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九話『幕間〔ノエル〕』

みんなで砂を吐きましょうな回。

 ◆ノエル・ブランシュ視点◆


 ――正式にノワールと婚姻を交わし、彼が私の小隊の配属にもなって、彼とティファニーとのわだかまりも少しずつ解れてきて……ノワールの隣で過ごす日々に、私が少しだけ慣れた頃。


 結婚披露宴から十日ほどが経過した、とある日の朝。元とはいえ王族が使うだけあり、すこぶる手触りのいいシーツに包まれた、新しい日常の目覚めの瞬間である。


「……ん――」


 微睡みから意識を持ち上げて、私は目を開ける。


 ――私は寝付きも目覚めもいい方だと思う。


 覚醒直後からしっかり頭も動く。毎日決まった時間に目が覚めるし、二度寝をしたこともない。


「……ふあ……」


 欠伸をしながら、私は身体を起こした。すぐ隣には、私の夫であるノワールが。


「……すぅ、すぅ……」


 彼はまだ眠っているらしい。彼は私とは正反対で朝が弱く、いつも私の方が先に目が覚める。


 手を伸ばせば触れられるような距離に他人がいる状態で、安眠なんて……と、最初は思っていたものだが。これがなかなかどうして、安心して寝付けるものなのだ。


 ノワールの寝相がよかったり、彼の行動が紳士的だったり、元より私が睡眠に悩みのない体質であったり……そういうのもあるだろうが、一番の理由は当然、ノワールの隣は安心できるから、であろう。


 ――一緒に眠るようになって、最初の頃こそノワールの方が遠慮していた。


 初めての夜で、私が彼を拒んでしまったからだと思う。夫婦になったとはいえ、異性に肌を見せた挙句身体を重ねるのは、些か以上に抵抗があったのだ。そのせいで彼に気を使われてしまった。


 だが、ノワールの隣で案外安心できることに気がついて、私の中の抵抗はそれなりになくなってきている。


 なので今では、最初のようにベッドの端と端で眠る、なんてことはしていない。寄り添ってはいないものの、手を伸ばせば充分触れられる距離でお互い眠っていた。


「すぅ……すぅ……」


 ……それに、しても。


「…………」


 ……ノワールの寝顔は、結構可愛いのだな。


 ノワールが起きている時は、私に対しては笑顔を向けてくれることが多い。それも好きな女性に対するものだろう。甘いマスクというのはこういうヤツか、と戦慄したのも記憶に新しい。


