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20. ここにいる 【ダリア】

 状況は一旦落ち着き、時刻は夜になっていた。


 国王の執務室の分厚いカーテンは真っ赤で、巨大なシャンデリアも燭台も家具も壁の模様まで金ピカだ。

 ただでさえロウソクが多いのに、壁面の鏡に灯りが反射する。


 夜という感じが全くしなくて落ち着かない。

 ダリアは目がチカチカするが、アルフレッドも同じようで、困惑したように時々目を細めている。


「何とかなったわ――」


 巨大な執務机の上に、アルフレッドは突っ伏した。


 ダリアは机の横に歩み寄り、生真面目な顔をして頷く。


「だから、死刑になどさせないと言ったでしょう」


「言ってもらったけどぉ」


 アルフレッドは深くため息をつく。


「こんなに沢山の人を巻き込んで、うまくいかなかったら洒落にならないもの」


「戦争中だった隣国まで応援してくれるとは、思いませんでしたものね」


「そう、それもあるわね」


 アルフレッドは国王に就任してすぐ、隣国と和平条約を結んだ。


 アルフレッドが机に突っ伏したまま呟く。


「フライベルク家が犯罪に加担している証拠が、いっさい出てこなかったのが、意外といえば意外だけど」


「そうですね。わたくしはフライベルク家の両親ともども、修道院送りかと思っていました」


「そんなこと、させるわけないでしょう!」


 がばっとアルフレッドが立ち上がる。


「騎士団を無力化した功労者が、何を言っているの」


「いいえ、何故だか勝手におびえられただけです」


 微笑んで話していたが、なぜかダリアの胸はじわじわと、しかし着実に重いものが詰まっていく。


 ダリアの桃色の目が急速に潤んで、一すじ涙がこぼれた。


「わたくしにできることは、もうありませんね」


 床に落ちた涙を不思議そうに見つめると、ダリアは青ざめた。


「違うんです、これは……すみません、泣くつもりは」


 しゃがみこんで顔を押さえるが、涙は一向に止まる気配がない。


 部屋にアルフレッドの小さな靴音が響いた。

 アルフレッドが机から離れて、ダリアの前にかがんだ気配がする。

 アルフレッドはダリアの顔を覗き込んで微笑んだ。


「珍しいわね。ダリアちゃんが人前で泣くなんて。何を考えているのか、教えてくれない?」


 ダリアは顔を押さえたまま、しばらく躊躇する。

 アルフレッドは座り込んだまま待っている。


 ダリアは恐る恐る、しゃくりあげながら話し出した。


「わたくしは、もっとお役に立つつもりだったんです。幸い、わたくしは人より計算とかいろいろ速いし、おばあ様から教わった剣技がある。アルフィー様のお役に立てるはずだと」


 話し出したら、止まれなくなった。

 周囲の音が遠ざかり、自分の鼓動だけが痛いほど響く。


「こんなことばかりできても、意味がないんです。わたくしにはマーガレットのような、人を喜ばせる能力が欠如している。地味で、愛想がない人間だから、婚約破棄される。分かっていたはずなのに、本当の意味で分かってなかった」


 ダリアは震える自分の両肩に手を添えた。

 指先は驚くほど冷え切っていた。


 アルフレッドは自分の口元に人差し指を添える。


「王都に来て、いろいろ思い出しちゃった?」


「わたくしに王妃なんてつとまりません。ナルシス殿下が相手の時すらそうだったのに。アルフィー様の周囲には、すごい人たちがたくさん集まるのに」


「あら。それなら、これからどうするの?」


「えっと、傭兵にでも、なります」


「まだ傭兵にこだわるのね……」


「何でもいいから立ち位置が欲しいんです。役に立てなきゃ意味がないんです」


 アルフレッドは苦笑した。


「ごめんね、私がもっとダリアちゃんが活躍できる場所を作れば、安心させられたかもしれないのに。力が及ばなかったわ」


「そんなのはいりません」


 ダリアの嗚咽が激しくなる。


「そんなことを言わせたかったわけじゃないんです。わたくしが自分で居場所を切り開きたかったんです。わたくしがおばあ様みたいに強くて完璧だったら」


「そうね、ダリアちゃんにはできないことがあるわ」


 アルフレッドは顔を押さえるダリアの両手を取る。


 恐る恐るダリアがアルフレッドの顔を見ると、彼はとびきり穏やかなほほえみを浮かべていた。


「でもね、できないことなんて、本当はそんなに大したことじゃないのよ」


 アルフレッドはそっと目を伏せる。

 銀色の睫毛が微かに光った。


「できないことがあると、悲しくなったり、自分が駄目だと思う。自分ができなくても、他の誰かが助けてくれるなんて、詭弁だわ」


 アルフレッドは小首をかしげながら続ける。


「でも、あなたはここにいるわ。それが全てよ。できなくても、私たちはここにいるの。それは完璧じゃないものが存在することが、許されているってことだと私は思う」


 アルフレッドは少し笑って見せた。


「詭弁も別に悪いことじゃないわ。私は割と好きよ。実際、詭弁は人を救うもの。いいじゃない、自分のできないことを得意な誰かが、いつか助けてくれることを望んでみたって」


 燭台の灯りが金色の家具や壁の模様を照らし、光沢が煌めく。


 アルフレッドの素朴な雰囲気は、ダリアには不思議と豪奢に飾り立てられた執務室に似合っているように思えた。


 アルフレッドはダリアの手を優しく握る。

 温かい手のひらに、身体ごと溶けていくような気がした。


「ここは泣いていい場所だから、たくさん泣くといいわ。涙が止まったら、今度は私があなたに助けてもらうから」


「……わたくしが、あなたを助けられるんですか?」


「うふふ。実はね、私はダリアちゃんのことが好きなのよ」


 ダリアは口をぽかんと開いた。


 怪訝な顔をしてアルフレッドを伺うと、青い瞳と真っすぐ目が合った。


 アルフレッドはくすくす笑う。


「ダリアちゃんがいなくなったら、私、悲しくて悲しくて、もう王様どころじゃなくなっちゃうかもしれないわ」


 アルフレッドがダリアの両手を握る手に少し力を込めた。

 アルフレッドの手はごつごつしている。


「ほら、こんなこと言われたら、もうダリアちゃんは、私から離れられなくなっちゃうでしょう?」


「そんな、ずるいこと、言えたんですね」


「ずるい手くらい使うわよ。一応王族だもの」


 苦笑しながらアルフレッドは顔を傾ける。


「私は面倒くさいわよ。ただでさえ初恋こじらせていたんだから。ダリアちゃんに婚約者として来てもらえた上に、王妃にできる身分になったし……何だか、ちょっと運命ってものを信じたくなるわ。しかもそんなふうに泣かれたら、このまま逃がしてあげるわけにはいかないの」


 ダリアは涙をだばだばと流しながら、耳を真っ赤にして答えた。


「はい」


「やったわ――!」

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