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十話『私があなたを救う』

 ◆ノワール・ブランシュ視点◆


 ――夢を、見た気がする。


 場所は、たしか地球。それも故郷で、見慣れた風景だったと思う。


 その夢の中の俺は、幽霊だった。


 誰に話しかけても気づいてもらえない、なにかに触れることもできない、正真正銘の一人ぼっちだった。


 ――気が、狂いそうだったのだ。


「誰か……誰か! 誰か、答えてくれ! 誰でもいいから――!」


 一人は嫌だと、もがき苦しんだ。


 ――そんな時だった。


「――私がいるから、もう大丈夫だ」


 そう、声をかけてくれる人がいた。


 聞こえたのはそれだけだったのに、俺はそれに酷く安心した。ああ、この人に全てを任せればいいんだと、全幅の信頼を寄せられた。


 その人は、白くて儚げで、とても綺麗な――


 ◇


「――ん……」


 目が覚めた。


 ……酷く頭が重たい。頭の中に鉛が詰まっている気がするほどの倦怠感に不快感を覚え、それを足がかりに意識が覚醒していく。


 そして次に覚えたのは、甘くていい匂いと、それに対する安心感。それから、ちょっとの息苦しさ。


 ――誰かに頭を抱きしめられている。鼻を塞がれているわけではないけれども、ちょっとの息苦しさはそのせいだ。でも抱きしめられてるのはとても安心する。ずっとこうしていたい。


「……?」


 とまで考えて、なんでそんなことになっているのか、そもそもこれ誰だ、と思い――俺はようやく目の前の景色に意識を集中させた。


 ……。


 布がある。見覚えはもちろんある。これはノエルのネグリジェだ。


「…………」


 その布は俺の眼前、それも超至近距離にあり、これが俺に息苦しさを与えていた犯人であることは明白。


 そしてそうなると、俺にとてつもない安心感を与えてくれた匂いの主は。そしてそして、眠っていた俺の頭を抱きしめていた張本人は、我が愛しのノエルということになるのだけれど……。


「――ん、起きたか、ノワール」


 頭上からそのノエルの声が降ってきたため、推測が正しかったのだと俺は思い知った。


 安心するのも当然だ。秘密にしていたことを打ち明け、伴侶に選んで、隣で眠ることを望んだ女性の腕の中である。安心しないわけがない。


「……えっ、なんで?」


 俺の口から零れたそれは、当然の疑問だっただろう。曰く、「なぜ俺はノエルに抱かれて目覚めているのか」、だ。


「それより、気分はどうだ? 悪い夢は見なかったか?」

「え? あぁ、見た……気がする。けど、最後に誰かの声がして、すごく安心して……」


 俺の疑問は流されてしまった。動揺の渦中にある俺は追及できず、咄嗟にノエルの質問に正直に答える。


 いやそもそもどうしてこんなことを聞かれたのか、と困惑しながら俺がノエルを見上げると……口元から顎にかけて、なにか幸せな感触を感じた。


 ……ノエルは見た目より胸があるようだ。いや、普段の騎士服や長袖かつ厚手のネグリジェの上から読み取れるボディラインなんぞ初めから信用できないが。手のひらにすっぽり収まりそうなサイズで、すごく柔らかい。なんだこれ頭がおかしくなりそう。