 ティファニーへ向けるものは、愛想笑いというか。親しみはあるのだけれど、なんとなく私へ向けるそれとは違う気がする。


 セレスとお茶会をした時に彼女へ向けていた笑顔も、私へ向けるものと違っていた。妹へのものだからか、〝兄の顔〟をしていた気がするのだ。


 ――そのどれとも違う、ノワールの寝顔。恐らくは、というか確実に、私しか見ることのできない顔だ。


「すぅ……すぅ……」

「…………」


 ……。


 ……ノワールの、このあどけない無防備な寝姿は、私だけのもの。


 そう思うとなんだか、こう……。


 ……その。


 ………これが、独占欲というヤツか。


「……っ」


 ――私は自身の頬が熱くなるのを自覚しながら、それでも吸い寄せられるようにノワールに身を寄せる。


 先ほどまででも充分近かったが、今ではもう身体が触れており、手を伸ばすまでもなく触れられる距離だ。


 そしてそして、ノワールはまだ寝ていて、私がどんなことをしても彼は気づかず、しかもノワールのこの姿は私が独占している。


「…………」


 そっと、ノワールの頬に指を這わせてみる。彼は反応を示すことなく、穏やかに寝息を立てるのみ。


「…………」


 這わせた指はそのまま、手のひらもノワールの頬へ密着させた。ノワールは微かに身をよじるのみで目立った抵抗はなく、私の心臓はもうバクバクだ。


「………っ」


 そして今度は、ノワールと初めて口付けを交わしたことを思い出しながら彼の唇に親指を向かわせ、少しだけ身を乗り出し――


「――ん、ぅ……?」


 ――私の髪がハラリとノワールの顔に落ち、その感触で彼が目を覚ましてしまった。


「――ッ!?」


 光の速さで飛び退く私。ノワールが呻き声を上げてから瞬時の行動で、彼が完全に目を開けた頃にはもう私はいない。


 なんとか平静を装った私は、目を覚ましたノワールにベッドの端から言葉を投げた。


「お、おはっ、おはようノワール! 目が覚めたんだなっ!」


 些か声量の大きい朝の挨拶。しかしノワールは気にした様子もなく、緩慢に上体を起こして私の方を見た。


「んー……おはよ、ノエル」


 へにゃりと笑いながら、ノワールからも挨拶が。いかにも「朝から好きな人の顔が見れて嬉しい」とでも言うかのようで、寝起きだけあってぼんやりもしていて、まるでノワールが幼くなったかのようだ。


 つまり可愛い。とても可愛い。寝顔も然ることながら、寝起きのノワールというのも筆舌に尽くしがたい。


「あ、ああっ、おはよう……!」


 内心の動揺が、ノワールの可愛さによって酷くなってしまった。私はそれをなんとか覆い隠すも、ノワールが目を擦りながら放った言葉のせいで隠蔽工作は破綻する。


「……俺、朝弱いから……起こしてくれるなら、もっと乱暴にしていいよ……?」

「……えっ?」

「顔触るだけじゃ、起きれないからね……ふあ……」


 言葉尻が欠伸に消えた、ノワールの発言。それはつまり、私が彼に行ったアレコレがバレている、というなによりの証拠。


「……す、す、すまないっ……!」


 羞恥と動揺のあまり、私はもう謝ることしかできなかった。


 ◇


 ――私たちの一日は緩やかに始まる。


 早朝に私の目が覚め、次いでノワールも目が覚めると、二人の朝食の時間だ。


 私は生まれてこの方、使用人を侍らせて生活したことなどない。ノワールの出身も平民だそうで、彼も元いた世界で使用人の給仕など経験がないだろうに、ノワールの方は手馴れたものだ。その順応力が羨ましい。


 ――未だに慣れない、自分以外の誰かとの食事。食べる量が多いせいでかなり時間がかかってしまうそれに、ノワールは律儀に付き合ってくれる。


「あ、ノエルこれ好きだったよね? 美味しいよね、これ」

「ん、ノワールも好きなのか?」

「うん、俺も好きだよ、こういうの」


 彼だけ食事を終えても、食後のお茶と共に私が食べ終わるまで付き合ってくれるのだ。飽きさせないよう会話にも気を使ってくれて、しかもどうやら私の好みも覚えてきているらしい。


 旦那がいい夫すぎる。本当に私は幸せ者だ。ノワールは理想的すぎやしないだろうか。


 無理をさせているのだとしたら申し訳ないのだが、私と過ごす時のノワールはいつも楽しそうで……ティファニーに聞いてみると、私抜きでの仕事中と私と過ごす時とだと、あからさまに機嫌のよさが違うそうだ。彼が無理はしていないのは、ティファニーも同意見だと言っていた。


 ティファニー曰く、「あのクソ王子とは思えないです……あれ本気で隊長にぞっこんですよ? なんなんですかあれ。隊長、惚れ薬とか使いました?」だそうなので、嬉しいやら恥ずかしいやらである。


 ――食事を食べ終わると、特務小隊の詰所へ出勤だ。


「あ、おはようございます、隊長、ノワールさん」

「おはよう、ティファニー」

「おはよう」


 ティファニーはいつも私たちより先に来ており、それは今日も変わらなかった。特に任務もなく、書類仕事もない時であっても変わらないのだから、彼女も彼女で真面目だ


 執務室にて、各々の席に座って寛ぐ。日によっては任務があって私が遠征に出ていたり、書類の処理をしたり、私の間食の買い出しに出かけたりするものの、暇な時はこんな具合だ。


