世界にもそれがあるらしい。
だが私はこの世界の聖書には明るくなく、そこに七つの大罪とやらが書かれているかは知らない。
「グラトニーは……暴食、だったかな?」
『そうね、そんな意味だわ』
ノワールが記憶を探りながら言う。ニュイが同意した。
「グラトニーって何語だったっけ……なんでこの世界、微妙に地球の言語が混じってたりするんだろう……」
ボソボソと、ノワールが疑問を零す。考えても答えは出なかったか、ややあって彼は諦めたようだった。
「……ああいや、そうじゃなかった。悪食がグラトニー、ってことは、暴食でもあるってことかな」
『ああ。アレは〝グラトニー〟を体現するに至った怪物だ』
「なるほど……?」
フラムがそう言って、ノワールが納得する。私の方はよくわかっていない。
そも、グラトニーなどという言葉にも心当たりがないのだ。ノワールの呟きから察するに、彼の元いた世界にあった言語のようだが、それはともかく。
フラムやニュイのような、精霊が認識する基準……恐らく、救世主や魔王といった称号のようなものだ。そんなものの一つに、今回の悪食が該当した。
それが「グラトニー」。故に精霊は、悪食を「グラトニー」と呼ぶ……と?
「……七つと言うからには、他にもあるのか?」
「ん? うん。あるよ、あと六つ」
ノワールは再び記憶を探りつつ、四苦八苦しながら指折り捻り出す。
「まずは強欲。他にも、嫉妬と、傲慢と、色欲……それから、えぇと」
『ラースとスロウスだ』
「そうそう、憤怒と怠惰」
なるほど、それは確かにやってはいけないことだ。過ぎれば正しく〝大罪〟であろう。
「……その暴食とやらが出てきたのだから、他の六つもその内出てきたりしてな」
と、脳内にそんなことが浮かんだ。それはめんどくさそうだと、私は顔を顰める。
悪食があれだけ凶悪なのだ。他に大罪に数えられる輩がいれば、そちらもすこぶる酷いものだろう。
こちらには予言者がいるとはいえ、地力で負けるなら先回りも意味がない。
他の大罪とやらが出てくれば、十中八九精霊魔法使いとして私に声が掛かるだろうし。その場合はノワールも出張る可能性が高い。
……大変だ。想像するだにめんどくさい。
「ん? 心配ないよ、だいじょうぶ」
――が、ノワールが斜め上のことを言い始めた。
「どんな奴が相手でも、俺がノエルを守るから。知ってたかい? 大好きな女の子を守る時の男はね、無敵になるんだ」
……そういうことではないのだけれど。
まあ、気は紛れた。
「……まったく。君は口が上手いな?」
「そうかな?」
「そうだぞ。口説くのは私だけにしておけよ?」
「そりゃそうだよ。ノエルがいるのに、他の子なんか興味ないさ」
――夜は老けていく。いつの間にか精霊たちがいなくなっていて、またしても気を使われてしまったらしい。
いよいよ明日は、悪食との戦い。この作戦が無理であれば仕切り直すことにはなっているが、それでも必勝の心構えで挑むそれ。
……不安は、もうどこにもない。
今はただ、安心感だけ。
◇
翌朝。
哲の体調を確認し、作戦が可能だと判断した私たちは、昨日と同じように警戒しながら森へ入っていった。
昨日悪食を発見した場所を目指しながら、会話もなく森の中を進む。
「――いた。昨日から移動してない」
遠方から悪食を探すため、視力増強の魔法を使っていた哲が言った。
ここはまだ悪食の射程範囲ではないのか、それとも悪食に捕捉されるよりも前から魔法を使っていれば〝返事の捕食〟は飛んでこないのか……いずれにせよ、作戦開始だ。
アンリの背後に、彼の守護に集中する私がついて行き、悪食の背面へ。ノワールと哲は私たちから別れ、別の位置に待機。
位置取りは30秒で行い、その後哲の魔法一斉展開を合図に戦闘開始である。
また、少しでも悪食の行動にイレギュラーが見られれば、その場の判断で立ち位置を変更することも作戦の内だ。各々の役割を損なうほどにイレギュラーが大きければ、先日のように無理やり撤退して仕切り直すことにもなっている。
「――!」
そして、哲が魔法を発現した。
無音であっても意味がないのだからと、隠すこともなく空中に銃身を展開していく。それらは術者である哲から遠く離れた場所にあり、悪食を挟んだ彼の反対側に展開されたものもある。
