06. シラー領到着 【ダリア】
ダリアが嫁ぐシラー領は王都よりずいぶん遠い北方にある。
両親は中途から戦争物資の輸送隊にダリアを乗せた。
荷馬車を下り、ダリアは呆然として周囲を見渡す。
燃えるような夕焼け空に、鳴き声を響かせながら飛び交う竜。
路上を波のような足音を立てて闊歩する、馬に似た魔物の群れ。
奥には三階建ての古い邸宅が灰色の影のようにそびえている。
ここがシラー邸であった。
筋骨隆々の騎士たちが、庭のあちこちをうろうろしている。
「あれ、お客さん。お疲れ様でーす」
「待て、黒髪に桃色の目――あれダリア様じゃないか? 今日到着の予定だっけ」
「あっ、やべ。出迎えとか要ったのかな」
「知らんよ。そんなことより、早く行かんと飯がなくなる。ダリア様、お疲れ様でーす」
ダリアは恐る恐る頭を下げる。
その時、頭上で翼竜がひときわ声高く鳴き、ダリアは思わず肩をすくめた。
――自分を信じて、しゃんと背筋のばしてな。お父さんとお母さんが何を考えているかは知らないけど。少なくともあたしは、いつまでもダリアのことを愛してるよ――
祖母の言葉である。
祖母がそう言ってくれたから、いつだってダリアは背筋を伸ばしていても許されるのだとわかる。
ダリアは逆に胸を張った。
胸に抱いた刀の鞘をそっと撫でる。
「お仕事中、失礼いたします。わたくしはダリア・フライベルクと申します。シラー公爵様にお会いしたいのですが」
「あー、どうもどうも。俺たちはシラー領第一部隊です。公爵様は……いやー、あの人どこ行ってるんだか」
ひときわガタイの大きな男が、屋敷の玄関を指さした。
「あー、来る、今来る」
体格の良い男性がこちらに向かって走ってくる様子が見えた。
二十六歳の若き公爵、アルフレッド・シラーだ。
長い銀髪を三つ編みにして背中に垂らしている。
ナルシス王太子は優美な青年だが、シラー公爵は深い青の目をした精悍な顔付きの男性だ。
黒の質素な軍装を着た姿には、夜の岩山のような印象を受けた。
動きには王都の武芸者のような品は見られないものの、巨躯の割にすばしこく隙がない。
シラー公爵はダリアを一瞥すると、目を大きく見開いた。
ダリアの服装が珍しいのだろう。
文句を言われる前に、まず説明しようとダリアは口を開いたが、シラー公爵は無言でつかつかと近づいてきた。
思わず身を硬直させるダリアのあごを取ると、顔を近づける。
ダリアは思わず目を見開く。
目元をかすめる、節くれだった長い指があった。
シラー公爵はほっと息をつくと、にっこり笑った。
「いきなりごめんなさいね。まつ毛が抜けていたの。目に入りそうだったから、つい。あなた、まつ毛長いのね」
背の低い従者らしき男が、止めていた息をようやく吐くかのように、気の抜けた声を上げた。
「びっくりした。いきなり、チッスでもするのかと思いましたよ」
「そんな無礼なことするわけないでしょ。失礼ね」
「いんや、その距離は既におかしいね」
「どっからどうみても、情事の現場でしたよ」
言い返すシラー公爵に、第一部隊の騎士たちがぎゃあぎゃあと喚く。
ダリアは思わずぽかんと口を開けて周囲を見る。
少し情報量が多すぎた。
ダリアの脳は目の前のことを処理する前に、体に染みついた礼儀作法を取ることを選んだ。
ダリアは胸元に手を当てて優雅に一礼する。
「ダリア・フライベルクと申します。シラー公爵様におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
「ようこそ、ダリアちゃん。私はアルフレッド・シラーよ。アルフィーって呼んで頂戴ね」
シラー公爵――アルフレッドは精悍な顔に満面の笑みを浮かべると、両手を重ねて顔の横に添え、小さく首を傾げた。
「都でも才女と評判のダリアちゃんが来てくれるなんて、この領地も鼻が高いわぁ。ぜひ仲良くしてね」
礼をしたまま、ダリアは固まっていた。
(王都よりずいぶんフラットな関係の騎士団。女性のような喋り方をされるシラー公爵……オーケー、理解したわ)