「ふふ、そうか。それはよかった」


 ――お嫁さんの胸、という魅惑すぎる物体でダメージを受けたところに。なぜか蕩けそうなくらいの甘い声色になったノエルが、嬉しそうにそう言ったものだから。


 なによりも、ノエルの腕枕で、彼女に頭を抱きしめられていて、その上慈しむような目で見られていたから。


「あ、うん……そうだね……」


 俺に言えることは、もはやそれくらいしか残されていなかった。


 ――そして朝食の時間。


 起きた時のアレはなんだったんだろう、ご褒美なのか試練なのか、ノエルの機嫌がよかったからこそのラッキーイベントか。


 と推測しながら、俺が食事を進めていると。ノエルが言った。


「ノワール、今日は休日だし、どこかに二人で出かけないか?」


 ――ラッキーイベントであったのならば一過性、あの場だけのもののはず、と思ったのは間違いであった。


 ノエルさん、目を疑うほどに上機嫌である。なにがあったのか、一晩一緒に寝ていた俺でもよくわからない。


「う、うん……そうだね、そうしよう。どこに行こうか?」

「ノワールは甘いものは好きだろう? 実はな、行きつけの喫茶店があるんだが――」


 ノエルの周囲に花が咲いている、とさえ錯覚するほどの上機嫌。いったいぜんたい、本当になにがあったのだろう。いい夢を見たとかか。


 いや、なにがあったかを問うのならばまず、どうして起き抜けにあんないい思いができたのかが不思議である。なぜに俺はノエルに頭を抱えられていたのか。


 思えば身体も密着していた気がするし、本気でラッキーな状況だった。もっと堪能しておけばよかったものを、惜しいことを――


 ――頭の中に考え事がグルグル回り、そのせいか、少し目眩がした。


「――それでな、そこのケーキは本当に美味しいんだが、持ち帰りができなくてだな。……ノワール?」

「えっ? あ、ごめん。えっと、その喫茶店に行こう、って話だよね」

「ああ、そうだが……体調が優れないのか? 顔が赤いぞ。熱があるんじゃ――」


 俺の顔が赤いのはきっとノエルのせいである。言われてみれば、顔の熱は自覚できるほど熱い。しかし心配には及ばないので、ノエルの追及はごまかすことにした。


 すこぶる上機嫌から一転、心配そうにこちらを伺うノエル。その伺い方もボディタッチが過剰というか、俺との距離が随分縮んだように感じる。


 ……うん、本当になにがあったのだろうか。ノエルからの好感度が、一晩で急上昇しているような気がする。


「ノワール、無理はいけないぞ。体調が悪いなら、私に気を使わず言ってくれ。……ほら、すごく熱いじゃないか。熱があるんだ」

「い、いや、ほんとに大丈夫だから」

「大丈夫じゃないだろう。かかりつけの医者はいるのか? いないなら――」


 ごまかそうとするも、追及は強引だった。額に手を伸ばしてくるノエルの手をやんわり受け止めれば、受け止めた俺の手を逆に掴まれて体温を指摘される。


 そこから大騒ぎに発展しそうな気配を感じ、俺は素直に白状することに。


 曰く、俺の体調が悪いように見えるのなら、それはノエルのせいだと。


「――の、ノエルが朝から可愛いから、恥ずかしいんだっ。体温が高いのも上の空なのもそのせいで、ほんとに心配いらないからっ……!」


 ピタリ。ノエルの動きが止まった。


 周りに待機していた、朝食の給仕を担当してくれている使用人たち。彼女たちも仕事の手を止めて、面白いものを見たように目を丸くして口元に手を当てる。


 ……すごい暴露を、してしまった。素直なのは美徳だろうけれども、この場合には当てはまりそうにない。いや当てはめたくない。


「……そ、そ、そうか。うむ。そう、なら、仕方ないっ、な? うむ、うむ……」


 ノエルの挙動が一気におかしくなる。顔を真っ赤にして動作がぎこちなくなり、なのに口元は先ほどまでの何倍も上機嫌でだらしない。


 ……ああ、もう。このお嫁さん可愛すぎる。


 ◇


 ――そこから、少し記憶が曖昧だ。


 朝食を食べ終わって、微笑ましいものを見るかのような雰囲気の使用人たちの視線から逃げるように家を後にし、ノエルの案内で件の喫茶店へと入店し。


 朝ご飯直後のせいであまり食べられない俺に代わって、ノエルがたんまりケーキを食べていって、食べる様があんまり可愛いものだから写真が撮りたい、なんて俺が零して。


 写真とはなんだと、昨夜の指輪のように異世界の文化をノエルに語って、それは便利だなと話に花が咲いて――


 ――そこで、俺は倒れた。






 ◆ノエル・ブランシュ視点◆


 朝目が覚めて、ノワールの夢はどうやら一件落着したらしいと見てとり、二人で朝食を食べる。


 ここ最近ではあまり顔を見せなくなったフラムたち精霊が、珍しく同席してくれていたのが印象的だった。


 ニュイは夜間のみしか活動できないので元からあまり顔を合わせることは多くなかったが、ノワールと私の新婚生活をみんなして気遣ってくれているのだろう。フラムもエルブもあまり会ってくれなくなった。