上空から地面を狙う角度で設置されるそれらは、味方へと攻撃を当ててしまわないようにという気遣いが見て取れた。
そうして無数の銃身が浮かぶが、しかして哲の周囲に展開されたものはなく、本人は遮蔽物に隠れて悪食からの視線を切っている。
個人の限界を悠に踏み越えた量の火力を展開し、一斉に攻撃開始――
――これが、魔弾と呼ばれる救世主の十八番。
魔力と想像力が続く限りいくらでも攻撃手段を用意し、たった一人で万軍に比肩してみせる、牧瀬哲という魔法使いの本気だ。
「――――」
悪食が顔を上げる。口を開きながら、キョロキョロと周囲の銃身を見やった。
――その死角を突くように、光の塊が飛来する。
それは見覚えのある魔力で構成された魔法、すなわちノワールの放った魔法だ。私が以前使った精霊魔法を真似た、刃のついた棒状の物体である。
彼の初陣である亜竜戦でも用いた、縦横無尽に宙を舞う剣。当然一本だけで終わるはずもなく、木々の間を埋め尽くすほどに光の剣が浮かべられていた。
本人は悪食の視線から逃れ、咄嗟に私たちの助けに入れるような位置取りもしている。
――後に剣の魔法使いと称される、彼の本気だ。
質より量、とにかく悪食の注意を引くことに専念した、正しく飽和攻撃。それをたった一人に向けて放つという暴挙――作戦開始だ。
「はぁ――ふぅ……」
深呼吸を一つ。私がすることを、頭の中で今一度確認する。
私が行うのは、自身とアンリの守護。本当ならノワールと哲も守りたいが、悪食相手に戦力の集中は自殺行為だし、そちらは彼らを信じるしかない。
悪食の攻撃手段はあの〝捕食〟だ。まるで大きな口が食らいついてくるかのようなアレを、真正面から防ぎ切ること――それが、私の役目。
声をかける精霊は、光精霊と木精霊、草精霊。昼間であり、森の中であるここで最適の精霊たち。
「――乞い願う」
精霊と私、それからノワールにしか聞こえない、精霊魔法の詠唱。変わることなくいつも通り吐き出されたそれを、私は朗々と唱え続ける。
――視界の先には、ノワールと哲による飽和攻撃が、一層苛烈さを増していた。
「――――」
無数に展開された攻撃手段、それら全てを悪食が一息に平らげる。その〝捕食〟の範囲を一瞬で見切り、範囲の外を通って、死角を縫うこともして、攻撃は続けられていた。
相次ぐ魔法の雨。絶えず実行されるそれは、刹那の戦闘の中で試行錯誤を続け、意味をなさないとわかっていながらも悪食を仕留めようと工夫が重ねられる。
――見事だ。
あれこそ救世主、あれこそ世界の勇者。世界を滅ぼしかねない強大な敵に対し、〝勝てる〟と見込まれた力の持ち主。
――これは、私も負けていられない。
「あなたの敵を滅ぼすため、どうかお力を貸してください――」
精霊魔法の詠唱を締めくくる。
気づけば、私の周囲に光が集まるように、その力が寄り添ってくれていた。
――これが、私の力。
古くは世界を創造した神に等しい存在と、同質の力。育み、慈しみ、守ることに長けた、優しくて恐ろしい力。
「準備ができた。いつでもいいぞ」
「――ああ」
眼前のアンリに声をかける。同時に、私は精霊魔法の光をアンリの目の前に待機させた。
悪食をアンリ越しに見据え、その行動をつぶさに監視する。少しでもこちらに意識を向け、口を開いた時が〝捕食〟の飛んでくる時だ。
「――――」
――瞬間、アンリの気配が大きくなった気がした。
すぐに私は直感する。初めの作戦会議の時に見せてもらった、あの〝黒い力〟。それをアンリが、作り始めたのだと。
作戦会議の時に見たものとは比べものにならないほど、眼前のアンリが抱えるそれは強大だった。
ありったけの憎悪を掻き集め、凝縮したのだろうそれは、確かに悪食をも屠れる代物だ。
――そして、アンリの黒い力が現出する。
彼の内に秘められていただけでもあれほどに強かった気配が、完全に剥き出しになったのだ。
――正しく、背筋が凍るというもの。
「掻き集め、凝縮した」? 馬鹿を言え、それだけではまだアレには届くまい。アレは煮詰めているのだ。
なにもかもを憎む全方位へ向けた憎悪を、ただ一点に向けて煮詰めたモノ。なればこそ、その力は救世主の振るう刃として相応しい。
