09. 憧れのお姉さま 【マーガレット】
「お姉さまの首飾りみたいなの、わたくしも欲しいわ。お母様」
五歳の真夏日、マーガレットはダリアを指さしてそう言った。
それは紫水晶があつらわれた上品なネックレスで、凛としたダリアに良く似合っていた。
翌日、ネックレスはマーガレットの首元にあった。
母親がダリアから「もらってきて」くれたのだ。
「ダリアお姉さまのブローチ、素敵ね」
「ダリアお姉さまのドレス、格好良いわ」
「ダリアお姉さまの髪飾りみたいなの、わたくしも欲しいの」
マーガレットはやたらとダリアの持ち物が欲しくなった。
そのうち「欲しい」と言わなくても、母親がダリアの私物を「もらってきて」くれるようになった。
マーガレットは大喜びだ。
もらったアクセサリーを全部つけて、自室の鏡の前でポーズをとった。
「えへへ、わたくし、お姉さまみたい?」
薄手のドレスの裾をつまみ上げ、ダリアの真似をしてカーテシーをしてから、マーガレットはため息をついた。
「本当はお揃いとかも、すごく憧れるけれど。お姉さまはご迷惑よね、わたくしなんかとお揃いなんて」
しかし、どれだけダリアの私物を身に着けても、マーガレットがダリアのようになれる日はこなかった。
そしてマーガレットとは反対に、どんどん地味にみすぼらしくなっていくダリアは、その上でも美しかった。
そんな姉の姿を見て、マーガレットは気づいた。
お姉さまの私物が魅力的なんじゃない。
お姉さまが魅力的なんだ。
「それがわたくしの、記念すべき『ダリアお姉さまが最推しだと気づいた』瞬間です」
「タイミング、最悪だね」
「お姉さまの心情に思い至らなかった、わたくしの知能は猿以下です」
「まぁまぁ……」
「後悔しても、し足りない……もういいんですよ、この話は。報告書の読み上げを再開します」
気を取り直したマーガレットを、ナルシスはもはや止めることもあきらめて、帳面の計算をしている。
侍従は話に交ざる気はないようだ。
先ほどナルシスが動揺してから、怪訝そうにナルシスのことを窺っているが、やがてわざとらしく書棚にはたきをかけはじめた。
窓の外の太陽は少しずつ日差しの角度を変える。
もうすぐ正午になるだろう。
「シラー公爵、ダリアお姉さまに愛称呼びをさせる……うんうん、ダリアちゃん呼びと、アルフィー様呼びかぁ……うんうん……」
マーガレットが頬をゆるんゆるんに緩めて気持ち悪い笑い声を漏らす。
しかしはっとしたように背筋を正して、書類に厳しい目を向ける。
「まだまだよ、シラー公爵。それだけじゃ、あなたをダリアお姉さまの恋人として認めることはできないわ」
「すごい上から目線……」
マーガレットはふとナルシスを見つめる。
「ナルシス殿下もたまにはいいこと言うじゃないですか」
「え?」
「その通り、見守るなんてわたくしは何様でしょう。応援するなら行動してこそ」
マーガレットは勢いよく椅子から立ち上がると、後ろに控えているクロエに人差し指を突き付けた。
窓から強い春風が吹き込み、マーガレットの巻き毛をぶわりと吹き上げる。
「クロエ、『烏』へ特別指示を出すわ。ダリアお姉さまとシラー公爵のラブラブを全面サポートよ」
「そこを動くな、マーガレット嬢」
こん、とペン先が紙を叩く音が、執務室の中に小さく響いた。
マーガレットは思わず振り向く。
ナルシスは静かに問いかける。
「一応聞くよ。何するつもり?」
「え? 二人がくっつくよう烏総員で後ろからぐいぐい押したり、良い雰囲気になったところでBGMとして烏総員でラブソングを合唱させたり」
「全編に渡って力押しじゃん、やめときなよ。烏に隠れさせる気ある?」
ナルシスはいつも通り書類を書く手を止めない。
しかし、常にだるーんと間延びした話し方をするのに、今はやたらとはっきりした物言いをするので、マーガレットは少し尻込む。
