13. ラブラブ全面サポート 【マーガレット】
夜会を数時間後に控えた、慌ただしい宮廷の午後。
ナルシスの執務室に、かっぽんかっぽんと音が響き渡る。
部屋の隅に置かれた簡易テーブルには、クリーム色の生地。
業務用エプロンと三角巾に身を包んだ侍従が、クッキーの型抜きをしている。
マーガレットは無言で近づくと、気まずげに問いかけた。
「えっと、侍従殿」
「はい」
「何をしているんですか」
「見てわかりませんか。ハーブ味とドライフルーツ味、最近流行りのシナモン味。三時のおやつのクッキーです」
「それは、見ればわかるんです」
「俺だって聞きたいですよ」
がん、とひときわ勢いよく型を生地に叩きつけて、侍従は叫んだ。
「由緒ある伯爵家嫡男の俺が、何故こんなことをしているのか」
「何故、しているんですか」
「そりゃあ、今日は王妃様が夜会を開くから、厨房が埋まっているからですよ」
「厨房の様子を聞きたいわけではないんです」
侍従がフッと息をついた。
「思い起こせば五年前。乳兄弟であることしか接点も美点もない俺に、王太子殿下が侍従の栄誉をくださった。嬉々として王宮に来れば、なぜ俺はクッキーにサンドイッチ作り、挙句の果てに仕事中のナルシス殿下の髪に香油を塗ったり、仕事中のナルシス殿下に服を着替えさせたり。俺はお母さんじゃないんですよ」
「マーガレット嬢が誰か雇えってうるさいから。そういえば口が堅かったなーと思って」
書類の山に囲まれて仕事をしながら、ナルシスがようやく口を開いた。
「仕事中の僕の様子を知る人は、少なければ少ないほどいいじゃない」
「だからって、メイドまで出禁にするのはやりすぎですよ。わたくしが侍従殿を雇うことを提案していなかったら、どうやって生活するおつもりだったんですか」
マーガレットがはっとして顔を上げる。
「いや、クッキーやサンドイッチは、ここの料理人に任せればいいでしょう。侍従殿が執務室まで運べばいいんだから」
そこで、侍従が諦念の溜息をつく。
「宮廷のシェフは超一流の方々ばかり。フルコースしか作れないんですよ。仕事にお忙しいナルシス殿下が、毎日食べられるとでも?」
「いや、おかしいでしょう。王太子のリクエストが聞けない料理人なんて。首にしてしまえば」
ナルシスが疲れた笑みを浮かべた。
「父上と母上、つまり国王陛下と王妃殿下のお気に入りなんだ。おかしいよね。仕事してるの、ぜんぶ僕なのに」
「滅んでしまえ、こんな国」
マーガレットが頭を抱える。
侍従が満足げに息を吐いた。
「さて、クッキーもすべて天板に並べ終えました。あとは厨房のオーブンを借りるだけ。一時でもナルシス殿下の目を楽しませられるよう、十種類も型を使うんです」
「絶対見てませんて、この殿下」
マーガレットは思いついたように、クッキー生地に手を伸ばす。
「フォーク型のクッキーと人型のクッキー、くっつければ食べやすい上に、時間短縮じゃないですか?」
「お、いいね、マーガレット嬢」
「やめてください、人にフォークを刺すんじゃない。生贄みたいですよ。あんた何しに来たんですか」
「そうでした、そうでした」
マーガレットは満面の笑みを浮かべると、紙束を取り出し、いつもの椅子を執務室の中央に引き出す。
侍従は天板を持って、慌ただしく執務室から出て行った。
「お姉さまのラブラブ生活報告会を再開します」
「早めに切り上げてね」
「はいはい。ダリアお姉さま、一週間目で執務室の仕事を全部なくす。当然ね、お姉さまは過酷極まりない王妃教育に加えて、領地運営まで任されるほど優秀だもの」
「一週間で無くなるなら、家令が作った仕事の雛型も大したものだね。あそこの領地は、良い部下がたくさん集まっているようだ」
いや、と言って、書き物をしながらナルシスは続ける。
