第二話『酒カスのシスター』
受付嬢は商人ギルドに案内してくれたが、結果から言うと非常に窮屈だった。
輸入品の原価やら売値やら税金やら、そんな話が錯綜していた。いや、それは当たり前だし想定内だ。しかし、問題なのは交渉の現場だった。
たまたま目撃したのは、新人らしい商人とその隣には貫禄のある商人がどっしりと座っていて、対面するように貴族らしい煌びやかな格好のマダムが座っていた。話の内容は宝石の売買についてだが、マダムは「安物の宝石」「買う気にならない」「誠意を見せろ」というようなことを言いながら、怯えた表情の若い新人を嫌らしく見つめていた。貫禄のある商人はその光景をベルトコンベアに運ばれる商品を点検するように、なんの感情もなく見ていた。これが個室ではなく、ギルドの人間ではない人間でも見えてしまう場で話しているというのか、なかなかこの世界の当たり前を表してくれていた。一緒に歩いていた受付嬢はその様子が見られた時だけ早歩きだった気がする。
商人ギルドから出た後、受付嬢は少し疲れた様子の俺を見て、宿に泊まって休むよう口頭で案内してくれた。どうやら昼間に来た道に戻るだけのようだ。その道中に安い宿があるとの事。
壁掛け看板に意識を向けながら暫く歩いていると、『HOTEL』という看板が目に入る。真正面に立つとわかるが、ドアや壁はボロボロでいかにも補修されていないことが分かる。
「よう、おかえり。」
背後から声がかかり、振り返ると酒屋の男がいた。
「…なんでここにいるんだ?」
「ここで経営してるからだよ。ほら、あれを見てみな。」
彼が指差した方に目をやると、この世界に生まれて初めて見たレンガのアーチがあった。
俺はもう一度酒屋の男を見た。
「だから、恩を作るだけ作って名前も聞かなかったんだな?」
「察しがいいな。俺の酒屋をご贔屓に〜。」
そうして、嗄れた声で笑いながら重たい酒のケースを運んでいた。
してやられた。この男の憎たらしい笑みが、この世界に来て初めて俺の心を踊らせてくれたのは言うまでもないだろう。思わず俺も口角が上がってしまったのを自覚して、それが悔しくて慌てて表情を戻す。
振り返ると、改めてそのボロボロの宿が目に映る。廃墟とまではいかないが、決して泊まりたいとは思わない。しかしながら、贅沢ができるほどの金銭はないため、アレルギーであるカビがいないことを祈って中に入るしかないだろう。どうせあるだろうが。
メッキの剥がれたドアノブを掴み中に入ると、そこは食堂だった。木の床に木の壁、3つだけある灰皿の置かれたテーブルは真ん中が空席で両サイドは見窄らしい格好の痩せて髪もボサボサな女性と、なにかに怯えたように辺りを見渡し腕を摩ってハットを深く被った男性が食事を取っていた。木のカウンターの奥には肥満気味の肉が重力に従って服とシワを挟んでいる中年の女性が、眉間に皺を寄せながら右足を庇うように汚れた皿を台所に運んでいた。
「あの、すみません。」
そう声をかけると、カウンターの女性は刺すような視線を向けてくる。そして軽くため息をついたかと思うと、興味も無さそうに皿を流しに出した。
「落ちぶれたか?それとも新しい転生者か?どちらにしても、素泊まりは銀貨1枚、朝晩で飯も食うなら銅貨2枚を追加しな。」
「あ、食事付きで。」
カウンターに銀貨1枚と銅貨2枚を置く。すると、奪うような乱暴な所作でそれを手に取り、スカートのポケットに突っ込んだ。
「2階に登ってすぐ左側に扉がある。そこが男どもの部屋。そこでなにか盗まれようが、貞操を失おうが、私は一切責任を負わないからな。」
「え…」
だいぶ聞き捨てならないことを口走った気がする。その言葉から察するに、個室ではないのだろう。見ず知らずの人との相部屋で、何かが盗まれる可能性があるということ。それに加え、背後には気をつけなければならないということ。これをわざわざ言うということは過去に同じ事件があったのだろう。
俺の心配が表情に出ていたのか、宿主は少し吹くように笑いながら、言葉を続ける。
「安心しな、今泊まってるのは何かに怯えたオッサンと盲目のジジイだけだ。金にもケツにも興味はない奴らだよ。」
「はぁ、そうですか。」
「鍵、渡しておくよ。」
金を突っ込んだポケットとは逆側のポケットから鍵を取り出し、カウンターに置く。
「飯は先に食うかい?」
「じゃあ、お願いします。」
「あいよ。良い飯が出るなんて期待すんじゃないよ。」