「言っておくけど、君は今ひとんちに手下を送り込んで、大暴れしているんだからね。バレたら大目玉じゃ済まないよ」
「えっと、じゃあ、もう少し考えます」
「思いついたら、まず僕に相談してね」
こんなに心配性だったろうかと、マーガレットは少しいぶかしむ。
しかしナルシスの言うことは全く持って正論だ。
何回か頷くと、マーガレットは手元の報告書に視線を戻す。
「それで、屋敷に入って……『メイド、ダリア様が地味だと言う』……ですってぇ?」
マーガレットが眉を吊り上げて音高く舌打ちをする。
「何にもわかっちゃいないわ。姿絵で見た黒い上着のエレガントさ、スラックス一枚のスマートさ! スレンダーなお姉さまの美しさを極限まで引き出すシンプルの魔力! それを地味だなんて言う使用人がいる屋敷なんかに、お姉さまは置けない……と言いたいところだけれど。うちよりは全然ましだったわ。残念なことに」
「マーガレット嬢。今気付いたんだけどさ、君、仮にもダリア嬢の妹じゃない。こんなまどろっこしいことをしなくても、会いに行って様子を見ればいいんじゃないの」
マーガレットの瞳から、すっと光が消えた。
「お姉さまは『前の婚約者と顔を合わせていたら、メグちゃんがかわいそう』って追い出されたんですよ。今更どんな面して会いに行けと?」
ナルシスは手を動かしながらも、一瞬言葉に詰まったようだった。
少し迷うように口をひらく。
「そのご両親、何とかできないの? 君は可愛がられているんでしょ」
「可愛がられる、そうね、可愛がられていますね」
マーガレットは皮肉気な笑みを浮かべる。
「両親にとって、わたくしは『必ず自分のことを立てて、いつでも服従する』都合のいいお人形だから。媚びを売るわたくしだけ可愛がって、わざとお姉さまと差をつけて、自分たちが偉くなった気になって喜んでいるの」
脳裏に両親の顔が蘇る。
「メグが次の王妃だ」と大喜びしていたあの顔。
マーガレットの気持ちなんか一切眼中にない、あの顔が。
「わたくしが口答えすれば、あの人たちはすぐにわたくしを見捨てる」
マーガレットはか細く長いため息をついた。
右手が所在なく頭の造花に触れる。
「当然だわ。わたくしには媚びを売るくらいしか、取り柄がないもの」
「否定しづらい」
「心拍数の変化をみても、お姉さまがわたくしに否定的感情を持っているのは確かだわ。わたくしがこんなに無能だから、軽蔑されているんでしょ」
「心拍数って、君そんなことできたの……」
マーガレットはぶすっとした顔で胸元のリボンをほどいて、手に垂らして見せる。
途端、どこからともなく緩やかな風が吹いてきて、リボンをひらひらと揺らした。
「これが最大出力。フライベルク家十八番の風属性の魔力ですら、わたくしにはこの程度。扇でも振る方がマシだわ。微弱な熱や空気の振動を読むくらいなら、何とかできなくもないけれど。ダリアお姉さまは、つむじ風に乗って空すら飛べるのに」
部屋の隅で書類の山を直していた侍従が、気まずげに目をそらす。
ナルシスは溜息をついた。
「前から思っていたけどね」
ナルシスは書類に判を押しながら、間延びした声で語る。
「ダリア嬢は化け物なんだよ」
「ぶっ殺す」
「……劣等感を持つ必要は無いってこと。フィジカルも頭脳もあれだけ才があって、魔力もなみなみあるなんて、普通ありえない。決して君に能力が無いんじゃない、ダリア嬢がちょっと妙なんだ」
ナルシスがペンを動かしながら淡々と話す。
「魔力が豊富にあったって、別に良いことばかりじゃない。現に、幼いダリア嬢が僕の交配相手に選ばれたのは、魔力があったせいだ。かわいそうに」
「……そんな言い方しないでください。本気で怒りますよ」
「ごめんね」
「謝んなよ。別にあなたは悪くないでしょう」