いくらその感情が間違っていたとしても、使い方次第で、世界を救うことはできるのだから。
「――――」
悪食がこちらを向いた。ノワールと哲の魔法によって私の精霊魔法を見落としていた彼だが、さすがにアンリのコレには気づいたらしい。
――同時に、私のなすべきことを思い出した。
アンリの力が怖いからなんだ。おぞましいからなんだ。
どんな力であれ、世界を救える力を見たのだ。そしてそれが、今正にその目的に向かって振るわれようとしているのだ。
――ならばもう、信じるのみ。
「――ッ!」
哲が、今度は上空に加えて水平方向に銃身を展開し、アンリへ向いた悪食の注意を逸らそうと懸命に攻撃を続ける。
「――!」
ノワールは容赦なく悪食の頭と胴体、足元を狙い、悪食を仕留めようとさえ試みる。
けれど、悪食は止まらない。そのほとんどを無視して、彼は一番の脅威であるアンリへと、〝捕食〟を放つ――
「ぐ――あぁッ!」
そしてもちろん、そんなことは私が許さない――
――不可視の〝捕食〟、見えない顎が振り下ろされ、しかして光に阻まれた。
私の精霊魔法、その具現たる光の壁は命令を忠実に実行し、アンリを守りきる。
「――――」
その瞬間、悪食の感情が、伝わ――
「――死ね」
――アンリが言葉を放ち、それと同時に己の力を解き放った。
黒い力はなにもかもを害する呪いへと変じ、狙い違わず悪食を射抜く。魔弾も、光の剣も、尽くを弾いた悪食の肉体を――その黒い力は、こともなげに食い破った。
「――?」
自らの〝捕食〟が防がれ、影響を受けないはずの肉体が傷つけられ……悪食は、倒れるまでの刹那に、不思議そうな顔を浮かべていた。
◇
悪食が地面へ倒れ、数秒の間油断なくそれを監視する一行。
私は変わらず自分とアンリを守りながら、動かなくなった悪食を見据える。
……悪食の〝捕食〟を真正面から受け止めた瞬間、悪食の内面に触れたような気がした。
どういう目的で、どういう思いで、悪食が〝捕食〟を手にし、そして振るっているのか……それを。微かに、だけれど。
「……やったな」
哲が魔法を解除して、そう言いながら微かに気を抜いた。ノワールも魔法を消し、表情から力を抜く。
――けれど、まだだ。
「――違う。待て」
アンリが言った。私も同意見だと、気を抜かずに悪食を見据え続ける。
――悪食は、まだ生きているのだ。
肉体の生命活動が今にも終わろうとしていて、それでいて非戦闘時のように自発的行動をとろうとしていない……そんな状態を、生きていると言うのならば。
胸に浮かんだ苦々しい感情は、自然と声に出てしまう。
「……こいつ、不死身なのか」
私は呻くように言った。アンリのあの力を受け、それでもなお息があるなど、もはやそうとしか思えなかったのだ。
――干渉を跳ね除ける絶対性と、不死身の肉体。それに加えて、あの異様な能力。
悪食は、およそ〝人〟とは呼べないモノだ。私は眉をひそめることで、悪食に感じる不快感を紛らわせる。
「……不死身だが、殺せるはずだ」
「っ、そうなのか?」
アンリが言った。その声に確信があることを悟って、私は我に返って聞き返す。
なるほど確かに、アンリの力は壊す力。ことなにかを害するという点において、彼のそれを上回る力などあるまい。
そんな力を以てすれば、死なないモノを殺すこともできよう。現にこうして、悪食を追い詰めることができたのだから。
……それならば。
それならば、たとえ〝人〟でないとしても、かけるべき情けがある。
「……なら、頼む。苦しませるのはいけない」
私はアンリにそう言った。
それは正しく、〝哀れみ〟だった。
「…………」
アンリは言葉を返さず、けれど行動で同意を示す。再び力を使うために、意識を集中させて――
「ぅ――あ」
――悪食が、口を開いた。
幾度も見、生命の危機として脳裏に刻み込まれた、〝捕食〟の予備動作。それに、私の背筋は凍りつく。
当たり前だ、今はノワールも哲もなにもしていない。悪食の意識を逸らす援護がない以上、そこでアンリがなにかをすれば、そりゃあ〝捕食〟を返すだろう。
けれど、こんな状態の悪食がまだ抵抗できるだなんて、誰が予想できただろう。私の脳内は、その驚愕によって揺さぶられた。
――どうする?
