10. ここで働かせてください 【ダリア】
「このままじゃ駄目になる」
南向きの日当たり良好な部屋で、隅から隅までかわいらしい調度品に囲まれ、ダリアは仁王立ちした。
ダリアに与えられた部屋は、すべてがふかふかしている。
大きなベッドはもちろん、ソファーも、クッションも、絨毯も、巨大な黒い狼のぬいぐるみまでふかふかしている。
さらに言えばつやつやの黒狼のぬいぐるみは、ダリアと同じく桃色の目をしている。
不思議な偶然もあるものだ。
早く剣術で人の役に立ちたいダリアは、たびたび傭兵になることを志願した。
ところが口を開くたびに、アルフレッドは笑顔でお菓子を口にねじ込んでくる。
これがまた絶品なのだ。
幸せな気持ちになって、ほのぼのとした会話をして、気が付いたらふかふかの部屋に戻っている。
――駄目になる。
ダリアはある決心を固めた。
***
「アルフィー様、何とかしてください!」
午前中の中庭、青空の下で村人同士のこぜりあいを取り調べている最中に、メイドのメアリが転がり込んできた。
アルフレッドは思わず沈痛な面持ちになる。
「一応、状況を聞くわ」
「ダリア様が、ダリア様が」
メアリが涙ぐんで叫ぶので、アルフレッドは黙ってうなずいた。
こうなることは予測していた。
だがここまで早いとは思わなかった。
アルフレッドが勢いよく扉を開いた時、執務室は変わり果てた様子になっていた。
資料の詰まった書棚は丁寧な分別により効率化が図られ、散らかっていた隣の大きな机の上は綺麗に整頓されている。
わずかに埃っぽかった緑色のカーテンまでパリッと洗濯されている始末。
書棚の影に座り込んで、家令がしくしくと泣いている。
「ダリア様が……ダリア様が仕事、全部とったぁ……」
ダリアはおろおろしながら家令の背中をさすっている。
相変わらず実家から持ってきた男物の服ばかり着ているが、シラー邸にあるイヤリングを身に付けた姿は、ほんのりと女性らしい。
「ダリアちゃん。私はいろいろあって疲れているだろうから、休んでねと言ったわよね」
ダリアは困惑しながらも、弁解する。
「大したことは、何もしていないんです」
ダリアの言葉に家令がさらに泣き声を大きくする。アルフレッドは額を押えた。
事の次第はこのようである。
執務室で鼻歌交じりに机に向かう家令のもとに、長旅を終えたばかりの主人の婚約者がおずおずと訪れた。
「ダリア様、どうされましたか」
「あの、何かお手伝いをさせていただけませんか」
家令は内心「心がけのよい嫁が来た」と思った。
しかしまあ、特筆すべき仕事はないだろう。
屋敷の召使たちに指示を出そうにも、フレンドリーな一方で職人気質の頑固者ばかりで、なじむのにも苦労するはずだ。
あのメアリですら勝手に掃除すると機嫌が悪い。
客人だけは多いが、まだ雪が溶けたばかりなので当分誰も来ないはずだ。
いずれ領地経営に慣れてもらう必要があるが、切迫しているわけではない。
家令は困ったように笑うと、「では、こちらを」とごく簡単な計算作業を手渡した。
暇つぶしにはなるだろう。
ダリアは素直にうなずくと、部屋の隅に置かれた小さな机で作業を始める。
十五分後、ダリアはまた家令の肩を叩いた。
「終わりました」
「え、もう? では、こちらを」
またきっかり十五分後に仕事を終わらせてきたのを見て、家令は目を丸くする。
少しいたずら心が起きた。
「では、これをお願いいたします」
またきっかり十五分後に仕事を終わらせてきたのを見て、家令は「おおっ」と声を上げた。
宮廷人に対し一方的な不信感を持っていたが、これは案外なかなかである。
「どうかしましたか」
「いえ、ダリア様、失礼いたしました。この仕事もお願いしていいですか。分からないところがあれば、何でも聞いてください」
「ありがとうございます」
きっかり十五分後、ダリアは終わらせた書類を提出した。
家令は驚愕の表情を浮かべる。
「どうしましたか」
「いえ……では、こちらを」
ダリアがまたきっかり十五分後にやってくる。
