1 日常が終わる朝
カーテンの隙間から漏れる日の日差しに照らされながら、加賀美宗は布団に包まれていた。
起きなければいけないとは思っている。少し首を傾けると、時計の針が音を立てていた。
――まだ間に合う
その思考が出て来る時点で遅刻まで秒読みであることは分かっていたが、体が動かない。別に学校に行きたくないわけじゃない。友達はいないけれど、なぜか自分の事を気にかけてくれる人はそこそこいる。彼女たちの助けがあるからこそ学校の授業についていけるし、休み時間も暇をすることが無い。
それに、自分で朝の準備をする必要が無いのだ。
ピンポーン
インターホンが鳴った。それを引き金に宗は布団を出て、寝巻のままでドアを開ける。
「おはよ、宗。今日もお寝坊さんだね」
そこには満面の笑みを浮かべた少女が立っていた。
柳井恋歌。隣の家に住む幼馴染だ。肩まで伸びた黒髪は今日も艶やかで、本人の気質の現れた活発そうな瞳と整った顔立ちは、美少女と表現するに相応しい容姿をしている。そして、今日も妙に上機嫌だ。
「どうせ朝ごはん、まだなんでしょ?食べさせてあげる」
玄関を上がると、まるで我が家のようにキッチンまで一直線に進む。恋歌がこうして朝のお世話をするのは今日だけの事ではない。両親の仕事の都合で朝が早い加賀美家の、ごく一般的な光景だ。慣れた手つきでご飯を温める恋歌を、宗はただ眺めていた。
「いただきます」
流石に箸を動かして口に運ぶのは宗が行うが、向かいに座る恋歌がそれをじぃと見つめるのは、少々居心地が悪い。
「あ、どけちゃだめ。ちゃんと食べなきゃダメだからね」
宗はばつが悪そうにトマトを口に放る。苦い顔をして噛む様を、弟を見守る姉のように恋歌は優しく見つめていた。
いつからこうなったかのか。いつの間にか朝の時間に恋歌が加わった。初めはただ朝一緒に行くだけだったのに、段々と家の中にまで浸食していった。玄関先、リビング。さすがに自分の部屋まで来て起こそうとするのは止めさせた。いくら幼馴染でも見せたくはない顔というのはある。それに同い年の女の子にお世話される状況を、宗自身はあまり快く思っていなかった。恥ずかしい、学校の皆にばれたら確実に馬鹿にされる。なのに恋歌はむしろ誇るかのように、学校でも世話を焼こうとしてくる。
「ちゃんと食べれたね。えらいえらい」
柔らかく確かな暖かさのある掌で撫でられたら、そんな羞恥は吹き飛んでしまう。
恋歌が食器を洗う音をBGMに、自分の部屋で着替えをする。ぶかぶかの制服に袖を通し、ズボンのベルトを締めて階下に向かう。
「髪、整えてあげる」
櫛とドライヤーを両手に装備した恋歌に促され、宗は鏡の前に座る。確かに寝ぐせは少し付いてるかもしれないけど、これくらい放っていても気にしない。大体、自分の髪型の変化なんて誰も気にしないというのに。
櫛が髪を梳かす心地よさに身を委ねていると、急に頬が白くたおやかな指で押し上げられる。
「ふふ、かわいい」
鏡に映った恋歌は、悪戯っ子のように微笑んでいた。
「行こっか」
玄関に鍵を掛け、学校へ向かう。来週には梅雨に入るらしいが、朝はまだ涼しい空気で満ちていた。少し薄着なことをこの時間だけは後悔する。なんてことを考えていると、
「私の手、あったかいよ」
差し出された手にそっと触れると、恋歌は強く握り返してきた。顔には眩しい笑みが浮かんでいて、それを見た宗も顔が緩む。いくら幼馴染とはいえ、手を握られるのはいつまでたっても慣れない。肌と肌が密着することはこんなにも緊張するのかと、宗は改めて感じた。
「お。おはようございます!」
聞きなれた声が耳を抜ける。振り返るとそこには宗よりも小柄な少女、江藤叶がいた。彼女も例に漏れず美少女であり、困ったように歪んだ眉や中途半端に結ばれた唇が庇護欲を擽る。彼女とは小学校からの付き合いで、なんだかんだで高校まで同じ学校になった。同じクラスになったことも何度かあり、それなりに親しい仲なのではと宗は考えている。彼女は小走りで二人に追いつくと、宗の左側に身体を寄せた。
「おはよう、叶。あれ、朝時間なかった?」
「あ、え、はい。実は、寝坊しちゃって。頑張って起きて支度したんですけど・・・」
「少し髪が乱れてる。じっとしてて、すぐ終わらせるから」
