35、契約
アリスはすぐに荷馬車から出され……とはいかなかった。
マルクさんが中に入ってからというもの、なかなか出てこない。
結構長い間連れ立っていたようだし、積もる話もあるんだろうね。
大体二十分後くらいかな。
マルクさんに手を引かれてアリスが荷馬車から降りてきた。
話し合いはうまく進んだみたいで、その目には決意の炎が宿っていた。
自然と真弥の顔が浮かんでくる。
首を振り、そのイメージを払拭する。
真弥は真弥、アリスはアリスだ。
死んでしまった妹の面影に縛られてアリスという個人を見てあげられないのは間違っている。
俺の前にアリスがやってきて、勢いよく一礼した。
とりあえず頭を下げ返す。
するとアリスは手と首を振りながら慌てた表情をする。
「ははは、アリスは『よろしくお願いします』と言っているのですよ。それと、主人が奴隷に頭を下げるのはいけませんぞ」
「ふふっ、そうでしたね」
分かっててやったんだけどね。
ちょっとからかってみただけなんだ。
「じゃあ改めて」
膝を曲げて視線を合わせる。
「今日から君の主人になる、トーヤだよ。いきなりのことで驚いただろうけど、これからよろしく」
そう言うとアリスはさっきよりも深く一礼した。
その様子を微笑ましく見守っていたマルクさんが切り出す。
「さて、それでは契約を始めましょう」
契約。書庫の本でみたことある。
本人の魔力がなんちゃらかんちゃらとか書いてあったような気がするけど、よく読んでいなかったので覚えてない。
「奴隷の首輪に主人となるものの血を注ぎ、立会人と共に宣誓を行うことで主従関係が成立するのです」
華麗に内ポケットから取り出した針を俺に手渡しながら、マルクさんが簡単な説明を行う。
用意周到。
細い針で左手の人差し指を浅く刺すと、血がぷくっと円く広がる。
これでいいのかな?
マルクさんの方を見ると、頷いてくれた。
どうやら合っているみたいだ。
次いでアリスを見ると、上を向いて首輪を差し出すようにしてくれた。
心なしか震えているようだ。
やっぱり緊張しているんだろう。
マルクさんに針を返し、アリスの肩に手を置く。
逆に怖がらせてしまわないように背中をなるべくゆっくり撫でる。
ある程度落ち着いてきたところで、優しく触れるのを意識して人差し指を首輪の魔石部分に当てる。
「!」
アリスの体が一瞬跳ねて固くなったかと思えば、次の瞬間には脱力して深い呼吸を繰り返している。
大丈夫かな。
俺の心配は、マルクさんの咳ばらいによって中断された。
「ごほんっ! えー、これより隷属の儀を行う」
さっきまでとは打って変わって尊大な口調だ。
「今このときより、アリスはトーヤの奴隷となる。立会人マルクは新たな主従を祝福する。主人トーヤ、最初の命令を」
チラッ、チラッ。
マルクさんが目配せしてくる。
なんか結婚式みたいだなあ。
それで、ええと、最初の命令だっけ。
この神聖な雰囲気でアドリブは難易度高いよ。
ここは、事前に決めておいたルールを。
「では約束、自分をしっかり示しましょう。
奴隷という立場を気にせず、自分の望みをはっきり伝えて、自分の正しいと思った行動をしなさい」
「「…………………」」
子供に言い聞かせるように告げると、首輪の魔石が淡く光って紫色に染まる。
そして二人は何故だかポカンとして口を半開きにしている。
あれ? やっぱりおかしかった? さっきの。
いやでも、こういうのやってみたかったんだよね。
「ご、ごほんっ! えー、これで隷属の儀を完了する」
