34、出会い
別になんてことはない。
ただの火事だ。
俺が家族を失ったのは、ごく普通の火事だった。
ただ、家族の中で俺だけが生き残っていただけ。
ただ、それだけ。
よくあることだ。
その時の記憶は、ノイズがかかったように不鮮明だ。
まるで写真のスライドショーみたいに断片的で、他人事のようにしか思い出せない。
きっともう、俺の中にその記憶はないのだと思う。
捨ててしまったから、どれだけ向き合おうとも戻ってこない。
記憶はないけど、そのとき俺が何を思っていたか、何を考えていたか。
それは鮮明に思い出せる。
不思議だ。
あんなに時間が経っているのに、昨日のことのように感じる。
そうなったのは、あの日からかな。
親戚が一同に集まる日。
俺は確か……おつかいに行っていたと思うけど、みんなは十数人で、楽しくご飯を食べていたはずだ。
叔父さんの煙草が引火したんだっけ。
今となっては原因はどうでもいい。
そんな中、火事が起きて、みんな死んで、俺は呆然と焼け焦げた我が家を見てた。
唯一、妹の真弥が救出されたと聞いたのは、それから何時間か後のことだった。
みんなが必死になって逃がしてくれたのかも。
全身火傷だらけで、病院のベッドに寝たきりだったけど、確かに生きていた。
治療費は、無駄に有り余る遺産や保険金でなんとかなった。
俺は自分が悪い夢の中にいるみたいで、真弥だけしか見えなくて、馬鹿みたいに真弥のためだけに生きてた。
自分のことながら、すごく滑稽だった。
当時12歳だった俺は、ずっと妹の傍にいた。
寝るのも忘れて。
なんであんなに必死だったんだろう。
今はそう思うけど、そのとき、俺はこう思っていた。
俺がいないと真弥が寂しがるからね、お兄ちゃんがしっかりしないと。
まあ実際、寂しかったのは俺だ。
今まで家族全員で受けていた愛情を、妹一人分で補充しなきゃならなかった。
真弥が死んだ。
そう、あの日だ。
丁度一年後だった。
まあ、それはもう、泣いたよ。
飲まず食わずで、三日だったかな。
一年分の辛さが、溢れ出した。
真弥という心の鎧がなくなったから、悲しみがもろに突き刺さった。
目を逸らせば楽だった。
けど、それをしなかった。
小さい頃から、生意気に達観した子供だったんだよね、俺。
自分は孤独だ。
そう考えると、吐き気がした。
だから、吐いた。
ちょっとおさまってきたから、意味なんてないのに、また悲しみに真正面から向き合って、また吐いた。
いやまあ、飲まず食わずだったし、最後の方には何も出なかったけど。
三日経ったら、心が凪いだ。
忘れたとか、そんなことはない。
依然として、体は重いままだ。けど、
なんか、心の中に、芦原凍弥の中にみんなが生きてるみたいに感じたんだ。
笑顔のお母さん。怒った顔のお母さん。
優しい顔のお父さん。仏頂面のお父さん。
いつもにこにこしてたおばあちゃん。たまに無言の笑顔で怒るおばあちゃん。
なんかいつも無表情で新聞読んでたおじいちゃん。隠れて真弥をだらしない顔で見つめているのを気付かれてないと思っているおじいちゃん。
いつも不適な笑みで俺をからかってた叔父さん。俺に論破されると泣きそうな顔で「うわー、凍弥大人げねー」とか意味不明なことを言い出す叔父さん。
ずっと俺の後を付いてきてくれた真弥、よく俺の真似をしていた真弥、大きくなったら俺と結婚したいとかお母さんに真剣に相談してたらしい真弥、夫婦もののおままごとが好きだった真弥、俺に似て器用だった真弥、生真面目で努力家だった真弥、いつもは大人しいのに努力が実ったときは興奮してご褒美を要求してきた真弥、微笑ましい真弥、可愛らしい真弥、男友達に付き纏われてた真弥、病気に罹ったときの真弥、小さかった頃の真弥、身長が伸びたのを喜んでた真弥、俺を可愛がるおばあちゃんを睨んでいた真弥、おじいちゃんにおねだりするのが上手だった真弥、叔父さんを見ると哀れむような顔になる真弥、看病する俺を申し訳なさそうに、でも嬉しそうに見ていた真弥、最期には「ごめんなさい、ありがとう」と言って死んだ真弥。