 ノワールがいなかった頃は、ティファニーがよく雑談を持ちかけてきたものだが、この頃はご無沙汰である。というのも、ノワールとはある程度打ち解けてきたとはいえ、ティファニーの饒舌さがまだ鳴りを潜めているのだ。


 なので、暇な時間を彩る会話は、ほとんどノワールと私のものである。ごく最近では、ティファニーも少しずつ口数が増えてきたのだが。


「――舞踏会かぁ。俺、ダンスもきちんと習った方がいいんだろうなぁ……」


 今日の話題は、以前行った私とノワールの結婚披露宴が立食会形式だったことに端を発する、舞踏会関連のこと。


 ノワールが呟き、私はノワールの召喚についてを知っているので疑問に思わなかったけれども、ティファニーは違ったらしい。


「え? ノワールさん踊れないんです? 王子だったのに?」


 「記憶喪失ってその辺も忘れるんですか?」と続け、ティファニーは意外そうに目を丸くした。記憶喪失が嘘であることはおくびにも出さず、ノワールは「そうなんだよ」と頷く。


「ティファニーは踊れるんだよね? 教えてくれないかい? ノエルも一緒に」


 ノワールの提案。私も名案だと思い、二人してティファニーに視線を向ける。ティファニーは「いやいや」と首を横に振った。


「踊れますけど、人に教えられるほどじゃないですから。こういうの、教師は重要ですよ。私じゃダメです、お二人のためになりません」


 謙遜でもなさそうだし、そう言われてしまうと引き下がるしかできない。ノワールも「そっか……」と残念そうに提案を取り下げる。


 ノワールは肩を落とし、そのままの勢いで不満を零した。


「……舞踏会、ノエルと踊ってみたかったんだけどな……」


 どうやら今の提案、それが目的だったらしい。わかりやすい旦那様だ。


 それを聞いたティファニーが突然の惚気に微妙に嫌な顔をしつつ、ノワールを元気づける。こんな風にノワールへフォローをするようになったというのも、初めの頃のティファニーを考えればかなりの進歩だ。


「教師くらい手配したらいいじゃないですか。元王子なんですしコネとかあるでしょう。隊長もついでに教わればいいです」

「そうだね……うん、そうする。ノエルもいいよね?」

「ああ」


 私がノワールからの確認に頷いて、私たちの今後の予定に「ダンスの練習」が加わった。そのことに機嫌をよくし、ノワールが微笑みながら言う。


「よし、これで舞踏会を開けば、またノエルのドレス姿が見られるんだな」


 ……どうやら、目的はもう一つあったようだ。


 私が思わず頬を熱くすると、ティファニーはそんな私たちを見てハッキリ嫌な顔になった。


「……べ、別に、ドレスくらいいつでも着てやるぞ?」

「えっ、ほんとに? いいのかい?」


 気を使った私が発言すると、ノワールは予想外の食い付きを見せる。気圧されながら私が頷くと、彼は目を輝かせた。


 喜んでくれたのは嬉しいが、私のドレスくらいでそんなに嬉しいのだろうか?


 ……というか、勢いで言ってしまったけれども、ドレスというのは夜会か舞踏会でもなければ着ないものではなかろうか。


 いや、貴族の令嬢は普段着もドレスだったりするのだろうか? お茶会の時のセレスはドレスを着ていたし、騎士服を常用しているティファニーは例外だろうし……うぅむ、わからない。


