14. 新たな恋人たちに祝福を 【マーガレット】
口の中を宮廷自慢の冷たい氷で冷ましながら、マーガレットはつかつかとナルシスの執務机の前に歩み寄る。
ナルシスは珍しく仕事の手を止めて、書類から顔を上げる。
「特技は」
「媚売り」
「十八番は」
「裏切り」
「頭は」
「空っぽ」
「いけいけ」
「マーガレットちゃん!」
そしてマーガレットとナルシスは、「いえーい」と叫びながらハイタッチする。
「何やっているんですか。あと何でそんなに息ぴったりなんですか」
叫ぶ侍従に、ナルシスが言う。
「キブンテンカン、キブンテンカン。君もやる?」
「やりません」
マーガレットは咳ばらいをすると、いつもの椅子に座り直して、紙束をめくる。
「では、ダリアお姉さまのラブラブ生活調査結果の報告を始め……でーと回だよ!」
「え、なに? デ?」
「今回はでーと回なんだよ!」
マーガレットはまた椅子をひっくり返しながら立ち上がった。
そろそろ椅子の修繕が必要かもしれない。
「二人で! お忍びで! 町にお出かけ! ダリアお姉さまは、希少な町娘姿! 何故今回は姿絵がない! ああっ、わたくしがあの絵の上手い隠密を、交代させたからだ。体力や補給の問題で――畜生、諸刃の剣ってこのことね!」
「違うと思うよ」
マーガレットはナルシスの言葉などまるで聞かない。
顔を真っ赤にして口は半開きに、鼻の穴を大きく広げてフガッと鼻息を噴射する。
「街に慣れないダリアお姉さまを、自然にエスコートするシラー公爵! ああっ、ベンチにハンカチを二枚敷いたのね。確かに一枚だったら、ダリアお姉さまは絶対に彼を座らせて、自分は地べたに座るものね。よき判断だわ」
マーガレットはフーッと長く息をつくと、ナルシスの机の隅に紙束を置く。
そして机の周囲を意味もなく歩き回り、手で片目を覆うと、もう片方の手で紙束を指さした。
「ここで賭けなきゃ勝負師じゃない! シラー公爵、今日からあなたのことを、『お義兄様』と認めるわ」
「だから何目線?」
マーガレットは紙束を手に取り直すと、勢いよく椅子に座り、ご機嫌に足をぱたぱた揺らす。
「ダリアお姉さま、シラー公爵の買った食事を食べる……そうよ、ダリアお姉さまは沢山美味しいものを食べて、幸せにならなきゃいけないのだもの。分かっているわね、お義兄様」
そこまで顔をでれでれに緩めながら語ると、マーガレットは眉を吊り上げて叫んだ。
「大量の悪漢が現れる?」
ナルシスは一瞬、書類から目を離してマーガレットを一瞥したが、やがて何事もなかったかのように仕事に戻った。
「マーガレット嬢、続けて」
「はい。シラー公爵は火属性の魔術や体術で応戦」
マーガレットは頬に手を当てて、うっとりとため息をついた。
「来ちゃったのね、スリルある展開が」
「マーガレット嬢、続き」
「おっと。そうでしたね。シラー公爵が何か毒のようなものを浴びせられ、その場に倒れる」
マーガレットはハンカチで目元をぬぐうと、大きく鼻をすすった。
「お姉さまをかばって……そうなのね、身を挺して、ダリアお姉さまをかばったのね。愛する人の危機を前にして、体が勝手に動いてしまったから。自分よりも、彼女を助けたいと、思ってしまったから……ッ」
マーガレットは天井を仰ぎ、両目の上に手を重ねてうめいた。
「そこにあるのは、『真実の愛』、なのかしら」
「マーガレット嬢、続きを」
「おっと。そうね、ダリアお姉さまの『真実の愛』候補なら、死なれちゃ困るわ。記述者がダリアお姉さまを保護しようとした時、彼女は突然自らに身体強化魔法をかけて、袋から大きな東洋の刀を取り出す。家によじ登って屋根を渡り、シラー公爵が連れ去られた路地裏へ飛び込んだ。止める暇無し」