叶が足を止め、ぎゅっと瞼を強く閉じる。そこまでしなくてもいいのにと苦笑しながらも、恋歌は宗にしたように髪を櫛に通し、ゴムで結ってやる。
「はいおしまい。目開けていいよ」
「ありがとうございます。えへへ、なんだかふわふわする感じです。ねえ、宗君。似合ってますか?」
似合ってるよ。
「やった。できるならずーっとこのままの髪型にしたいですね」
「毎朝やってあげられるわけじゃないからね。まあ、こんどやり方を教えてあげる」
髪型を整えてくれたことが嬉しかったのか、叶が眩いばかりの笑顔を宗に向けた。こうして二人の少女が仲良くする様を朝から見れて、宗自身も暖かい気持ちになる。
校門をくぐり、昇降口へ向かい、上履きに履き替え、教室の扉を開く。瞬間、宗は肩を縮めた。女子達の視線が向いたからだ。遠慮するかのように目を伏せながら、焦点だけは合わせる者。何ごともなかったかのように慌てて顔を背ける者、とびきりの笑顔を向ける者、誘うような濡れぼそった視線を向ける者。
教室中の女子が、ただ一人の例外もなく宗を見つめた。居心地の悪さを感じながらも、宗は席に着く。
視線は苦手だ。自分なんかを見るなんて、どうせ馬鹿にする材料を探しているのだろう。
自らに向かう雑念を遮るように下を向きながら席に着いた瞬間、
「加賀美君、ちょっといい?」
落ち着いた声が頭上から降ってきた。顔を上げると、そこにはクラス委員の高見澤葵が立っていた。成績優秀で、先生からの覚えもいい。そんな彼女がなんの用なのだろうかと、宗は首を傾げながらも聴く態勢に入る。
「今度の体育祭のこと、具体的には騎馬戦の配置について相談したいのだけど、放課後に時間とれるかしら?忙しいなら昼休みの間でも構わないわ」
今日なら特に予定はなかったはず。
「そう。なら放課後に話し合いましょう。そんなに時間はかからないから」
満足そうに頷きそのまま席に戻る葵。しゅんと伸びるその背中を、宗はただ眺めていた。
チャイムが鳴り、朝礼の時間になった。先生が教壇に上がると教室内に満ちていたざわめきの熱が一瞬で冷める。静寂の中、先生が口を開こうとしたその瞬間。
「おはようございます!ちょっと遅れちゃいましたー」
微塵も悪びれた様子を見せない少女が扉を勢いよく開けた。自らに集まる好奇の視線をものともせず、宗の隣の席に腰を下ろす。
少女の名前は明星ゆあん。絹のように滑らかな銀髪、大きく見開かれた明るい瞳。そして何より目を引くのは人懐っこい笑顔。例によって美少女の彼女は、宗のいとこである。
「ねえねえ、宗くーん。教科書忘れちゃったから授業の時見せてくれなーい?」
旨の前で手を合わせ、猫撫で声を出すゆあん。またこれだと宗は内心で溜息をつく。このいとこはしょっちゅう何かを忘れたりしているので、そのことにいちいち言及したりはしない。先週もノートをなくしたと言ってきたからつきっきりで写してあげた。
適当に頷いてやり、先生の話を聞くべく前を向く。
今の生活に、不満はない。いつも誰かが傍にいて、世話を焼いてくれたり一緒に話してくれる。平穏で、代り映えの無い生活。これこそが幸せなのだと宗は再確認した。こんな生活がずっと続けばいいなと願った。
突如として床が発光し、ホワイトアウトのように視界を白に染め上げる。机が倒れる音、巻き起こる悲鳴。混乱の最中、宗は反射的に目を閉じた。その瞬間、彼の望む平穏は終わりを告げることになった。
次に瞼を開けた時、そこは教室ではなかった。床を覆う鮮やかな赤い絨毯に、体育館よりもはるかに高い天井。そしてそれを支える柱にはよくわからないけど豪華そうな装飾があしらわれており、ここが格式高そうな場所であると雄弁に示している。更に視線を前に向けると、画面の向こう側でしか見たことないような甲冑を着こんだ人間がずらりと並び、その中心には金で縁取られた椅子が自らの主を待つかのように鎮座していた。
まるで王城の大広間のような空間にクラス全員が立ち尽くしている。各々状況が読み込めずに困惑していたものの、誰一人その場を動けない。兵士の腰には剣が吊るされ、手には槍が握られている。鉄の匂いが鼻腔を擽り、それらがただの小道具などではないことは明確だ。それらがいつこっちに向かうか、考えるだけで悍ましい。