全部、生きてる。
真弥が最期に遺した一年間。
俺にとって真弥は……最後の光? 俺を縛る鎖? 答えは未だ出ていない。
でも、真弥がいなかったら俺はひたすら人を遠ざけて、過去ばかり見て生きていただろうことは想像に難くない。
だから、真弥が俺にくれた時間を通して考えることが出来たことに感謝している。
いつか消える思い出なら作らない方がいいと考えるのではなく、生きているうちは人と関わる幸福を、人間の美しさを、できる限り感じたいと、そう考えさせてくれたことに。
そして、こう伝えたい。
こんな兄を最期に導いてくれてありがとう。
面倒臭い兄に最期まで付き合わせてごめん。
もう疲れたよね、好きなだけ存分にお休み。
真弥は、俺の心の中だけに生きる存在になった。
……そう、思っていたのに。
「真弥…………」
「?」
荷馬車の隅に座る少女は、黒髪に黒目をしていた。
見たところ歳は12歳くらい。
艶を失った髪と、虚ろな瞳、顔の造形、細い腕と脚。
その全てが、あの病室で一年間ずっと見守ってきた、芦原真弥という少女を示していて………
「………違、う」
その少女はしかし、芦原凍弥の妹ではなかった。
体のある一部分が、真弥のそれと違っていたからだ。
俺はそのことに気づいてようやく、呼吸を取り戻すことができた。
「耳が………犬?」
その通りだった。
その少女は、獣人だったのだ。
「……ャどの………ーヤ殿…………トーヤ殿!」
「っ! あ、はい!」
マルクさんに呼ばれていた。
慌てて振り向く。
「だ、大丈夫ですかな? 顔色が悪いようですが」
ああ、俺、今顔が青いんだ……。
確かに、荷馬車の中の少女は、感情の起伏が薄いという自覚がある俺をもってしても顔を青ざめさせるに十分だった。
でもまあ、他人の空似……にしては似過ぎだと思うけど、真弥ではないことが分かったのでもう大丈夫だ。
「ええ、大丈夫です。獣人族は初めて見るものですから、つい驚いてしまって」
「そうでしたか。そういえば言い忘れていましたな。いやはや、すみません。その子は奴隷でして、もう長い間売れていないものですから、いるのが当然という体で話を進めてしまいました」
言われて気づく。
少女の首元には、黒い首輪がついていた。
#
不規則に全身を揺さぶる振動が、大分落ち着いてきたように感じる。
街道に入ったのかな。
明かりが一切差し込まない暗い荷馬車。
当然窓はなく、じゃあ何をするかというと、特に暇つぶしの手段もないので……。
必然的に、真弥に似た少女と顔を見合わせることとなる。
俺の方はかける言葉がうまく見つからないでいるだけなのだけど、少女の方はどうだろう。
さっきからこちらを見ていると思えば、一定時間俺と目が合うと微妙に顔を背ける。
何か気になるならば、言葉にしてくれると助かるんだけど……。
このままでは埒があかないので、こちらから声をかけてみることにした。
「ねえ、君。名前はなんて言うの?」
少女は突然の問い掛けに答えるでも言いよどむでもなく、一瞬驚いたように少しだけ身を引くと、俯き気味に首を横に振った。
「名前は、ないのかな? それとも、言いたくないとか?」
またもや少女は首を振った。
困った顔をしており、御者台の方をちらちらと見ている。
人見知り、ってことなのかな?
