12. 下町探検(2) 【ダリア】
白い顔料を薄く刷いたような雲が流れ、石畳の上で影が動く。
広場の中央では近所の住人たちが集まっていた。
楽しそうに立ち話をする声がこちらにも届く。
ふいに住人たちの談笑が怪訝そうな小声に変わった。
「ダリアちゃん、伏せてっ」
アルフレッドが空気を割くような叫び声をあげる。
咄嗟にしゃがみ込むと、頭上を大きな炎の玉が飛んでいく。
石像の陰で、悲鳴とともに男性が炎に包まれて倒れた。
手から抜身の小刀が石畳に落ちる。
「女性、子供、怪我人は家に入って。ユーゴちゃんは、そこの路地を突っ切ったところを警備しているうちの兵に、非常事態だって伝えて頂戴。配置Fだって言えば分かるから」
アルフレドは鋭く周囲に指示を飛ばす。
ユーゴと呼ばれた町民らしき若者は慌てながらも頷くと、路地の向こうに走っていった。
「まったく……デート中を襲うなんて、どういう神経しているのかしら」
顔を隠した男たちがばらばらと建物の隙間から現れて、アルフレッドを取り囲む。
咄嗟に剣を抜こうとして、ダリアは躊躇した。
両親の怒鳴り声が耳に響く気がする。
騎士団に出入りして稽古するだけでとやかく言われるのに、目の前で戦って、アルフレッドにまで嫌われたらどうしよう。
ようやく得かけた居場所を失ってしまうのだろうか。
アルフレッドは周囲に巨大な炎の玉を浮かべる。
「ちょっと、アルフィー様。魔法はやめてくださいよ。あんたの魔力量じゃ町が崩壊しちまう」
アルフレッドの指示に合わせて、避難を誘導していた中年男性が悲鳴を上げる。
「分かってるわよ。最近は魔力調整も上手くなってきたのよ、少しは」
ぎゃあぎゃあと言い合っている隙を狙って、悪漢の一人が逃げ遅れた少女に手を伸ばす。
咄嗟にダリアが手を伸ばす前に、アルフレッドが飛んできて悪漢の頭を掴むと、もう一人の悪漢に叩きつける。
「ちょっと、うちの住民――しかも子供に手を出すなんて、良い度胸してるじゃないの。何者か知らないけれど、全員無事には返さないわよ」
ドスの効いた声でアルフレッドが言うのと同時に、炎の玉が悪漢たちを直撃する。
悲鳴を上げて倒れる男たち。
「ダリアちゃん、ここからなら屋敷の方が近いわ。走って」
アルフレッドの言葉に、自分も逃げていいものかダリアは一瞬悩む。
しかし先日まさに出しゃばって家令を泣かせたばかりだ。
ダリアが踵を返したその時、何か妙な物が目に入った。
悪漢の一人が長い筒状のものをこちらに構えている。
ダリアは思わずきょとんとした。
それはどこからどう見ても子供が使う水鉄砲だった。
ダリアと悪漢の間に、アルフレッドが勢いよく割って入ってきた。
一瞬の水音と共にアルフレッドが水浸しになる。
と同時に、アルフレッドの顔色はみるみる悪くなり、その場に倒れ込んだ。
「アルフィー様」
「触らないで!」
アルフレッドは叫ぶと、震えながらゆっくりとダリアの方を向いて、苦笑した。
「ごめんね、想定外だったわ。この匂いは、魔力に反応する毒よ」
ダリアは目を見開いた。
魔力に反応する毒など聞いたこともない。
だがもしも本当にあるなら、魔力保有量が高いアルフレッドやダリアはひとたまりもないだろう。
男は目にもとまらぬ速さでアルフレッドを背負うと、騒然とする民衆の間を縫って、瞬く間に路地裏に消えた。
弱る声で何度も叫ばれた「逃げて、逃げて」という言葉だけが広場に残った。
――ダリアはその時、今まで自分は怒ったことがなかったのだと知った。
自分が怒りだと思っていたもの、あんなささやかでかわいらしいものは怒りじゃない。
目、口、耳、鼻、体中の穴から、炎が溢れて噴出するような気がする。
アルフィー様の肌に毒をまき散らした。
アルフィー様のお命を奪おうとしている。
そんな奴らがアルフィー様に触れるのを、わたくしはうかうかと見過ごした!
