02. 婚約破棄 【ダリア】
ダリアたちに降りかかった大騒動の発端は、この国の王太子が主催した冬の終わりの夜会だった。
何かがおかしいとは思っていた。
ダリアの婚約者である王太子ナルシスは、「婚約者である」というのに滅多にダリアを社交の場に連れ出そうとしない。
今回ようやく招待されたかと思えば、パートナーの義務であるエスコートも果たされなかったのだ。
「ダリア嬢、君との婚約は破棄させてもらう」
彼は王都貴族たちが集まる大広間で、大仰な手ぶりで宣言した。
麗しい銀髪をゆるく束ね、肩に垂らす王太子ナルシスは御年十九歳。
白いダブレットは若者が着るにしてはやや古風なデザインだか、優雅な顔立ちと歴史ある王国の後継者という地位が相まって、かえって品格を足している。
燭台に何百本ものろうそくが惜しみなく灯される。
一歩外に出れば足元もおぼつかない新月の夜も、王宮の中なら不便はないといえる。
しかしダリアにとっては金ぴかの会場も身なりのいい人々の群れも、目がチカチカすることこの上ない。
「畏れながら、理由をお伺いしてもよろしいですか」
ダリアは思わず口をぽかんと開けて、そんな自分に驚いた。
今年十九になるまで厳しい王妃教育を受けた身であり、今までどんなことにも冷静に対処してきたことが理由の一つ。
それ以上に大きな理由が、ダリアが「地味」と揶揄される所以の一つ、表情筋の堅さである。
毎日コツコツ笑顔の練習をしていても、いざというとき全く動かない無表情が、こんな時になってようやく若干の感情を表した。
「ダリア嬢、僕は『真実の愛』を見つけてしまったんだ」
「はい?」
「だから、もう君とは結婚できない」
(まぁ)
(真実の愛ですって)
(相手は誰だろう)
(まさかわたくし?)
途端に周囲がざわつき始める。
ナルシスは秀麗な美貌を持つ王太子であり、多くのご令嬢方が彼に夢中だった。
「大輪の百合を背負ったよう」とは彼の形容詞だが、もはや百合なんだか水仙なんだかダリアには分からない。
「どうした、ダリア嬢」
「いえ、急に立ち眩みが」
政略結婚だ。
確かにお互い恋愛感情などない。
だが、ナルシスは真面目で努力家だ。
教育係や出入りの学者の呼び声も高く、国王としての能力は十分にあると思われた。
愛はなくとも尊敬しあえる夫婦になれると信じていた。
――まさか、見誤っていたというのか。
「それは、わたくしの他にお役目を果たせる方がいらっしゃるということでしょうか」
ダリアは人との交流が得意ではないが、そのぶん王妃としての教育を誰よりもこなしていた。
何より祖母譲りの莫大な魔力がある。
王家は魔力の強い血統を根拠に、神から権力を与えられたと主張している。
故に婚姻は一に魔力で二に魔力、三に家柄で四にまた魔力。
ダリアの魔力量が判明してから、王家はすぐさま王太子との婚約を申し付けてきたはずだった。
「ごく普通の令嬢では、諸侯が付いてくるとは思えません。魔力の多い貴族の娘がわたくしの他に?」
知らず知らずのうちに声が震える。
こんなことがあったと知られれば、父母からどんな仕打ちを受けるだろう。
「問題ない。僕の『真実の愛』の相手はメグだからな」
自慢げに笑うナルシスに、ダリアは目を剝いた。
「まさか、それは妹のマーガレット・フライベルクですか」
「それ以外に誰がいる」
「しかし」
「何だ」
「しかし……マーガレットには魔力がほとんどありません」
ほとんど悲鳴のようなダリアの言葉に、ナルシスが首を傾げる。
「しかし君の妹だ。妹ならそんなに変わりはないだろう」
「そんな無茶苦茶な」
泡を喰うダリアを見て、ナルシスはますます機嫌をよくしたようだ。
「僕は次代の王だ。君のような頭でっかちでくそまじめで地味な女より、愛想がよくてかわいげのあるメグの方がよほど僕にふさわしい!」
――見誤ったな!