こうして、路地裏の奴隷契約は幕を閉じた。
三人で同時にふうっ、息を漏らす。
今のだけで肩が凝ったような気がする。
「……おかしなところもありましたが、これで契約できたことになります。二人共、おめでとう」
「そんなにおかしな命令でしたかね……?」
「何をおっしゃる、あのような宣誓は流石の私も面食らいましたぞ」
アリスもうんうんと頷いている。
しまった。異世界人特有の常識知らずがこんなところでボロを出してしまった。
これはとんだ失態だ。
アリスからの第一印象が変人ということになりかねない。
冷や汗を頬に感じながら不自然にならない程度に取り繕う。
「あっはは……そうだったんですね。隷属の儀は見たことがなかったので、咄嗟に思いついたことを言っただけなのですけどね。普通はどういう命令をするんですか?」
「そうですねえ……普通だと、主人の誘いは嫌がらず受けろだとか、逃げられないように一定距離離れるなだとか、奴隷側に制限を課すようなものばかりです。トーヤ殿のように奴隷に自由を与えるというのは聞いたことがありませんな。まあ、それほどアリスを大切にしてくれるということなのでしょうから、私としては嬉しいのですが」
困った様子ながらも、その顔は本当に嬉しそうだ。
うん。それならなによりです。
さて、マルクさんにはいろいろお世話になったけど、そろそろお別れだ。
「ありがとうございました。またどこかで会いましょう」
「ええ、こちらこそ。私は行商人ですから、お互い旅の途中で出会えるかもしれませんな。
アリスも、いい主人に巡り会えてよかったじゃないか。トーヤ殿の迷惑とならないよう、しっかりやるんだぞ」
俺はきびすを返し、町の大通りへと向かう。
背後でアリスは最後に深く長いおじぎをして、小走りで俺についてきた。
あの気のいい行商人との出会いは、俺にとって様々なものをもたらしてくれた。
商人のたくましい生き様はとても人生の勉強になった。
この世界で生きていくための常識も丁寧に教えてくれた。
商人でありながらも他人の幸せを考える彼は、まさに思いやりの体現者だった。
既に彼は、俺の憧れる人物の一人だ。
俺も彼のような人間に………。
「う゛おおおおおおお、アリズーーーー!! 私は寂しいぞおおおおお!」
ちょっと揺らいだ。
#
さあ、これでようやく気負いなく異世界を観光できる。
頑張っていくぞー。
とはいうものの、土地勘ゼロの俺がいきなり中世の町に馴染めるはずもない。
便利なグーグルマ○プもなければ、ご丁寧に観光案内板が設置してあるわけでもない。
うわー、俺としたことが迂闊だったよー。
思いっきり出鼻くじれた思いだよー。
なんちゃって。
俺の目の前には『宿屋 水牛亭』の文字が書かれた看板が。
マルクさんに教えてもらった宿だ。
建物の入り乱れた町並みに最初は戸惑った。
しかしそこで方向感覚スキルの出番。
どうやらこのスキル、方角がなんとなく分かるだけでなく、目的地までどういう道を通ればいいかも直感的に分かるらしい。
とってもリーズナブルなSPなのに便利なスキルだ。
すぐに宿屋に到着できた。
というわけで早速宿屋へ突入。
「いらっしゃい」
受付カウンターらしき場所に座るコワモテの男性が挨拶してくれた。
「すいません、今日一日宿泊したいんですが」
「分かった。二人なら食事付きで銀貨二枚………おい、まさか」
俺がお財布からお金を取りだそうとすると、亭主がアリスを見て目を見開く。
その顔にはありありと不機嫌の色が浮かんでいた。
え? なになに?
