22. おのれナルシス(2) 【マーガレット】
馬鹿め、馬鹿め、馬鹿め。
数時間後、マーガレットはフライベルク邸の廊下を闊歩していた。
ナルシス元王太子よ、一度嘘をついておきながら、そう何度も人をだまくらかせると思うなよ。
こちとら人の顔色を読むことに特化した、奇跡の性悪「社交界の雛菊」様だぞ。
一階廊下の最奥の扉は、召使いたちはもちろん、マーガレットの立ち入りも禁止されている。
夕食後の隙を見て、マーガレットは扉の前に立った。
扉の取っ手を掴んで押してみるが、やはり鍵がかかっている。
以前に何度か、両親や客人がこの部屋に入っていくのを見かけたことがある。
なぜその時に不審に思わなかったのか、悔やまれるところである。
魔法で風を起こして、鍵の穴に吹き込む。
感触や音で、鍵の構造が何となくわかる。
こんなところで自分のしょぼい魔法が役に立つとは思いもしなかった。
マーガレットはクロエ達に教わった知識を思い出しながら、四苦八苦して鍵をこじ開けた。
扉を開くと、中は薄暗い階段だった。
これはまたベタな、と鼻で笑いながら、マーガレットは持ってきた銀の燭台に火をともす。
降りるにしたがい腐臭が鼻について、いよいよマーガレットは確信を深める。
着いた先は、暗い倉庫のような部屋だった。
燭台の薄明かりが灰色の石壁をぼんやりと照らす。
マーガレットは木棚に燭台を置き、収納された書類を確認する。
今ならわかる、これは鉱山に他の地の農奴を売り払ったり、麻薬商売で一儲けした帳簿や契約書類だ。
ふと部屋の隅の小さな木戸が目に付いた。
腐臭はそちらから漂ってくる。
扉を開けると、マーガレットは小さくうめき声をあげながら口元を押えた。
そこは地下牢だった。
もはや寝床とも言えない藁の敷物に、血の付いた鞭、火かき棒。
反抗する奴隷を収めるためのものだろう。
「うちにわざわざ奴隷を入れるってことは……遊戯用ね」
両親はすべての証拠を、この地下室に押し込んだらしかった。
燃やされる前に入ってこられたのは僥倖というほかない。
胃からこみ上げる吐き気を必死でこらえながら、マーガレットはふらふらと地下牢の独房に入り、床に座り込む。
何かも分からない臭い汚れが足やドレスの裾にこびりついた。
この匂いは知っている気がする。
マーガレットが幼い時、召使らしくない服を着た若い女が、僅かに独特の腐臭をまとってはいなかったか。
整った顔には傷こそなかったが、歩き方はぎこちなかった。
まるで服の下にある怪我の痛みに耐えているような。
話しかけようとしたら、母に止められたのだった。
「新しいお手伝いの人よ。身分が低いから、メグは話しては駄目」と。
うちも断罪されるべき家のひとつである。
喉からこぽこぽと何かが上がってきた。
体が勝手にその場にうずくまり、頭を下に向けるのを、マーガレットはどこか他人の挙動を眺めるように感じていた。
とうとうマーガレットは吐いた。
***
こっそり吐しゃ物の付いた服を着替えていると、両親の寝室に呼び出された。
父も母もやたらと疲れた顔をしているのは、先ほどまで各種もみ消しをしていたからだろう。
窓の外は真っ暗になり、春の夜らしく冷え込んでいるのに、珍しく大きな暖炉の中には火の気がない。
大きな赤いベッドの前で父親がついた深いため息が、奇妙なほど耳に残った。
「陛下や側近の方々が、奴隷商売に手を出していたらしい。ナルシス殿下も加担していたそうだ」
「そんな」
マーガレットは声を上げる。
「陛下も殿下も幽閉か、処刑か。今のところ分からない」
「本当に、ダリアが婚約破棄されていてよかったわ。うちまで何か言われるところだった」
母親が吐き捨てるように言う。