防御か回避のどちらかが、〝捕食〟に対する対処法だ。
精霊魔法しか使えず、身体能力も貧弱な私では、回避なんて以ての外である。防御しかとりうる手段はないが、それにしたって咄嗟に行ったものでどこまで防げるものか。
私の全力を賭して、その上でようやく〝捕食〟を弾ききったのだ。こんな不意打ちに対するその場しのぎで、防ぎ切れるなどとは思えない。
では無理やり回避をするしかない。足が食われてなくなるくらいは覚悟しないといけないだろう。せめて死ぬことはないように、無様でもいいから、とにかくこの場から――
――無我夢中で私が足に力を込めた瞬間。
「――ノエルッ!」
倒れふす悪食の身体に光の剣が幾本か突き刺さり、同時に私の身体が嗅ぎ慣れた香りに包まれる。次の瞬間に私は凄まじい勢いに身体を持っていかれ、なにが起こったのかを理解する頃にはもう既に安全圏へと逃げ仰せていた。
今し方私とアンリが立っていた地点に、〝捕食〟が発現する。アンリはさすがの反射神経で離脱しており、被害は見られない。
倒れていた悪食の身体には、刹那の内に見たノワールの光の剣が。今まで効かなかった魔法が効いたのは、アンリの力によって悪食が害されたからだろうか。
その魔法がトドメになったかのように悪食はそれきり動かなくなり、私の直感も脅威の消失を告げる。
「いっ、つつ……ノエル、大丈夫?」
頭上からはノワールの声が。至近距離には彼の服があり、背中には腕を回されて痛いくらいに抱きしめられている。
重力はノワールに向かっていて、それは彼が私の下敷きになっているということを私へ教えてくれた。
――つまり、ノワールに庇われた。
ノワールだって悪食のアレを予想できず、気が動転していただろうに。命の危機に自ら飛び込み、そうまでしてとる行動が〝私を庇うこと〟だなんて……。
「だ、大丈夫だ……」
――「俺が君を守る。なにも心配いらないよ」。
昨日の夜に、ノワールから告げられた言葉。
――「どんな奴が相手でも、俺がノエルを守るから」
決して、疑っていたわけではないけれど。気取った言葉で与えられた安心が、こうも見事に叶えられると。
――「知ってたかい? 大好きな女の子を守る時の男はね、無敵になるんだ」。
……ああそうだ、ピッタリな言葉がある。
〝惚れ直した〟。
そうとも。私は君に、惚れ直した。かっこよすぎるだろう、私の旦那様。
◇
悪食を埋葬したい――
甘い考えだとわかっていながら、反対を覚悟でそう皆に提案すると、それは案外すんなりと同意された。
ノワールはともかく、哲やアンリまで頷いてくれるとは思わなかった。見かけや雰囲気によらず、この二人はもしかしたら優しいのかもしれない。
「ありがとう。……どこか静かな場所を見つけて、穴を掘ろう」
ノワールの光の剣でトドメを刺された、悪食の死体。奇妙なことに、その肉体からは血が流れ出ることがなかった。
元から悪食がそうであったのか。それとも、アンリの力によって呪われたせいで、そのような身体になったのか――
ともかく、ノワールと哲が魔法で悪食の死体を運び、私が先導し、アンリが周囲の警戒を行って、やがてその場所を見つける。
「……うん、ここにしよう」
森の中を流れる、湧き水の小川。そのほとり。
程よく見晴らしがよく、また清涼な空気が流れ日差しも暖かな、酷く居心地のいい場所――ここならば不足もない。