「あの、俺は……」
「ああ、すみませんトーヤ殿。その子……アリスは、しゃべることが出来ないのです」
荷馬車の壁越しにマルクさんの声が聞こえてきた。
しゃべれない。なるほど、そういう事情だったのね。
「その子を売った村の者によると、二年ほど前に火事があってそのときに喉をやられてしまったようなのですよ」
アリス。アリスか。
この子の名前はアリスって言うんだ。
名前を聞けて安心した。
けど、心のどこかで落胆するような気持ちもある……かもしれない。
それにしても、火事ね。
この子はどれだけ俺を動揺させたいんだろう。
火事から生き残った、真弥と瓜二つの少女。
あの時真弥生が生き残っていればと、俺にそう考えさせるには十分過ぎるでしょう。
それに喉だけがやられているというのが余計に性質が悪い。
ナーバス芦原が見たいなら、言ってくれればいつでもやるよ?
それからは一方的に俺が話すだけとなった。
不思議と、話したい気分になった。
でも、この世界にやってきて間もない俺が話せることなんて、たかが知れてる。
地球のことを話すわけにもいかないしね。
途切れとぎれながらも、荷馬車の中での独白は続いた。
アリスも相槌を打ってくれたから、話しやすかった。
#
「うむ、通ってよし」
御者台から降りたマルクさんが身分証を見せると、荷物のチェックが始まった。
俺とアリスの首元を確認した門番さんは通行を許可してくれた。
「お勤めご苦労」
マルクさんはそう言って荷物袋の中から何か取り出した。
あれは、瓶? 酒瓶かな?
門番さんは遠慮する素振りを見せたけど、マルクさんの方はにこやかにしている。
結局門番さんは受け取ってしまった。
あー……まあマルクさんも商人だしね。
大人の世界の一端を見てしまったような感じだ。
それから馬車は人気のない路地に移動し、停車した。
マルクさんが扉を開けてくれたので、久しく浴びていない眩い光に苦心しながら荷馬車を降りた。
早速首輪を外し、マルクさんに渡しながら言葉を交わす。
「ここでお別れですな。フォレストベアに襲われたときはどうなるかと思いましたが、トーヤ殿が来てくださり、まこと助かりましたぞ」
「お礼はもういいですよ。こうして返してもらいましたしね」
本心からの俺の言葉だった。
けれど、マルクさんはゆっくりと首を振る。
「違いますぞ、トーヤ殿。これまでのは盗賊から取り返していただいた荷物との取り引き。つまり商売です。恩返しはまた別。勘定は誤魔化しても、受けた恩は誤魔化さず返すのが商人の掟なのですよ。だから、まだ私はトーヤ殿に恩返しをしなくてはならない」
マルクさんは律儀なまでに商人なんだなあ。
こんなにお人好しなのにきっちり商売をやっているというところに、底知れない才能と経験を感じさせる。
こんなに熱心に言われたら、俺も断り辛いよね。
「というわけですので、何を差し上げましょうか……?」
マルクさんと俺は、同時に思案し始める。
とは言え、俺の望むものはほぼ決定していた。
意を決して口を開く。
「では……」
「なら……」
「「アリスを」」
と言ったのは二人同時だった。
目を点にして呆けるマルクさんに対し、俺は苦笑する。
釣られてマルクさんも笑う。
多分、マルクさんの方も最初から決めていたんだろうね。
「ははは、やはりそう来ましたか。……実のところ、初めてトーヤ殿を見たときから感じていたのですよ。あの子に似た雰囲気をね。それに、トーヤ殿の人柄に直で触れてこの方ならアリスを大切にしてくれるとも思いました。
………どうか、アリスをよろしく頼みます」
その目は、情緒不安定なおじさんのものでも、ましてや商人のものでもなく、慈愛に満ちた父親の目だった。
本当に、いろんな顔を持つ人だ。
この人との絆を持てたことを、俺は誇りに思った。
「はい、分かりました」
短くそう伝え、その言葉を絶対に嘘にしないよう、心に誓った。
これが、芦原凍弥とアリスの出会いであった。




