05. お命頂戴(2) 【マーガレット】
「あー、『真実の愛』、『真実の愛』。くそまじめで地味なダリア嬢より、愛想がよくてかわいげのあるマーガレット嬢の方がいいかな」
ナルシスの言葉に、マーガレットは耳を疑った。
この男は何を言っている?
「ふざけんな――! 『真実の愛』を愚弄するんじゃねえッ!」
「まぁ、君にはそう言われると思ってはいた」
「『真実の愛』っていうのは、間違っても『妹の方が愛想いいから、変えちゃえ』みたいなものじゃないわ。『真実の愛』を貶めて、その上お姉さままで貶めるなんて……王太子ナルシス、お覚悟ォ――」
つんざくような怒声に、窓の外で平和に木の実を食べていた小鳥たちが、一斉に逃げ出す羽音が聞こえた。
侍従が呆然と呟く。
「『社交界の雛菊』? どこが? 誰が淑女だって?」
「いつもは愛らしい方なんです。本当なんです」
クロエが侍従の隣で必死に弁解する。
ナルシスはあくまでも飄々としている。
一瞬たりとも仕事の手を止めない。
マーガレットの苛立ちはますますつのる。
こんな男の事情を知ろうとしていたなんて、自分が馬鹿みたいだ。
「その理論でいくと、僕は最低なんだろう?」
「間違いないですわ」
「そんな奴と、君が心中する必要はなくない?」
侍従が目頭を袖で押さえる。
「ナルシス殿下、自分で言わないでください。俺たちが悲しくなっちゃうでしょうが」
マーガレットはぐっと言葉を詰まらせる。
まさに図星を突かれた。
胸に抑えていた不安が急速に波打った。
マーガレットは悪いことなんてしていない。
だが、やましいところがないわけじゃない。
「ナルシス殿下。ちょっと私事の話をしますが」
「早めに切り上げてね」
「まず、愛し合う恋人たちは、見ているだけで心の癒しです」
「人によりけり、かなぁ」
マーガレットはふうと息をついて虚空を見る。
「社交界に居れば、誰に色目を使ったとか、あることないこと噂されることがあります。仕方がありません。だってわたくしは愛想がよくて誰にでも優しい、かわいくて美人の『社交界の雛菊』様ですから」
「……まぁ、外面はいいよね」
「それでも、傷つくなんてもったいない。全力でこの状況を楽しむしかありません」
「開き直ったねぇ」
「『諜報活動』のついでに、いい感じになっている男女の、男の方に軽く近づくじゃない。女は嫉妬するじゃない。それで、不安になっている女に男がこう、『君しかいないよ』とか言うじゃない。恋の炎が燃え上がるってワケ」
「……君」
「すごく楽しいのよ。わたくしが体を張って加える、恋のスパイス。相思相愛のラブラブバカップルを作り出す達成感。これは女にとっての光源氏計画と言っても過言ではないわ」
「過言だよ」
ナルシスは片手で書類を書きながら、片手でしっしっと手を払った。
「つまり、君は恋人の仲を発展させるつもりが、自分が理由で引き裂いたと、気に病んでいるわけね。大丈夫、君はちゃんと節度を守っていたし、僕は君からその手の好意を微塵も感じ取っていない」
ならば、なぜ婚約破棄したのか。
あまりにもふざけた男だ。
やましい気持ちがものすごい勢いで霧散していく。
反比例するように怒りが蘇っていく。
今、理不尽に婚約破棄された令嬢の妹が、武器を持って訪れているのだ。
王太子サマからすれば馬鹿みたいだろうが、マーガレットは姉のことに本気で怒って敵を討ちに来たのだ。
どうして仕事を続けている。
なんだそのどうでもよさそうな顔は。
あまりにもふざけた男だ!