マーガレットは息をのむ。
「ダリアお姉さまの戦闘は精度・速さ共に凄まじい。ある者は骨折するほどの打撃を受け、ある者は炎にまかれて全身に火傷を負い、ある者は舌を切られかけ」
マーガレットは顔を真っ赤に染めると、口元に手を添えた。
「これって、あれじゃない。普段は控えめな少女が、恋人の危機を前に勇気を振り絞り、健気にも巨悪に立ち向かう、恋愛小説の王道じゃない。まさか、こんなところでお目にかかれるなんて」
「そんなかわいい感じではなくない?」
「確定です。『真実の愛』確定です」
「気に入ったんだね」
「決意しました。わたくしは一生涯をかけて彼らを推し……もとい応援します」
「分かるから。このオチ分かってたから」
「そして、ダリアお姉さまは悪漢の一人から解毒剤をもぎ取ると、お義兄様に無理やり飲ませる……」
そこでマーガレットはフ――と長く長く息をつくと、また紙束に目を向けた。
「ここは、我々の『テクストの読み』……読解力が問われる局面ですよ」
「読解力も何も、それただの報告書」
「『無理やり』……著者が何故、この忙しい状況で、わざわざこの単語を入れたのかということを、我々は考えなければならない」
マーガレットは難しい顔をして腕を組んでしばし黙ると、やがて両手で顔を覆った。
「口移しかしら」
「明らかな論理の飛躍」
「やっぱり、口移しかしら」
「欲望による事実の捏造」
マーガレットは鼻から真っ赤な血を二すじ垂らしながら、椅子から立ち上がる。
執務室の中心でドレスの裾をひるがえし、くるくる回って踊りだす。
「恋人の命の危機に、恥じらいを忘れて口移しで薬を飲ませるダリアお姉さま……意識を取り戻し、微笑みかけるシラー公爵に、ダリアお姉さまが泣きながら抱き着く……そして、お義兄様は弱った片手で、そっとダリアお姉さまを抱きしめ返す……」
そこまで一気に語り終えると、マーガレットは執務室の床に、ごろんと仰向けに寝そべった。
埃っぽい絨毯の毛足は、風に揺れる草むら。
豪奢な天井は、どこまでも広がる青空。
草原の上で寝転がり、流れていく雲を眺めながら、日向ぼっこをするかのような心地だ。
「『真実の愛』って、いいな」
くふふ、くふふと土の付いた床の上で気持ち悪く笑い続けるマーガレット――「社交界の雛菊」と呼ばれる淑女である、恐ろしいことに――をちらりと見て、ナルシスは小さく呟いた。
「これでピースはそろった。少し危うかったが」
「何ですって?」
「何でもない。仕事の話」
マーガレットはむくりと起き上がると、ナルシスの机の前につかつかと近づいた。
ナルシスも書類から目を離してマーガレットに顔を向ける。
「あなたって、自分の仕事の話は、ほとんどわたくしや侍従殿にしてくれませんよね」
「しないんじゃなくて、できないんだよ。時間がないから」
「ふーん」
マーガレットは胡乱な目でナルシスを見る。
ナルシスも静かな目でマーガレットを見据える。
「朝だよ」
「仕事」
「昼だぞ」
「仕事」
「夜だね」
「仕事」
「いつでも」
「仕事」
「時間空いたぞ」
「仕事入れちゃえ」
「国の家畜は」
「略して国畜」
「それいけ」
「王太子ナルシスくん!」
そしてマーガレットとナルシスは、「いえーい」と叫びながらハイタッチする。
「やめてください、ちょっと泣きたくなってきました」
淹れたての紅茶を持ってきた侍従も叫んだ。