 それでも彼らの方も寂しくなるのか、時々近くに寄ってくることがある。今日もそんな調子で、休日だったこともあり、親しい者たちと一緒に過ごせるとびきり幸福な日だと思っていた。


 ――その矢先だ、ノワールが倒れたのは。


 よく考えてみれば、朝から……否、昨夜から予兆はあった。


 いつも静かに寝息を立てるだけのノワールが、昨日の夜は魘されていた。


 朝食の時の彼の挙動不審は、本当に熱があったせいなのではないか。


「――へぇ、しゃしんとはそういうものなのか。便利だな、この世界でも再現はできないのか?」

「どう……だろ。わかんない……」

「……ノワール?」


 彼の変化は唐突だった。


 ついさっきまで、私にもわかるよう異世界の文化を語って聞かせてくれていたのに、急にフラフラとし始めたのだ。


 私の呼びかけにも応じず、目の焦点が合わなくなる。そうかと思うと急に大粒の汗をかき始め、フラフラと安定しなかった姿勢が大きく崩れる。


「っ!? ノワール!?」


 椅子から崩れ落ちるように、床に倒れるノワール。倒れたことによる痛みに呻く様子もなく、床に沈んだ彼は荒い呼吸を繰り返すのみ。


 どう見ても異常な、彼の様子。周囲もにわかに騒がしくなり始め、喫茶店の店員が駆け寄ってきた。


「どうされました!?」

「わ、わからない! 急に倒れたんだ! 医者を呼んでくれ!」

「はっ、はい!」


 怒鳴り返すようにして店員に指示を飛ばし、私はノワールへ手を触れる。服越しにもわかるほどの高熱、やはりどう考えても異常だ。


 ――呼び出された医者に運び出され、身分を明かすと王宮に報せが飛んでいき、すぐに王族お抱えの医者にかかることが決まる。


 そうして運ばれていった先で聞いたのは、魔力暴走、という単語。


 体内に存在する魔力の制御を手放してしまうと起こる、身体の中で魔力が暴れ回ってしまう病気だ。


 ――本来であれば無意識に魔力の制御を誰しもが行っていて、そうそうなるものではない。医者の話では、成長によって魔力が急激に増えてしまったり、錯乱することで精神的に不安定になってしまったり、外部から魔力を乱されたりすると発症するという。


 治療法は、患者自らがどうにかして魔力を御し切るか、無理やり体外に魔力を吸い出すか、そのどちらか。


 ――話を聞き付けて訪れたアルフォンス殿下とエルネスト殿下が、険しい顔をしていた。


「魔力を吸い出すしかないだろう、こいつは今意識がないんだ」

「……確かに、そうだがな。だが、元々その方法は副作用が大きい。ノワールは普通じゃない、どんな悪影響が出るか……」


 エルネスト殿下が提案し、それにアルフォンス殿下が難色を示す。


 アルフォンス殿下の言う通り、魔力を吸い出す方法では副作用が起こる。魔力は生命力とも同一視される代物だ。それを無理やり体外に吸い出すのだから、悪影響が出て当たり前である。


 しかもノワールは、異世界から魂だけ召喚され、肉体に憑依した形。彼の肉体における魔力がどういった扱いになっているかわからないため、魔力と一緒に魂も吸い出してしまった、なんてことになる可能性も考えられる。


「放っておくのもダメだろ、兄上! ここは無理を承知で――!」

「……そうだな、それしか方法は――」

「――や、やめてください!」


 強行しようとするエルネスト殿下を、難色を示しながらも同意しようとしたアルフォンス殿下を、私は不敬罪を覚悟で制止する。エルネスト殿下から、ギロリと酷く冷たい視線を向けられた。


