第三話 リフィカ・ノヴァ
店を出ると、海風が頬を撫でた。
花屋の店内に残してきた重たい空気が、少しだけ遠ざかった気がする。
「……ロビン!」
呼ばれて振り返る。
そこには、籠いっぱいの工具と銀細工の材料を抱えた少女が立っていた。
「リフィカ!」
彼女に歩み寄って、笑顔を向けた。
「リフィカも今、出てきたところ?」
「うん」
リフィカは私の顔を見る。
何かを言おうとして、やめたようだった。
代わりに、花屋の方へ視線を向ける。
「……何かあった?」
「え?」
「ほら、店の前。少し、人が集まってたから」
「ああ」
私は苦笑した。
「ちょっと、お釣りが足りないって騒ぎになっただけ」
「それだけ、じゃない顔してるけど」
リフィカが真面目な顔をする。
「大丈夫だよ」
私は答える。
「ロビン……」
リフィカの嗜めるような声。
「本当に大丈夫」
私はいつもそう答える。
そして、それを知っているリフィカは、少しだけ眉を寄せた。
でも、それ以上は聞かなかった。
リフィカ・ノヴァは、昔からそういう少女だった。
無理に聞き出さない。
私が話したいと思った時まで、待っていてくれる。
「籠、こっち側持つよ」
返事を待たずに、私は籠の持ち手に手をかけた。
「工房まで?」
「うん」
二人で持っても、籠はずっしりと重たい。
銀細工の材料や工具は、見た目以上に重いらしい。
「……人気者は大変ね」
リフィカが呟いた。
「何それ」
私は、思わずリフィカを見る。
「だって、店の外に人が集まるくらい注目されているじゃない」
リフィカも私を見る。
「悪い意味でね」
「ロビン・ブレーカーズ、有名人じゃない」
「全然嬉しくない有名人だよ」
思わず笑ってしまった。
リフィカも少し笑う。
その笑顔を見て、胸の奥に残っていた重さが少しだけ薄れた気がした。
浜辺へ向かう道は、海沿いに続いている。
クラッスラの街は大きくない。 どこにいても、潮の匂いがして、少し顔を上げれば青い海が見える。
古い石造りの家々の間には、小さな店が並んでいた。 軒先には乾かされた網や、修理を待つ道具が置かれている。
道の向こうの浜辺では、何人かの人がしゃがみ込み、砂の中を探していた。
漂着物を探しているのだ。
この島では、海から流れ着いたものは、ただの拾い物ではない。
誰かが失ったもの。 どこかから旅をしてきたもの。
だから島民は、それらを簡単には捨てなかった。
「昨日、港に変なものが流れ着いたらしいよ」
私が海を見ていることに気づいたのか、隣を歩くリフィカが言った。
「何?」
「見たことのない瓶」
リフィカは肩をすくめる。
「でも、中身は空だったって」
「残念。何か、手紙でも入っていたら面白かったのに」
思わず口に出すと、リフィカが呆れたようにこちらを見た。
「やっぱりロビンならそう言うと思った」
「だって、せっかく広い海を渡ってきたのに」
私は海を見る。
「誰かが大事にしていたものかもしれないでしょう?」
「海を渡ってきたからって、全部に物語があるとは限らないよ」
「でも、あるかもしれないでしょう?」
リフィカは小さく息を吐いた。
「そういうところだよ」
「何が?」
聞き返すと、リフィカは少しだけ困ったように笑った。
銀細工の工具が、籠の中で小さく音を立てる。
「ロビン」
「なに?」
「アンタ、本当にこの島を出る気はないの?」
不意に聞かれて、私は少し黙った。
「……ないわけじゃないよ」
視線を海へ向ける。
「大学の資料も、部屋にある」
「大学?」
「島の外の学校。海の向こうの」
リフィカは少し驚いた顔をした。
「じゃあ、行きたいんじゃない」
「……分からない」
「分からない?」
「行ってみたい、とは思う」
私は足元に転がっていた小さな石を蹴った。
「でも」
海の向こうには、私の知らない場所がある。
知らない人がいる。
「ここを出たら、私は何者になるんだろうって思う」
リフィカはすぐには答えなかった。
「ロビンはロビン、でしょ」
「……そうかな」
私は笑った。
「そうだよね。この島を出ても、私は私……だよね」
「うん」
迷いのない返事だった。
だからこそ、少しだけ苦しくなる。
「だったら……」
私は水平線を見る。
「外に出ても、同じことを言われるのかなって」
リフィカの表情が曇った。
「……ブレーカーズ家の孫だって?」
私は答えなかった。
ただ、波の音を聞いていた。
「この島を出ても」
小さく呟く。
「噂だけは、一緒についてくるのかもしれない」
しばらく歩くと、リフィカの工房が見えてきた。
「そういえば」
リフィカが手を差し出した。
いつもの仕草だった。私は何も言わず、籠の取っ手から手を離す。
リフィカはそれを受け取ると、自分の方へ引き寄せ、軽々と持ち上げた。
「ロビンもどこかへ行く途中だったんじゃないの?」
「うん。水草を拾って来なくちゃいけなくて」
急に軽くなった腕が妙に頼りなく感じて、私は少しだけよろけた。
「アタシ、これを工房に置いたら少し時間あるよ」
リフィカは何でもないことのように言う。
「待っててくれたら、一緒に行ける」
少し間を置いて、リフィカが聞いた。
「それとも、1人で行くつもりだった?」
「うん」
「……籠は一緒に持ってくれるのに?」
「うん」
「ロビンは、自分のことになると急に頼らなくなるよね」
「そうかな?」
「そうだよ」
リフィカは呆れたように笑った。
「置いてくるから、そこで待ってて」
それはお願いというより、もう決定事項だった。