「チッ、そっちの嬢ちゃんは獣人か? だったら絶対にベッドには寝かせないでくれよ。毛が落ちて獣臭くなるからな。ああそれと、銀貨三枚だ。階段を登って一番奥の部屋を使ってくれ」
………あからさまに舌打ちをされてしまった。
あと銀貨一枚分増えてる。
理不尽な物言いにアリスも戸惑っている。
獣人が疎まれるっていうのは小説だとよくある展開だけど、この世界では別に人族と獣人族がいがみ合ってるとかそういうのはなかったはずだ。
だったら何故こんなにも態度が悪いのだろう。
個人的な恨みでもあるのかな。
せっかくマルクさんに紹介してもらった宿だけど、早々に引き払うことになるかもしれない。
今日は夕方でもう時間もないので、このまま泊まるけど。
返事はせずに鍵だけ受け取ってアリスの手を引き早足で部屋に向かった。
部屋には小さな机と椅子、そしてベッドが一つだけあった。
簡素な部屋だけど、綺麗にはしてあるし地球の文化水準に慣れた俺からしても悪くない。
獣人への対応は異常な程のものだったけど、最初の俺への対応を見るに亭主も悪い人ではないんだろうね。
人にはいろいろな事情があるので、深く詮索するつもりはないし躍起になって文句を言うつもりもない。
ただ、その事情が自分と相容れなくなるものであるときは干渉しないようにするしかない。
はぁ、なかなかどうして、難しいよ。
申し訳なさそうにこちらを見るアリス。
「心配ないよ。今日はしょうがないから、一緒に寝ようか」
そう伝えておく。
少しビクッとしたアリスだったけど、ゆっくり頷いてくれた。
奴隷がベッドで寝るのは駄目だと思っているのかな?
そういう状況を小説でよく見るけど、俺としてはいちいち宥めるのも面倒なのでありがたい。
アリスが契約のときの約束を覚えていてくれてよかった。
それはさておき、まずは。
『回復魔法:必要SP300』
取得。
『回復魔法LV1→回復魔法LV10:必要SP1350』
ギリギリ足りる、レベルアップ。
ちょっと値がおかしいと思うかもしれないけど、今の俺だったら問題ない。
大量のSPのタネは、ダンジョンでの大量殺戮だ。
魔物のなかにゴブリンメイジやゴブリンマジシャンとかいうのがいて、一匹700MPという破格のMPを持っていた。HPは20とかだったけど。
そりゃもう、どんどん見つけてはMPを拝借しましたよ。
おかげでさっきまでのSP残量は1714。
今ので1650SP使ったから残り64まで減ったけど。
ひとまずこれで……。
「アリス、こっち向いて」
で、アリスの首元に手を翳す。
不思議そうに首を傾げるアリスに向けて、魔法を使う。
「スペリオルヒール」
「!!」
俺が唱え終わると、青白い、優しい光が集まる。
それは、とても暖かな光で、アリスの細い首を包み込んでいくかのようだった。
美しい。地球では決して見ることのできない、魔法という奇跡の力。
それが織り成す幻想的な輝きに、術者である俺さえも魅了され心を奪われていた。
殺風景な部屋の中で輝く魔法の光という現実味の対比が、より一層俺を、おそらくアリスをも、不思議な気分にさせた。
高度な魔法を慎重に使ったせいか、時間にして三分それは続いた。
最後には青白い光がアリスの首、男なら喉仏が膨らんでいる箇所に収束した。
名残惜しさを感じながらも、呆然とするアリスに声をかける。
「どうかな、回復魔法をかけたんだけど、声……出る?」
マルクさんは火事が原因でアリスは声を失ったと言っていた。
遺伝などの生まれつきの障害ならともかく、後天的な障害ならば魔法で治せると踏んだんだけど。
アリスは緊張のせいか小刻みに震え、息がこちらに伝わってくるくらいに荒くなっている。
つられて俺も神妙な面持ちとなる。
アリスは首輪のついた喉に手を宛て、ついにそれを震わせる。
「…………ぁ………………あぁ………ぁ……………………」
それはとてもとてもか細い声で、声と呼べるかすらも怪しい代物。
だが、声だった。誰がなんと言おうと、それは確かな声として、俺の鼓膜に届いた。
アリスの呼吸がさらに激しくなる。
表情は、驚いたような、喜んでいるような、まさに泣き笑いという表現がぴったりな表情だ。
「ぁー……あ…ぁあ……………ぅぅ……………………っ!」
アリスが俺の腰に飛びついてきたので、受け止める。
「うぅ………ぅ…………ぅぅぅぅ…………!!」
完全に落ち着くまで、しばらくそのままでいた。