宿主はフライパンを手に持ち、コンロに置いて火をつけた。背後の冷蔵庫をガサガサと荒っぽく食材を探している。
空いてるテーブルに座ると椅子から軋む音と共に、今にも壊れそうな木の脆さを俺のバランス感覚が捉える。
存外、こういう雑で気品のない寂れた雰囲気は嫌いではない。さらに、俺の鼻腔はカビを検知しておらず、くしゃみが出る気配がない。中々良い宿だと思ってしまった。しかし、何もせずに料理を待つのも暇だ。話しかけようにも覇気のない女性と恐怖の表情に染まった男性に話しかける程の勇気と無神経さは持ち合わせていなかった。俺には、よく聞いていた音楽を脳内で再生することしか出来なかった。
暫くして、背後に人の気配を感じたので、ご飯が来たのだと思い振り返ると、身長が高く白い修道服を着た女性が、紙煙草を吹かしながら俺を見下していた。髪は金髪で長く、眠い訳では無いのだろうが脱力しきっていて瞼は半分降りている。太っている、というより筋肉で少しガッチリとした体格をしているように見える。顔が赤く染まっているため、その手に持っている瓶は酒瓶なのかもしれない。
「おい、アンタ。」
「なんでしょう?」
「相席いいか?他の席は座る気になれん。」
この3つの席で、この席がマシだと思ったのか。女性はそう言うだけ言って俺の返事を聞かずに対面に座る。そして、灰皿に煙草を置いて瓶に直接口をつけて中の透明な液体を体内に流し込んだ。吃逆も出ていて、ベタな酔っぱらいだった。
「何見てんだ?酒と煙草はやらねぇぞ?」
シスターのコスプレをしたチンピラかもしれない。その視線は少なくとも、物語におけるヒロインたらしめる要素は何一つなく、渋谷で因縁をつけてくる輩と大して変わらなかった。
「お前、転生者か?」
「なんでそう思うのでしょう?」
「見ねぇ顔だからな。教会で働いてたら嫌でも人と関わるからな。」
どうやら、その服は見掛け倒しではないようだ。しかしながら、どうもこんなボロ宿で神に仕える人間が酒と煙草を楽しんでいるのは異常事態ではなかろうか?
「元、シスターだよ。」
この世界の人間は察するのが上手い。若しくは、俺が表情に出やすいのか。いずれにしろ、シスターはグデグデに酔っている状態でも相手の表情を見て応えてくれた。
「それにしても、転生者ね…。妙に落ち着いてるけど、既に仕事が決まったとかかい?どうせ冒険者ギルドとかだろうけど。」
「いや、まだ無職。」
その返答に表情が変わることはなく、ただ煙草の煙を口の端で吹かしてみせただけだった。
「慎重派なのか?大体の転生者は無謀に冒険者ギルドに登録するか、腰抜けがその他のギルドに登録するだろ。」
「冒険者?俺は運動神経が悪いんで、そういうのは勘弁。商人ギルドも見たけど、ありゃ地獄。商品を売るのに自分を商品にしちゃやってらんない。」
シスターは頬杖を付き、興味なさげに聞いていた。足を組み替えたのか、座り直すような動作を見せて、背もたれに上半身の重心を委ねる。
「まぁ、好きにしな。別にギルドに入らなきゃ稼げない訳でもない。実際、勝手に屋台を開いていい場所みたいな指定もあるし。」
「あなたはどうやってお金を?」
黒目がこちらを向いた。後ろによしかかった姿勢のため、なんだか見下ろされているように感じる。
「別に、適当に依頼を受けてるだけだ。」
「依頼?」
「冒険者ギルドだよ。これでも魔物狩りはお手の物だ。」
魔物───
「俺は『科学世界』出身なのでよく分かりません。動物とは違うんですか?」
「あー、そう。じゃあ、まず魔法について基本的なことを知る必要があるな。」
シスターは最後の一吸いをし、灰皿に煙草の火を擦り付けた。
「まず、魔法というのは体内にある魔素を使う。マナとも言うな。お前の中にもあるんだぞ。」
「え、そうなんですか?」
「おう、だからお前も魔法は使える。生命エネルギーがお前の筋肉や神経を動かしているように、魔素エネルギーを使って魔法を使うんだ。」
なるほど、つまりは食事から得られ生成されたエネルギーを使って、体を動かすなどのエネルギー消費をするというサイクルと似たようなものなのだろう。
「魔素も食事から得られるんですか?」
「そうだな。でも、だからと言って今まで使わなかった分が蓄積される訳じゃないぞ。そこは生命エネルギーとは違う。」
「じゃあ絶対的な量が決まっている?」
「いや、まぁ、そこは訓練で底上げできる。」
つまり、俺にも訓練次第で魔法を自由に扱うこともできるということか。なかなか夢のある話ではないだろうか?