いつの間にか隣にいた恋歌が手を握ってくる。彼女もこんなことになって不安なのだろう、柔らかな掌は若干汗ばんでいた。
重苦しい静寂が大広間を包む中、扉の奥から男女が姿を現した。
一人は色彩鮮やかなマントに身を包み、堂々とした足取りでこちらに向かう壮年の男性。
もう一人は、プラチナブロンドの髪を靡かせ、宝石の如く碧い瞳は油断なくこちらを捉える。さらには透き通るような白い肌に、作り物のように整った顔立ち。絵画の世界から飛び出してきたと言われても信じてしまいそうな美貌の少女に、男子の何人かは思わず息を呑む。
兵士達の間を通り抜け、男は椅子に腰を下ろす。それが王座であること、そして男が王であることをこの世界の事をなにも知らない少年少女達ですら理解した。
「勇者諸君、私の名はアルメスト・フェリス三世だ。まずは、君たちを我々の都合でここに召喚したことを謝罪する。本当に申し訳ない」
為政者に相応しい、良く響く低い声だと宗は感じた。言葉遣いこそ丁寧だが、彼は一切表情を変えぬまま言葉を紡ぐ。
「我が国は現在、モンスターと呼称される人類の敵によって危機に瀕している。故に我々はこの状況を打開すべく禁断の秘術である勇者召喚を行い、結果として君たちが今ここにいるのだ」
それなんて異世界召喚?などと数人のクラスメイトは考えたが口を噤む。アニメやゲームなど二次元の世界の産物だったそれは、現実となって彼らの元に訪れた。
「諸君らには英雄をも凌駕する力が宿っている。その力でどうか我々を救ってほしい」
その言葉を契機に、王や隣に控える少女、更には兵士たちが一斉に頭を下げる。
現代日本で暮らしてきた少年少女達にとって、年上の人間が頭を下げる場面に遭遇することは滅多にない。ましてやそれが国の最高権力者となれば、困惑や戸惑いの感情が強く出てしまうのは必然であった。
誰もが互いに目くばせをする中、高見澤葵が背を伸ばし手を上げる。
「フェリス王、発言よろしいでしょうか?」
「許可しよう。そして、以後は許可など不要だ。君たちこそ敬意を払われるべきなのでね」
「寛大なお心遣い感謝します。私は高見澤葵と申します。貴方方の状況は大まかに把握しました。ですが私達は元の世界では学生で、見ての通り荒事なんて無縁な生活をすごしてきました。私達はどのようにしてあなた方を救えるのでしょうか?」
確かに、そのことは宗も気になっていた。召喚されたからと言って力が宿った感じはしない。自分たちはどのようにして敵に立ち向かえばよいのだろう。
「それに関してはわたくし、第一王女フェリーヌが説明しましょう」
鈴の鳴るような美しい声だ。王の隣に控えていたフェリーヌが指を鳴らすと、奥から台車に乗せられたパールのような無色の宝石が姿を現す。
「これは魔力を測定するための石です。・・・魔力はご存じでしょうか?」
「えっと、私達の世界には魔法とかはありませんでしたが概念そのものは大まかに把握しています。魔法を出すために必要な素材のような認識で合っていますか?」
「存在していないものが概念として存在するとは、興味深い世界ですね。ともかくとしてその認識で大丈夫です」
フェリーヌは宝石に歩み寄りながら話を続ける。
「神の御業の模倣である六種の魔法、土、水、火、風、雷、そして聖魔法。それらを扱うために神より人に授けられたのが魔力です。そして、この宝石は皆さまが持つ魔力の強さと属性を、光の強さでもって知らせてくれます。わたくしが試してみますね」
白くたおやかな手を宝石に翳す。すると、広間を朱に染めるほどの紅蓮の光が発せられた。あまりにも非現実的な光景にどよめくクラスメイト達。宗自身も、ファンタジー世界のような光景を目の前でお出しされ少しわくわくしていた。
「・・・とまあ、このようになるわけですね。わたくしの属性は見ての通り火で、これくらいの光ですと、まあこの国で十本の指に収まるくらいの魔力量ということです。ですが、皆さまはこれ以上にこの部屋を照らせますよ」
今のでも充分に網膜に焼き付いて離れないほど強烈な光だったというのに、自分たちはそれ以上の力を持っているだなんて。例えついさっきまで平和な世界にいたとしても、力への欲求は本能として植え付けられている。クラスメイト達は自らの手を見つめ、そして宝石を期待の眼差しで見つめた。