家令はひきつった笑みを浮かべて、書類を差し出した。
それを一週間繰り返した結果、仕事は無くなり、家令は悲惨な姿となった。
「何故きっかり十五分? 舐められていたんですか。舐められていたのはこちらの方だったんですか」
小さな執務室に家令の嗚咽だけが反響する。
ダリアは書棚の前で立ちすくんだ。
「わ、わたくしが声をかけて、お仕事の邪魔をしてはいけないと思って」
「駄目だ。もう煽られているようにしか聞こえない」
いかにもやり手の家令がほろほろ泣く姿は、逆に凄みがある。
ダリアはしょんぼりと肩を落とす。
「じゃあ、わたくしは他の部屋の掃除でもします」
「許しませんよ。メイドの仕事にまで浸食する気ですか」
メアリが悲鳴を上げながら両腕を広げて立ちふさがる。
アルフレッドが困ったように頬に手を当てた。
「ダリアちゃん、ここの子はみんなプライドが高いの。人には本分というものがあるわ」
「では、わたくしに新しい仕事をください。いや、すぐに傭兵に――」
そこまで言った時、口にさくりとしたものが押し込まれた。
バターの香りがふわりと口の中に広がる。
「これは……クッキーですか?」
「そう。うちのコック、焼き菓子も上手でしょう」
「至福です」
ダリアは固い表情筋を緩めてクッキーをほおばる。
えっと、何の話をしようとしていたんだっけ。
「――そう! 仕事です。わたくしは仕事がしたいんです」
「うーん、流行りの小説や、刺繍道具なんかはあるけれど。ダリアちゃんの趣味には合わなかった?」
「そうではなく。ここまでお世話になっているのに、遊んで暮らすわけにはいきません」
「うーん、ダリアちゃんには逆効果だったか」
ダリアの肩の上に、アルフレッドは静かに手を置く。
「あなたは焦りすぎだわ。焦りすぎる時って、人は疲れているものよ。いいじゃない、別に休んだって」
「ここが、隣国との戦の要地であってもですか」
ダリアは据わった目を吊り上げる。
「わたくしは王妃教育を受けてきました。慢心かもしれませんが、自分なりにこなしてきたつもりです。できることは全くありませんか」
「ダリアちゃん。悪いけれど、戦争の仕事はここにはないわ。戦争で問題など、まるで起こっていないのよ」
「ここに来てから何度聞いても、アルフィー様はそうおっしゃいます」
ダリアは自分の上着の裾を握りしめる。
緑のカーテンや素朴な書棚は地味なのに、囲まれているとなぜか息がしやすく、それだけに心苦しい。
遠くから耳慣れない翼竜の鳴き声がかすかに聞こえる。
「わたくしは、そんなに信用できませんか」
――思い出すのは、実家のマーガレットの顔である。
ダリアは一年前、マーガレットがナルシスを訪ねて行っていることに気が付いた。
それも頻繁に。
何か問題が起こる前に、ダリアは正確に知っておく必要がある――とはいえナルシスとマーガレットが恋仲になっているなど、思ってもみなかったが。
ともかく、ダリアはマーガレットにナルシスのもとで何をしているのか聞いた。
妙な聞き方はしなかったはずだ。
だが、マーガレットはダリアの顔や胸元を見つめると、次第に顔を紅潮させ、瞳に輝きを一杯に含ませた。
「え? え? 何だと思ってます? ダリアお姉さま、わたくしが何をしていると思っています? ああ、ダリアお姉さまの焼きもちを、面と向かって拝見することができるなんて、感慨深……ン゛ン゛ッ。なんでもありませんわ、忘れてください。そんなことよりわたくしが言うべきことは、恋を盛り上げるために、わたくしがすべきことは……」
一気にまくしたてると、マーガレットはうふうふと気持ち悪く笑いながら、口元を押えた。
「ナ・イ・ショ、で――す。ウホホ――!」
内緒だと言われてしまえば、ダリアにそれ以上何ができただろう。
しかしダリアは今、そのことに憤っている。
あの段階で「真実の愛」とやらに陥っていることが分かれば、ダリアもマーガレットもスムーズにやり取りを終えることができたはずだ。