「さて、その魔素だが、動物にも宿っているんだ。当たり前だな。人間にあって動物に無いわけない。その動物の魔素が、突然大幅に蓄積されてしまうことがある。分かりやすくいえば病気みたいなもんだ。そうなると姿形が変わっていき、魔物になる。」
「元は普通の動物?」
「そう。『科学世界』では見られず『魔法世界』でのみ見られる現象だ。それがなんでかは分からないから、研究者が必死こいて考えてるよ。」
俺に『魔法世界』の知識がないから、それが「こういうことではないか?」というお得意の妄想ができない。
しかしなるほど、分かった気になれた。きっと、大雑把に説明をしてくれたのだろうから、根本的なことであったり微妙なニュアンスは違うのだろうが、何となくその構造的なイメージは伝わった。
勝手に納得していると、背後からお待ちしておりましたご飯がやってきた。宿主が両手に持っている2つのプレートの上にはそれぞれ、澄んだスープとパンとスプーンのみ。
「贅沢言うんじゃないよ。」
「とんでもない、いただきます。」
「ふん…」
宿主は少しニヤッと笑いながら厨房の方へとまた戻っていった。なるほどこれが銅貨2枚分の、いや、朝ごはんも付いてくるそうだから銅貨1枚分の食事か。色んな野菜が混ざった匂い、ただ動物性の独特な香りはしないため、コンソメスープではなく…確かベジブロスと言う料理名だっただろうか。
パンは丸型のもので、見るからに硬そうだ。スープにつけて食べろ、ということか?
「やっぱここの飯は質素だな。」
「まぁ、そうですね。」
スープを掬い口に流し込むと、その優しい野菜の出汁と塩っ気が、なんともシンプルだが、知らない世界に飛ばされ無意識に緊張していたのであろう筋肉に染み渡ったような気がした。
でも、パンは確かに硬かった。苦戦する様子を、シスターは馬鹿馬鹿しそうに笑って、酒を煽っていた。
◇
「お前、明日からどうするのさ?」
お互い食事を終え、そろそろ部屋に戻ろうかと考えていると、シスターが何となく聞いてきた。別に興味もないくせに、そういう顔をしている。
紫煙が空気に溶けて流動的で不規則に、ゆったりと回遊している。
「色々と試したいことがあります。だから、それが終わってからお金稼ぎのことを考えます。」
「ふーん。」
ほらやっぱり。シスターは空になった酒瓶をやじろべえみたいにゆらゆらと揺らして、光の屈折の違いを見ていた。暇極まれり。
「お前さ、そういや名前はなんなの?」
「あー、言ってませんでしたね。西野 楓です。」
「ふーん。」
なぜ興味もないのに訊いてきたのだ。生返事を連続で聞くことなど、大学生の頃にたまたま席が隣になった女性に気まずくて話しかけた時以来だぞ。唯一違うのはあっちから話しかけてきたくせに、という点だ。
しかも、名前を聞いたら普通は自分も名乗るのが普通なのではないだろうか?『科学世界』だけの尺度なのか?
「あの、名前は?」
「んあ?あー、『マリア・カプレーティ』。」
名前が宗教関連すぎる。
あとカプレーティって、ロミオとジュリエットの、ジュリエット側の家の名前ではなかっただろうか?まぁ、なんてロマンチック。ロミオに遭遇しないことを祈ってあげよう。
「名前負けしてるとか言うなよ?」
「そう言われたらそう思っちゃった。」
「生意気。」
漸く興味なさげな表情から、鼻で笑うような笑みに変わった。それが、良いか悪いかで言えば悪い気がするが。
「さて、俺はそろそろ部屋に行こうと思います。」
「あぁそう?ありがとさん、暇つぶしに付き合ってくれて。」
「別に、なんだか力を抜いて話せる相手が見つかって、こっちも良かったです。ありがとうございました。」
そんなことを言われると思わなかったのか、少し驚いたようにこちらを見た。しかし、またすぐに脱力したような瞼を見せる。
「また話そうぜ、楓。」
「もちろん。」
ダルそうに手を振るので、手を少しだけ上げて2階に登る。登ってすぐの扉、ここが男性の部屋だとか。
中に入ると汚い床にベッドが並んで置いてあり、シーツも、洗ってはいるのだろうがどことなく年季が見て取れる。ひとつのベッドには老人が窓の方に体を向けて座り、何やら二本の木製かぎ針で編み物をしているようだった。震えている手で、こんなにも綺麗な編み物ができるものなのかと感心した。
ベッドに寝転がり、目を閉じてみる。一日の光景を瞼の裏で映像を流し思い出してみるが、総評、異世界に来たという実感が湧かないということだった。異種族が街中を歩いていたり、マリアからの魔法の話だったりと要所要所で感じることはできたが、なかなかどうしてファンタジー小説を読んでいるような気分にしかなれない。
しかし、今のところこれといった目標がないからファンタジー小説ならこの時点で読者に飽きられているだろうな。なら、明日は目標を見つけてみようか?なんて、少し現実離れした思考をしていくうちに、睡魔は俺の意識を奪っていった。
【後書き】
ちなみに、暇になった西野が脳内で流した曲はEarth,Wind&Fireの『Fantasy』です。