些事であるとダリアは判断した。
ダリアは姿勢を正すと、シラー公爵――アルフレッドに尋ねた。
「この度は身勝手な婚約を止められず、申し訳なく思います。いつでも破棄してください。ただ、わたくしは行くあてがないので、この領地で傭兵として雇っていただけると、とてもありがたいのですが」
「うんうん、そうよね、傭兵――いや、侯爵令嬢が何を言い出すの」
「何って……今回の件は王家の横暴と表現して差支えないと思います。アルフレッド様はお怒りになって当然かと」
アルフレッドは眉を下げると、顎に指を置いた。
「それを言うなら、あなただって同じ立場よ。私、甥っ子がずいぶん無礼を働いたって聞いたわ。こんなにかわいい子を、あんな理由で傷つけるなんて、信じられないわぁ」
アルフレッドは両手でダリアの手を取った。
ごつごつとした手だった。
「私はダリアちゃんと婚約できてうれしいし、でも婚約したくないなら、それでもいいの。何か別の仕事に就きたかったら、手伝える範囲なら手伝うわ。でも、とりあえず今は休むべきだと思うの。ここを家だと思って、暫くの間くつろいでみない?」
アルフレッドの背後で光る花弁がぶわりと舞った気がして、ダリアは目を細めた。
おかしいわ、この人。あまりにも親切すぎる。
「それと、私のほうから質問しても良いかしら?」
アルフレッドはことりと首をかしげた。
「何故、男装をしているの?」
「それは、傭兵になるつもりでしたから」
「……ああ、そっかぁ……あとは、荷物が少ないみたいね。これから来るの?」
「いえ、これで全部です」
そう言った瞬間、積み荷の護衛兵が「お荷物でえす!」と叫びながら地面にトランクを投げ捨てた。
荷馬車がものすごい土埃を上げて踵を返し、王都に帰って行く様子が見える。
「これだけ」
「これだけです」
「嫁入り道具とかは」
ダリアは俯いた。
「申し訳ありません」
「いえ、いえ。違うの。ダリアちゃんに謝らせたかったわけじゃないのよ。ただ、あの家って変わらないのねって思って……いえいえ、なんでもないの。嫁入り道具のリネンなら、屋敷に嫁いできた人たちのが馬鹿みたいに沢山あるから、何も気にしないで」
先ほどアルフレッドを指さして見せた体の大きな騎士が、口元に手を当てて言う。
「荷物がトランク一つ、嫁入り道具なし。侯爵令嬢なのに」
従者が「黙っとけ」と叫びながら騎士の背中を蹴る。
ダリアは屋敷に入る前に入れていた気合いがするするとしぼんでいくのを感じる。
「じゃあ、気を取り直して、屋敷の案内をしましょうか!」
アルフレッドの明るい声が、妙に空しく響いた。
その時、ダリアの目の端を奇妙な黒い影が走った。
――バルコニーだ。
この屋敷には来たことがないが、戦地という特性を抜きにしても、動き方が不審である。
「ダリアちゃん!?」
アルフレッドの制止も聞かずに、ダリアは飛び出した。
自身に肉体強化の魔法をかけ、居並ぶ騎士たちの間を縫って疾走する。
しぼみかけた気持ちを叱咤する。
迎え入れてもらったからには、ダリアは必ず役に立つ。
フライベルク家お得意の風魔法でつむじ風を起こすと、それに乗ってバルコニーへ飛び移る。
石づくりの小さな籠のようなバルコニーの上に、黒い影はなかった。
誰かがいた痕跡もない。
「気のせい?」
ダリアは目を細めてバルコニーの周囲を検分する。
すると、バルコニーに面する窓枠の陰に小さな紙片が落ちているのが見えた。
書かれていたのは暗号文だったが、このタイプのものは実家で見たことがある。
頭をぐるぐる回しながら紙片を睨みつける。
「『シラー公爵、出迎え、その場でチッス。ラブラブチェック』……何これ?」
ダリアは眉を顰める。
いたずらだろうか。
賊だと思ったのは、早計が過ぎたようである。
ダリアは鋭い目で周囲を見回す。
灰色の屋敷の中にも、近くに人の気配はない。
庭にも騎士たちがうろうろしているだけだ。
――だが、何故だろう。
嫌な予感がするのだ。