銀色の前髪をふわりと揺らして、美しい顔を自己陶酔に染めるナルシス――平たくいえば馬鹿丸出しの姿を見て、ダリアはまた額を押えた。
唖然とする一方で、頭が勝手に推察を始める。
確かにナルシスは成績優秀だ。
しかし今にして思えば、ナルシスにはいつも調子のいいことを言いながら、周囲とは一線を引いている節があった。
ほのかな胡散臭さがなかった訳ではない。
シャンデリアに照らされた国王や側近たちをそっと伺う。
彼らは特に文句を言おうとしない。
既に話はついているといったところか。
「このような話を、両親を無視して進めるわけには。どうか、せめて報告させてください」
「必要ない。フライベルク侯爵には、事前に話を済ませてある」
ダリアは奥歯を噛み締めた。
視界が恥でくらくらと歪む。
両親まで、みんな揃ってダリアを道化にしたいらしい。
「ダリア嬢、もう話すことはない。帰って、次の婚約の準備でもするがいい」
ナルシスは鷹揚に言う。
無神経かつ無遠慮。
何より信頼していた人から思わぬ攻撃を受けたことが、ダリアには痛い。
唇を噛みたいのをこらえて、ダリアは無理に微笑んだ。
長いばかりの黒髪、常に据わっている目に女性らしさのない体つき。
硬い表情筋でほほ笑んでも、見ていて面白くないことだろう。
「お言葉に感謝いたします。ごきげんよう」
この男に言わせるだけ言わせて帰るのが癪でないと言えば嘘だが、それ以上に部屋で一人になりたかった。
(まあ、なんて情けない様子でしょう)
(仕方ないわよ。『社交界の雛菊』と呼ばれるマーガレット様に比べて、あの女はただの頭でっかち。気の利いた受け答えも、優雅な笑顔もできないでしょうよ)
自分を嘲る声が、ほとんど周囲から押し寄せる波のように聞こえた。
「ここにいる全員に、口止めを頼む。メグには、僕からプロポーズしたいのだ」
ナルシスが周囲に叫ぶ声を背で聞きながら、ダリアは疲弊して家に帰った。
***
屋敷の居間ではひたすら機嫌のよい両親が待ち構えていた。
「かわいげのないあなたより、素直なメグの方が王妃としてのお務めを果たせるわ」
「『真実の愛』を育んだとまでおっしゃるんだ。最初からメグにしておけばよかった」
赤いタペストリーの前のカウチでくつろぎながら、両親はうすら笑いを浮かべて、部屋の中央でぽつんと立っているダリアを眺める。
「真実の愛」はここでも出るのかと、ダリアは少し呆れた。
王太子はご丁寧に両親にも説明したらしい。
「お前の次の婚約は決まっている。ナルシス殿下が打診してくださった。よくできた方だ」
いつから全部が終わっていたんだろうと、ダリアはふと疑問に思う。
「お前が嫁ぐ相手は、シラー公爵。王弟殿下が養子に出られた方だ」
シラー公爵領は強大な敵国に面していて、常に緊張状態にある。
領地自体も魔物だらけで非常に荒れているらしい。
難所を押し付けられた王弟の奥方という立場を、今度はダリアが押し付けられたというわけだ。
ナルシス王太子は、最後までダリアを都合よく使ったのだ。
***
ダリアはすぐにシラー領に向かうことになった。
母親が「前の婚約者と顔を合わせているなんて、メグがかわいそう」と言い出したのだ。
よく冷える朝、ダリアは準備もそこそこに屋敷を出た。
玄関を降りて、赤茶色の門の脇に植えられた沈丁花の前を通り過ぎる。
朝日を浴びる沈丁花の白い花からは、昨晩の雨によりほとんど香りが漂ってこず、晴れているのに湿った土の匂いが鼻についた。
よく見ると葉の先が黄色く変色している。
最後に二階のマーガレットの部屋の窓を見上げた。
マーガレットの窓はまだ葉の生えない枝に覆われていて、外から部屋の様子はうかがえない。
しかしダリアは知っている。
お父様、お母様から贈られたぬいぐるみやおもちゃ、ピンク色の装飾……女の子の喜ぶようなもので、あの子の部屋は溢れている。
嫁入りの荷物がトランク一つの自分とは大違いだ。
「あの、ダリア様。本当にその格好で?」
門を出たダリアの姿を見て、馬車の御者が不審そうに言う。
「問題がありますか?」
「ええと、お父様やお母様がお怒りになるのでは」
皮肉っぽく言われた言葉に反射的に身がすくむが、ダリアは無理やり鼻で笑った。
「いいんです。たまには自分から怒らせてみます」
短めの黒い厚手の上衣に、細身のスラックス。
ダリアは男装していた。
それも騎士が着るような、戦闘に特化した動きやすい服である。
十九年間、ダリアは努力しかしてこなかった。
その返礼として、婚約者は妹に乗り換え、両親には捨てられる。
結果として、遅めの反抗期がきた。
こんなことをしでかしたら、家にもあげてもらえなくなるかもしれない。
しかし、ちょっとは困ればいいのだ、あんな親。
仮にシラー公爵がダリアとの婚約を拒んでも、頼み込んでシラー領の傭兵にしてもらうつもりである。
実は、ダリアは王妃教育より剣技に自信があるのだ。
胸に抱くのは祖母の刀。
この国のものではない、太く大きく弧状に沿った東洋の刀だ。
魔術の補助効果もある、なかなかお目にかかれない逸品である。
装飾品などの形見はほとんどマーガレットのものになってしまったが、この剣だけはずっと隠し通してきた。
刀をそっと撫でる。
ダリアはこの剣で新しい人生を斬り開く。
傭兵になって特技を生かして、おばあ様みたいに誰かを支えるのだ。
ダリアはすべてを振り切るようにポーチの階段を駆け下りた。
――目の端で、マーガレットの部屋の窓に、何か黒いものがひゅんひゅん風を切っているように見えた。
ダリアは目を閉じて首を振る。
自分は相当疲れている。
かわいらしいもの、愛で溢れている彼女の部屋に、妙なものがあるはずがない。
見なかったことにした――いや、見なかったことにしてしまった。
もう一人のヒロインであり、いかれぽんち枠のマーガレットちゃんが次回にて登場します。
温度差でグッピーが大量死することを願っています。