結局のところ、ダリアは婚約者からも家族からも信頼されていなかったのである。
努力だけは重ねてきた。
ダリアだってもっと役に立てるはずなのだ。
祖母のようになりたければ、こんなところで止まっている場合ではないのである。
しかし、アルフレッドは首を振った。
「いや、本当なの。本当に、何も起こっていないの」
「は?」
気を取り直したらしい家令が立ち上がって、モノクルを直しながら言う。
「つまり、前線を介してのやり取りで、戦を終わらせるめどがたっています。それどころか既にこのあたりは終戦ムードで、貿易も復活。民も呑気に暮らしています」
「見て、ダリアちゃん。あの捕虜なんて、ここの食事がおいしいから帰らないって、捕虜のまま居座っているの」
アルフレッドが緑のカーテンがかかった窓に歩み寄り、外を指さした。
外人らしき男が庭で兵たちと一緒に焼肉を調理している。
香ばしい香りがぷんと鼻についた。
「こらーっ、庭で焼肉なんか作らないで」
メイドのメアリが窓に駆け寄って叫ぶ。
しかし捕虜は「皆さんも食べます?」と言いながら、焼き肉をむしゃむしゃと食べている。
信じがたい、難所の内実がド呑気村だなんて。
家令は肉の香りに眉を寄せながら続ける。
「隣国が侵犯してきたとか、この国の言いがかりの戦でしたからね。シラー領への補給の条件に派遣された王宮からの監査官も、今では和解派です」
「王都ではそんな話、ひとつも」
「まさにそれが問題なのよ、ダリアちゃん」
アルフレッドが頬に手を当てて、ため息をついた。
「兄上が――国王がOKさえすれば済む話なのよ。でも領土だの賠償金だのと、蜜の少ない利益でごねて、まだまだ戦いたがっているのよね」
「そんな、なぜ」
「アルフィー様をこの領地に縛り付けて、あわよくば戦死させるためだと思います」
家令がぼそりと言った。
「国王陛下は、アルフィー様を恐れていますから」
アルフレッドは一瞬押し黙ると、静かに言う。
「そんなわけないでしょう。何度も言うけれど、彼は私の兄上よ。兄弟助け合って生きていくことが、父の、先代国王の遺言なの。これ以上、兄上のことを悪く言わないで頂戴」
家令は口を閉じた。
ダリアも目を見開いて固まる。
無機質な執務室に重苦しい沈黙が流れる。
メアリが窓に向かって「仕方ないですねー、焼肉は全員分あるんでしょうね」と叫んだ。
まだダリアには分からないことだらけである。
しかしダリアが知らない何かが、この国で起こっているのは確からしい。
考え込むダリアに、アルフレッドがちらちら様子をうかがいながら、微笑みかける。
「そんなことよりね、私、あなたに聞いてみたいことがあるの」
ダリアは目を瞬かせる。
「何でも言ってください」
「ありがとう。あのね……私のこと覚えてない?」
ダリアは微笑んで首を傾げる。
「覚える?」
「えっとね、七年前――」
アルフレッドがそこまで言ったところで、外から小さな物音がした。
メアリが「きゃー」と悲鳴を上げる。
窓から強烈な風が吹き込み、花びらが津波のように押し寄せてきた。
ピンク、赤、白、青、色とりどりの花々が部屋を埋め尽くす。
壁紙に張り付き、書棚の中に吹き込み、アルフレッドの肩の上に引っかかった。
甘ったるい香りがむせそうなほどに鼻腔を突く。
先ほどまで飾り気のない部屋だったのが嘘のようである。
かかとまで積もった花を眺めながら、アルフレッドがきょとんとした。
「お花ね」
「花ですね」
「どうしてお花がこんなに?」
「大丈夫ですか、アルフィー様!」
庭から兵士が泡を喰って駈け込んで来た。
「大丈夫だけど、何事?」
「花を輸送していた馬車が横転したそうです。風魔法で巻き上げようとしたけれど、失敗してここまで飛んだという次第らしく」
「ここまで? とんでもない威力ね」
アルフレッドは感心したように花と窓を見比べると、苦笑した。
「私、お花を回収するのを手伝うわ。ダリアちゃんも付き合ってくれる?」
「お役に立てますか!」
ダリアは腕をまくった。




