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失せ人の島  作者: 小鳥遊 愚香
第一章
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第八話 お茶会

 テーブルの上には、上等そうなティーセットが並べられていた。


 数人のメイドが控えていて、そのうちのひとりが淹れてくれたお茶から、湯気が立ちのぼっている。


「どうぞ、温かいうちに」 エヴァンスさんに促され、私は席についた。


 籠は別のメイドが受け取り、そっとテーブルの脇へ置く。


 ヘンリエッタ様は向かいへ腰掛けると、待ちきれないように瓶を一つ手に取った。

 蓋を開け、水草を指先でそっと摘み上げる。


「……不思議そうなお顔ね」

 水草から目を離さないまま、ヘンリエッタ様が言った。

「どうして私があなたをここへ招いたのか、と考えているのでしょう?」


 私は思わず息を呑んだ。


「時々、人をお招きすることがあるのだけれど、皆さん同じ顔をなさるの」

 そう言って初めて、ヘンリエッタ様は私を見て微笑んだ。

「あなたも、そうなのかしら」


 私は包帯を巻かれた首に触れながら、ティーカップの中を覗き込んだ。

 なんと答えるべきか、分からない。


「……その水草は、浜辺にたくさん打ち上げられています」

 私はティーカップを見つめたまま言った。

「ご自分で拾われた方が早いのではないかと……友人と、そんな軽口を言っていました」


「駄目よ」

 ヘンリエッタ様は、水草を光に透かしたまま首を横に振った。


「同じ場所に落ちていても、あなたが選んだものではないもの」


 静かにそう言って、小さく微笑んだ。

「私は、あなたが見つけたものが欲しかったの」


 ヘンリエッタ様は、一度エヴァンスさんに籠を預けて、ようやく私を見た。

「遠慮せず、お茶を召し上がって。体が温まる特別なブレンドなの」


 彼女は側に控えていたメイドへ視線を向けた。

「お客様のカップには、はちみつを少し」


「結構です」

 私は反射的に口に出していた。


 メイドが動きを止めるより早く、ヘンリエッタ様が首を傾げる。

「どうして?」


「いえ……このままでも、美味しいはずですから」


 私には、それだけで十分な理由だった。

 けれど、ヘンリエッタ様には理解できないらしかった。


「でも、冷えているでしょう?」

 まるで、それが当然のことのように言われる。


 そして結局、私の返事を待つことなく、カップにはちみつが注がれた。

 上等なティースプーンで静かに混ぜられ、音もなく目の前のソーサーへ戻される。


「……どうぞ」


 促されて、私はカップへ視線を落とした。


 本当にはちみつが入っているだけなのか。

 そんな疑いが浮かんでしまう自分が嫌だった。


 手が、わずかに震える。


「お味はいかがかしら?」

 ヘンリエッタ様が微笑んだ。

 飲まないわけにはいかない。


「……水槽のお魚は」

 時間を稼ぐために、私は必死に別の話題を探した。

「珍しい種類なのでしょうか?」


 ヘンリエッタ様は、ゆっくりと背後を振り返る。

 大きな水槽。

 そこを泳ぐ魚たち。


「ええ。とても珍しいものよ」


 しばらく眺めたあと、彼女はまた私へ向き直った。


「でも、それよりも」

 ヘンリエッタ様は、静かに微笑んだ。

「お茶を、召し上がって」


 私は、そっとカップを持ち上げる。

 自分の体が強張るのがわかった。


 人の悪意に触れすぎたせいで、あらゆる善意の裏を疑わずにはいられなかった。

 どうしても、一瞬だけ迷ってしまう。


 この人は、私を傷つけようとしているわけではない。


 そう自分に言い聞かせて、私はゆっくりとカップに口をつけた。



 温かい。

 それから、ほんの少し甘い。


 それだけだった。


 張りつめていた肩の力が、わずかに抜ける。


「お口に合うかしら?」

 もう一度、ヘンリエッタ様が尋ねる。


「……美味しいです」


 正直に答えると、彼女は嬉しそうに目を細めた。


「よかった」


 その一言が、あまりにも素直で、私は少し戸惑ってしまう。

 