ノワールたちは傍らに悪食の死体を置いて、川のほとりに深い穴を魔法によって掘った。野獣などに掘り起こされないような、深い穴を。
「…………」
――悪食の内にあったのは、使命感と呼ばれるものだった。
ただ漠然と、しかして強烈に焼き付けられたそれは、悪食本人でさえ自覚していないながらも、至上命題だと言えるほどに重要なものだったのだろう。
悪食があんな力を手にした背景には、絶対に、誰かを守るという意志があったはずなのだ。そうでなくては、強迫観念にも見えるほどの強い使命感を抱くものか。
……なのに。
「……ノエル」
「……ああ、頼む」
穴を掘り終わり、ノワールに呼びかけられる。短く名前を呼ぶだけのそれだが、込められた意図はわかりやすい。
ノワールによって、悪食の死体が穴の中に収められた。余裕をもって大きめに掘られた穴は、すっぽりと悪食を収めてしまった。
ゆっくり、土が被せられていく。それを眺めながら、私は胸に到来した感情を、堪えきれなくなって口から溢れさせる。
「……お前は、人の温もりを知らないんだな」
――誰かを守ろうとして、悪食はあの力を手にしたのに。
彼の傍には、誰もいない。
彼は、守りたいと望んだものを、守れていない。
ただ一人きりで、悪食はここへ来た。
――私がノワールから与えてもらったあの温かさを、悪食は知らないのだ。
「それは、悲しいことなんだ。……それさえも、お前は知らないんだろう」
守ろうとして、壊してしまったのだろう。そんなことさえ、悪食はわからなくなっているのだろう。
……悲しすぎる。こうなり果ててしまう前にどうにかできなかったのかと、無責任に喚きたくなってしまう。
「私たちには、せめてお前を終わらせてやることしかできなかった。……すまない」
けれど、彼に、彼の問題に、関わる術を私たちは持たない。
私たちにできたのは、守るべきものを壊してしまい、寄る辺を失ってなお止まることのできない悪食を、休ませてやることだけ。
――こうして、今ここで、殺してやることだけ。
「…………」
悪食の上に土を被せ終え、どんどんと積み上がって穴が塞がれていく。
やるせない気持ちを、懸命に堪えながらそれを見守る。彼へかけるべき言葉は終わったのだ、これ以上はいけない。
――やがて、穴は完全に塞がれた。こんもりと盛り上がったそこが、悪食の死体がそこにあるということを知らせてくる。
「……っ」
無言で、ノワールが私を後ろから抱きしめてくれた。堰をきったかのように、私の目に涙が溜まり始める。
……ノワールの腕の中にいると、ダメになってしまいそうだ。安心してしまって、立てなくなってしまいそうだ。
なにもかもを彼に委ねてしまいそうで、涙さえ堪えられない。
「……帰ろう、ノエル。もう終わったんだよ」
「っ、ああ……」
頭上で囁かれるその声に、なんとか返事を返すだけが、私の限界で……。
その後宿屋に帰りつき、帰りの馬車を手配してもらうまでの間。私はノワールの胸に収まって、無様に大泣きしてしまった。
※悪食くんの超無敵、あれ実は捕食攻撃を行っている最中にしか発動しないものなので、仮に悪食くんの意識の外から一撃で仕留める攻撃を行ったりすれば、アンリの力でなくとも普通に仕留められました。現在作中に存在している救世主たちの中でそれができる者がいなかったため、この度このような方法で倒されることになったわけです。