ダリアはほとんど衝動的に、背負い袋から形見の刀を取り出した。
***
薄暗い路地裏で、アルフレッドは石畳の上に投げ出された。
男達がアルフレッドを取り囲む。
服に染み込んだ毒薬の匂いがぷんと鼻を突いた。
アルフレッドを背負ってきた男が、懐からナイフを取り出しながら口を開く。
「上の者から、味方が誰一人いない状況で、醜く命乞いをさせろと命令されております」
「成程ね。大体、理解したわ」
アルフレッドは麻痺する腕を叱咤して無理やり上げ、男を指差す。
「兄上にね、伝えて頂戴。私には運よく、良き部下たちが、良き友人たちがいる。お前には何もない。誰もいない」
アルフレッドは死人のように白くなる顔色、か細くなる呼吸の中で、しかし青い瞳だけ妙に輝かせて言った。
「次はお前の番だ」
男が短剣を振りかぶった時、アルフレッドが上を見て「逃げてって言ったのに!」と、最後の命を搾り取るかの勢いで悲鳴を上げた。
男の一人が「気でも狂ったか」と囁く。
雲が流れて行ってしまったのか、路地裏に日光が降り注ぐ。
小花柄のスカートをひるがえし、屋根の上から飛び出したダリアが、刀を振り上げて男たちの背後に着地した。
男たちはすぐさまダリアを取り囲もうとするが、ダリアの刀の柄に急所を打たれて悲鳴を上げながら倒れていく。
その目まぐるしいこと、まさに風のようだ。
ダリアは終始無言だ。
しかし据わった目から黒い火花のようにあふれ出る殺気が、峰打ちなのは決して慈悲ではないと知らしめる。
無事な男たちが剣を抜いて迫ってくる。
ダリアが刀の切っ先で男たちを指すと、強烈な炎が男たちを包み込む。
アルフレッドの威嚇目的の魔法とは比べ物にならない威力である。
肉が焼けこげる匂いがむせかえるほどに広がった。
町中に響き渡るほどの断末魔が上がる。
ナイフを振り上げていた男が脅すように先ほどの水鉄砲を突き出す。
ダリアは素早く男を押し倒し、水鉄砲とナイフを取り上げる。
水鉄砲は地面に放り投げ、奪ったナイフの先を男の口の中に突っ込んだ。
「ヒッ」
ようやくダリアは口をひらいた。
「解毒剤」
男は威嚇するような顔をして、わずかに首を振った。
ダリアは何の感情ものせない顔で、ナイフを口の中に押し入れる。
血が一すじ、男の舌から流れる。
首を伝って襟に染み込んだ。
ダリアは男の耳元でささやいた。
「解毒剤」
男が震える手で薬瓶を取り出すと、ダリアはすぐに腹を蹴り飛ばして気絶させ、アルフレッドのもとに駆け寄った。
「ダリア、ちゃん」
「これで合ってますか」
「え、ええ」
「飲んで、今すぐ」
ダリアはアルフレッドの口の中に瓶を突っ込むと、すぐに立ちあがった。
男の内の二人が、今まさに路地裏から、翼竜に乗って空に飛び上がったところだった。
「待って、危ない、深追いは駄目」
アルフレッドの制止も聞かずに、ダリアは風に乗って家々に飛び乗り、飛び移り、やがて竜のしっぽに飛び付いた。
毒でくらむ目に力を込めて、アルフレッドは無理やり翼竜を仰いだ。
男たちの悲痛な断末魔が青い空に響く。
遠くで竜が落下するのが見えた。
しばらくすると、ダリアは二人の男を背負い、血がだらだらとしたたる竜の首を抱えて路地裏に戻ってきた。
「すみません、竜殺しちゃいました。冷静じゃなかった、ようです」
ダリアは静かにうなだれる。




