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03. 調子こいて墜落 【マーガレット】

 時は少々さかのぼる。


「マーガレット、君ほど一緒にいて落ち着ける人はいない。さすが『社交界の雛菊』と呼ばれる淑女だ」


 早春の昼下がりの茶会で、向かいの席のアンドレが気分よさそうに言う。


 マーガレットはほんのり顔を赤らめると、ミルクティー色の巻き毛を揺らしながら、ぶりっ子笑顔を決めてやる。


 頭の両側にピンでとめた大きな造花が、鈴のような音を立てた。


「アンドレ様にそう言っていただけるほど、嬉しいことはありませんわ」


 ――馬鹿め。

 そんなことなど、とうに知っているわ。


 阿呆面の坊や、あなたの機嫌も感情も、絶対に隠しておきたい秘密だって、ぜーんぶわたくしの手のひらの上。


 春風にのって窓から花の香りが漂ってきて、紅茶の湯気と混ざりあう。

 レースカーテンがふわふわ揺れて、マーガレットの肩に触れる。


 透き通った白い肌、淡いピンクのドレス、柔らかく伸びた睫毛。


 間違いない。

 今のマーガレットは、誰がどう見ようと華やかながら清楚なお人形さんのように映るであろう。


 アンドレはひたすら嬉し気に自分の話をする。

 マーガレットの手札は勝手に揃う。


 全部揃ってしまえば、マーガレットにとって茶会もこの男も用済みである。

 残りの仕事はせいぜい、「ナルシスに報告書を提出する」くらいのことだ。


 極秘の情報収集という任務。

 そしてもたらされる報酬を思い浮かべ、マーガレットは内心でにやけた。


「おや、マーガレットじゃないか。探していたんだぞ」


「メグ、あそこにおいしいケーキがある」


「何だ、貴様。愛称だなんて、慣れ慣れしいぞ」


「そうだ、この国が誇る美姫、『社交界の雛菊』マーガレット嬢に向かって」


 談笑する二人を見つけて、マーガレットと懇意にしていた男たちが集まり、口喧嘩を始める。


「いかにも」な垂れ目に涙をためながら、マーガレットは心底困ったように言う。


「皆様、おやめになって。わたくし、楽しくお話ししたいですわ」


 乙女マーガレット、特技は博打と媚びること。


 ぶりっこしながら会話の中に罠を張り、度胸を捨てずに勝負に出て、相手から情報を引き出す。


 チンチロリンなどもう少し即物的な勝負も嗜むが、情報戦においては社交界で一番の勝負師を自負している。


 社交界は腐敗した権力の蹴落とし合い、小汚い戦場だ。

「社交界の雛菊」と呼ばれるマーガレットでさえ、隙を見せれば二度と人前に出られないよう叩きのめされるだろう。


 だが、マーガレットにはどんなことをしても守りたい「真実の愛」がある。


 そのためなら、この山より高いプライドさえ、せっせと媚びに賭けてみせる。


 その時、窓の外に人影が見え、マーガレットは反射的に音を立てて椅子をずらし立ち上がった。


 色とりどりの花が咲く花壇の前で、若い男女が仲良さげに談笑している。


 強烈な感情を抑えるべく、マーガレットは流行のたっぷり膨らんだスカートの裾を握りしめた。


(違う違う、あの二人は兄妹だから。仮にあの二人が恋仲だとしたら、わたくしは切なすぎて心にダメージを負うから、却下。今のところは却下。というか会話中よ。勝負師が勝負を捨てたら意味不明よ。集中集中……)


「ナルシス殿下を誑かしておきながら、よくうちのお兄様にまで近づけること!」


 若い女の声で我に返った。


 真っ赤なドレスを着たアンドレの妹が男達の輪を割って現れ、顔に勝利の念を浮かべている。


 うっかり別のことに気を取られていたので、マーガレットは彼女の言葉を咀嚼するのに時間がかかった。


 ――違う。

 言葉の意味が分からなすぎて、咀嚼に時間がかかる。


 マーガレットは目を見開く。

 ベビーピンクの丸い瞳が零れ落ちそうなほどに。


「その顔を見ると、本当だったようね。ナルシス殿下が、まだあなた本人にプロポーズしていないという話は。残念だったわね。きっとナルシス殿下はあなたのために、サプライズを演出しようとしていたのに」


 端的にいえば、マーガレットは調子に乗っていた。

 状況のすべてが墜落したことが理解できないくらい。


「そ、そんな! 嘘だろう、マーガレット」


 泡を食って立ち上がるアンドレ。

 他の男たちも青ざめてマーガレットを見る。

 その様子を見ると、誰もが知っている情報ではないらしい。


 アンドレの妹の勝ち誇った笑みの中に、マーガレットは確かに嫉妬と絶望の色を見た。


 ああ、お気の毒に。

 この女もナルシス殿下に惚れていたのだ。


 ――ナルシス殿下の婚約者なんて、ダリアお姉さま以外に選ばれるはずがないのに。


 そしてマーガレットは困り果てたように言うのだ。


 何のことですか?