「あなたが何を思おうと関係無い。残る事実は、わたくしが存在した結果、一つのカップルを引き裂いてしまった……それがよりにもよって、ダリアお姉さまの婚約だったことよ」
マーガレットは拳をぶるぶると振るわせると、壁を殴った。
王宮が若干揺れた気がした。
「何より許せないのは、こんなふうに女を振る男を、お姉さまの夫として応援していたこと」
殺意よ、わが細腕に力を。
美と平和と「真実の愛」の女神よ、この男に天誅を下したまえ。
マーガレットはきっとナルシスに向き直り、長分銅鎖を構えた。
「最期に聞いてやるわ。わたくしたち姉妹が納得できる事情があるのかしら」
「ないよ。ただの『真実の愛』」
「王太子ナルシス、今日が貴様の命日だ――!」
地獄絵図である。
狂った牛のように襲い掛かるマーガレットとナルシスの間に、侍従が命がけで滑り込む。
「落ち着いてください。あなた、不敬罪まっしぐらですよ」
「わたくしの処分なんて、どうでもいい。最推……最愛のお姉さまを、こんな最低野郎と恋人にしかけた手落ちの方が、よほど致命的なのよ」
「今最推しって言いかけたよね」
「抹消したい……わたくしを抹消したい……そして王太子ナルシス、貴様も道連れだ。頭蓋骨を潰して、その優秀な脳みそをめためたにしてやる」
くっくっく、ふっふっふと忍び笑いを漏らすマーガレットの姿は、狂人の一言だ。
マーガレットは笑いながら続ける。
「この前の夜会も、珍しく両親から出るなとのお達しをもらったから、何かと思えば。三週間排便できない状態みたいな夜会だったそうですね」
「令嬢なんだからもっと綺麗な言い方をして」
「ようやく婚約者から誘われて、意気揚々と出かけたであろうお姉さまのお気持ちを思うと……物心ついた頃から、過酷を極める王妃教育を受けてきたお姉さまの立場を、どうしてくださるんですか」
地団太を踏むマーガレットに――彼女は「社交界の雛菊」と呼ばれる淑女である――ナルシスはやはり仕事の手を止めずに言う。
「ダリア嬢を誘えなかったのは、単に忙しすぎて、夜会どころじゃなったからだよ」
侍従が口をはさむ。
「違います。ナルシス殿下は『出ようとは』していました。数日徹夜越し、休みの目途が立たない状況で。侍従たる俺が、土下座して止めたんです」
「婚約破棄を認知させるために、あの夜会は必要だったから。ちょっと無理して開いたよ」
「そのせいで、ナルシス殿下の一晩が犠牲になりました」
マーガレットの両眼から涙があふれた。
あまりの情けなさに膝から床に崩れ落ちる。
「だったら、そもそも何故、婚約破棄なんて……」
「あ、それなんだけどさ、マーガレット嬢」
ナルシスがふと、思いついたように言う。
「君はダリア嬢の幸せを願っているんだよね」
「そうよ」
「ダリア嬢の幸せ、見届けたくない?」
マーガレットは細い眉を寄せる。
「どういうことですか」
「実は、ダリア嬢に新しい婚約者を紹介したんだけどね」
「お前を殺してわたくしも死ぬ!」
「落ち着いて。シラー公爵ね。臣籍に降りられた叔父上」
「戦地を押し付けられた方じゃないの! ナルシス王太子、お覚悟ォ――!」
ナルシスが右手に書類を書くペン、左手に巨大な盾を持ち、ぶん投げられた長分銅鎖を防ぐ。
そこでナルシスはようやく仕事の手を止めて、マーガレットを見た。
窓から差し込む春の陽光がふっと陰った。
一瞬、執務室の中がカーテンを引いたように暗くなる。
雲が流れたのか、すぐに光は差してきた。
窓からの逆光が机の上で指を組み微笑するナルシスを照らす。
「僕は、彼ならおそらく、ダリア嬢を幸せにできると見積もっている」
マーガレットは動きを止めて、目を見開いた。
ナルシスは首を傾げながら続ける。
「君は、ダリア嬢の幸せを見届けたくないかい?」
マーガレットは目を瞬かせる。
答えなんて最初から決まっている。
ダリアを幸せにしようとして、見事にやらかしたのはマーガレットだ。
ここから挽回するために、縋れるものなら何でも縋る。
「お姉さまが幸せに暮らしているか確認してから、あなたを殺せということですね」
「まぁ、そうなの、かな?」
「承知しました。クロエ」
「はっ」
クロエがマーガレットのそばに立つ。
「お姉さまの嫁ぎ先について調査して頂戴。わたくしも社交の場で、情報を集めるわ」
「畏まりました」
言った途端、クロエの姿はかき消えた。
侍従は呆然として言う。
「『烏』をこんなことに使っていいんですか……」
「烏」はフライベルク家の誇る諜報組織だ。
マーガレットの祖母が東国に遠征した際に国外から引き抜いてきた集団である。
フライベルク家の御稼業は、世界でも有数の優れた風魔法だと知られている。
その実フライベルク家を支える大黒柱が、吹き抜ける風のように何もかもを「知る」、情報戦略の力だ。
「両親に交渉しつつ、こっそり引き抜いたので、もうわたくしの組織です。散々ナルシス殿下の仕事に使ったんですから、そろそろわたくしの趣味に使ったって問題ないでしょう」
「ナルシス殿下、フライベルク家は大丈夫なんですか」
「不安になるよね」
「ではナルシス殿下、首を洗って待っていやがれですわ。ダリアお姉さまの『真実の愛』を見届けた日が、貴様とわたくしの最期の日だ。当日は、その無駄に立派な脳みそを引きずり出して、砕いた頭蓋骨とまぜまぜしてやる。そしてわたくしは『約束の地』へ成仏するのよ」
マーガレットはナルシスに向かって人さし指を突き立てる
侍従がナルシスの執務机の前で両腕を広げる。
「いい加減にしてください、マーガレット嬢。次に同じことをしたら、衛兵に突き出しますからねっ」
「大丈夫、必要ない」
しかし、当の本人のナルシスが首を振った。
「これでいいんだ」
「しかし、ナルシス殿下」
「大丈夫。次からも通して」
あまりにも馬鹿にしくさった男だ。
何を考えているのか全く分からない。
問いただそうかと思ったが、マーガレットは眉間にしわを寄せて、お下品に舌打ちするだけで済ませた。
この男が素直になったことは、これまでの付き合いで一度もないのだ。
マーガレットは足音たかく鼻息あらく、執務室を出て行った。