 ……あぁ、この目は知っている。私のことを「精霊魔法使いだ」と指さす、軽蔑と憎悪の眼差しだ。


「……精霊魔法使い、お前に意見は求めてない。これは――」

「わ――私のっ、私の夫の問題なんです! あなた方こそ口を出さないでください!」


 ……もしかしたら、反骨心、というやつも含まれていたかもしれない。


 けれどもそれ以上に、ノワールが死んでしまうかもしれないと思うといてもたってもいられなくて、私は寝台に寝かされたノワールを庇いながらエルネスト殿下に言い返した。


「っ、……お前」


 エルネスト殿下は私の物言いに腹を立てたのか、目付きを鋭くする。少しだけ後悔しながらも、それでも引いてはならないからと、私が殊更力を込めながらエルネスト殿下を見返すと――


「――ノエル、そうは言うが、ノワールを助ける術が他にあるのか?」


 アルフォンス殿下が、間に割って入った。


 ……名前を、呼ばれた。


 その上感情的にならずに、私に意見を求めている……?


 私を精霊魔法使いだと毛嫌いしていた、あの王子が……?


 ――いや、そんなことはどうでもいい。今はノワールだ。


「っ、あるはず、です! 彼は特殊ですから、彼なりの方法が、きっと――!」


 ……言いながら、自分でも無理がある話だと思った。それはなによりも明確に、アルフォンス殿下によって指摘される。


「その方法を、今すぐ用意できなければノワールが死ぬ。絵空事を語るな」

「――ッ」


 温かさなど欠片もない、アルフォンス殿下の言葉。反論はできない。


 だからこそ歯を食いしばり、私は考える。


 ――どうする。


 この場でノワールを助ける方法は先の二通りだけで、その内の後者しか取り得る手段はない。意識不明のノワールが自力で魔力の制御をすることなどできないからこそ、エルネスト殿下は副作用を承知で先ほどの提案をしたのだ。


 だが、副作用は見過ごせる話ではない。本当にどんな影響が出るのかわからないのだ。そんな賭けには到底乗れない。賭け金に要求されるのが、愛しい人の命なのだから尚更である。


 ――……ああ、くそ。どうして私は、こんな簡単なことができないのか。


 なにが、なにが人類最強だ。なにが救世主だ。世界が救えるから、愛する人を一人守るくらい容易いのではなかったのか。


 精霊魔法が生まれつき使えるからというだけで持ち上げられた小娘の分際で、人類最強だと思い上がったツケがこれだ。


 なにかを守ることに特化した力が精霊魔法だというのに、世界中どこを探しても私と同じ力を持つ者などいないのに。


 ――ノワールを守れないのなら、精霊魔法なんて、持っていたってなににもならない。


「……ノエル、わかったならそこを退け。今のまま放置するわけにもいかないんだ。それなら、多少の危険があったとしても望みに賭けるのが最善だろう」


 アルフォンス殿下の冷静な声が聞こえる。先ほど響いたそれよりも、幾分か優しい声色だ。


 けれど私は、それについぞ頷くことができない。歯を食いしばり、ノワールを庇ったままの体勢から意地でも動かずに、解決策を探し続ける。


 ……考えろ、考えろ。ノワールの魔力や、その暴走、それらの原因や性質を。


 予兆はあった。昨夜の夢だ。あれで精神が不安定になったのだとしたら納得だ。もしかしたら、精神が不安定になるほどに、水面下では少しずつ体調がおかしくなっていたのかもしれない。


 今日様子がおかしかったのもその延長だろう。熱があったのは明白で、体温調節ができなくなって注意力が散漫になる、と、はっきり症状が表面化していたのだ。


 ……ノワールは、どうして魔力暴走を起こしたのか。


 聞けば、彼がここへ召喚されてから二、三週間が経っていることになる。その間慣れない生活を強いられていたのだから、疲労が溜まったと解釈すれば無理はない。


 ……では、彼の魔力暴走はなんなのか。


 ノワールは魔法の存在しない異世界から来た。召喚されてからずっと魔力の制御を行っていなかったのなら、今になって暴走するというのは遅すぎるのではないだろうか?