「・・・ねえ、宗。私にはどんな魔法が似合ってると思う?」
それは恋歌も例外ではないらしく、興奮を隠しきれない声でそう問いかける。
――恋歌はいつも僕の事を守ってくれるし優しいから聖魔法なんか似合ってるんじゃないかな。
「ふふ、宗にそう言われたらそうなんじゃないかって思えてきた。宗は優しいしいつも私を見てくれるから聖魔法よ、きっと」
聖魔法か。いったいどんな魔法なのだろう。そんなことに思考を転ばせようとすると、隣からいつも以上にはきはきとした声が耳を抜ける。
「ねえねえ、わたしはどうかな!?できるなら全部の魔法でバーンってしたいんだけど、そしたら虹色の光になっちゃうのかな?」
ゆあんは火属性だと思うな。いつも元気いっぱいだし。
「簡単な理由だ!」
「わ、私はどうでしょうか?」
叶はいつも冷静だし、水魔法じゃないかな。
わいわいと話し声があちこちで巻き起こる。フェリーヌはそれらを制すように手を合わせ、朱に縁どられた唇を開く。
「それでは!これより魔力測定をしていただきます。まずは代表者の高見澤さんからお願いします」
「分かりました。・・・代表者になっちゃったけど、みんないい?」
クラス委員で真面目な葵にクラスを委ねるのに、反対の声は上がらなかった。それを確認し、少々ぎこちない足取りで壇上へと向かう。
「そこに、手を」
恐る恐る宝石に手を伸ばす。それに指先が揺れた瞬間、光が爆発した。光在るところに影在り、しかし影すらも生存を許されない、思わず目を塞いでしまうほどの純白の光。
「なっ・・・」
王は驚愕の声と共に王座から身を乗り出す。
「も、もう手を離して大丈夫です!高見澤様の魔力は確認が取れました」
葵はその言葉でようやく現実に引き戻された。手を離すと目が潰れる程の光は嘘のように消え、宝石は何事もなかったかの如く鎮座する。
「これは・・・素晴らしいです。あ、高見澤様の属性は聖魔法なのですが、これほどまでに強力な光は未だかつて見たことが無くて・・・。はい、間違いなくこの国、いやこの世界で最高の魔力の持ち主です」
ざわめきが巻き起こる。兵士たちからは歓喜の声が、クラスメイト達からは羨望の声が。葵は若干呆けながらも王たちに一礼をし、宗のもとへと足を進めた。
「いきなり勇者チートを見せつけたね!いやあ、葵ちゃんにあれだけの力が眠っていたとは。このゆあんの目をもってしても見抜けなかったよ」
「・・・なんだか、あんまり自分の事のような気がしないわ。だって、いきなり魔力が何だって言われても、今までそんな力を意識したこともなかったのよ。現実感、っていうのかしら。そうゆうのが全然ないわ」
「私もそれくらいの力があればいいな。そしたら宗の事を守れるし」
「あら、加賀美くんに逆に守られちゃうかもしれないわよ。ねえ、加賀美君」
宗は考える。この世界では魔力こそが正義なのだろう。今までは守られてばかりだったかもしれないけど、それこそ葵と同レベルの魔力があるなら皆の事を守れるかもしれない。そんな小さな願望が宗の心に芽生えた。
その後もクラスメイト達の魔力測定は順調に進んでいった。葵ほどの強力な魔力の持ち主こそ現れないものの、全員が王女よりも遥かに強力な魔力を所持していた。叶は風属性、ゆあんは雷属性、恋歌は炎属性。この世界の人間にとっては正に希望の光なのだろう。兵士たちの顔には安堵の色がありありと見えた。
そして、宗の番。無数の期待の視線を受けて思わずたじろぐも、満面の笑みを浮かべるフェリーヌに軽く会釈をし、みんながしていたように宝石に触れる。
「・・・あら?」
フェリーヌの口から困惑の声が漏れる。
確かに、宝石から赤い光は出ているのだ。しかし、まるで豆電球のようにあまりにも淡い。ざわめきの波は俄かに引き、ただ時間が無為に流れるのみだ。
「炎属性、だな」
王が言葉を絞り出す。期待外れ、そう思われているに違いない。今すぐにでも逃げ出したくなった宗は申し訳なさそうに顔を伏せ、恋歌達のもとに戻ろうとした。
「ぷっ」
「弱すぎじゃね?」
「ライター以下じゃん」
クラスの男子がそう囃し立てる。嗤う、笑う。宗はなにも言えず、ただ立ち尽くすのみだった。
故に、気付かなかった。
殺意と憎悪の視線達が彼らに向けていることに。
次回は月曜に投稿します