「どうしろと……」
これで慰めているつもりらしいから笑ってしまう。
だが、こう見えて人によく気を使うところが彼の美点であった。
マーガレットは気を取り直すように顔を上げる。
「いいんですよ、そんなことは。ふむふむ、シラー公爵がメイドを叱る。まぁ、当然よね」
うんうんと頷きながら、マーガレットは読み上げ続ける。
「メイドが、ダリアお姉さまが普段、華やかにしているかどうかについて言及している」
マーガレットは顎に手を当てると、少し笑う。
「ふん、まあまあね」
「さっきから君、何目線?」
「わたくしも惜しいと思っていたのよ。もちろんダリアお姉さまのシンプルないでたちは最高だけど、華やかな装いも絶対に似合うもの。まぁ、お姉さまから装飾品を奪った元凶は、わたくしだけど」
そこまで語り終えると、マーガレットは報告書の一文を目にして、妙な顔をした。
「ナルシス殿下。あなた、地味な女性が好きだったんですか?」
「なにそれ」
ナルシスが書類を書きながら首を傾げる。
「じゃあドレスの趣味について、誰かに聞かれたことは」
「ああ、何度かあったかなぁ。ご令嬢にドレスの趣味について聞かれた。王太子が令嬢以上に、ドレスに造詣が深いとでも思われているのか。絶対政務に関係ないのに、そんな知識まで必要なのか。クソなのか、この仕事は」
「……それで?」
「うーん」
ナルシスはこめかみを握りこぶしでゴリゴリと揉んだ。
「スパンコールやら派手な刺繍やらが付いたドレスは、徹夜明けの目にはチカチカして痛い。やたらとカラフルなドレスの集団も同様。だから……」
ナルシスはぽんと手を打った。
「そうだ、確かに『地味なドレス』って答えたな」
「ナルシス王太子、お覚悟オオオオオ!」
マーガレットが鋭く投擲した重りを、ナルシスは机の横に立てかけてある巨大な盾で防ぐ。
もちろん仕事をしながらである。
「何、急に」
「お姉さまが地味っていじめられていたの、九割方あなたのせいじゃないですか!」
「……そうか、なるほど」
ナルシスは顎に手を添える。
「あの時の会話を、聞かれていたのか……ふうむ」
ナルシスは書類を片付けながら呟く。
「何事も手を抜いちゃだめだなぁ。結局、ドレスの知識は必要なのか」
「こんなに激務なのに、これ以上勉強とかしないでください!」
侍従が悲鳴を上げるが、聞こえているのかいないのか、ナルシスは呟き続ける。
「ドレスに詳しい王太子として、僕が流行を作り出す。やがて無駄にキラキラした社交界は、黒に茶色にどどめ色、いずれにせよ目に痛くない色使いで統一される。僕は偏頭痛から解放されるんだぁ」
「思いっきり私情じゃねえか!」
こんなに無作為に自分たちがダリアを不幸にしていたなんて、とんだ悲劇である。
マーガレットはミルクティー色の小さな頭を両手で抱えると、ナルシスを憎々し気に睨みつけた。
「一応言っておきますけれど、逃げないでくださいね。わたくしたちには責任があります」
「逃げられないよ」
ナルシスはマーガレットを一瞥する。
目の前のマーガレットを見ているのに、どこか遠くを見るような目つきである。
「こんなに仕事があるんだから」
何がここまで彼を駆り立てるのか。
春風が吹いて書類の束を吹き上げる。
何枚か床に散らばり、踊るように広がった。
マーガレットは執務机の横を通り過ぎ、ナルシスの背後の硝子窓を閉める。
暖かくなるにつれ、空の青色は濃さを増していく。
この空の下にダリアもいる。
シラー領の空が晴天かは知らないが、ダリアと同じ空の下にマーガレットはいるのだ。
マーガレットは口ずさむように呟いた。
「わたくしは奪うだけの妹じゃない。お姉さまの幸せを見届けるの」
そしてその時には、マーガレットは「真実の愛」を書類の上で観測する。
マーガレットの夢は叶うのだ。