 それこそ、召喚された翌日辺りから起こっても不思議ではないはずだ。それなのに今日に至るまで、不調を覚えたことはない様子だった。


 それはなぜなのか。


「……おい、いい加減にしろ、精霊魔法使い。わがままでどうにかなる場面じゃ――」

「いえっ、いいえ! まだ、まだ待ってください!」


 ――無意識に魔力の制御を行っていたからではないのか。


 ノワールの身体そのものは、この世界で生まれ育ったこの世界の人間のもの。生存本能にも似た無意識の制御なら、身体が勝手に行っていても不思議ではない。


 しかしそうなるとそもそも、今日魔力暴走が起こった、ということがおかしくなってくる。疲労が溜まると言っても、生まれた時から身体が勝手に行うことに、疲労もなにもない。


 それならば今回暴走している、ノワールの身体が制御できない魔力とは、いったいなんなのか。


 ノワールが召喚されてから、初めは制御できていたのに、知らず知らずの内に疲労が溜まったからと制御できなくなるような、通常とは微妙に異なる魔力。


 それも、ノワールが召喚されたことで彼が獲得した、彼の召喚に起因する特異な魔力だ。


 ……そんな都合のいいもの、ノワールが持っているわけが――


 ――いや。


 あるじゃないか、ノワールには。


「……ノエル、ノワールから離れろ。他の具体案がないなら、現状の策でどうにかするしか――」

「――フラムっ! ノワールの魂は身体に対して大きすぎて、はみ出ている! そのはみ出た部分が独自に魔力を持って、そのせいで彼の魔力は精霊に似たものに変質している! そう言っていたな!?」


 痺れを切らしたアルフォンス殿下を無視し、私の左肩にくっついているフラムに叫ぶ。


『ああ、そうだ』


 フラムは肯定する。


「ならっ! 私の精霊魔法で干渉できる! そうだろう!?」


 ――空気が、明確に変わった気がした。アルフォンス殿下も、エルネスト殿下も、そしてフラムも、私の思いつきに言葉を失くし……フラムが、その沈黙を破る。


『……可能性はある』

「充分だ!!」


 曖昧な、自信なさげな返答。しかしそれだけで、私の覚悟は決まった。


 ――もちろん、危険はあるだろう。


 魔力を吸い出す方法に副作用が発生するのは、魔力が生命力と同義だからだ。機械的に吸い出したのでは、どんな影響が出るかわかったものではない故に。


 それを私が精霊魔法を介して行ったところで、その副作用は変わらない。機械的に行うか人為的に行うか、それが変わるだけだ。


 ――けれど。


 愛する夫の、その命を賭ける治療を〝誰が行うか〟は――言うまでもなく、すこぶる重要だ。


「乞い願う……違う、これじゃダメだ」


 使い慣れた、精霊魔法の詠唱。精霊にのみ聞こえる、人類の中で私のみが扱える言語。


 いつも使っているものはいけないと、私は頭を振って必死に考える。今必要なのは自然に敬意を払う呼びかけではなく、愛しい人を救うためのものだ。


 ――私の覚悟を、謳うべきものだ。


 ……そして思いついた。


「――私があなたを救う」


 ノワールを救いたいという、私の意志の発露。


「――愛しいあなたに、私はその奇跡を誓う」


 ――大好きなノワールのために、奇跡であろうと引き起こしてやる。


「――誓いはあなたに。覚悟をあなたに。望みだけは、この私が持っていく」


 ――誓いも覚悟も捧げて、ノワールを救う。それを願う望みは、私が持っていって自力で叶えよう。


「――救いをここへ。未来をここへ。希望をここへ」


 ――救済をノワール(ここ)へ、二人の未来を私たち(ここ)へ、明日を生き抜く道筋を彼の前(ここ)へ。


「――ノワール、私が君を助ける。安心して、そこで待っていてくれ」


 詠唱を締めくくり――目を細め、意識をこれでもかと集中させてノワールを睨む。


 ノワールの身体の輪郭が、少しだけぼやけているように見える。これは魂がはみ出ているからこそ、精霊のモヤと同じように魂が見えるからこその錯覚だ。


 そう、はみ出た魂は精霊のように見える。ならば精霊魔法使いの私は、これに手を触れて扱うことができる。


 ――ノワールの中の魔力を、代わりに私が制御して宥める。


「……っ」


 呼びかけに応じてくれた精霊と違い、暴れている魔力の制御は一筋縄ではいかない。これだけ暴れていれば、そりゃあ倒れたりもするだろう。


 ――なんとか宥めて引っ掴んだそれを、少しずつ慎重に、私の方へ手繰り寄せる。


「……っ、ぅ」


 ある程度手繰り寄せ、ノワールの魔力がなにかを成せるほどの塊になると……私の頭の中に、火花が散ったような気がした。視界が明滅しているような気もする。限界が近い、ということか。


