第四話 漂着物
暖かな季節はもう近いはずなのに、海から吹く風はまだ少し冷たい。波打ち際の水も、素足に触れれば思わず肩をすくめたくなるくらいには冷えていた。
浜辺を歩く人の中には、薄い上着を羽織っている人の姿も見える。
私は両腕をさすることもなく、波に揺れる水草をそっと持ち上げた。砂を落とすように海水で軽く洗い、籠へ入れる。
「寒くないの?」
隣でリフィカが聞く。
「平気」
「ロビンはいっつもそう言う」
リフィカは肩に掛けていた薄手の上着を引き寄せた。
「アタシは無理。海風って思ったより冷えるもの」
「冷たいと、そのうち慣れるから」
「それ、ロビンだけだよ」
呆れたように笑いながらも、リフィカは波打ち際へ視線を落とした。
私もしゃがみ込み、小さな海ガラスを拾い上げる。
透き通った青色だった。
「ほら、綺麗……」
言いかけたところで、カチッと、勝手に顎が閉じる小さな音がした。
「今、歯鳴ったよね?」
リフィカが立ち上がる。
「……鳴ってない」
答えた瞬間、また小さく、カチカチッと鳴る。
リフィカが盛大にため息をついた。
「もう」
肩から上着を外す、衣擦れの音がする。
「ほら」
「いいよ、本当に平気だから!」
私が慌てて手の砂を払っている間に、リフィカが距離を詰めてくる。
「平気な人は歯が鳴らない」
「これは、海が冷たいだけ」
「だから、ロビンは寒いの」
半ば強引に肩へ掛けられた。
少しだけ温かい。
「……ありがとう」
「今は、返さなくていいから」
リフィカはまたしゃがみ込んだ。
「分かってる。浜辺の間だけ、ね」
私は黙って頷いた。
「……で?何拾ったの?」
リフィカが苦笑する。
「ロビンは、変なものばっかり拾うから」
「変じゃないよ、ほら」
光にかざすと、小さな欠片は海の色を閉じ込めた宝石みたいに見えた。
「綺麗でしょう?」
リフィカは私の手から海ガラスを受け取り、職人らしく角度を変えながら眺める。
「確かに、色はいい」
「そうでしょう?」
私は少しだけ誇らしくなる。
「でも気泡が多いから加工したら割れる」
そう言って、あっさり手のひらに返された。
「……職人って夢がない」
「夢じゃ仕事にならないもの」
そう言いながらも、リフィカは海ガラスを返してくれたそのままで、手のひらを重ねている。
「でも、私もその色は好き」
少しだけ嬉しくなって、私はそれも籠へ入れた。
波が寄せるたび、砂の中から見たこともない貝殻や木片が顔を出す。
この島では、それはただの漂着物じゃない。
どこかで誰かが失くしたもの。
遠い海を渡ってここへ帰ってきたもの。
私は、そういうものを見ると放っておけなかった。
「……ところで」
リフィカが水草を一本摘み上げる。
「なんで今日は水草なの?」
「ああ」
私は思い出したように頷く。
「ホテルに届けるの」
「ホテル?」
リフィカが籠に入れようとするのを、それは違うと制して海に戻す。
「ルペストリス家から、ミシマご夫婦の花屋に依頼が来たの」
波の表面をかき混ぜていたリフィカの手が、止まった。
「……ヘンリエッタ様?」
「うん」
私は頷く。
「ルペストリス家の?」
リフィカが重ねて聞いてくる。
「あのお城みたいなホテルの?」
「だから、そうだってば」
私はクスッと笑う。
そして、手の中の水草を見つめる。
「好きなだけ拾えばいいのにね」
「アタシもそう思った」
リフィカは肩をすくめる。
「でも駄目なんだって。異国の、なるべく珍しいものがいいみたい」
「……物好き」
「リフィカ」
「なによ」
「相手はルペストリス家だよ」
「分かってる」
リフィカは笑う。
「でも、変わったお方なのは本当でしょう?」
私は否定できず、小さく笑った。
何不自由なく暮らしているはずなのに、海から流れ着いた水草を欲しがるなんて。
確かに、少し不思議な人だと思う。
「ヘンリエッタ様って、どんな人なの?」
私が聞くと、リフィカは即座に首を振った。
「知らない。」
「え?」
「会ったことないもの、ロビンは?」
私も首を振った。
私たちは海の向こうに見えるホテルを見上げる。
石造りの白い壁が、陽の光を受けて眩しかった。
「あのお城みたいなホテルに住んでいて、島のみんなから感謝されていて……」
私はらそこで言葉を切る。
「でも……噂って、当てにならないものよね」
リフィカが私を見る。
「だって」
私は波に洗われた貝殻を拾い上げる。
「私のことだって、噂だけ聞いたら酷い人間みたいでしょう?」
リフィカは答えなかった。
代わりに、私の手からその貝殻を取り上げる。
「ちょっと、欠けてる」
それを少し眺めてから返した。
「でも綺麗」
「そうでしょう?」
「……だから、そういうところ」
「え?」
「……なんでもない」
リフィカは照れ隠しみたいに背を向け、水草を探し始めた。
私も笑いながら、その隣へしゃがみ込む。
肩が軽く触れた。
リフィカは何も言わない。
私も離れなかった。
しばらくは波の音だけが、二人の間を流れていた。