 ――そんな私の疑問の答えを、思わぬ形でティファニーが零す。


「ドレスくらいで大袈裟ですね……隊長は馴染みがないでしょうけど、そこら辺の令嬢がいつでも着てるじゃないですか。ノワールさんなら見慣れてません? そういうの」


 がしかし、「なるほどそうなのか」という納得と同時に、私の胸中に「ノワールがドレスを見慣れている!?」という危機感が衝撃として訪れてしまった。


「……? 見慣れてないけど?」

「えぇ……」


 けれどもそこは異世界の平民出身のノワール、ティファニーの言葉をきょとん顔で切り捨てた。ティファニーが脱力する。


「それに見慣れてたとしても、綺麗な女性が着飾ってるんだから、華やかなのは本当だろう? 何回でも見たいに決まってるじゃないか」


 ――だというのにこの旦那様、すごい天然誑しな言葉をぶちかましてくれた。


「……あー、はい。そうですね。よかったですねー」


 ティファニーは非常におざなりにあしらった。顔はこれでもかと嫌そうに顰められており、ノワールの惚気発言に砂でも吐きそうな表情である。私は固まって動けない。


 不機嫌な彼女に「ム」とノワールが口を噤み、ティファニーの機嫌をとるためだろうか、これまた天然誑しなことを言い始めた。


「嘘じゃないよ。あの日のノエルのドレス姿も、もちろんティファニーも、すごい美人で言葉が出なかったくらいだ」


 ――その時のノワールの言葉に対して私が覚えた感情は、所謂〝嫉妬〟や〝やきもち〟と、そう呼ばれるものだったのだろう。


「はあ、それはどうも。私は舞踏会とかそういうの嫌いですし、めんどくさいのでドレスとかも着たくないですけど」

「それはもったいない。せっかくティファニーも美人なんだ、着飾ってもバチは当たらないよ?」

「……バチ? ってなんです?」

「あ、ごめん。それは気にしないで」


 続けられた二人の会話にも、もやりとした気持ちが湧き上がる。とてもおぞましくてドロッとした、抱いてはいけない感情がそこにあった。


 ……これはいけない。この感情は、持っていてはいけないものだ。


「ノワールさんって時々変なこと言いますよね?」

「……あー、それはね……ち、小さい頃に考えた言い回し、なんだ。未だに癖が抜けなくて……」

「は? 記憶喪失なんじゃないんですか?」

「……えっと」


 ――無理やりその感情を振り払って、私はノワールへ助け舟を出すことで気分転換を行うことにした。


「それより、そろそろお茶にしないか? ノワール、手伝ってくれるか?」

「あ、ああ、わかった。……ごめん、ありがとう――」


 ◇


 その日の夜。


 湯浴みも終わらせて、いよいよノワールと共に眠るだけ、といった時間。


 ……いつもなら眠くなっているはずの時間でも、今日はなんだか、そんな気分じゃない。


「ノエル、もう寝ようか。……ノエル?」

「……ん、ああ。そうだな」


 なぜかと言えばたぶん、昼間の嫉妬のせい。


 結局あれから一日中あの感情が頭を離れなくて、上の空で一日をすごしてしまった。今もそれが頭の中に居座っているのだ。


「……。眠れない?」

「……うむ」


 私が眠れないのをノワールは見てとったか。照明を落とし、各々ベッドに寝転がると、彼からそう声をかけられた。


 私が頷くと、ノワールは苦笑しながら口を開く。


「じゃあ、なにか話をしようか」

「話?」

「うん。……そうだな、今日、ちょっと思いついたことがあるんだけど」


 そうしてノワールは語り始める。私にとっては馴染みのない、しかし彼にとっては当たり前であった、彼の元いた世界の話を。


「この世界って、指輪はあるのかな?」

「指輪? あるぞ。宝石をあしらった装飾品だな」


 貴族や豪商などが、豪勢な装飾品として用いるものである。金属を輪っか状に加工して、指に嵌めることで装着するのだ。


 もちろん私は触ったことがない。救世主として高給取りではあるし、購入するくらいはできるだろうが、単純に興味がなかったのだ。


 いや、指輪を魔法具に加工したものがあるとかで、そちらは興味が出て一度調べてみたことはあるが、それはともかく。


 それがどうかしたのだろうか。


「俺の元いた世界では、もちろん装飾品としても使われてたけど……夫婦で揃って同じものを身につける、結婚や婚約の証としての意味合いもあったんだ。むしろ、庶民はそっちの方が馴染み深かったくらい」


 ……指輪が、夫婦の証?