 ――最後に、ノワールを守るという意思で魔力に形を与えて、私から施す魔法としてノワールの身体に返した。


「――ふ、はッ……! ぐぅ……!?」


 目的を達成し、精霊魔法の使用を止めると同時に、切るような痛みが私の脳髄を襲う。鼻から生暖かい液体も垂れ、それはどうやら鼻血のようだった。


 酷使しすぎた脳が悲鳴をあげたのだろう。服も血まみれで、口に広がる血の味で吐き気も催してきた。いや、吐き気なら元からあっただろうか、耐え難い頭痛と共に。


 このままだと、私の方もまずいかもしれない。


 ――しかし、その甲斐はあった。


「……ノエ、ル……?」


 さっきまで苦しそうに荒い呼吸をしていたノワールが、目を瞑って動かなかった彼が――ぼんやりとだけど目を開けて、穏やかな呼吸で私の名を呼んでくれた。


「ぁ……よか、った……」


 それを認識した途端、張り詰めていたものが途切れて、私は意識を失う。――けれど私の内心は、心地よい達成感に包まれていた。






 ◆ノワール・ブランシュ視点◆


 ――耐え難いほどに身体が熱くて、内臓が掻き回されるような痛みと吐き気があって。


 熱に浮かされたように思考は覚束ず、流れ出た汗のせいか喉がカラカラだった。


 熱中症と脱水症状、どちらもすこぶる重度のものを併発した時の感覚に、身体の内側をミキサーにかけられるような激痛と不快感を合わせたら……こうなるだろうか。


 気持ち悪くて、痛くて痛くて、けれどそれを紛らわせるための悲鳴もあげられず、それどころか身体も自由が効かなくて――


 ――これはやばい。


 と、抽象的ながら明確に、本能が警鐘を鳴らしていた。


 なにが起こっているのかまるでわからなかったけれど、このままだと死んでしまうことだけは、本能的に悟ったのだ。


 そんな、時だった。


「――私があなたを救う」


 声が聞こえた。


「――愛しいあなたに、私はその奇跡を誓う」


 今朝、夢の最後に聞いた声と同じ。


 全幅の信頼を無条件で寄せられる、安心を与えてくれる温かい声。


「――誓いはあなたに。覚悟をあなたに。望みだけは、この私が持っていく」


 ……この声は、知っている。


 一度しか聞いたことはないけれど、たぶん一生脳裏に焼き付いて離れないであろう、俺を初めての恋に突き落とした声だ。


 ――これは、飛竜の前で棒立ちになっていた、とある少女の声だ。


「――救いをここへ。未来をここへ。希望をここへ」


 白くて、凛として、儚い……どうしようもなく美しい、その声。


 ……身体が辛いのも、気持ち悪いのも、まだ改善なんてされていなかったけれど。


 その声に任せれば、治るのだと信じきることができたから。


「――ノワール、私が君を助ける。安心して、そこで待っていてくれ」


 ――俺は全身から力を抜いて、その安堵を噛み締めた。


 ◇


 ――魔力暴走を起こして突然ぶっ倒れた。


 原因は前日の悪夢と、召喚されてから溜まっていた無意識の疲労と推測される。


 通常の人間と異なる魔力を持っているため、魔力暴走も既存のものと違って危険なものである可能性が高い。どちらにせよ死にかけてた。


 ――それを、人類最強の救世主が救ってくれた。


 俺が目を覚ますと、訪れたアルフォンス兄上がそう説明してくれた。


 俺は丸一日眠りこけていたらしく、ここは王宮の医務室。今特務小隊の詰所に伝令を走らせ、急ぎノエルを呼び出している、とも言われた。


 血相を変えて駆けつけてくるであろうお嫁さんを待つ間、アルフォンス兄上がいつもの重苦しい顔と声で言う。


「……本当に今回は肝を冷やしたぞ。俺も、エルネストもだ。セレスには言っていないから知らないが、リュシールはしつこくお前の容態を聞いてきたな」