「ナルシス殿下が、国王陛下が」
マーガレットはすすり泣く。
あー、茶番、茶番。
「幸い、ナルシス殿下からの婚約の打診はまだ引き延ばしてある。すぐに姉の後釜に座ったらさすがに外聞が悪いからな。ひたすらうちに迷惑をかけて、殿下もとんでもない男だ」
「メグ、もう二度とナルシス殿下に関わらないでね」
ナルシスは既に手のひらを返されていた。
いや、ナルシスは今や国中の人々から手のひらを返されているに違いない。
「お父様、ありがとうございます。お手間をおかけして、申し訳ありません」
「いや、仕方のないことだ」
あー、茶番、茶番。
「それでね、メグの次の婚約者について、お父様とお話していたの」
母親はにっこり笑った。
「次に国王になられる方はシラー公爵よ。彼には、メグが一番ふさわしいと思うの」
マーガレットは絶句しかけた。
「え、でも、シラー公爵はお姉さまの……」
素直に戸惑う様子を、全力で取り繕う。
父親は鼻で笑った。
「あれからどれだけダリアに連絡しても、手紙が王宮に着くたびに突き返される。反抗的なダリアより、素直なメグの方がよほどいい。シラー公爵だってメグの方が嬉しく思うだろう」
マーガレットは両親の正気を疑った。
自分たちまで麻薬キメてんじゃないだろうな。
しかし同時に頭の隅で悟る。
両親がマーガレットを次期王妃にして喜んでいたのは、賢いダリアを傀儡にするのは難しいからだ。
何でもかんでも言いなりになるマーガレットなら都合がいい、本当にそれだけの理由だったのだ。
「だから早速、シラー公爵にお会いしてきなさい」
両親はマーガレットが断るなどみじんも思っていないようで、顔一面に期待を浮かべている。
かわいいかわいいマーガレットの心情には毛ほどの興味もないようだ。
マーガレットは途方に暮れた。
口が勝手にはくはくと動くが、喉からは何も出てこないようだ。
父母の背後のベッドサイドテーブルに、「烏」に持って帰ってもらった北方の生花が花瓶に生けられているのが見える。
すっかりしおれてしまって、花びらのふちが茶色に変色している。
結局なんの効能もなかったらしい。
既に香りも一切しないようで、部屋の中に湿った空気だけが澱のように沈んでいた。
この状況を打開するのは簡単だ。
その一、ダリアとシラー公爵の仲は、マーガレットなんぞが裂き難いほど「真実の愛」であることを伝える。
その二、お父様とお母様にこれまでのことの反省を促す。
その三、父母がお姉様に心から謝って仲直り。
ハッピー・エバー・アフター!
劇的な割にシンプルな解決策。
昔から自分は子供っぽいメロドラマが好きすぎる。
「お姉様を苦しめないで」「わたくしたちのことをちゃんと見て」、台詞を思い浮かべるだけで笑ってしまう。
マーガレットが言いたいのはそんなちんけな言葉じゃない。
他にも言えることがあるはずなのだ。
父母が涙を流して崩れ落ちるような、この二人の永久に変化しない頭をぶち壊す最良の言葉がどこかにある。
言えばきっと理解してもらえる。
理解してもらうために、愛してもらうために、どれだけマーガレットが努力を重ねてきたと思っているのだ。
「分かりました」
掠れて震える声が勝手に出た。
「きっとお父様とお母様のお心の済むようにしますわ」
お粗末な脳では何の名言も出てこないらしい。
しかし、マーガレットの笑顔は引きつっている。
「社交界の雛菊」は優秀なのですぐに顔のバグが分かる。
いくらマーガレットの心情に毛ほどの興味がなくたって、両親は気づいてくれる。
こんなに乾いた目を見開いて、口を震わせて笑う小娘がいるものか。
両親は必ず分かってくれる。
「メグならそう言ってくれると思っていたよ」
両親は満足そうに笑った。