「……そう、なのか?」


 ピンと来ていない顔で私が言うと、ノワールは再び苦笑する。


「うん、そうなんだ。右手、左手のどちらに着けるか、どの指に着けるかでも細かく意味があってね。俺も詳しくは知らないけど、夫婦の証としての指輪は、左手の薬指に着けるのが普通だった」


 「だから――」と、ノワールがこちらに手を伸ばし、私の左手をとった。そのまま、自身の口元に私の手を引き寄せていく。


「ちょっと気取った求婚だと、こんな風に――」


 ちゅ、と。


 ノワールが、私の左手の薬指の根元に口付けをした。


「――将来指輪を着ける位置に口付けをして、「ここは自分が予約した」って、言ったりするんだよ?」


 初めて求婚した時のように私の左手を握りながら、ノワールは微笑んだ。


 ――その笑顔に、心臓が撃ち抜かれたものだから。


「……う、うむ。そうなのだな……」

「ああ、そうなんだ」


 今日一日抱いていた嫉妬が、あれはなんだったのかと拍子抜けするくらい綺麗さっぱり、なくなってしまった。


「もう眠れそうかな?」

「……あ、ああ、ありがとう」

「どういたしまして。おやすみ、ノエル」

「お、おやすみ……」


 さり気なく私の手は握りしめたままで話を締めくくり、最後にまた微笑んで、ノワールは目を閉じる。


 私も目を閉じたけれど、なんだかこう、逆に眠れそうにない。


 だって心臓がバクバクで、それはもう大変なことになっていたからだ。


「…………」


 しばらくそのまま悶々としていると、私は次第に落ち着きを取り戻していく。


 ……ノワールと一緒にいると、今まで知らなかったことを教えてもらえる。


 先ほどの指輪、夫婦の証だという異世界の文化だけではない。今日抱いていた嫉妬や、今朝感じた独占欲。あとはもちろん、恋心や愛情も、もらった愛の言葉へ抱く喜びと羞恥心だって。


 ――この手の温もりも、ノワールから教えてもらったものだ。


「……すぅ、すぅ……」


 ……ノワールは、もう眠ったのだろうか?


 朝は弱いノワールだが、寝付きは大層いいようだ。もう寝息を立て始めていて、私が動いても反応を示さない。


 顔はもちろん、私が愛おしく思った寝顔をしていて――


 ――手にしか感じていない温もりを、ふと全身で感じてみたくなった。


「――――」


 ……また一つ、ノワールから教わった。


 誰かを求める心と、それに逆らうことは酷く難しい、ということを。


「……ん……」


 モゾモゾと、ノワールに身を寄せてみる。ノワールは呻き声だけで、拒む様子も逃げる様子もない。


「…………」


 更に身を寄せてみて、握られた手が邪魔になったのでやんわりほどいた。どうせ全身で堪能するのだ、今更手にこだわることもない。


「……ん」

「……すぅ……すぅ……」


 完全に上体を密着させて、私の腕は上側の片方だけノワールの腰に回された。回していない手はノワールの寝間着の胸元を軽く握って、精いっぱい密着しようと心がける。


 目の前にはノワールの胸元があり、そこから覗いた肌色にクラクラするような気がした。


 余計に眠れなくなってしまった気もするけれど、ともかく私はそれで満足し、その状態で目を瞑るのだった。


 ――それから、どれだけの時間が経っただろう。


 もちろん夜は明けていない。外は真っ暗なままで、日付はなんとか変わっただろうかという、そんな時間。


 落ち着かなかった内心もようやく落ち着きを見せてきて、私がちょっとだけウトウトし始めた、そんな頃だ。


「――ぁ……」


 ノワールが、何事か囁いたのが聞こえた。


 寝言、というやつだろうか?