 ……王族とは言え肉親なんだから仲はいい、という図式、リュシール姉上だけは例外かと思いきや、しっかりあの人も当てはまるらしい。


 前世では経験のない、兄弟たちからの損得抜きの心配。なんだか背中がくすぐったい。……あと涙腺が刺激される。


「は、はあ、すみませんでした。あとでまた暇な時間を教えてほしいとお伝えください。復調の報告をしに行くので……」

「ああ、そうしろ。――それで、今回の魔力暴走だがな」


 真面目な話に切り替わる雰囲気。……いや、デフォルトで重苦しい態度のアルフォンス兄上なので、あまり大差はないのだけれど。


「原因はいろいろあるが、対処法はハッキリしている。要は――」


 アルフォンス兄上は、嫌にテキパキとした口調で指示をくれた。


 その指示の内容に、「これは夫婦の時間が減るな……いや、増えるのか? ……変わらないのか、そっか」などと俺が考えたところで、部屋の扉が荒々しく開け放たれる。


「――ノワールッ!!」


 予想通り血相を変えて駆けつけてきた、我が愛しのノエルである。


 アルフォンス兄上が無言で席を立ち、スッと部屋の隅に避けた。そんな彼は眼中にないのか、ノエルはアルフォンス兄上を一瞥すらせずに俺の方へ突撃してくる。


「大丈夫か!? 体調は!? どこか痛いところはあるか!? 気分はどうだ!? なにか不調はないか!? 魔力が変になっていたりしないか!?」


 矢継ぎ早に質問が投げかけられ、その全てが大音量。その音に紛れるように気配を消したアルフォンス兄上が、俺たちに気を使ったのかそのまま部屋を出ていった。去り際に、ノエルが開けっ放しにしていた扉も閉めていく心遣いもしてくれる。


 どうやら兄上は、「お前は嫁の相手をしておけ」と言いたいらしい。俺も同意見なので、まずはノエルを宥めて落ち着かせるところから始めよう。


 フラムもいないようだし、ここは俺の独力だけで。


「――ノエルがちゃんと助けてくれたんだから、どこも問題ない。さすがノエル、世界の救世主なだけじゃなくて、俺の救世主でもあるね」


 愛と一緒に感謝を囁いて、詰め寄ってきたノエルをどさくさに紛れて抱きしめる。虚をつかれたノエルが固まり、それによって冷静さを取り戻してくれればという奇策だった。


 また怒られたらどうしよう、という心配が頭をよぎったけれど……杞憂だったらしい。


 ――やがてノエルが、俺の耳元で呟く。


「……ほんとう、に……大丈夫、なのか……?」

「うん、大丈夫。心配かけてごめん。助けてくれてありがとう、すごくかっこよかったよ。大好きだ」


 お返しに俺もノエルの耳元で囁き返すと、ノエルの身体が震え始めた。


 弱々しくノエルの手が俺の背中に回され、キュッと微かに抱き返される。


「……よかっ、た。よかった……! ノワール……!」


 ――人類最強の救世主はそう言ってわんわんと泣き始め、しばらく泣き止んでくれないのだった。

ノワールが眠りこけている間、精霊魔法の反動から復調したノエルが彼のベッドの傍に貼り付いて動かないのを見て、ティファニーが

「いや、隊長がどうにかしたからノワールさん大丈夫なんですよね? だったらいいじゃないですか。むしろここにずっといたりなんかしたら気が滅入ります! こういう時は仕事に忙殺されればいいんですよ! ちょうど仕事あるんで行きましょう詰所! ほら、はやく!」

と言ってノエルを詰所に引きずって行って、あの手この手でノエルの気を紛らわせるのに尽力したと思われます。具体的には大量のお菓子で。「ちょうど仕事あるんで」はなんとかも方便ですね。

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