 ナルシス殿下には、ダリアお姉さまという「真実の愛」で結ばれた恋人がいますのに。


「なっなななん、なんなんなんななんなんなんなな」


 ところで、マーガレットは「真実の愛」という言葉が大好きだ。

 だって、恋に恋するロマンティックなお年頃なのだ。


 故に、恋人を愛でることだけが、この腐りきった社交界を潜り抜けるための唯一の清涼剤だと思っている。


 恋し合う二人、略して恋人――素晴らしい。

 想い合うあまり嫉妬しちゃう二人、いいぞもっとやれ。

 人目を憚らずいちゃつく二人、お金を払わせてください。


 自分の目の前で寄り添うラブラブのバカップルは、すべからく神々の祝福を得るべきだと心の底から信じている。


 そして目の前でいちゃついてこそないものの、世界で一番かわいいダリアお姉さまと、世界で一番かっこいいナルシス殿下は、運命の女神も太鼓判を押すであろう完璧な二人。


 マーガレット最推しのカップルであった。


 ダリアとナルシスが愛を交わす妄想をスープに、マーガレットは黒パンを五千個食べられる。

 もちろん誇張なんかではない。

 実際に食べて見せたっていい。


「ちょ、ちょっと、あなたどうしたの。壊れた人形みたいよ」


「マーガレット、顔が真っ青……いや真紫だ。体調が悪いのかい」


 そんな馬鹿な。

 マーガレットは内心で鼻を鳴らす。


 マーガレットは三十九度の熱が出ても、舞踏会で可憐なぶりっこを演じて見せるつわものである。


 マーガレットの完璧な外面が崩れることなどないのだ。


 指の震えが止まらず、カップと受け皿がぶつかって微かな音を立てる。

 残り少ない茶があふれ出しそうなほど揺れる。


 マーガレットはもう一度口を開いた。


「なんなななななななんんなんなんんな」


 呼吸が浅くなる。

 喉がひりつく。

 急に目がチカチカしだした。


 そんな馬鹿な、違う、信じない。


「マーガレット、すごい汗だ」


 おののくアンドレの言葉に、ようやくマーガレットはぶりっ子きょとん顔を貼り付けたまま、ドレスを見た。


 襟から胸元にかけて、びっしょりと汗で濡れていた。


「わたくし、帰りますわ」


「う、うん、そうした方がいいね」


 マーガレットは愛らしくカーテシーをすると、客のさざめく広間を出た。


 屋敷を出たら、走り出した。


 馬車に飛び込むと、マーガレットは自分の屋敷まで一目散に駆けさせた。


 馬車は走っているのに、手が震えて扉がうまく閉まらない。

 外の喧騒が遠ざかり、車輪の刻む規則正しい音だけが狭い車体の中に響く。

 両側の窓から差し込む午後の日差しがあまりにも眩しくて、目がくらんだ。


 嘘である。


 マーガレットは馬車の白いベンチの中央で小さな頭を抱える。

 瞬きも忘れ、ぶりっ子きょとん顔のまま目を血走らせていた。


 カードは配られていた。

 両親がダリアを見る目。

 周囲のダリアを見る目。

 そして、マーガレットを見る目。


 ――何より、いつにもましてダリアがマーガレットを見る、その目の色に。


 この状況を導き出すカードは、それこそいくらでもあったのに、マーガレットは全てを無視した。

 見ないふりをした。


 だってダリアお姉さまとナルシス殿下は、「真実の愛」の恋人なのである。

 マーガレットの最推しの二人なのである。


 二人が別れることなど、地球の北半球と南半球が分かれることくらい、あってはならないことなのである。


 おぼつかない足取りのまま、マーガレットは屋敷の重い扉を開け、階段を駆け上がり、居間へ突撃した。


 両親はカウチに座ってチェスを楽しんでいた。


 背後の赤いタペストリーも、巨大な肖像画もけばけばしい。

 王都ではこういう俗悪な派手趣味は珍しくない。


「お父様、お母様、ダリアお姉さまとナルシス殿下の結婚!」


「ああ、聞いてしまったか」


 でっぷり太った父は、晴れやかに笑った。


「よかったな、メグ。お前が次の王妃だ」


「前からおかしいと思っていたのよ。あのダリアが王妃になって、かわいいメグがなれないなんて。あなたは何も心配しなくていいのよ。ダリアは家を出たから、さっき」


 母がフンと鼻を鳴らす。


 両親の手前「や、やったぁ……?」とか言ってみる。

 一方で生まれて初めて感じる激しい絶望に、視界が黒く染まり、ゆら、ゆらと歪む。


 そうだ、死のう。


 マーガレットはふと、そう思った。


 わたくしは死んで、バカップルしか存在しない澄み切った約束の地を慈しむ妖精になるのだ。


 いや、妖精にまでならなくてもいい。

 路傍の石ころに生まれ変わろう。


 そして昼はバカップルを愛で、夜はバカップルを祝福する。

 地名はバカップル天国だ。


 その時、走馬灯のように美しい銀色が脳裏をよぎった。


 天の川のような美しい銀髪。

 透明感のある水色の瞳の、麗しきナルシス王太子。

 白百合の花をしょったキラキラ完璧王子様。


 信じていたのに。

 わたくしが二人のハッピーエンドを心の底から願っていたことを、お前は知っているというのに。


 マーガレットは生まれて初めて明確な殺意を覚えた。


 居間を出て、私室のドアを開ける。


 ピンクの壁紙もピンクのベッドも母親が買ったもので、マーガレットの趣味では全くない。

 マーガレットはベッドに近づき、しゃがみ込んでベッドと床の隙間に手を伸ばす。


 冷たい鉄の塊が指先に触れた。

 隠してあるのは、鎖の先に黒い重りのある「長分銅鎖」と呼ばれる武器だ。

 鎖の長さは百センチ、重りは大きくはないが、上手く当てれば敵は即死する。


 マーガレットは長分銅鎖を試しに振り回した。

 空気を割くような音が、狭い部屋の中にやたらと大きく響く。


「――王太子ナルシス、お覚悟」

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