「……ぁ、れか……」


 なにを呟いているのだろう。私の夢を見てくれていたりしたら、ちょっと嬉し――


「だ、れか……」


 ――違う。これは、


「だれか……やだ……」


 魘されている。


「……ノワール?」

「だれか、だれか……やだ、ひとりは、やだ……だれか……!」

「ノワール?」


 呼びかけるも、ノワールは反応を示さない。その代わりに、意図の読み取れない呟きを零し、次第に身体を強ばらせていった。


「ぅ、ぅうぅ……!」

「ノワール、ノワール!」

「だれか……! だれ、か……!」


 呼びかける声を強くする。ノワールはシーツを握りしめ、寝汗で背中をびしょびしょにしながら、私に気づかず身体を丸めた。


「ノワール!」

「う……うぅぅ……!」


 もはや私が呼びかける声は叫び声になっていた。それでもノワールは気づかない。もうこれは手段を選んでいられないと、私はノワールを揺さぶりながら今一度叫ぶ。


「ノワールッ!」

「――っ!」


 ノワールが目を見開く。数瞬の間、目の前の風景に理解が追いついていないかのように固まったあと、ゆるゆると私の顔に焦点を合わせた。


「……のえ、る……?」

「ああ、私だ。私がいるから、もう大丈夫だ」

「ぁ……ありが、と……」


 それを最後に、またノワールは目を閉じた。彼の手からは力が抜けていて、シーツを握りしめていることもない。


「…………」


 私はノワールの頭の下に腕を差し込むようにして寝転び、彼の頭を微かに抱きしめながら目を瞑った。


 ――「誰か」、「一人は嫌だ」。


 ノワールは、そう言っていたのだ。


 ……どんな夢を見たかはわからない。けれど、なんとなくわかる気がする。


 ノワールは、異世界から召喚された者。元の出自がどうであれ、ここは彼の故郷ではないのだ。


 ここから見える空が、彼の生家に繋がっていないどころではない。見ている空も、吸う空気も、なにもかもが〝違う〟のだ。


 ――そりゃあ、寂しいだろう。


 ましてや彼は、自分の身体を使っているのではない。魂だけ呼び寄せられて、あまつさえそのことを隠して生活している。その上彼は、元の世界で一度死んだことがある、とまで言っていた。


 その苦しみは、きっと計り知れないほど。だというのに、ノワールは一言たりとも打ち明けてはこなかった。


 ――だから、私がいると、そう言ったのだ。


 私は君のことを知っている。


 君がこの世界の人じゃないことを、君が一度死んだ経験があることを、私は知っている。


 君が抱いた苦しみを想像できる下地が、私にはある。


 ……きっと、ノワールは打ち明けてはくれない。


 彼は強いと思う。ずっとずっと、想像を絶するほどに苦しかったはずなのに、今も苦しいはずなのに、誰の前でも笑顔でいるのだから。そんな強い彼が、今更私に弱味を見せることなどないだろう。


 ――だけど、この時だけは。


 この、あどけなくて無防備な、眠っている時だけは。強い彼であっても、とても弱くなってしまうから。


 だから、私がいてあげる。


「……君は、私が守る」


 ――なにせ私は……君のお嫁さんは、人類最強の救世主だ。


 夫婦は支え合うもの。君が私を支えてくれているのだから、私だってそうしよう。


 世界を救う救世主の、その頂点とまで言われる私なのだ。君一人を守るくらい、どうということはない。


「だから安心して、眠っていいぞ……」


 私の隣を選んでくれた、私にいろんなものを教えてくれた、そのことに報いるためにも。


 ――なによりも私が、そうしたいと願っているから。

デレ出力は80%、本話終盤で100%です。次話から本気を出します。


※第六話にて触れた、まだ登場していない第二王女さんに関してですが。本来ここの幕間にて登場させる予定だったのですが、尺とか文字数だとかの関係でバッサリカットと相成りました。登場しなくても問題ないので慈悲はありません。本作の一話目に掲載している人物紹介にて彼女のプロフィールが載っているので、興味のある方はそちらをご覧ください。

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