「あの公爵は、人を惹きつけるんだ」
その声が落ち着いていながらも、妙に頼りなく聞こえたので、マーガレットは思わず口を出す。
「何、しみったれた空気を出しているんですか。あなたも騎士団とか動かせたでしょう」
「王都の騎士団は、面倒くさいんだよね。手続きが冗長だし、意外と使えないし」
「とか言って、前みたいに麻薬取引現場に単身でつっこまないでくださいね」
「疲れてたね、あの時は……誰だったかが一緒についてきてくれて、巧みな話術で敵を翻弄してくれたの、助かったな」
「それ、わたくしです」
「君だっけ」
マーガレットは咳ばらいをすると、書類に目を向け直した。
「シラー公爵、ダリアお姉さまの仕事のし過ぎを注意する……ほーん、意思を尊重しながらも、体調をおもんばかっていると」
マーガレットは椅子の肘置きに頬杖をつき、足を組む。
ふっと息をついてほほ笑んだ。
「やるじゃないの」
「だから君、何目線」
「で、シラー公爵はダリアお姉さまの口にクッキーを突っ込む」
そこまで読んで、マーガレットは顔を真っ赤にしてがくがくと震え出した。椅子から立ち上がり、ナルシスの執務机に迫る。
「これってつまり……アッアッアッ……あーん! あーんですよ、あーんしていますよ、どういうことですかコンチクショウ供給が多すぎる――」
***
「失礼しました、落ち着きました」
「長かったね」
紺色のカーテンが春風にはたはたと揺れる。
マーガレットは椅子に座り直すと、こほんと咳ばらいをした。
「報告を続けますよ、次。ダリアお姉さまが戦地の状況について聞く」
「あそこ、安定してるよね。とにかく外交がうまい」
「シラー公爵がダリアお姉さまに『自分のことを覚えているか』と訊ねる」
「面識があったとは知らなかった」
マーガレットは垂れ目を引ん剝くと、過呼吸になった。
「え……? 以前に会ったことがあるの? 二人が? どういうこと?」
マーガレットは震える手で報告書のページをめくると、書類に顔をうずめる。
「その時、ダリアお姉さまとシラー公爵の頭上に花が降ってきた。二人は色とりどりの花にうずもれ――」
そこまで語り、マーガレットはガッツポーズを決めた。
「おっしゃ、上手くいった」
「え? 何? 何かやったの?」
「全てわたくしの指示です。花を購入したのもわたくし、運ばせたのもわたくし、風魔法で流させたのもわたくし。さぞ雰囲気が盛り上がった事でしょう」
ナルシスが勢いよく顔を上げた。
「あんなに言ったのに、結局『ラブラブ全面サポート』やっちゃったの?」
「え? 駄目なんでしたっけ?」
ナルシスは絶望したように目を見開く。
「結局、君は僕の話をいっさい聞かないんだ……」
「これで二人のラブラブは熱を帯びてアツアツです」
「邪魔したようにしか思えないけど」
「しかし、買った花はどうしましょう。流用を考えていませんでした」
「行き当たりばったり……『烏』の報告の際に、何束か持って帰ってもらったら?」
マーガレットは唇に指をあてる。
「意外と良い案かもしれませんね。お姉さまからの贈り物と称して、北方の生花を屋敷に飾る。両親も気を良くして、お姉さまに会いに行ってくれるかも」
「ご両親は花が好きなんだ」
「この髪飾りは父からのプレゼントですよ」
マーガレットは髪の造花に手を当てて、くすぐったいように笑った。
ピンク色の布で出来た大きな薔薇の花弁が揺れる。
「わたくしが生まれる前から、名前は『マーガレット』だって、母と決めていたんですって」
「ふーん」
ナルシスは気のない相槌をうちながら書類を書く。
「しかし、戦地……戦地ですか……」
呟きながら天井を仰ぐと、マーガレットはとつぜん断末魔を上げた。
勢いよく立ち上がると、きりきり舞いをしながら、埃っぽい絨毯に倒れ込む。