 彼女が望んでいたのは、本当にただ私が温かいお茶を飲んで体を温めることだけだったのかもしれない。


「……それで、水槽のお魚が気になるのかしら?」

 ヘンリエッタ様は、ようやく本題を思い出したように笑った。


「はい……珍しいものなのかな、と。水草は、そのために?」


 私が尋ねると、彼女は嬉しそうに水槽へ視線を向けた。


「ええ。とても珍しいものよ」


 その声には、先ほどまでとは違う幼さが混じっていた。

 大切な宝物を見せる子供のような声だった。


「近海から打ち上げられた珍しいお魚を、時々譲っていただくの。この島の海流はご存知よね? もとの海には帰してあげられないので、せめてここで穏やかに過ごしてほしいの」


 ヘンリエッタ様はカップを傾ける。


「この子たちが、どこの海から流れてきたのかは分からないけれど、できるだけ環境を整えてあげたいの」


 空になったカップがテーブルに置かれると、速やかにおかわりが注がれた。


「それに、島の人とも、なるべく直接お会いして、お話ししたいの」


 ヘンリエッタ様がメイドに視線を送る。


「2杯目はミルクを入れていただくわ。お客様にも入れて差し上げて」


 断る間もなく、飲みかけのお茶にミルクを注がれた。


「……私のことを、ご存知だったのですか? それで呼んだのですか?」


 核心に迫る質問をぶつけても、ヘンリエッタ様は優雅な表情を崩さなかった。


「私は、あなたを噂でしか知りません。あなたもそうよね? 『ヘンリエッタ様』の噂しか知らない」


 彼女は私の目をまっすぐみている。


「街の大半の者は、そうです。でも噂なんて当てにならない。大切なのは、真実を確かめること。そうよね?」


 私は頷く。

 ノーとは言わせない圧を感じた。


「……ヘンリエッタ様が作らせたという、チェス盤の話を聞いたことがあります」


 この際だから、私は恐る恐る聞いてみることにした。

「駒が……人の指だった、と。」


 普通なら、ここで馬鹿馬鹿しくて笑うか、ムキになって否定する。


 そう思っていた。


 けれど。


「ああ……その話」

 ヘンリエッタ様は穏やかに微笑んで、背後の水槽に目をやった。

「……今度、倉庫を探させます」


「……え?」


「もし残っているなら、見つけておいた方がいいでしょう? お願いね、エヴァンス」


 エヴァンスさんが「承知しました」と短く返事をした。


「何を探すんですか?」

 自分で話題にしたのに、動揺してしまう。

「そんなものが、本当に存在するんですか?」


「このホテルにとっては、歴代のヘンリエッタ様の遺した品を探すことは、日常茶飯事ですから」

 エヴァンスさんが、答えてくれる。


「あなたもご存知でしょうけど、このホテルを収める者はみな『ヘンリエッタ・ルペストリス』と呼ばれるの。だからそういう『ヘンリエッタ様』も、過去にはいたかもしれないわね」


 無くしたもう片方の靴下を探すみたいに、そんな忌々しいものを?

 私の動揺をよそに、話は続けられる。


「『ヘンリエッタ様』の噂は、人の数だけ混ざってしまって……もう輪郭がなくなっているの。先代には優しい方も、残酷な方も、病弱な方も、研究熱心な方もいた。強いて言うなら、それが答えです」


 そして、彼女の視線は、微かに震える私の指に落ちた。


「あなたがそんなに怯えるなら、ちゃんと確認した方がいいと思うわ」

 彼女はそう言った。


 まるで、チェス盤の噂よりも、私が怯えたことの方が重要だと言うように。


「恐怖心は、想像力を煽るのよ。だから、なおさらはっきりさせた方がいいわ」


 話題から逃げるように、お茶を飲み干す。

 一刻も早く帰りたかった。


「ところで」

 ヘンリエッタ様は、ふと思い出したように言った。

「チェスは嗜むの?」


「……え?」

 気の抜けた返事が出てしまう。

 空になったカップに、次のお茶が注がれた。


「もしそのチェス盤が見つかったら、ぜひ手合わせ願いたいわ」


 その言葉は、先ほどまで話していた不穏な噂とはあまりにもかけ離れていた。

 嬉しそうだった。


「……人の指で作られたという噂の品、ですよね?」


 私が恐る恐る尋ねると、ヘンリエッタ様は頷く。


「ええ。だからこそ、確かめる価値があると思わない?」


 少し間を置いて、微笑む。


「それに、あなたがどんな手を打つのか、興味があるもの」


 私には、その笑顔が冗談なのか、本気なのか、最後まで分からなかった。

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