「ま、マーガレット嬢。どうしたの」
ナルシスはびくっと肩を上げ、書類から目を離してマーガレットを見る。
「わたくしは……」
マーガレットは呻いた。
「わたくしは、何なんでしょう」
「本当にどうしたの」
「いや……思っちゃうじゃないですか」
マーガレットは床を力強くたたきながら叫ぶ。
「戦地なら、こう、ダリアお姉さまが誘拐されて、大ピンチってところに、シラー公爵がクールに駆け付けたら、最高って思っちゃうじゃないですかッ」
野太い悲鳴を上げながら、マーガレットは虚ろな瞳で辺りを見回す。
脳内では、今マーガレットは崖っぷちに蹲っている。
崖の下では、冷たい波がおどろおどろしい音を立ててマーガレットを誘う。
ナルシスは崖から少し離れた位置にいる。
相変わらず机の前に座って書類仕事に邁進している。
「それが?」
「わたくしは最推したるダリアお姉さまには、幸せでいてほしいんです。美味しいご飯をいっぱい食べて、たくさん愛されて、ほかほかと生きてほしいんです。でも……反面ちょっとスリルある展開を求めてしまっているわたくしが居る!」
マーガレットは崖っぷちで地面を繰り返し殴り、やがて動かなくなる。
「大好きなお姉さまの幸福を願うこの気持ち。ちょっと危険な恋路も求めてしまうこの気持ち。こんな矛盾を併せ持つ、きったねえ私を何と、何と言い表せば」
マーガレットはゆらりと立ち上がり、叫んだ。
「二律背反――!」
マーガレットは眼下で荒れ狂う海に向かって飛び出した。
そして、少女は崖をごんごろごんごろ落下していく。
「メグ様、ここ、二階――」
クロエの悲鳴が虚しく空を割いた。
マーガレットのドレスの裾が、濃紺のカーテンとともに一瞬ゆれた気がした。
マーガレットの姿は窓から掻き消えた。
***
侍従は鼻歌を歌いながら、つぼみが付きはじめた植え込みの通路を歩いた。
厨房から執務室へ行くまで、中庭を突っ切るのが近道なのである。
両手で掲げ持つのは、焼き立てクッキーが並んだ天板だ。
多忙な王太子殿下に焼き菓子を食べさせる職務内容には、決して満足していない。
していないが、なんだかんだ気に入っているのは事実だ。
甘い香りを漂わせながら、上機嫌で歩く呑気な侍従の前に、それはあらわれた。
「マーガレット嬢……」
植え込みの中に半分埋もれるようにして、真っ青な顔のマーガレットが倒れている。
目を固く閉じて、両手は腹の上で死人のように組んでいる。
木の芽が吹き始めた植え込みが、棺桶に詰め込まれた切り花のように見えた。
「マーガレット嬢、大丈夫?」
すぐ上の執務室の窓から、ナルシスが顔を出して間延びした声を上げた。
ナルシスが窓まで出て来るなんて、珍しいことである。
いやいや、と侍従は首を振った。
現実逃避している場合ではない。
どうやらまたなんやかんやあって、マーガレットが二階の執務室の窓から落下したらしい。
辺りを見回す。
幸か不幸か、宮廷は夜会の準備にかかりきりで、中庭には誰もいない。
「この職場、狂人ばっかりですよ……」
恐る恐る侍従がマーガレットの口を開いて、クッキーを五枚つっこむ。
途端にマーガレットが跳ね起きた。
「あっづう! 熱い! 熱い!」
「そりゃあ、焼き立てですからね」
「生きてたか。よかった、よかった」
二階のナルシスが頷いて、少し息をついた。
窓枠に肘をついて、ナルシスは目を休ませようと緑の木々や空に視線を向ける。
窓から吹き抜ける生ぬるい風に、濃紺のカーテンがはたはたと揺れ、ナルシスの背中に覆いかかった。
「曇り空か。これから夜会なのに」
ナルシスは右手のペンだこを親指で擦りながら、自分に言い聞かせるように小さく呟く。
「大丈夫。僕はうまくやる」
俯いて、乾いた眼球をそっと手のひらで覆う。




